牧野植物園

 数時間前に高知から帰る。心地良い疲れ。

 5日ほどの間隙置いて2度高知にでかけたワケだけど、こたびは単独。

 植物園探訪が目的。

 

 

 牧野富太郎を記念した高知県牧野植物園には、かねてより行ってみたいとは思ってた。

 去年だか旧知のK先生が一歩先に訪ねていて、あら~、先越されちゃった~、など苦笑していたのだけど、いざや初めて訪ねると、規模のデカサに驚いた。

 五台山の南面ほぼ全域が植物園なワケだ。

 

 

 よもや、朝のドラマになるなど思いもかけなかったから、いささか悪いタイミングとも思え、実際、NHKのドラマ観てやって来た方も多いようで……、けっこうな人の出。

 やや早い時間に着いたのでナンギしなかったけど、昼前にはもう駐車場は満杯の盛況だった。(この人出を見越して同園は今年初めから3月末まで駐車場の拡大整備をやってたらしいけど、それを上廻る来園数となってるようだぞ……)

 

『らんまん』は観たことなしだけど、ブームにのっかって出向いたみたいに思われるのはシャクだから、あえて記しおくが、子供時分から、牧野富太郎の植物図鑑の1冊が家にあって、それで馴染んでたのと、この先生が若い頃にはえらく格好よく、いわゆるイケメンでもあるんで、それも気にいってた次第だけど、そのイケメンが、初春にイチバン早く咲く小さく可憐な路傍の花に、

イヌノフグリ

 と名を確定した張本人という事実のギャップに、キャイ~ンと云わされてたから……、ま~、それで1度、高知の牧野植物園には出向いてみたかったワケなんだ。

 

 

 イヌノフグリという不名誉な名をあたえらえたイヌノフグリは、それまでは名もなき小さな植物でしかなかったワケだ。

 ま~、地域によっては固有名があったけど、明治になって、全国共通の名として牧野先生がその名を確定したんだな。

 しかし、よくもま~、臆面もなく、「犬の陰嚢」、そんな小っ恥ずかしい名をつけたもんだ……。

 けれどそれで逆に存在がよく知られるコトになったとも思うけど、よく似た花であるネモフィラの方が数倍デカクて立派で堂々としているゆえ、ネモフィラの方がイヌノフグリにふさわしかないか……、ひそかに思わないでもない。でもネモフィラは後年の外来、氏が名をつけるまでもない。

 

         左がネモフィラ 右の微細な青い点々がイヌノフグリ

 

 江戸時代の植物図鑑に既に「イヌフグリ」との記載があるらしく、厳密には牧野先生発案ではないようだけど、確定させたのはやはり牧野富太郎以外、ない。

 欧州あたりから渡来したらしきイヌノフグリにそっくりなオオイヌノフグリ(今はこれの方が多く生えてるね)は氏が命名、これはオリジナルだ。

 

 ともあれ、路傍の名もなき微細な植物の数々に名をあたえたのが牧野富太郎の偉大。

 ぁぁ、でもやはり、謎だなぁ。

 なんでイヌノフグリと確定したのか? 

 氏が名付けた植物は数多1500種を越えるらしいが……、江戸時代からの通称を、タマタマ、チョイスしたんかいな?

 

 園内をユルユルと散策。


           園内やや低い場所に設置の銅像周辺の様子

 

 この植物園には他所では見られないものも、ある。

 

    鉄格子でしっかりガードされつつも、植物としてのケシを眺めるコトが出来る

 

 こたびは高知に一泊。

 なのでゆっくりユッタリな歩調でおよそ5時間かけて探訪。植物たちを観て廻る。

 ユッタリとはいえ、さすがに足はヘトヘトになったけど、さ。

 

 

 記念館のアチャコチャには若い頃の牧野氏の写真もある。

 公民権運動に関わっていた頃の写真などみると、ザンギリ頭の放ったらかしというか、ロック的ヘア・スタイルの先取りというか、お仲間との写真など眺めるに、きっとノチの大先生も青年時代はヤンチャでもあったろうなぁ~、とニッタリ北叟笑む。

 

 

 一方で氏は酒も煙草も嗜まなかったというから、そこはチョビっと残念なりなんだけど、明治期の東京や大阪といった大都では、逆にこういう写真がないよう、思える。

 尖鋭化した良い意味でのヤンチャというのは、はるか地方の彼方で、より発芽率が高いとも、思えた。

 ここでいうヤンチャは、脇目もふらずに何かに没頭するという意味を含めてるけど、氏はまさにそんなヒトだったんだろう。

 おかげで我らは今、初春の肌寒い路地に咲く微細な花を眼にいれて、

「ぁ、オオイヌノフグリがもう咲いてらぁ!」

 春近しの季節の変容を知れるんだから、あ・り・が・た・や。

 

 

 牧野植物園は桂浜に近い。20分ほど車を駆けらせるだけでいい。

 はるかはるかの昔、幼い頃、この桂浜に隣接の旅館だかで、闘犬を見せられた。

 子供の当方は座敷に入ってきた土佐犬に恐怖し、ただただ硬直した。

土佐闘犬センターという施設があって、そこから派遣されてショーがあったワケだ)

 そのアトの食事がカツオのたたきだった。

 どでかい土佐犬のその舌の濡れ具合やらカタチが、そのままカツオのたたきに引き写されたようで、とてものこと、食べられなかった……。

 この体験が一種のトラウマになり、以後、ながく久しくカツオのたたきはまったく駄目だった。

 幸いかな、桂浜での闘犬ショーは廃止(禁止?)されたようだし、既に当方は、トラウマから脱出できてもいる。

 

 そんな昔の闘犬もさるコトながら、こたび眼をはったのは、おなじみの例のでっかい坂本龍馬像だったな。

 

 

 側面に、写真の通り、昇って龍馬の顔を真横から見るコトが出来るという施設が出来ている。昇るには100円いる。

 これは……、不要でしょう。というか、ひどく 無粋 ですがな。

 なんだか仮設っぽいし、期間限定でのカタチであって欲しいと切望する。

 この像はなんといっても「仰ぎ見る」ことに価値があるんであって、水平に眺めて悦ぶようなもんじゃ〜ないよう思うんですがねぇ……。

 龍馬という人物にむけての憧れ気分の象徴がこの像なんだからね、友達感覚で横顔を見るというのは、どうもそぐわないよう思うなぁ。ガッカリだよ〜ん。

 

 今回、この浜辺での日没を見たいと思っていたけど、あいにくと終日の曇り。

(早朝に岡山を出たさいは、出た直後よりドシャ降りになったけど、瀬戸大橋手前あたりから曇り空になったんだ)

 くわえて、予約した夕食時間と重なってしまい、アタフタとアクセル踏んで高知市街に戻る。

 

 夜のメインはふぐ。ふぐ刺しにちり鍋に唐揚げ。

 

 どこをまさぐっても、むっちり肉づいたふぐの唐揚げを食べた記憶がないんで、たぶんこたびが初めてなんだろう。

 セッセと箸を動かして堪能しつつ、酒杯をかさねる。

 桂浜の日没を想像し、

「夕日あか~く~ 地平のは~て~ ♪」

 地酒呑み込んで、頬を朱に染めた。 

 

 翌日、ほぼ晴天。

 高知城を探訪。

 山内一豊(近年の学説ではヤマウチ カツトヨと読むのが正しいらしい)という人物には好感しないが、今に残る城まで嫌いというワケじゃない。

            城内の多数のボンボリにも牧野先生の名が……

 

 昭和20年の大空襲で高知市街は壊滅したけど、ほぼ奇跡的に焼けずに残ったのが高知城

 が、翌21年の南海大地震で揺さぶられ、その被害や甚大。本丸も崩れかけたと聞く……。

 

           地震後の惨状。石垣や白壁が崩れ、屋根瓦も崩落……

 

 ともあれ高知市街復興と同時期に大改修され、今こうして天守閣にまで登れるのは、あ・り・が・た・い。

 

               天守閣内展示の普請中の復元模型

 

 4月の高知市内は、城内も界隈も、市内アチコチで『らんまん』がらみでの牧野富太郎掲示物が多々あり、土産屋さんにもアレコレ関連商品が並んで、市内は龍馬カラーじゃなくって富太郎カラーの春爛漫……。

 ま~それはそれで、「ぞんがい、えいちゃ」って感じでしたな。

 

         酒を嗜まない先生をモチーフにした酒まである

                おびただしい“マキノ・グッズ”


 ちなみに、牧野先生は昭和4年、前年に56歳の若さで亡くなった奥さんの寿衛さんを偲び、新種の笹に「スエコザサ」という名をつけたんだけど、きっとドラマではこのエピソードが紹介されるに違いない。

 ほぼゼッタイ紹介されるに違いない……。

 

                   園内で密茂するスエコザサ

 

 でも一方で、イヌノフグリオオイヌノフグリ命名なんぞは紹介されないに違いない。ほぼゼッタイ、紹介しないに違いない

 だってさ~、NHKでしょ……、イヌアッチイケ~って云うじゃないか。