醤油を買いに・たつの

 

 たつの市に出向く。

 はるか大昔、奈良時代以前の昔々のその昔、同地には出雲方面からの移住者が多く住まいはじめ、仲間が没すると出雲出身者たち一同が墳墓建立のために野にズラリと並び立ったという故事から、立野という地名が生じ、やがて龍野になったという。

 その龍野市がいつにヒラガナ表記の「たつの市」になったのか知らないし、なんで山陽本線の駅名が竜野なのか、ややこしいなぁと思いつつも、訪ねるのは初めて。

 

 たつのといえば、揖保乃糸と醤油。うすくち醤油発祥の地。

 さらに云えば、インスタントラーメンのイトメンと佃煮のアラが、たつの市の産。

 かねてより出向きたい場所だったけど、な~かなか出向けず、ようやくこたび……、お醤油求めて、仲間との小旅行とあいなった。

 

 念頭にあったのは、出雲に住まった小泉八雲……

 7~8年ほど前、集中的に彼の本を読んだ時期があって、意外なコトに気づいてた。

 あれほど良き日本の姿を描いたヒトが、日本食についての記述のみ、ゲキ的に少ないのだった。

 日本に来る前の彼は、ニューオーリンズの家庭料理をまとめた「クレオール料理」という本を出している。

        

    10数年前に日本でも翻訳版が出てる。ニューオリンズの地域特性ある料理のレシピ集

 

 それっくらい食に通じたヒトが何故に和食に触れなかったのか? 

 耳なし芳一の耳の大きさよりも、記述の小ささに、

「なんでや~?」

 と、思ってた。

                 

 そのごく僅かな記述として、紀行文「美保関にて」(角川文庫-『日本の面影II』がある。

 彼は、宿泊した美保関の宿の女中に、まことにオズオズと、

はありませんか?」

 と問い、その返事として、

「アヒルの卵がございます」

 と返答され、その驚きと鮮烈を書いている。

 けども、どう食べたかは、いっさい書いていない。

 この文から判るのは、彼がすくなくとも生卵を注文し、それを食べようとしていたであろうコトでしょう……。

 卵かけご飯なのか、生卵そのものを味わいたかったのかも判らないけど、それを、どう味つける? 

 醤油、でしょう。ほかに考えられない。

 

 ラフカディオ・ハーンあらため小泉八雲が、宿泊した旅館で生卵にお醤油をかけ、クルクルとお箸でかき混ぜて啜るスガタを想像すると、調味料らしきがまだまだ少ない明治日本のカタチも見えてこようというもんだ。

 ただ、明治日本の旅館の食卓に、醤油瓶が常時置いてあるという次第じゃ~ない

 今はどこの食堂でも小瓶がテーブルにあるのが“常体”だけど、ハーンが出雲で執筆していた明治半ばは、実は、醤油は高価で贅沢品の部類に入ってた。

 なので通常は、味噌由来のたまり(醤油同様に黒く、けど塩分がやたら高い)が調味料の王様だ……。

 はたして当時、美保関の旅館に醤油はあったろうか?

 

 加えて云えば、明治の時代、旅館は朝夕にゴハンを炊いていたか、どうか?

 電気もなくパナソニックのジャーもなく。保温できないんだから、当時、炊きたて以外は常に冷や飯なのだ。冷や飯に卵は……、かけて美味しいものじゃない。

 となれば、八雲が卵を求めたのは朝食時だったろう。小鉢に卵を溶いて、直に啜りたかったのじゃ……、なかろうか。

 

 こういう些末なコトを歴史の本は教えてくれない。

 江戸時代半ば、その江戸では醤油はかなり消費されていた次第ながら、これは江戸という巨大都市での特異現象。全国的に普及していたワケじゃ~ない。

 初物を好んだり美味珍味を愛好し、贅沢を贅沢と思っていない流行通信の最前線・江戸ゆえの醤油消費であって、地方にあっては、江戸での消費を担って醤油の素材となる大豆の生産は増えているものの、加工品としての醤油は庶民生活からはアンガイと遠い存在だった。

 概ね誰もが知るけど、誰もが使っていたワケじゃ〜ない。

 

 以上のコトがず~~っとアタマにあって、それで醤油といえば小泉八雲のスガタと生卵がセットになって浮かぶんだった。

 味噌を基調にした日本の味わいに、おそらくハーンは好感を持っていないよう思うのだけど、醤油テーストに関しては、彼の舌も拍手したのじゃなかろうか? 彼の舌の許容範囲の味わいとして……、生卵に醤油をかけて食べるのはオッケ~だったのじゃなかろうか。

 でなくば、旅館のお女中さんに「卵はありませんか?」とは、問わないでしょう。

 

 龍野と出雲は古来より往来盛んで、ゆえにその道は「出雲街道」と呼ばれて縁深い。

 龍野発の「うすくち醤油」(寛文6年(1666年)- 徳川家綱の時代に龍野で誕生)は、やがて京都へも出荷され、上品で淡麗な色合いと裏腹に塩分のあるシャキっとした味わいは、公家の眼と舌を悦ばせた。

 出雲方面にも、おそらくは荷が運ばれたろう、思う。まずは出雲大社の献上品として運ばれ、やがて徐々に浸透……。

 なワケで、明治期、美保関の旅館に、薄口であれ濃口であれ、醤油がなかったとは云いきれないし、あったとも断言できないにしろ、たつの方面と縁深いことは確か。その確かと不明のハザカイで小泉八雲が食事しているスガタがユラユラ浮かぶ。

 

 ともあれ、たつの市、初探訪。

 人影が尋常でないほど、少なめ。静かな町並み。車も人もスガタなし。

 

 ヒガシマル醤油が運営する「うすくち醤油資料館」などなど見学し、龍野城のごく近くにある末廣醤油を訪ねるんだった。 上:うすくち醤油資料館の外観。

 

 末廣醤油の外観。雨降りなので暖簾を外している。

 ヒガシマル醤油なら岡山市のどこのスーパーにもあるけど、規模ささやかな同店のは流通していない。

 ま~、あるトコロにはあるのかも知れないがぁ、いいのだ、わざわざに買いに出向いたという点を自分でヨイショしなくっちゃ~いけない。

 

 

 末廣醤油の創業は明治12年というから、今に至る143年間、うすくち醤油を造り続けているワケだ。小泉八雲がそれを使ったという証しなんぞは皆無だけど、何だかカンだか、たつの探訪で出雲の八雲がチビッと近寄って来たような……、勝手な気がして嬉しくもあった。上写真は当方が買った同社の製品。中央は伊勢丹のみに出しているポン酢。

 

 なにより嬉しくあったのは、対応してくれた若い職人さんの、そのコトバの端々からこぼれる醤油への深い愛情

 訪ねたさいは雨降りで湿気が高かったけど、おしゃべりしつつ、ずいぶん晴ればれさせられ、気持ちがよかった。めっちゃ、良かった。

 揖保川の水を使ってるのではなく、創業以来、地下水を使っているとのことで、たつの市の地下水は軟水で鉄分少なく、それで赤錆色にならず薄い色の基本が出来たというコトも聴いて、感心したりもさせられた。

 

 と、それにしても、たつのの佇まいは良かったなぁ。

 古い町並みと静かな空気。西の京都と云われるのも頷ける。けども、車で20分ほど駆けちゃうと海があるから、これは京都よりイイじゃ~ないか。

 

                道の駅みつから眺める、たつのの海

 

 西の京都などと、へりくだらなくってイイ。たつのはたつの。

 なによりヘンテコリンに観光地化されていないトコロが良かアンバイ。「うすくち醤油資料館」なんぞは、大きな規模での展示ながら、入館料10円だぞ。

 100円でも1000円でもなく、10円というのが、ま~、運営しているのはヒガシマル醤油という一私企業ではあるけんど~、見せてあげるからゼニ置いてけぇ~ではない、良性な「」を感じてしまった次第。

 ヒガシマル醤油のみをアピールするのじゃなく、たつので醤油を造っている全メーカーへの気遣いと同胞意識が展示の隅々に行き渡っていて、10円というプライスの奥に生息する「醤油愛」の深みに、これまた感服させられるんだった。

              同資料館に展示の江戸時代の大豆圧搾機

 姫路で1日あそんで来たぁ、というのはよく聞くハナシだけど、そのお隣であるたつのを訪ねたというハナシは聞かない。

 わたし自身そうだった。同行の2人もそうだった。でも、こたびの探訪で気分一新。また出向きたい場所だと強く感じた。

 

 さてもう1点。

 イトメンだ。

 高校生の頃より、インスタントラーメンといえば、当方にとってはイトメンのチャンポン麵が最上座にあり、今もかかさずキッチンに常備、2週に1度っくらいは夜食なんぞで、食べている。

 

 で、ひさしく、このイトメンという会社はこの即席麵のみを作っている小さな会社なんだろうと思い決めていたのだったけど、初めて訪ね寄って、ヤヤヤっと、面喰らった。

 大きな規模の工場を設けてらっしゃる。

 その直売所で、チャンポン麵以外にもアレコレ作って販売しているのをマノアタリにして、

「ぁんりゃま~!」

 大きな感嘆符を浮かせるんだった。

 岡山のスーパーでは見ることも見たこともないパッケージのアレコレ……。

 あさりだしラーメンとか、めっちゃ、そそられるじゃ〜ないか。

 たぶん関西方面じゃ、イトメン製品は普通に売ってるのかも知れないけど、岡山では断固見たコトないんだから、思わず買ったよ、自分宛のお土産に。

 しじみラーメンは帰岡した翌日に食べてみたけど。乾燥させたしじみの小粒がケッコ〜入っており、けっこうな滋味。こりゃまた食べたいぞ〜。

(後日、同社の「二八そば」という乾麺は近所のスーパーにあるのを知ったけどね)

 

 という次第で我がイトメンは、我が心のうちで規模がでかくなった。たつの市という町のささやかな規模に反比例して、その良性規模が拡大したのと同じく、

VIVA! TATSUNO !!

 なんか、そんなタイトルがついたロック・アルバム1枚が創れそうな感がムックムクとタツノ~~ってぇ感じ。

 知り合いのミュージシャン達と再訪し、帰岡したら、それぞれミュージシャンが感じたたつののイメージで1曲創って、それを1枚のCDに封印って~のどうだろ、ね。

 なんだかねぇ、たつのの佇まいに音楽がからむといっそう良さげな町になるような感じを、ヒシヒシ受けた。

                 

 ちなみに、イトメンのチャンポン麵パッケージに昔っからついてるマークは、たつの市に住まった童謡作家・三木露風の「赤とんぼ」がモチーフだ。

 ♪夕やけ小やけの 赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か♪

 の、赤とんぼ。

 イトメンという会社は地域愛をしっかり持ってる会社なんだねぇ、とこれまた、またまた、感じいった。(創業開始時は伊藤麵という)

 現在のたつの市のキャッチ・キャラクターも赤とんぼだけど、イトメンは50年も前から、しっかり赤とんぼ……。す・ば・ら・し・い。

 三木露風の生家はお城入り口のすぐそばにあって、しばしその佇まいを眺めたけど、うっかり、写真を撮るの忘れたぁ~~のだけど、この「赤とんぼ」という存在が、音楽を意識させられる、たつのイメージの根ッコにある大きなキー、なのかもだ。

 

        龍野城の本丸御殿。雨天ゆえか、誰ぁ〜れもいなかった。

 余談ながら、揖保乃糸も味わった。

 たつのの中心部から揖保川をはさんで車で数分の所に、「揖保乃糸 そうめんの里」があって、廉価で極上のそうめんが食べられる。

 ランチはわずか900円で、下写真のボリューム。そうめんは3束か? 

 すすっても啜っても減らない量ゆえ、ゴハンは残しちゃったわい……。ぁぁ、でも美味しかったなぁ揖保乃糸。もちろんビールは別料金。

 そうめんもビールものどごし爽やか。ええぞエエゾ〜の二重奏にポークカツの重厚がかさんでのシンフォニー。喉も舌もが、大いに悦んだ。


 町の静かさに較べ、「そうめんの里」は繁華でヒト多し。駐車場には県外ナンバーが幾つか。

 食べ終えたのはお昼の1時前頃だったのだけど、たちまちソールドアウトになってたのには、おどろいた。

 そうめんって、皆さんお好きなのね。