本日25日は、かかりつけのI医院に11時に出向き、3回目のワクチン接種を予定。
英国などの経緯をみると、急激拡大するものの、およそ1ヶ月もすると一転して激減、重傷化確率も減っているから、こたび3回目を摂取しても効能が現れる前に6波のブームが終わるような感じ悪さもチビッと有り……。
たぶん、この先ウィルスは弱体化しつつもしぶとく生息し、対応の飲み薬も出るにしろ、3ヶ月に1回とか4ヶ月に1回、注射とか服用とか、インフルエンザみたいな予防が定期化で,「一応の収束」ってコトになるのじゃないかしら……。
もしもそうであるなら、ウィルスに勝ったんじゃなく、妥協を余儀なくされての敗北と、云えなくもない。
しかし思うに、ごくごく幼少の子供たち、わけても物心がつき始めた子供は、この2年ほど、生まれながらマスク着用というカタチなので……、今後コロナ騒動が決着しても、マスクなしでは出歩けないような体質というか感覚の人に育っていくんじゃなかろうか?
マスクがアタリマエ、ノーマルな基本って感じ。
とどのつまり、着衣同様、必需となるわけだ。露出してるのは眼元だけという、何だか中東あたりの女性の装束が想起されもするけど、5年くらい先には、マスクがなきゃ~息苦しいという逆説な感性、下着なしで街頭に立つような気分になる若~い子が、たくさん出て来るんじゃなかろうか。
戦前・戦後という2極区分があるように、コロナ前・コロナ後では子供の様相が大きく違うというコトになりそうな感じがチラリ有りん子。
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トンガ王国での1000年に1回規模の海底火山大噴火のニュースを聴いて、どういう次第か、『方丈記』がアタマに浮かんだ。
たぶん1000年というトコロと、大災害というトコロで反応したんだろうけど、同じくおよそ1000年の昔、鴨長明は、彼の存命中にあいついだ大地震や、数万の死者が出た疫病やら飢餓やら……、それゆえに生じた倒壊家屋の無残やらヒトの悲惨にグッタリし、かつ、自身の出世に絶望して隠棲し、結果として『方丈記』を残すことになる。
1000年前(正しくは800年ほど前)と似通う今の状況がかなり似てるもんだから、つい……、本を手にし、寝ッ転がって再読。
で、次第にトンガの災禍のことはアタマから離れ、疫病としてのコロナからも離れ、鴨長明という一個人についてのみに焦点が絞られてった。
ベッチャリ云えば感触として、うさんくさいん……、だなぁ。
家族や社会から離脱して山中に小さな家を造って住んだ鴨長明……。
蝶番でとめただけの3m×3mの板壁。だから方丈。同書によれば、天井というか屋根らしきものの高さは2m弱。
家ともいえない家を山中にこさえて5年オーバー住まってみたものの、どこかその生活を自身に無理強いしているようでもあり、そこを文章上ではごまかし、自然との交流というカタチの中に“絵画的”に自分を見せているようでもあり……、あれこれ彼の心情やら心象を空想すると、
「うまくいかなかった人生をうまい文章でもってごまかしちゃった」
ような、自分には甘~い人物というカタチが浮いて、誰もが知るフレーズ、
「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
というスタート部分から既に、鴨長明さんは自己弁護と美化に進んでったのかな、と感想する。
京都の山中の小さな庵に住まって世捨て人をうたいつつ、鎌倉に旅に出て、当時の最高実力者・源実朝に面会し、神社の宮司職につきたいという願望をチラリと垣間見せるあたりに、このヒトの矛盾というか、ヘンテコな匂いがたって、鼻につく。
そのあたりの事実を『方丈記』では意識的(?)に消去しているから余計に……。
となれば、貧窮極めた貧乏住まいではなかったような感も、受ける。
下鴨神社にある復元家屋は、意外やマトを得ていて、世捨て人はあくまでポーズで、実体は別荘的快適ハウスだったのかも……、というような懐疑もわく。
もちろんガス水道完備なワケはないし、京都特有の夏の暑さや厳冬の辛抱はあろうけど、“秘密基地っぽい隠れ家”としてはいっそゴージャスな造りじゃ~なかったろうか、とも愚考する。琵琶を自作するほどのヒトだったというから、ミニ家屋も一人コツコツ自作したとも思えないではない。となれば、創意工夫のDIYを愉しみ、己のが身と心が安住出来うるだけの創作ハウスではあったろう。
下鴨神社の復元方丈庵。立派過ぎるようでもあり、そうでもないようでもあり……
ともあれ、今となっては解釈はどうともとれる。
ま~しかし、記述内容はともあれど漢字と仮名が合体した初期の事例が『方丈記』で、文体の華麗と秀逸は目映い。今後も日本の文学史上から消えはしないし、赤色矮星みたいに妖しく発光し続けるはず。
没して806年が経過した今、いろいろなカタチで貴男の本が出てますよ~、水木しげるも”解釈本”を出してるよ~、と806年過去の彼に霊界通信できたら、
「やったぁ! カッモ~ン!」
鴨さんは小躍りし、隠棲忘れ、京の町に出て来て、
「あたしゃ後世に有名になりましてねっ」
祝いのパーティを開くようなヒトだったんじゃなかろうかとも思って、結果、つい、ニンマリ笑うんだった。
若い頃に岩波文庫で『方丈記』を読んださいは、孤高の隠者というイメージが先行していたけど、やや老いて錆びはじめた今の眼で読むと、ヒトと交流したいのか、そうでないのか、そのあたりも曖昧だし、なにより、日々食べるであろう米とかは、どうやって入手してたの?
幾重とクエスチョンがひろがり、見事な文章表現には相反し、
「このヒト、あんまり信用できんなぁ」
という気分が否応なく湧く。
けど一方で、いや待て、そうでもなかろう……、このヒトは歌も詠めば楽器も弾け、好きなように活き、が、それでも満たされない事が多々あるのをよくよく承知し、横揺れ縦揺れがヒトの常ならば、頓着も無頓着も煩悩も達観もいっさい含めて、ぁああ無常……、
「はかないもんですなぁ」
という仏教的境地の入口付近にはいたのじゃなかろうか、達観という上から目線をあえて退け、いっそ、ながされるままもまた人生、あるいは、ながされるのが人生、あるがままでイイんだわさ、というような、その無常観を根底にした、ツイッター的つぶやきの集合物が『方丈記』だったのかも……、というようなコトをチロチロ考えた。
昨今のこのブログやらFacebookやらの自己発信ともよ~く似ているようでもあって、そのイミで長明さんは1000年ほど前の、情報通信の先駆的発信者といえなくもない。
『方丈記』を読むさいは、けっして聖人っぽい位置にあるヒトが書いたワケじゃない、というツボを押さえるコトが肝要。ボクら同様に揺れてブレてる様子を愛しむべきかな。
角ひろみの戯曲『狭い家の鴨と蛇』のDVD。『方丈記』を原作に、大震災による原子力発電所の災禍から逃れて山中に一人住まう男とのこされた家族の物語。舞台で主役を演じたのは、OJFジャズフェスの開催で行政の側から支援してくれたKazahaya君。
良い芝居(アートファーム主催・西川アイプラザで上演)だったけど、彼はブルース・リーみたいに鍛え上げた筋骨逞しいナイス・ボディなので、物語途中で上半身裸になるシーンでは、その1点が逆にマイナスだった。災禍から逃れようとする男のイメージとしては軟弱なボディの方がよかったよう思えて……。