ちょっと

 

● コロナ禍が続く。

 去年はジャズフェスのイベントを中止した。

 で、季節がめぐり今年のジャズフェスが近い。

 そのために水面下(どれっくらい深いのか浅いのかワカランがぁ)で準備を進めているけれど、あいかわらずコロナの居座りというか、拡大ぎみの蔓延。

 岡山県も緊急事態宣言下に置かれるようで……、どうなることやら、下準備しつつも不安も居座る。

 今回は、おかやま国際音楽祭とはまったく別な単独イベントも、用意しつつある。

 まだ準備中の部分もあるので……、より詳細は9月初旬に。

  

● 「10月か11月にやってもらえないか?」

 亜公園についての講演依頼あり。それも2本立てでお願いとのこと。

 ありがたい。

 が、トヨタのコロナが路上に増えてもいっこうに構わないけど、カ〜はカ〜でも、コロナ禍ァはナンギ。

 諸々な予定を組み入れつつ、やはり先が見えない不安がつきまとう。

「では11月で調整を……」

 と、出来るだけ時期を遅らせる事で了承。

 

 ゆえに、さようならコロナ、とひたすら願うばかり。

 しかしながら問屋は易々と荷をおろさない。

 今朝も早よから柔道家より電話あり、

「会社でコロナ出ちゃったよっ」

 ご機嫌斜めな様子。部署が違い話したコトもない人物が感染したらしきだけど、たちまち何かと仕事に差し障り有りな状況とか。

 しばし遊びに行けんがな、と嘆くコトしきり。

 

 ○○-○○-○○-○○-○○-○○-○○-○○-○○-○○-○○-○○-○○-○○-

 

 さてと。

 近頃気になるのが、「ちょっと」

 会話の中、テレビの中、言葉と言葉の繋ぎに多用ぎみ。

「あれさ~、ひどいよなぁ。ちょっとハラたったわぁ」

 とか、

「首相がア~云ってますけど、アレちょっと、どうかしてるわ~」

 とか、とか。

 何かと、使われる。

 けども言葉の流れとしちゃ、「ちょっと」じゃない事を指してる方が多い。

「かなり」とか「すごく」が妥当と思われる話の流れで……、なぜだか「ちょっと」と口からこぼれてる。

 これが、ちょっと気になる。

「ちょっと」が装飾的接続詞になっていて、本来あるべきな主題を浮き彫りにする言葉の流足を逆に引っ張り、後退させてるように思えてしかたない。

 ま~、テレビとかの街頭インタビューとかのシーンに接したら、聴いてみなはれ。

 かなりの頻度で皆さん、言葉の合間に「ちょっと」を入れちゃってるから。

 

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「ちょっと」は副詞だ。

 数量なり程度が僅かである事をいう。

 副詞というのは、コトバなり文の中でその意味を補強説明するパート。

 だから本来なら、そこは断定的強さが求められるハズなのだ。

 

 けども一方で、

「あの人さ~、この界隈じゃちょっと有名な変人さんなのよ」

 という使い方も出来、聞く側も難なく納得したりもする。

 この場合の「ちょっと」は、「少量」じゃなくって「かなり」という意味で使われているワケで、要は彎曲しているんだ「ちょっと」が。

 そういう表現が日本語は出来てしまうんだ。

 だから活用が難しくって、最初にあげた例、「ちょっとハラだったわぁ」とて、実際の発言者は、

「めっちゃハラたった」

 という意味で使った可能性が充分に、ある。

 が、ハラだったその度合い、怒りの深度までは計れない。

 計れないよう、反語に近いカタチに柔らかに「ちょっと」が覆っているワケで、

「ちょっと有名な変人さんなのよ」

 の場合は、広範囲で有名でなく地域が限定されているというニュアンス含みでおそらくは使われている。意味合いが2重になってるワケだわさ。

 

 だから、『もどかしいコトバ大賞』があれば、筆頭にあげていいのが「ちょっと」だと、思うんだ。

 もどかしいというか、アイマイだぁ。

 イエスとノーがくっきりしない日本って……、と、よく云われるけど、国語としての日本語はハナっから、そんなアイマイ色を含有してるんだね。

 だからアイマイであることを苦にしちゃ〜イケナイ。

 ただ、だからといって「ちょっと」の多用もヨロシクはないでしょうよ。

 なのでボカぁ近頃、意識的に「ちょっと」をチョット使わないよう心がけてんの。

「駄目なものはダメ!」といった硬直も好まないけど、志村けんだか加藤茶がよく云ってたじゃん、「チョットだけよん」って。

 そんなドリフターズ的ドリフト感覚でもって、「ちょっと」使用をちょっと抑止中。

 

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     某日某新聞社の記者さんが集成閣の模型をちょっと撮るのを横からさらにちょっと撮影