探し物が、みつからない。
近頃、この繰り返し。
どこかにあるハズなのに、でてこない。
整理整頓、自己管理出来てない……、といえばその通りながら、困ったもんだ。
けど一方、探しているさなか、別なモノを“見つけて”しまい、
「おんや~っ?!」
感嘆符ぶくみの小さなサップライズを味わって、しばし、そのモノを眺めたり、めくったり、裏表ひっくり返したり、
「こんなトコロにあったのねっ、こいつ」
しばし本来探しているモノのことを忘れたりもするのだから……、やはり始末が悪い。
いま探しているモノは、掌サイズの薄っぺらな割れ物で、プチプチシートで包み、茶封筒に入れたと記憶する。
その記憶を元に茶封筒、チャブ~ト~、と眼をこらし、書棚、箱の中、あちゃこちゃゴソゴソまさぐってみるけど、まだ探し当てられない。
ひょっとして、茶封筒ではないのじゃなかろうか?
自分の記憶を疑ってもみる。
けども、それでは探査範囲が茫漠としちゃって、いよいよ心もとない。
なので、やっぱりチャブ~っぽい色とカタチと厚さを眼が追う……。
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男性がドアを開けて女性を招き入れる。あるいは、男性がドアを開けて女性を先に進ませる。
いわゆるレディファーストの、起源はヨーロッパの衣装史にかさなる。
マリー・アントワネットなんぞでお馴染みのコルセットドレスが、コトの発端。
腰から下がワイヤーフレームですごく広がり、ドアに手が届かないワケなのだ。
こういう不自由な衣装を創案したのは当時の宮廷出入りの男性モード職人。
女性の優美を追求したあげく、結果、誰かがドアを開けてやらねば女性は行き来不自由というケッタイな事態が、ま~、レディファーストのスタートらしい。
こういうのも、あるイミ、始末が悪い。
男性が装束を構築して女性におし着せ、結果として女性のカタチと男性の振るまいを規定してしまったワケで。
転じて今や、ドアオープン・どうぞお先に、がマナーだとアタリマエに云われる。
服飾表現で云えば、それもまた「始末」が悪い。フェミニズムの観点から「それって如何なものかしら?」という発言があるのは、ま~、いいことかもだけど。
茶封筒を探しつつ、手にとった本にドレスの歴史を見、上記のように感慨してしまい、
「ふ~ん」
と、そこで立ち止まるから、探し物発見はますます遠のく。
「探すのをやめたとき みつかる事もよくある話で……」
というワケにいかないのが、シャク。
陽水はそう唄った直後、
「まだまだ探す気ですか? 夢の中へ 行ってみたいと思いませんか?」
探査放棄を誘うのも、シャク。
とっとと諦め、呆けてろってコトかいな?
行ってたまるか夢の中。つい悪態。