老舎

 

 ついこの前のような感触があるのに、「9/11」から、もう20年が過ぎる。衝撃が大き過ぎて記憶が乾かないゆえ、ついこの前という感が抜けない。

 ごく最近になって当時の情勢情報の一部が公開され、サウジアラビアの関与が浮上というようなコトも伝聞し、

「は~~」

 溜息がこぼれる。ケネディ暗殺の真相やら御巣鷹山でクラッシュした日航機やら同様、謎が謎のまま横たわって、どうにもよろしくない。鍋に具はいっぱい入っているのに火力が弱く、いつまでたっても煮えない……、といったもどかしさだけが積もる。

 

 人間のヒストリーを顧みると、ハッピー期間はごく短くってアンハッピーな期間が多く長いというのは誰もが承知のことだろう。

 だからそれゆえ、すぐれたアート、ムーヴィ、ノベル、ミュージックが産まれ続けているともいえる。不幸のはての幸を描こうとする。その逆もあるし、乾燥もあれば粘っとりお湿めりもある。わけのわからない世界の一部を切りとって作家なりの解釈でもって再見をこころみる。

 

 老舎という作家を知ったのは、開高健の短編『玉、砕ける』を読んだ時だ。

 開高がこの作品を発表したのは1978年で、単行本『ロマネ・コンティ一九三五年』に収録され、3年後の1981年に文庫化されている。

 

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 といって、ボクは老舎を直に読んだことはない。『四世同堂』も『駱駝祥子(ロートシャンツ)』も『茶館』も、いまだ読んでいない。

 けども開高の小説でもって、奇妙なほどに悼みを伴う親近をおぼえ続ける作家として、老舎は体内に刻まれている。

 とっとと読めばいいのだろうけど、既に40年を超えていまだ読むエネルギーが出てこないのは、老舎の栄光の末の不幸を知っているがゆえに……、だろうか。

 

 清朝の末期に北京に生まれ、19歳で小学校の校長をつとめた老舎。渡英してロンドン大学で中国語を教えるころから創作活動をはじめ、『帳さんの哲学』で作家デビューする。

 数多の作品を産み続けて中国を代表する作家となった。がその栄光と裏腹に中国では毛沢東率いる文化大革命が生じる。

 

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                       老舎

 

 文化大革命はメチャでハチャで一方通行なグッチャグチャの激烈だった。毛沢東の権力願望の業火が若者を感化させ、業火は熱狂を伴って苛烈を増大させた。映画『ラスト・エンペラー』を眺めると、ラストでその凄まじい片鱗が覗えて、おぞましさに戦慄する。

『玉、砕ける』はその文化大革命初期頃の話。開高らしき主人公と香港人の旧友・張とが香港で会合し、湯屋で垢を流したりしつつ、老舎の話で盛り上がる。主人公も張も老舎を恭敬し、希望に近い導(しるべ)として敬愛やまぬ様子。

 政治的不穏の中、書くに書けない状況下に置かれたその老舎の言動を開高は、張の体験話としてデッサンしてみせる。

 

 ずっと以前のことになるが文学代表団の団長として老舎は日本を訪れたが、その帰路に香港に立ち寄ったことがある。張はある新聞にインタヴュー記事を書くようたのまれてホテルへ出かけた。老舎は張に会うことは会ってくれたが、何も記事になるようなことは語ってくれなかった。革命後の知識人の生活はどうですかと、しつこくたずねたのだけれど、そのたびにはぐらかされた。あまりそれが度重なるので、張は、老舎はもう作家として衰退してしまったのではないかとさえ考えはじめた。ところがそのうちに老舎は田舎料理の話をはじめ、三時間にわたって滔々とよどみなく描写しつづけた。重慶か、成都か、どこかそのあたりの古い町には何百年と火を絶やしたことのない巨大な鉄釜があり、ネギ、白菜、芋、牛の頭、豚の足、何でもかでもかたっぱしからほうりこんでぐらぐらと煮たてる。客はそのまわりに群がって柄杓で汲みだし、椀に盛って食べ、料金は椀の数できめることになっている。ただそれだけのことを、老舎は、何を煮るか、どんな泡がたつか、汁はどんな味がするか、一人あたり何杯くらい食べられるものか、徹底的に、三時間にわたって、微細、生彩をきわめて語り、語り終わると部屋に消えた。

 

 

 やがて開高らしき主人公が日本に帰国しようとする時、老舎の死が伝わる。

「漠談国事(ばくだんこくじ)」、政治の話をするなと注意書きのある茶館を舞台にした劇『茶館』の作者である老舎が、中国本土でもって死んだ。殺された、いや、それを嫌がって自死したという話が伝わって2人が愕然として気落ちするところで話は閉じられる。

 

 史実の中の老舎は、近衛兵の少年らに嬲られ、入水自殺した。

 自死は1966年のことだから、開高健はその12年後に『玉、砕ける』を発表したことになる。

 温めていたか、あるいは、難儀したか、あるいは、死の真相を12年経っても掴みきれなかったからか、またはコンラッドの『闇の奥』のように、会えてはいないが思慕する巨人の生死を通じて”嗚呼・無情”を描こうとして囚われるままに苦闘したかもしれないが、この作品創出に悶々の日々を費やしたのはマチガイないだろう。

 

 1966年当時、香港は英国領ながら本土中国の影響も大きく、文化大革命の洗礼を受けた中国共産党系の人達が暴動をおこしたりもして、街角でも路地裏でも緊張の糸が慄えてた。表層は英国風味ながら水の流れには「漠談国事」な泡立ちもまた濃厚のようだった。

 1997年に中国に返還されて既に久しい香港だけど、ジワジワよろしくない方向に向かっているのは誰もが知る通り。香港だけでなく本土としての中国そのものも……。

 

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                老舎の代表作

 

 2019年に日本財団が世界9カ国の17~19歳各1000人に、『自分の国は良くなるか悪くなるか』を聞いたところ、米国や英国や仏蘭西といった国々では概ね30%の若者が良くなると答え、同じく30%ほどが悪くなると回答したが、中国では96%のヤングが中国は良くなると回答したという。

 同国を外から眺めて顔をしかめるのとは裏腹、あまりに違うパーセンテージ。

 32年前の天安門事件で大いに反撥した若者はすでに中年になり、その子供たちが今の中国のヤングなのだけれど、かつての近衛兵同様、強壮な体制の足下で集団として硬化しつつあるのか、あるいは一党独裁ゆえの封じの徹底がもたらしたやむなき96%肯定なのか……、いささか妙な気配。水は濁りつつあるのか、そうでないのか?

 

 『玉、砕ける』は、まるで何だか、現在の到来を見通した作品だと、云えないこともない。

 開高はベトナム戦争を体験し、アイヒマン裁判を見聞し、アフリカの紛争地を歩きしつつ、腐臭をしっかり味わって、倦んで疲弊し、やがて、食のこと、酒のこと、釣りのこと、アンテナの方向をガラリ変えて名文の数々を残すことになるけど(厳密にいえば開高は戦争をルポタージュしつつ早い時期より釣りの世界に足を踏み入れている)、そのおびただしい華麗な文章の奥底には、死した老舎のカタチが潜んでいるよう思えなくもない。

 だから老舎を読まずして開高を読んでいるボクというわけじゃないけど、ミャンマーベラルーシアフガニスタン、香港などの難儀なニュースに接するたび、あわせてこの国のアカンタレを見聞きするたび……、諸々の刃の突きつけに気持ちを拮抗するには、老舎のように、開高健のように、油を知りつつ水を汲み、澄明な水の旨味を謳歌するに専念するがごとき振る舞いは、方便として大事かもと常々薄々におもいもするのだった。逃げてくワケでなく、ヒトとして、ニュートラルな立ち位置として、あるいはギアをローに入れてアクセルを踏むさい、どう腰をすわらせるのかという点で。

 が、そうであって結局に老舎は少年達に敗れ、入水した。自らに終止符をうった。うたざるをえなかった。

 その重みがたえがたく、いまだ老舎を読めない自分は、やはり卑怯なトコロに腰を据えているのかしら?  

 ストレートに解答がえられない。

 けども、そのコトよりも今は、ミルクコーヒーサンドにソーセージを挟んで食うか食うまいか、そっちの悩みがでっかい。

 

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 ただ挟むだけじゃ2つの素材を合わすだけ。敷布団と掛布団に過ぎないワケで、そこにさらに毛布を加えて初めて寝所としての暖かみが出るのと同様、この場合、魚肉ソーセージゆえ、ここは醤油をたらすべきか、しかし醤油はミルクコーヒーサンドにマッチするか、いや、いっそジャンクにお好み焼きソースをかけちゃうか、いやいや、そうやって、マッチしようが近藤であろうが、混同ご一緒する意義があるんか? 

 意義はなくとも今手元にある食品がこの2つゆえ、どう食らうか考えてアタリマエなのじゃなかろうか、けど、こんな組み合わせを他者に披露して恥ずかしくないのか、そういうことを三時間話し続ける能力と気力があるのか……。

 諸々堂々巡ってきぜわしい。

 

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