小松崎茂美術館

 

 車を駆けらせ、湯郷(ゆのごう)へ。

 駐車場から歩くコト数分。昨年12月18日にオープンした小松崎茂美術館に到着。

 が、入口部分を改装中で……、閉まってる。

 こりゃ想定外。

 

 

 そこで、道路向かいの、昭和館を探訪。

 入館料を払い、スリッパに履き替えて見学。

 膨大な量の玩具や生活雑貨が眼の前に。

 

 

 セルロイドのオモチャ、紙のオモチャ、ブリキのオモチャ、プラスチックのオモチャ、などなどなど……、驚くべき量の品々がトコロ狭しと陳列され、たちまちに、

圧倒

 の一語が点灯し、退館するまで点滅しっぱなしに、なる。

 

 

 この館の存在はかねてより知ってはいたけど、よもや、これほどの規模とは……、思ってもいなかった。

 貴重で稀少なモロモロの量が多すぎ、たちまち、1つ1つの“個性”を追うユトリがなくなる。

 戦前のモノ、戦中のモノ、戦後のモノ、モノ物モノ。

 鉄腕アトム鉄人28号サンダーバード、さらにウルトラマン関連のオモチャもあれば、おひな様もあり、精巧な鉄砲模型も多数。司馬遼太郎が同館館長に寄せた手紙やらも、ある。

 湯郷に数多あったスナックやら酒屋やらの歴代のマッチのコレクションなんぞも、何の説明もなくギッシリ・ギッチリと置かれ、その脇には当方も持ってるソフトビニール製ノゥチラス号の模型なんぞが転がってもいる。

 

 ツタンカーメンの墓室に初めて入ったハワード・カーターが、玄室横の部屋に積み上げられた膨大な量の宝物に眩惑され、ひたすら息をのんだように……、当方も眩惑と困惑がらみの驚愕に染まり、

「おっ」

 といったり、

「ぁ、あっ」

 といったり……、の連続連打。

 

 

 学術的に展示してます~っぽい高慢は皆無で、概ねのテーマでモロモロは置かれているものの、とにかくものすさまじさにメダマが点になっちまって、元に戻らない。

 オバQがいてケロヨンがいてペコちゃんもいる。60年オリンピックや70年万国博のグッズやらも、ある。

 サブ・カルチャーとしての昭和が、その膨大な数量に色濃く滲んで、とにもかくにも「昭和館」の名がピッタシと感じいった。

 敗戦から復興にいたる昭和の、そのエネルギーがここにつまってた。

 

 1時間ほど見学。気づくと足先が冷えきっている。

 古い建物を改装し、小部屋で仕切りに仕切って迷路のような構造ゆえ暖房は効いてない。というか、暖房されていない……。

 中庭の向こうにも展示室があって自在に行き来できるから、冷たい外気は室内に浸透して居座ってる。

 なので、しまいには足の指の感覚が薄れ、痛いような冷たさのみが知覚される始末。

 

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 退館時に、番をしている女性に小松崎茂美術館のコトを尋ねると、どこぞに電話をかけてのち、親切にも美術館にいざなってくれた。

 カギをあけ、電灯を点けてくれ、工事中の同館に入れてくれた。

 素晴らしく優しい対応に大感謝ながら、そういう次第ゆえ、ここも当然、暖房が入っていない。

 が、小松崎茂大御所の原画の数々が眼の前にある。

 

 

 工事中ゆえ、100号の大作「戦艦大和(最晩年の作品)には会えなかったけども、26年前に直に接した幾つかの原画に再会し、

「おひさしぶりィ」

 二重の懐かしさをおぼえる。

 

   

               1968年に描かれた『地球防衛軍』 

   まだパソコンもない時代の1968年。頭部に取りつけられたコンピューター端末の斬新さ!

 

 湯郷の温泉街にこの小松崎茂美術館が昨年末に出来る以前、これら作品達は英田郡作東町の古民家脇に設置された小規模な2階建ての展示館にあった。

 

 26年前 の1997年、模型誌『モデル カーズ』(ネコ・パブリッシング刊)の編集長・長尾氏とそこを訪ねて、取材したことがある。

 当時新鋭だったマンガ家・田中むねよし氏が同誌に連載をはじめた頃会いだ。

 

 東京から一泊二日で来岡した編集長の日程と、同コレクションのオーナー竹中信清氏(画家。前記の昭和館オーナーでもあり小松崎茂の弟子だった方。健在で今は85歳くらいかしら)との日程があわず、氏はたしか中国にスケッチ旅行に出ていて、応対は奥様だったと記憶するが、ともあれ小松崎茂のホンモノの絵の数々を英田の作東町(現在の美作市)の山村で眺めた。

 なんで、これほどの絵が、こんな所に? というような点を含め、いまもって感慨深い。

 その岡山取材だけでは記事として薄いから、結果、同誌は直に小松崎氏に取材し、これがおそらくは氏の最後のインタビュー記事になったよう思う。(2012年に小松崎氏は没してる)

    

         岡山にある小松崎茂作品を紹介したモデルカーズ34号表紙

      この記事が書かれて26年の後の今、湯郷に新たな施設が設けられたワケだよ

 

 で、さて……。

 今まで、さほどに意識しなかったけど、小松崎茂の空は、鮮烈だ。

 明るい青色、だ。

 その退色していないブルーにこたびは眼が釘付けられ、息をのまされた。

 

    

 昭和32年に描かれた作品『南京大橋』の原画。 下部余白に印刷のための小松崎氏の注意書きがある

 

 ブルーといえば、常にサルバドール・ダリの空の蒼さが念頭に浮くのだけど、こたびは小松崎茂ブルーに眼が向かった。

 当然に陽光が意識されるワケで、事実、同氏はそこもチャンと捉えてる。

 

   車のパーツに陽が反射してるという細かい描写…… 左のラヂオ・アンテナ辺りの光の描写が秀逸

 

           イマイのこのパッケージの青もまた、小松崎ブルー!

 戦後日本の子供たちにでっかい『未来の夢』を常時供給してくれた小松崎茂の偉大は、その明るさに裏打ちされた「青色」が要めだったのかも……。

 そういう味わいと感慨を、この岡山で堪能できるのはまったく、ありがたい。

 

 同館は1階が小松崎茂作品展示で2階が館長の作品展示室という構成だけど、階段踊り場に岡本太郎コーナーがあり、本物作品があって、これにも驚いた。

 一見は唐突ながら、『明るい方向に歩もうとした昭和』が意識され、

「なるほど!」

 道路向かいの昭和館の存在と共に、昭和とは、『明るさを希求するゆえにモノ造りに終始した時代』だったなぁ……。合点した。

 

 

 ぁあ、しかしだな、2つの館を巡って2時間強ほど。とにもかくにも足先が冷えに冷えて、

ひぇ・ビェ〜

 その疼きに、呻いてもいるんだ。

 

 さぁ、けども、ここは湯郷、湯の里だわさ。

 美術館を出ると、すぐそばに……、

 こんな看板あるじゃんか。

 

 という次第で、シューズを脱いで、湯に足を浸けた。

 これがまっこと、よろしかった。しかも無料だよ。

 冷えきった足はフイの熱さに、ギャッ、と怯えたけど、湯の温かさが浸透し、親和して来るや、嘘のように効能し、その後しばし界隈をほっつき歩いたけど、足先健全、前へすすめ~、ぉイッチに~サンし~、何の苦もなかった。

 温泉って、すごいね。

 

    

    とある店前(閉まってた)に德持耕一郎氏の鉄筋作品。これは近年の作品なんかな?

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 え~、ちなみに、毎月第3木曜の白昼の湯郷は……、どこもかしこもクローズしていて、食事するトコロがないんで要注意っすよ。これ、コロナの影響と思うけどね、意外やインターネットの情報じゃぁ掌握できず、出向いて、「ありゃ!」って〜なコトになるんで、ユノゴ〜の第3木曜にゴ〜しちゃうのは、要注意でござんす。

 

 観光案内所は一応開いているけど閑散。隣りのオルゴール館も休業でシ〜〜ン。ま〜、逆にいえば、第3木曜に出向けば、静か極まった湯郷をたっぷり味わえるというコトになるけどね。