ひっちゃちブリに、フィル・コリンズの、後半でドラムがドドドッドド~ンと来る「In the air tonight」を大音量で聴きたくなってヘッドフォンで味わってるさなか、
「あっちゃ~」
片っ方の根元が折れちゃったよ~。
20年くらい愛用してたな。経年で力尽きたみたいじゃね……。
残念だけど、しゃ~ない、新しいのを買わざるをえない。
なワケで、「In the air tonight」は途中までしか聴けず。
こういうのって、イジイジさせられるなぁ。音が出なくなったんじゃなく、ヘッドに固定できないという有様がイケマセンなぁ。
1990年6月での英国ハートフォードシャー州ネブワース野外コンサートでのカッコよい「In the air tonight」。 ↓
下、2004年のフランス公演での、一段とカッコ良くしたというか、頭髪変化と逆比例でいっそうカッコづけてる「In the air tonight」。どっちも好きだなぁ。
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ようやくやっと、浦沢直樹のコミックス『20世紀少年-20th Century Boys』、全24巻を読み終える。
読了まで半年以上かかってしまった。
1つには、現在と過去が行き来する物語構成が、いささかうざったく、さらにもう1つは、悪人の顔があまりに典型的で興ざめ、そのあたりでどうにも、ノレなかったからで、ベッドに寝っ転がって読もうと思いつつ、
「ま~、今夜は別の本、読むか」
なかなかページをめくる気が薄いコミックスなのだった。
ま~、とはいえ、全部で2600万冊も売れ、アレコレの賞を総なめにしたオバケのような漫画じゃあるし、3部作の映画にもなって、これまた観客動員数が当時新記録だったという作品なのだから、
「きっと、悪くはないはず……」
ブームが去った今になって、ようやく本作に触れてみたワケなんだが、このテ~タラク。
ノレない最大の理由は、おそらく、音楽というかロックを物語の根底にしつつも、そのミュージックとしての音が漫画からストレートには伝わって来ないという、イジイジするようなジレンマであったろう。
浦沢直樹には気の毒だけど、そう感じた。
漫画のコマから、音が聞こえないのだ、我が耳には……。
なので、チビリと我慢して読み続けるみたいな感もあって、そ~いう次第で半年以上かかったワケなのにゃ。
漫画という表現とミュージックという表現には、浦沢直樹をして埋められないミゾがあるよう思え、これは残念なことだった。
本作で浦沢は、1970年大阪万国博を物語の背景に据え、ま~、そこが当方の興味の対象の大きな要因でもあったけど、こちらが想像していたのとはヤヤ違っていて、そこもチビリ残念だった。
けどまた……、浦沢直樹の生年を思うと、ボクよりわずかに年下なのだから、ライブ感としての大阪万博への思いがゼツミョウに違っているとも判って、大阪万博というステージ・アトラクションがいかに大きなものであったかについては、浦沢同様、
「あれは何だったんだろ?」
世代の差違を含め、我が事として顧みたい気分を触発してくれるんだった。
わずか半年の会期で国民の半数越えの6500万人が会場入りした、その「熱」は何だった……?
あぁ、むろん、数年後にまたぞろ開催予定の大阪万博にゃ、まったく興味なし。いまだに「博覧会かい」、1970年の残滓にすがってるのが滑稽で、もの悲しく、その上、開催後はカジノ……、だなんてバカな施政(姿勢か?)、興味ないというより開催反対。
ま~、ともあれ、ブームが去った今頃にやっと『20世紀少年-20th Century Boys』を読了。
読み始めた最初は一瞬、これが浦沢作品のベストか……、と思ったけど、『マスター・キートン』あたりの一話完結短編がやはり最良だったなぁ。
なんでアレコレ、賞を受賞できたんだろ? 週間ベースで読めば、なるほど、興味の持続が濃い漫画だったのじゃあろうけど、単行本としての全24冊は、けっこ〜荷が重かった。今ひとつ解せないままに、たぶんもう、これは再読はないだろうとホボ確信。