2月は短いや。
損したような、はかない気分が残る。
くわえて、今日3月1日からは「春」という感触が濃くって、あれだけ、寒み~サビ~凍えるよ~、ってなコトを云ってたのが、月が変わった途端に、
「ぁ、冬、も~おしまいかぁ」
いささか屈折した愛惜をも感じて、妙なアンバイなのだった。
実質さほど寒さは変わらないのだけど、暦でもって強制される “気分変更を命ず” の号令に、たぶんに身体も心もうまく馴染まないから、ま~、2月のジ・エンドを……、どこか惜しんでモロモロ、感慨しているんだろう。
この2022年2月は、この先の教科書や歴史本に確実に記述されるであろう忌まわしい年月になっちまった。
いわゆる歴史年表みたいなモノでは、
「ロシア、ウクライナに侵攻」
そう記されることになるんだろう。
一行で片付くコトでないのは明白だけど、年表というカタチでは、憤怒も悲惨も狂気も描かれない。
その一行、あるいは一節の次に、
「ウクライナ、ロシアに併合される」
となるのか、
「ウクライナ、危機を脱す」
となるのかは、いま現在は判らない……。
数年先には確実に見える光景が、今この瞬間には、ま~るで見えないというのが、「NOW」というもんなんだけど、この一点では、“今”という瞬間は、とてもむず痒い。
朝の4時ちょっと前に外に出て、星空を見上げると、屋根の真上に北斗七星がいる。(ちょうど真上ではなくって、やや北より。でも覆い被さるような感触)
ヒシャクが下を向き、詩的に眺めれば、家に水をかけてあげましょう……、ととれないコトもない。
時差で日本の方が7時間進んでいるから、こちらが朝4時ならばウクライナは昨日の21時。
なので7時間後には、ウクライナでも、この星座は天空にのぼって、家屋のはるか上にいる。
歴史年表に、地球の回転によるビジュアル的事実が記されないのは、ま~、当然ながら、
「この星座の足下で、いま、ウクライナでは……」
という悲痛含みの怒りの感慨は忘れないでおこう。
1970年のEXPO70、いわゆる大阪万博を顧みると、ソ連館とアメリカ館の建物の相違に眼がむかう。
地表にへばりついてフラットで横広がりなアメリカ館の佇まい。
かたや、天にのぼろうとするソ連館のきつい鋭角の佇まい。
この縦方向と横方向の違いが、あまりに象徴的……、と今は思える。
ロシアというかプーチンという男が目論んでいるカタチが、高く屹立したその赤色のソ連館の、強固な意志めいた何かと合致しているよう、思える。
70年代のその頃のソビエトは「ソビエト社会主義共和国連邦」が本名で、当然にウクライナもその中の一地域だったわけだけども、万博でのこのカタチは、偉容というより、「異様」という単語がイチバンにピッタリに、思えてしかたない。
アメリカ館同様に宇宙開発に用いたソユーズを含めた諸々の道具を展示して人気の館だったけど、入館してイチバンに見せられるのはロシア初代の首相レーニンがいかに偉い人物だったかという顕彰的かつ個人崇拝的展示であって、まずそこを見なきゃ〜宇宙船なんぞの展示室には向かえないのだった。
ちなみに、プーチンは性で、ウラジミールが名前。実はレーニンも名前はウラジミール。同名なのだ。
プーチンは現在69歳だから、大阪万博の頃、高校3年か大学1年生だったはず。
たぶんきっと、レーニンが構築した「社会主義連邦」という幻想の元での教育にテッテ的に感化され染まってしまった生徒だったんだろう。
その上に、彼独自な史観による帝政時代の栄光としての、大帝国としてのロシアという幻影がのっかる。
それでたぶん、彼の思想としての背骨が歪んだんだろう……。未来志向じゃなく、ノスタル爺ィな過去指向、自ら成長をとめてしまったよう、見える。
いや、たぶん彼は、成長の道は過去の栄冠にしかないと……、必死に自分の背中を追うコトに躍起になっているのだろう。ウラジミール・レーニンを越える存在としてのウラジミール・プーチンでありたいと願望したのか、ともあれ、こういう人物が官僚になり、やがて頭角してく……。
さらにくわえてその体内には、いわゆる西側的自由主義への恐怖が渦巻いてもいるんだろう。
我々が時に社会主義を名乗るアレコレに抱く不穏な感情と同じく、まったく逆の立場から、学生の頃から身に沁ませた自由主義への不安が彼の焦燥を駆り立てているようにも窺える。
一途といえないこともないけど、多方向を眺めるメダマがない、その愚鈍な蒙昧をこたび全世界に露呈させた今、その一点のみでいえば、実にまったく気の毒な人物……、というコトにも、なるんだろう。
対して、贔屓めにあえて見るけど、攻め込まれた国のリーダー、ウクライナ大統領の孤軍奮闘っぷりは、痛々しいながら、しかし、頼もしくもある。
TVドラマの大統領役で人気を得て、そのままホンマに大統領になったヒトだから、けっこう他国からはバカにされ、私もまた「タレント政治家」の序列に加えていた方だけど、逼迫した現状の中、懸命かつ真摯な彼のコトバは実直。意外やウクライナ国民はチャンとした人物を選んでいたんだと、今は思う。
プーチンがこのゼレンスキー大統領をイチバンの標的にしているのはマチガイないだろうし、ゼレンスキーさんもまたそう意識しているはず。殺される可能性が高いのを承知している……。
今日これを書いてる時点では、ほぼ無力な人達と都市を蹂躙したプーチンは、彼らを守ろうとするぜレンスキー政権を「交渉の席」につかせるコトに“成功”しているようだが、銃をぶっ放しての交渉って国家の振る舞いじゃ〜ないだろう。
国の体をなさず、プーチン組という広域暴力団の破天荒以外のナニモンでもなく、アチャコチャの凶猛なマフィアでさえ、
「そこまでメチャするんか」
びっくりものの、最低限の仁義すらないのね。
ミャンマーでのメチャもそうだけど、なんて非道い世の中になっちまったもんだろう。
つくづく、暗澹とさせられる。
信じがたいコトに、3月になったトタン、実は、春が遠のいているんだった。
けどまだ、微かな希望はあるね。
池袋だかでロシア国籍の人達が悲憤にかられて声をあげているのをニュースで見、そこに光明があると思ってる。厳しい状況だろうけど、ロシア国内での、「侵略なんてもってのほか」といった声なき声、サウンド・オブ・サイレンスが次第に大きくなって、ウラジミール・プーチンの狂気を押し包んでいくことを切に望んでる。