イケズな東京 〜岡山市民会館〜

 

 ここ数日の早朝、やたらに寒くって、

「ぅぅうっ」

 肩カタカタ慄わせることしきり。

 まっ、2月だもん、厳冬のみぎり。あったりまえのコトなんだけど、けどチョイっと昔はもっと厳しかったね。

 小学生の頃は庭池に氷が2センチくらいはるのが冬景色の1つ。登校前、恐る恐るに乗ってみたもんだ。

 むろん、その程度の厚さじゃ、ミシミシってイヤ~な音が直ぐに生じ、

「ぁ、やばっ」

 慌てて乗っかるのを止めたけど、今やもう、そんなコトは出来ない。

 氷が出来ても、せ~ぜ~1ミリか2ミリで、これもやはり温暖化の証しなんだろう。

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 20年ほど前では、

「温暖化というけど、そ~そ~眼に見えるような進行じゃ~ないよ」

 苦笑ぎみに、まだ先のハナシだと思ってたけど、その後たかが20年で露骨に変化しちゃってるワケだから、アッチャ~。苦笑も凍りついて久しいのだった。

 なので、この先さらに20年も経てば、庭木や花々にまで影響が及んで、2月にもう桜、咲いちゃったよ~、みたいなコトになるんだろう。

 いや、それも甘いか。1月元旦に桜をみるハメに陥るかもだ。くわばらクワバラ……。

 

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 過日、井上章一青木淳の『イケズな東京』を読んで、示唆に富んだ言及に、幾つか頷いたり感心したり、した。

 かたや建築史家で『京都ぎらい』の作者、かたや京都市美術館の館長を務める建築家。

 リレー・エッセーと対談で構成され、お気軽に読めるのだけど、2人の見解の大きな違いも含め、けっこうヘビーな内容で、もろもろ学習したり考えさせられた。

 

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 読んでビックリ、開催2回目となる1900年のオリンピックが万国博覧会と同時開催で、実質は、博覧会の”余興”であったコトにまずは、アリャっ、と云わされた。

 競技場は新造されることなく既存施設でまにあわせ、水泳競技はセーヌ川の一部をロープで囲っただけのものだったし、その次の第3回のオリンピックも同様で、しかもだよ……、金メダルやら銀メダルというのは、優秀な科学・化学技術者らを博覧会で表彰し授与したメダルであって、オリンピックがオリジナルじゃないコトを教えてもらったワケだ。

 まぁ〜、判らないではない。19世紀末〜20世紀半ば頃までは万国博覧会というのは抜きん出たイベントだったわけで。

 

 さらには、日本における建築模型というのは、どうやら丹下健三の試みがスタートらしい、といった雑学的知識も得られ、

「おやおや、意外と歴史が浅かったんだな、建築模型は……」

 蒙を啓かされたりした。あんがい知らなかったというか、思わぬトコロでの事実をモロモロ教わったワケだ。

 

 しかし何より感慨させられ、納得しつつ頷いたのは、明治から今にいたる日本の建築の在り方についてだろうかな。

 わけても街づくり。

 明治以後、造っては壊してまた造るを繰り返し、造った家屋を捨てることを躊躇しない、その指向と思考と嗜好の三位一体的なカタチへのでっかい疑問を本書は暴露っぽく記している点だろうか。

 欧米に学びつつ、その欧米の街造りの本質についてはサッパリ咀嚼しなかった近代日本の哀しい姿が立ち現れて、読みつつ、すさんだような気分をも味わえた。

 

 この岡山でも似通う事例がある。

 たとえば、岡山市民会館

 これは1964年に造られた。8角形の外観の中に大型ホールがあり、1階席より2階席の方が席数多くてしかも見栄えがイイという希有な施設。

 上空からみる8角形のその多角なカタチは今も鮮烈だ。

 けども、老朽化という理由で取り壊しが決められ、今あらたに、別場所にまったくあらたなホールを建造中だ。名を「文化創造劇場」という。

 しかし、その新劇場はさておき、はたして岡山市民会館を取り壊すのは、正論かつ正解か?

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 岡山市民会館の設計者は、佐藤武夫。

 昭和の前期を代表する建築家で、彼が造った新宿の大隈講堂は重要文化財だし、山口の博物館、岩国徴古館は国の登録文化財だ。

 

 で、その佐藤氏が設計した岡山市民会館とほぼ同型の建物が熊本にあるんだ。

 岡山市民会館建造に次ぎ、1967年に氏は依頼され、熊本にそれを造った。

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 こちらは12角形ながら、いわば岡山の市民会館と熊本の市民会館は顔立ちが似た兄弟だ。

 立地も似ている。かたや旭川のそば、かたや坪井川のそば。どちらも城がすぐそばにある(熊本城/岡山城)。いっそ兄弟というより双子の家屋なのだった。

 このコトを教えてくれたのは我が友Sunaちゃん。素直に感謝だぁ、というかホントびっくりで、こういうコトは新聞なりが報じてしかるべきとも思うがぁ、地域マスコミは言及しない……。

 

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                   岡山市民会館の俯瞰

 当然に、老朽化という点では熊本も岡山と、まったく変わらない。

 ところが熊本市民会館は、2006年に既に大規模改修工事をやっている。今後も使い続けることを熊本市の議会は市民総意の元で決めている。 

 運営のためにあえてネーミングライツ(公共施設の命名権をとり、現在の愛称は「市民会館シアーズホーム夢ホール」。熊本の住宅メーカー「シアーズホーム」が名義料を出し、文化拠点としての市民会館を守って後世にまで残そうと努めてる。

 

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                   熊本市民会館の俯瞰

 

 要は熊本では認知され、活用継続を決めているワケだ。その姿カタチが愛されている建物なのだろう。

 岡山市民会館とて音楽や芝居発信の基地であって愛されるべき建物なハズだし、“昭和の息吹き”を伝える稀少な公共施設だろうし、イベントのたびにモロモロの思い出が刻まれたはず。

 残して使うべき……、と当方は思うんだけど、行政はどうもそうは思っていないようで、取り壊してしまうようなのだ……。 

 同じ岡山ながら、県が主導した、旧日本銀行をルネスホールに変えたような良い風通しが感じられず、この方策はまったく残念。

 

 改修に何億もかかるから新たなのを造った方がイイというのでは、いつまでたっても何も根付かないような気がしていけない。

 昭和時代のものとはいえ、それすら切り捨てるなら歴史は刻まれない、そんな街は、つ・ま・ら・な・い、んじゃ〜ないかしら。

 

 ちなみに余談だけど、ルネスホールの場合、家屋保存もさることながら、運営のスタッフがいい。館を愛し、そこでのイベントを愛してる姿勢が常に垣間見え、実にまったく気持ちがいい。

 文化拠点というのは、容器としての建物も大事だけど、同時に、最前線にいるスタッフの度量が大事。

 OJF( 岡山ジャズフェスティバル実行委員会)で、過去、何度もルネスホールを使わせてもらい、昨年も海野雅威コンサートを開催したけど……、ごく個人的ながらイチバンに濃く印象されてるのは、鳥取在住の鉄筋彫刻家の徳持耕一郎氏の作品展示とジャズをコラボレーション出来ないかと悪戦苦闘した時だろか。

 複数日を費やした大がかりなイベントだったけど、ルネスホールの大きな容器の中、自分たち主催者がどれっくらいチカラが出せたかを最終日に振り返ったさい、チカラ不足を感じ、德持氏とビシバシ事務局長と3人で泣いたことがある。

 ワンワン泣いたワケでもないけど、なぜか3人一緒に、涙がこぼれた。3人とも感性に相違あれど、その瞬間の情動はピュア~で、シンクロナイズドされた本気のココロだった。

 ある種の達成感を味わうと共に、ルネスホールのスタッフの期待(施設使用の制約とこちらの要望との狭間における溝を少しでも縮めようとしてくれた)に応えるホドでもなかったような自分たちの不甲斐なさを、身に沁みさせたワケだ。

 公共施設における、それは小さなドラマに過ぎないけれど、そういう小っこいドラマ舞台として、ルネスホールは我が輩には大きな存在だ……。

 岡山市民会館でも、きっときっと、そんな小さなドラマが多数にあったはずだし、この先とて、それはあり得るだろうけど、取り壊す方向で駆けているようなのだ。

 

 ま~、『イケズな東京』ではそういった人的好感までは触れない。あくまで俯瞰として、街の在り方が書かれている。示唆に富んだ視線に感心しきりで、時に2人の見方がまったく逆の場合もあって、そこも興味深かった。

 都(みやこ)としての京都やら東京のハナシでなく、我が住まう岡山にもこの本の内容は合致してるんで、1行読み進めるたび、ホロホロハレホレ……、モロモロ身に沁ませるんだった。