草戸千軒ミュージアム

 

 柔道家の車で福山へ行く。

 去年の5月4日に出向き、こたびも5月4日に出かける。

 狙ったワケじゃ~ない、たまたまそ~なった。

「ジャスト1年ぶりだわいねぇ」

 福山在の友人とも合流。

 石鍋うどんが評判の「ぶに家 盛たに」で昼食。

 

       道家は例によって大盛り  福山在の友人は梅干し3つが入った梅うどん

                柔道家は塩もつ鍋うどんのこの量をペロリ

 

 こたびは、ふくやま草戸千軒ミュージアム広島県立歴史美術館)見学が目的。

 昭和30年代に芦田川の中州で発見された「中世の町」。

 中世、室町時代の庶民生活を垣間見るコトが出来るという点で、このミュージアムは稀少で貴重。

 20年以上ぶりの再訪。

 その20年ほどの間に、こちらも多少は室町時代のベンキョ~が進み、若干ながら理解力が増しているんで、再訪を愉しみにしていた……。

               

 連休中ゆえヒトが多いと予想したけど、アンガイとそうでもなく、悠々と見学できたのでホッとした。

 

 大きな区分としての“近代”は室町期がスタートとなる。

 得体知れない魑魅魍魎と共存した“前近代”はこの室町時代で様相が変わる。

 

 平安時代鎌倉時代には見ただけで死ぬと恐れられた「付喪神(つくもがみ - 百鬼夜行の行進でおなじみ)」も、室町期が進むに連れ、壊れた茶瓶に足が生えた程度の、どこか滑稽なもののけに堕ちていく。むしろ、その滑稽を愉しむユトリさえが出てくる。

 恐ろしい存在だったもののけ共を出没時間を夜明け前のいっときのみに限定させ、夜明けると共に彼らもまた御仏の前で浄化されるという風に、その概念を変じさせてった。

 

 天皇家に対峙する壮大な足利家の屋敷(ムロマチという場所に造った室町亭 - 花の御所とも云う。3代目の足利義満がそれを造って以後、代々が住まったので、なので足利時代とは云わず室町時代という)には、たびたび妖怪が出て、女官らにパニックをもたらし、足利義政の母日野重子などは室町亭から出て、以後は近寄ろうとしなかったと記録にもあるけど、次第にそういった奇っ怪は薄れていく。

 迷信やら思い込みによる恐怖なんぞが入る余裕がない、セワシナイ時代に進んだワケで、宮崎駿の同時代の物語『もののけ姫』の主題もまさに、そこいらだったろう。

 宮崎監督はおそらく意図的に当時の仏教思想の浸透については省き、たたら製鉄がより組織的に大規模に行われ、伴って鉄器たる武器やら鍋釜やら農機具の質や量がアップし、それゆえさらに“開発”が進んで、妖怪もののけの類いを内包していた自然が浸食されていく様相を描いたと思うけど……、良くも悪くも「近代」のスタート地点となったのが、この室町時代

 

 

 

 人間の営みにおける「合理性」が萌芽して、得体ない恐怖を「神秘」という箱に押し込め、その中に「妖怪もののけ」というジャンル分けとしての小袋を設けてそこに落とし込め、闇の恐怖と決別しようとした時代だ。

 

 ま~ま~、そんな次第を念頭に浮かせるまま、展示物を眺める。

 圧巻はやはり、等身大で復元された町並みでしょうなぁ。将軍様でもお公家様でもない庶民の衣食住環境。

 たよりない蝋明かりはあったけど、白い筒状の蝋燭なんぞはまだなく、町であれ、夜の闇がとても濃かったであろう時代の、その姿をマノアタリに出来るのがありがたい。

 

   

 

 はるか以前に一度ここを訪ねたさいは、さほど感慨もない物見遊山だったけど、海と川による交通が定着して遠方の人が来ての物資流入と流出の、今に通じる姿の原型と思うと、こたびは何やら愛おしい郷愁めいた感もわかせた。

 眺めつつ、同行者にチビっと知ったかぶりのコトバを投げたりして1時間強ほど、同館の滋味を味わった。

 

 退館後、ついでと云っちゃ~なんだが、福山城もめぐる。

 何度も福山は訪ねているけど、城内に入ったコトがなかったので、やや新鮮だった。

 とはいえ、コンクリート天守高知城で味わった木造の屈強と脆弱のアンバランスみたいなリアルは噛みしめようがない。

 

  窓部分がアルミサッシと判る作りが残念といえば残念ながら、逆に、空襲という非道とその災禍を痛みのような感触で思い出させては……、くれる。

 岡山城もそうだけど、もし焼夷弾に焼かれなかったなら……、という無いものねだりな口惜しさみたいなもんが背中を這う。

  

 山陽鐵道が岡山方面から伸びて結ばれた頃の明治時代の福山城(右が天守)。中央は大きな木立

 

 ついで、城から車で10分とかからない、艮(うしとら)神社へ行く。

 平安時代の1110年頃に出来た福山でイチバンに古い神社。スサノオを祀っている。

 1615年の大坂夏の陣で豊臣家がほろび、徳川家が幕府を構築して数年後の1619年に、初代藩主となった水野勝成が築城を進め、福山城郭の鬼門、艮(うしとら)の方位を霊的に守護するフィールドとして以後いっそう、この神社は賑盛を深める。

 近年はバラエティ番組で日本でイチバンの開運神社などと紹介されているらしいけど、ま~、そんなことはどうでもよろしい。こちとら、福山最古かつ江戸時代の鬼門守護たる神社境内をチョイっと歩いて、その場の空気を味わいたかっただけ。

 思ったより規模は大きくはなかったけど、門に鯉のぼりが吊されたりで、なかなか良い雰囲気でございました。

 

 夜になりきった時刻に帰宅すると、玄関先に下写真の2品……。

 同じ日、ご近所のTakeちゃん夫妻は世羅高原に出向いたらしく、そのお土産を置いてくれていた。

 奇しくも去年の同じ日に当方が出向いた場所の、その高原産のお土産。

 やったら嬉しくなっちゃった、ワイ。サンキュ~さんきゅう、ありがとう♥