日本再発見

 

 明治神宮の創建以来守られ続けていた神宮の森。東京都はその一部を更地にし、再開発するらしい。

 神宮の森の、その外苑にあたる場所らしいけど、100年以上前に植えられたモロモロであるのはマチガイない。

 明治政府が設け、全国から集められ植樹された樹木。以後100年以上の歳月が育んだ希有で稀少なこの都心の木々とそれに伴う自然環境を壊し、またぞろ高層ビル群を目論んでいるようで、なんちゅ~愚かな決定か、とアタマがク~ラクラした。

 ニューヨーク市はセントラルパークを、パリ市は16区のブローニュの森を壊したりはしないでしょう。

 

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 岡本太郎の『日本再発見』を書棚から引っ張りだし、久々に読み返す。

 昭和33年、47歳の時に岡本はこの本を出した。

 秋田を皮切りに、長崎、京都、出雲、岩手、大阪、四国を旅し、アレコレを見聞し、自ら写真も撮って本書にもそれが載っている。(今は文庫版のみが流通してるけど、その写真の濃い味わいは文庫サイズでは堪能しきれない)

 岡本は「泥臭い民芸的な気配」を嫌うが、地方地域の「純粋で透き通った」諸々を見るにつけ、

「ほほ笑ましく、美しいし、そのセンスも高い」

 と、名もない地方での創作物とヒトの心を称賛する。

 が、一方で、

「センスと芸術とはまったく違うものだ」

 クギをさす。

 せっかくの創作物を民芸品という名でくくってしまう媚びたおろかさを糾弾する。モノ創りの覚悟のホドを突き詰める。

 

 再読し、京都での茶会シーンと、出雲大社でのシーンが濃く印象された。

 大徳寺・聚光院での、茶をテーマにした「伝統芸術の会」に招かれた岡本は、

 

 うやうやしくお道具拝見の光景は、ユーモラスである。

 ぺたっとオイドをすえてエサ箱に首を突っ込んでるみたいに前かゞみになり、結構なお品をいためないように、大事に大事に顔の方をすりよせて、「コレハコレハ」「ヘェー」「ホウ」「マア」ためつすがめつする。ほめことば(けなすことは厳禁)、感嘆、見えすいたきまり文句だが、ヴァリエーションとりどり、堂にいったものである。あれも芸術のうちかナと思った。

 太閤や居ならぶ大名たち、利休さんにやらされたんだろう。そこにそゞがれていた利休の目は、皮肉で冷たかったにちがいない。

 

 コトの本質を喝破して揺るぎない。

 岡本は茶道を否定しはしないが、利休がもたらした茶を通しての「対立」という構図と観念には、甚大な関心を寄せている。数ページを費やし、利休が提供した茶器やらそのスタイルの深層をさぐったあげく、現状の茶道を……、利休同様に冷ややかに眺める。

 なるほど、もっともだ……。巨大権力と化した信長や秀吉に対抗すべく「茶」という観念でもって彼らと拮抗し、権威に向けて抵抗を試みたと思える利休の遺産が今はもう、ただの習い事、上品ぶったカタチの模倣に過ぎない事を、悲しむ。

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 出雲大社では5月14日の例大祭に招かれ、それを取材し、皇族の代表として岡山から来訪の池田厚子さんに出雲の方々が直立不動で応対している様子をいささか滑稽に描く。

 出雲は大和朝廷に激しく対抗するものの、破れ、朝廷側の”国譲り”という綺麗事で美化修正された地域というのが定説。その確固とした過去が今や皇室に向けては隷属しかないというていたらくを、彼は数行でもって描写し、にが笑う。

 岡本はアートという立場から、それらを眺め、モノ申す。

 ユーモアと辛辣で岡本の文章は脈打つが、血中の芸術濃度は尋常でなく、そこを中点に、切ったりえぐったりまさぐったり、撫でてさすったりで、彼が何を見、何を云いたいか良く判る。鉛筆の芯が削られ尖っていくような小気味良さに、おのずページをめくる速度もあがる。

 

 岡本は出雲大社本殿を、

「日本の過去の建築物で、これほど私をひきつけたものはなかった。おそらく日本建築美の最高の表現だろう」

 と称え、

「かつてこの土地に、われわれの祖先はこういう美意識に生きたという凄まじさにうたれた」

 と感動を記す。

 がまた一方で、本殿そばに雑木の植込みがあって、本殿をみあげる決定的な角度がさえぎられていると苦言し、

 

 バカバカしい。腹が立った。どうしてこんな意味のないものを生やしておくのか。何でも、樹を植えさえすれば自然をとりいれたつもりで安心するという、形式的な自然主義のアイの手だ。こんなものがはじめっからあったはずはない。あるいは明治から大正あたりに、偶然生えだしたのかもしれないが、後生大事にとっておくというのは卑小な庭園趣味の勘ちがいだ。

 

 と手厳しい。

 そんな岡本太郎だけど、もし彼が生きているなら、巻頭で触れた明治神宮の森の伐採計画には、俄然に烈火のごとく怒ったであろうと……、想像する。

 自然の原生林に近寄せる壮大な計画で構築された神宮の森なのだから、明治のその想念を破き、茂った樹木を1000本も切ってしまう無謀に、怒りをバクハツさせるだろうと想像する。

 

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 昭和33年という早い時期にすでに、

 

 自分達のもり上がりがなくて、爛熟した文化の上ずみだけを、小器用に、美・芸術として受け入れてしまう。その受け入れ方の要領のよさだけが、一種の民族的な素質として久しく身についてしまっていないか。

 

 岡本はそう問い、

 

 文化は本来、民俗の生命力のもり上がり、その高度な緊張から爆発する。その表情である。しかし日本文化はほとんどあらゆる時代にそのもり上がりをまたないで、舶来品の出来あいで間に合わせてしまった。その方が好都合、ずっとシャレているし、苦労がない。 

 結果、生活を抽象した、ていさいのよい趣味的文化はあたかも日本の伝統の如く、ながく続けられる。

 

 と批判する。

 で、その上で、このアチャラコチャラで見聞した諸々の中に、灰の中にくすぶる炎が存在しているのを彼は見いだし、そこに希望をおく。

 彼のその発見の数々が本書を今でも目映く照らしてる。頷き合点させられ、引き寄せられるまま、こたび2度、読み返した。

 スケールのでかさと、ただでかいだけでない、岡本太郎という存在は常々に意識していたけど、今また彼の残した文章に発奮させられ、「ゲ~ジツはバクハツだぁ!」の背景となる真摯極まる一途な眼差しを感じて、うっとろろ……。

 昭和33年から既に63年が経過しているけど、岡本太郎が抱いた怒りや不信もまた変わらずくすぶっているようで、容易にうっとろろと文に酔いきれないのが残念。

 

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