地底の太陽

 

 太陽の塔のハナシ、3回目。

 今回は、「地底の太陽」。

 実際のそれは、横幅が12メートルを越えた大きなモノだったけど、70万国博覧会が閉幕後、行方不明……。

 そんなデッカイのを、どうして、どうやって、紛失させたのか、今もってミステリ~。この不祥事にさいし誰も責任をとらない、とらせないタイシツが、すでに70年代にもう地場固めてるのも滑稽。

 ともあれ、この失われた「地底の太陽」を復元する企画が数年前にうまれ、その作業で海洋堂も参加(こういった造形物は建築会社の感性じゃ不向き)し、ほぼ元のカタチで今は観覧できるようになったのは、よ・ろ・こ・ば・し・い。

 下写真はその海洋堂が市販した模型。秀逸な逸品。岡本太郎の造型の神髄をよく再現していると思える、

 

 

 しかし、この模型は、置き場に困る。左右に伸びた炎(?)が危なっかしく、かつ、サイズもそれなりに大きい。

 なにより、この「地底の太陽」は、模型を手にして初めて気づいたのだけど、意外なほど、物体として……、弱い

 海洋堂の造型が悪いのじゃなく、岡本太郎が生んだカタチそのものに、これは起因する。

 奇妙な顔と左右に炎を配した鮮烈な姿ながらも、「どこに置いてもエになる」わけでなく、逆に、エにならない

 結局のところ、この像は『背景』を必要とするんだ、な。

 すなわち、背負うモノがなきゃ~、成立しないんだ。

 

 この像が、EXPO70の「太陽の塔プロジェクト」にとって大事なポイントであったことは間違いない。塔はこれを「礎石」として立っていたと、云ってもいい。

 3つの顔を持つ太陽の塔そのものは何も背負ってはいないけど、この地底の太陽のみは「宿命的な背景」を背負う。

 背景とはすなわち、地底の熱を意味するところの赤色だ。その赤色背景がないと、地底の太陽というカタチの意味が、薄れる。

 

 

 岡本太郎の展示構想を種々の本の記述で顧みるに、地底展示ではアメーバ的微生物の発生から始め、やがて太陽の塔内の生命の樹木にと連なる生命賛歌のようなカタチで、なので、原初の生命誕生に関しては、地熱の暗示が必需であって、それを岡本は「地底の太陽」というカタチで表現してみせたと……、思われる。

 ま~、ホントは海の存在こそが要めなのじゃあろうけど、岡本はあえてそこに触れず、天体としての地球内部の熱エネルギーにマトをしぼって、生命の根源を表現したと思う。

 

 

 じっさい1970年の展示では、写真の通り、背景に赤色を背負ってる。(この赤色の壁の後ろに塔の基底部があって、生命の樹への昇降口があった)

 ならば模型でも、そのあたりのニュアンスを汲んだカタチでのディスプレーが望ましい。

 というか、それ以外、この像のアート的指向に意味が、もてない。風が吹かないんだ。

 

 平野暁臣岡本太郎記念館館長)は「地底の太陽は神々の森の呪術師」と解説するが、たしかにその一面も濃厚にあろうけど……太陽の塔内の生命の樹との関連を思えば、灼熱の地球内部、地熱が意味されていたのじゃなかろうか。そうでなくば生命の樹はなりたたない。

 現在の再生された地底の太陽背景はスクリーン投影を前提にブルー系に配色されているけど、たぶんホントは赤色が望ましい……、とも思うけど、ま~、これはコレ、それはソレ。紆余曲折のケンケンガクガクな議論の末に20世紀じゃなく21世紀的アプローチとして、お決めになったのだろう。

 

 ともあれ手元にある模型がモンダイだ……。なんとかしたい。

 という次第あって、簡略化したカタチでもってこの1/43スケールの模型が鎮座できる背景をば、造る。

 画材のうさぎ屋で、表面がややざらついた赤系統のケント紙を物色し、黒のスチレンボードも買い、岡本太郎記念財団にある当時の展示検討用模型の写真を眺め、その忠実再現は意味がないんで、イメージとしての、“地底展示”を基盤としたディスプレーを造る。

 

             当時の展示検討用模型の部分 岡本太郎記念財団蔵 ↑

 

 

 演劇的背景を造って像を設置。模型の値段より3倍ほど高額になったけど業者さんにアクリルケースを造ってもらい、背景と模型を封印。

 

 

 スケールはまったく違う模型なのだけど……太陽の塔の模型下に配置、あえて暗い環境に置き、ま~、これで「自分用展示模型」の工作終了。

 

 LEDで顔部分を照らす工夫をしてもよかったかな。ま〜っ、とりあえずは……、地表の「太陽の塔」と地下の暗い環境での「地底の太陽」との目視出来る結合を味わって、このカタチで、自分の気持ちがどう転ぶかを……、観察。