月の祭

 

 過日。グロス大塚まさじのライブ。

 もう5日経ってるけど、良い余韻が尾を引いている。5日経ってるから、もう書かなくていいかとも思ったけど、久しく味わってない良性な香気のようなもんが残り香めく漂うてるんで、自分宛のメモリーとして記しておく。

 

 まさじ氏のナマの歌声を最後に聴いたのは表町のキングサーモンだったから、かれこれ7~8年ぶり? いや、もっと前、10年以上の久々か? 

 お席には同じく久々の、顔幾つか。すぐ後ろの席にはこの前の禁酒会館でメチャいい感じだったIzumiちゃん。

 ふだんフォーク系の音楽は聴かないし、大塚まさじのCDも実は持ってはいない。

 けど、「月の祭」は良い曲だ。

 ナマで久々味わって、そうシミジミ。

 

 

 街で見上げる月と、里山っぽい田舎で見上げる月とでは、受ける印象、「風韻」が違う。

 氏の歌には月がけっこう出てくるけど、がぜんに後者のそれ。

 月は満ちたり欠けたりして、言葉では追いつけない性質の“魔法”をかけてくる。

 それゆえにヒトは昔っから月に魅せられている次第だけど、山里の上空では魔法効力がより高くなるような感じが、強い。

 たぶんに大塚まさじは、そのあたりの消息を歌に編み込んでいるのだろう。

 街からずいぶん距離があって、グーグルマップのストリート・ビュー記録の車さえ来ない、丹波篠山の限界集落にあえて住んでらっしゃるのも、深閑とした地表上空の、その月がもたらす魅惑ゆえのコトなんだろう……。

 難波界隈で70年代はシティ・ボーイのある意味で先端にいた人物が、月を含めた天体の運行に身をゆだね、急ぐでなく、ユルユル、スロ〜に生きる方法に辿り着いているらしき、その胸中の澄み具合などを、勝手に想像しつつライブに浸った。

 

故沢田としきが布に描いた「月の祭」。この絵を背景に唱われた「月の祭」はやはりダントツに良かアンバイ。照明のために月が太陽っぽく映ってしまってるけど、実際は柔らかい感触のサバ色の月が描かれてますですよ。

 

 ライブを一緒に堪能したwakameちゃんより差し入れの、ショウガ煮レバー。帰宅して速攻で、カラアゲと共に一部をチョウダイ。残りは翌日の晩のおかずとして食べちゃった (^_^;)

 

 ぁぁ、それにしても大塚氏のコテコテ関西弁での話術の巧み。それと歌とのコラボレーション妙味。吉本系のそれじゃなく、品良い関西落語を想起させられるみたいな旨味をたっぷり味わった。

 なワケで、コロナ禍でのここ2年ホドの閉塞が薄れ、頬が緩んでニッタリ。

 ライブは一期一会な旨味凝縮の筆頭に置いて良い音楽シ〜ンだけど、5日前のは、ここ数年に体感した中でもピカチュ〜の輝きだったと、思える。

 ジャスだのロックだのフォークだのの、つまんないジャンル分けはもはや差別でしかない……、とも痛感した5日前の、音楽な夜だった。

 

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 数日前、「はやぶさ2」が持ち帰った小惑星リュウグウの微少な砂や石に多量の水があるとの分析結果が報告されて、地球の海の生成に、こういった小惑星が大きく関係しているとの説を実証可能にする根拠の1つとして提示されたようで、

おっ!

 久々に「グッド・ニュース」の感触を味わえた。

 暗いニュースより明るい報道が、イイに決まってる。

かぐや」を思い出しもした。「かぐや」は初めてハイビジョン・カメラが導入され、14もの各種計測機器満載の探査機で、翁(おきな)と媼(おうな)の2機の子衛星も搭載したゴ~ジャス仕様、米国のアポロ・プロジェクト以後では最大規模の月探査だった。

 

 もう12年前のハナシになるけど、2010年3月に明石天文科学館が50周年のリニューアル・オープン。

 新造される空間「宇宙開拓室」に設置される10数点の展示模型の、その監修に前年より携わり、「かぐや」は金属の大型模型で展示というコトで、その模型を作る専門会社さん(全国のミュージアム関係ではあまりに高名なディスプレー会社  -  70年万国博覧会のさいに必要あって作られた会社)のための参考模型として、ペーパーモデルで同機を造って提出したりもした。

 模型を作るための模型ってヘンな感じだけど、カタチを掌握してもらうにはイチバンにイイ方法なんだ。

 

    

        かぐや本体を大きく上廻る太陽光パネルを可動できるよう工夫した……

 

 で、監修の仕事も終え、リニューアル・オープンして3ヶ月めに、同館から展示模型の話をしてチョ~ダイという依頼があって、200人ほどだったかしら、集まってくださった明石の「星の友の会」の方々の前でトークしたけど、ちょうどその頃合いで「はやぶさ」の劇的帰還がニュースの筆頭になっていて、「かぐや」はやや退色ぎみ……。

 同館でも急ごしらえで大型プラズマ・ディスプレーを設置し、JAXA提供の「はやぶさ」の映像資料を展開して、皆さんの注目のマト。

「ぁれれ、アポロやかぐやが目立たなくなったわいねぇ」

 チョイとばつが悪いというか、トンビにアブラゲさらわれたみたいな感もなくはなかったけど、ま~、それゆえ逆に「かぐや」のことが自分の中では印象されもした。

はやぶさ」も「はやぶさ2」も宇宙から地球への帰還という劇的展開があり、「かぐや」はその華やかさの影に入ってしまったわけだけど、ま~、致し方ないね。

 けど、「かぐや」はかぐやで劇的ではあったんだ、ぞ。

 打ち上げられ運営されたのは、2007年から2009年までだったけど、そのファイナルは、月面衝突だ。

 あえて月に落下させ、衝突させることで、月の、いわば骨密度を計測するという大任だった。

 月は地球と構造が違い、ギュ~ギュ~に岩石やらが詰まっていないらしく、なので衝撃をあたえると、中身空洞のお寺の鐘のように、ボゥ~ンンンンン……、いつまでも長く共振するようなのだ。

 月の内部に大きな洞穴が幾つもあるのか、全体で締まりがヨロシクないのか、ともあれ、大地の密度が濃くないんだな。

 実はこれは問題で、今後将来、とっても重い宇宙船なんぞが着陸したさい、その自重で大地が崩れ、船が“沈む”可能性だってアルわけだ……。

 その探求のために「かぐや」は犠牲というか、衝突し、貴重なデータを産んで、果てた。

 地球生まれながら、かの『竹取物語』のかぐや姫同様、’’月に還った’’ワケで、2つの「はやぶさ」みたいなハッピーエンドでない、形としてはアンハッピーだけども、やはりハッピーに属するみたいな、絶妙な悲喜劇抱き合わせの感触の余韻を、僕はそれで……、好いた方。

 探査のその成果よりも、月に向けてのイメージとして、本ブログのタイトルじゃ~ないけれど、「月のひつじ」やら「月のウサギ」といった詩情が、好きっぽいタチ。

 なので、この前の大塚まさじの歌に月がでるたび、

「ム~~ン、ウフフ」

 ひそかに北叟笑んでも、いたのでした。

      製作検討用に作った模型。分離しているのが子衛星の「翁-おきな」に「媼-おうな」