マイ・マザ~、没す。
98歳。
要介護5。良いケアマネージャーや訪問介護の方々に恵まれていたものの、この前の月蝕の夜を境にヨロシクない状態におちてった。
満月やら月蝕のさいには死が近寄る、というようなハナシもありはするが、天体の引力作用と死生の関係を科学が証明したワケもなく、この場合もそこは不明、たまたまそ~なっちゃったというだけなのかも知れないけれど、ともあれ顧みるに、その夜にマザ~の身体変化が起きたコトだけは、確かだった。
ま~、それでも何とか年は越すであろうと予測していたのだけど……、甘かった。
高知に出向いた翌々日、金曜の朝9時、急変。ちょうど医師の定時訪問とかさなった。眠ったまま、ロウソクが静かに消えていくようなファイナル、だった。
安らかな死、とはこういうカタチか……、苦悶の声なく苦痛の動きなく、ただいつもの通り首をかしげ、眠ったまま、逝った。
だからしばし、事態を受け入れがたかった。
そこからドタバタ……。
土曜に通夜。日曜に葬儀。
コロナが沈静化しているものの、親族の95%が市外・県外に住まうから諸々考え、あえて死去と葬儀は告げず、我が弟とその子らだけの家族葬。
参列者わずか6名。式場も葬儀場も施設スタッフの方が多いという、身内が極度に少ないおくりとなったけど、弟の子供たちが棺内に花をそえてくれた。
映画『影武者』がごとく、喪を秘して三年……、なんて~コトはない。火葬後の昨日、おもだった親族に電話、死と葬儀を知らさなかったことを詫びる。
通夜の直前、おそらくは2008年の映画『おくりびと』の影響なのだろう、こたび初めて、納棺師なる存在が前面に出てきて、マザ~の最後となる入浴(!)から化粧に着付け(自宅にて介護の方々がそれをやってくれていたから、だから2度目のエンジェルメイクだな)を、つぶさに見られるというカタチにいささか感慨した。
マザ~が生前に袖を通すコトなく、しつけ糸が随所にある着物をば用意したのだけど、それを若い2名の納棺師さんが見事に帯を結んで着せてくれたのには、おどろいた。
『おくりびと』は封切り時、倉敷イオンシネマの満員状態で、それも最前列席、見上げながら左右映像の全体を把握するしかない悪しき状態で視聴したのだけど、美化され過ぎじゃないかしらと訝しみつつも、その仕事に関してをクローズアップした意義は高いな、とも思ったもんだった……。
それが、13年後のおととい、その姿カタチをまのあたりに見、かつ、葬儀費用の内訳明細中に額面として記載あるのを知って、
「あっ」
「うっ」
ありがたさと同時に、こちらの薄いお財布がいっそう薄くなるのも、知らされた。
新造された岡山東山葬儀場には喫煙所があった。これはこれで良い配慮だろう……
父親をなくすより母親をうしなった時の方が重い……、とか昔から聞いてたけど、なるほどその通りと、いわざるをえない。
感謝という単語が背中あたりでウロウロしている。
産んでくれてありがとう……、とかいった感情を芯にしての気分。没した直後ゆえ、まだ、その単語の落ち着きは悪いけど、いずれ背中のどこかにしっかり定着はするんだろう。
陽が昇って、陽が沈む。そんなあたりまえの日常(自宅介護の日々を含めて)の一部が欠けてしまった。
マザ~が日々を過ごした部屋が突然に空虚になり、部屋もまた精彩をなくした。
そこの暖房のスイッチをもう押さなくていいのだ、オシメ交換もなく食事を運ばなくてもいいのだ、
「ラクになったなぁ」
などとバカなジョークをいいつつも、そういうコトをいうしかない虚ろが寂寥を刺激し、あんまり、ヨロシクない。
けどもま~、前向きに考えなきゃいかん。
原野の風倒木が大地の大きな養分になるように、木はうしなわれたが土を肥やすように、マザ~の死もまた、我が体内に何かを植えたはず。
……何が植わったかを知るには、その萌芽を待つしかないけども。
と、以上を記しながらも、実は25%ほどの領域では、いまだマザ~の、その死の実感が固着していない。白い骨の砕片となった骨壺を持ち帰っても25%ほどの実感のなさがデ~ンと居座っている。
なんだかフ~ワリしたボンヤリっぽい感触が、拭えないんだな……。
いっそむしろ、10月末の記事に書いているけど、『007/ノータイム・トゥ・ダイ』の結末の方が……、「死」の実感が濃くってショックだった。
「そりゃ、ないぜ~」
観た直後、娯楽映画でもって鬱屈気分を味わう不愉快に、大いに憤慨したけど、こうしてマザ~の死に直面すると余計に、この映画が残念映画に堕ちちゃってると……、いわざるを得ないんだった。
『007/スペクター』のハッピーな最終シーンを思えば、ダニエル版はそこで打ち止めしといて欲しかったなっ。こちとらいまだ、喪に服す気分にもならないワケで。
『ノータイム・トゥ・ダイ』の最大の失敗は、ダニエル版007を007の枠から一歩も外へ出してやらなかったコトだろう。
スパイ稼業をやめて一児のパパになるという大英断すらをも選択させなかった冷暗が、本作をダメにしちゃったと思う。
要は、彼ジェームズ・ボンドに第2の人生を歩ませようとしなかった映画製作者の狭窄がペケなんだ、と今、濃ゆ~くおもってる。
遠い昔日、3歳の私とマザ〜宏子。感謝。