東京裁判

 

 過日というか正月過ぎか、伊勢神宮に詣でた首相に向け、沿道の女性らが手を振り、

「さなえさ~~ん」

「さなえさ~~ん」

 大きな声あげて声援している映像をみて、複雑な気分となりにけり。

 安倍晋三氏の遺影を抱えた彼女の姿は奇異ながら……、声援おくるだけの価値有りと、多くの、とくに若いヒトは思っているのだろう。

 世の中変わって欲しいという思いも濃いだろうが、でも当方には……、中身を吟味せずな、危なっかさ含みな熱狂現象のような気がしてしょ~がない。

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 近年、急速に、本を読まないヒト、映画に集中できないヒト、シリーズもののマンガですら最後まで読み通せない若いヒト……、が増しているらしい。

 本を読まないのではなく、本を読むだけの持久力がないらしい。1時間半ほどの映画が耐えがたいらしい。

 電話を嫌い、直に話すコトすら忌避している昨今ゆえ、なるほど……、とは感じるけども、加えて、AIによる文章やらグラフィック作成って、いいのかなぁ、ますますヒトはものを考えない存在になるような気がする。それが「さなえさ〜〜ん」に連動しているような気もする。

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 いま、amazon primeで『東京裁判』を鑑賞できる。

 極東国際軍事裁判の様子を撮影した米国国防省のフィルムが25年後に公開され、それを講談社が取り寄せて、5年かけて小林正樹が編纂した1983年のドキュメンタリー映画

 277分。4時間30分を越える大長編。

 あまりに長いので、2回や3回眺めても、判らない箇所が幾つもある。

 幸い配信というカタチゆえ、小分けして鑑賞も出来れば、繰り返して同じ部分を眺めるコトも出来る。トイレ行きも問題なし。

 

 この作品で、昭和天皇の、

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び……」

 の、玉音放送のすべてが流れる。

 正直なところ、何を云ってるのか判らない。現在では難し過ぎる日本語だ。

 上記の部分は放送の後半になって登場し、そこのみは了解できるけど、とにかく、難しい感触が続き、これを聴きつつ皇居前で伏して泣いた昭和20年8月15日の方々は、しっかり理解して泣いていたのだろうか? 訝しむ。

 初めて耳にする天皇の声に感動しつつ、何とはなくも戦争が終わったのかもと……、思った方の方が多かったんじゃんかろうか。映画は字幕でこの天皇の言葉を補助してくれる。

 本裁判は、起訴された内容についての東条英機ら被告人の「罪状認否」から始まる。

 自分はギルティーか、ノット・ギルティーか、日本人が初めて経験した西洋式裁判の幕あけだ。この方法を理解出来ず、いきおい長々としゃべり出す被告に裁判長が注意を促し、混乱した様子が映ってる。

 東条はじめ全員が、無罪を主張。そこから3年に渡り、裁判は続く。

 

 本裁判は戦勝国側の一方的振る舞いだと非難する声も、ある。

 されど映像を眺めると、被告人側に立った米国の弁護士が、日本人以上に被告らに寄り添うというか、裁判そのものを疑義するシーンがあり、アゼンとさせられる。

 裁判5日めにして、米国の5名の弁護士が裁判権についての「補足動議」を提出する。

 重光葵(東条内閣の外務大臣の弁護人G.A.ファーネス(米国陸軍弁護士・1957年の東宝映画『地球防衛軍』、1962年の『妖星ゴラス』に出演の俳優でもある)は、

「真に公平な裁判なら、戦勝国ではない中立国家が裁判を行うべきで、勝者による敗者への裁きはありえない」

 と申し立て、次いで梅津美治郎(陸軍大将)の弁護人ブレークニー(米国陸軍将校・法律家)は、

「戦争に関し、国際法の法規が存在していることは戦争の合法性を示す証拠であり、戦争自体が非合法なら本裁判はまったく意味をなさない」

 と、戦争と法の狭間の問題を話し、

国際法は国家に対して適用されるが個人に向けては適用できない。例え嫌悪すべき行為であってもだ。これが正しい裁きならば、原爆を落とした米国人はどうなのだ? 命令をくだした将校も罰せられる対象だ。その軍人に指示をだした元首が誰であるかも……、我々誰もが知っている」

 淡々と、されど英語による動詞の後に主語をもっていく倒置話法の劇的効果すら計算し、感動的に述べる。

 対して裁判長のウェッブ(オーストラリアの最高判事)は沈黙し、3日後、理由をつけずこの動議を却下する。これで裁判そのものの正統性はうやむやとなった。

 見るべきシーンが数多あり、ホドホドに疲れる。

 だけども、これは実際の映像なのだから、くたびれるとかいったレベルの話じゃ~ない。直視し、事の成り行きを追っていくしかない。

 

 鎖国を解いた明治以後のこの国には、欧米諸国と同等か、あるいはそれ以上を目指そうとする強い意志が働いていたのは顕かで、それが結局は、満州界隈を植民地にしての帝國主義の発奮と結ばれる。

 昭和5年の浜口雄吉首相の暗殺を皮切りに右翼が跋扈、続々と暗殺事件が起き、やがて2・26事件

 日本は軍国主義に傾斜し、とてものコト一言では表現出来ない諸々の事態へと進んでいく。

 だから、このドキュメンタリーの内容も当然に、ややこしい。

 容易に納得したり、よっしゃ判った~、とは呟けない。

 次々に首相が変わり、政局混沌。皇族の近衛文麿が首相になるも、満州では蒋介石の軍隊と日本軍が衝突し、中国大陸全体を巻き込んでの支那事変へと進む。近衛は内閣を投げ出し、変わって東条英機が首相となる。

 やがて日本主導で満州国が登場。

 裁判にはロシアに拘束されていた溥儀(ふぎ)が呼ばれ、証言台に立たされる。 大勢の登場人物を追っていくだけでもナンギで混乱もする。

 

 昭和7年の国際連盟ジュネーブでの総会)では、

1 関東軍(日本軍)の行動は自営行動とは認められない

2 満州国独立運動の結果とは認められない

3 中国国民は『満州国』を認めていない

4 よって、満州を事変前の状態に戻し、これを国際連盟の管理下におく

 この4項目が各国満場一致で議決される。

 対して日本の松岡洋右(全権を託された日本代表議員)は、不満の演説をおこなった後、官僚らを引き連れて議場から退出。国際連盟から脱会した。

 これに日本の世論は喝采する。

 満州国維持のために国際社会からの孤立を選択し、それを世論は支持したワケだ。

                国際連盟議場から退出する松岡

 日本は第2の満州国を造ろうと、山東省、河北省、山西省、綏遠酒省、モンゴル・チャハル省に手を延ばしていく。大陸資源を我がものとするために、天皇が陸海空の軍隊を統帥するという明治大日本国憲法を楯にして軍部はその統帥権を乱用する。

 政府は不拡大を標榜するけど、軍事は内閣が関与できない領域とする統帥権拡大解釈の軍によって振り切られる。

 

 余談だけど、こたびの解散選挙は、この統帥権の逸脱に似ている。

 衆議院解散は、憲法上では不信任安可決・信任案否決と合わせて内閣が決めるものとなっているけど、首相一個人の思惑が先行。

 現在の小選挙区制度では議員公認権が首相にある。なので首相に異議を唱えるのは大きな不利になるから内閣の一員もズルズル従うしかない。統帥権問題と同じ悪しきな暴走と思う……。

 

 東京裁判では、軍人や議員の振る舞いが1つ1つ壇上にあげられ、誰が首謀したか、誰に責任があるかと問い続けられる。

 4時間半という長い映画ではあるけど、ドキュメンタリーとして省かれたものの方が膨大で、だからこの作品に全てが収録されているワケはないが、戦争というヤッカイなカタチのエッセンスは、みえる。

 天皇に罪を着せない米国方針に基づいた東京裁判そのものが、巨大なドラマの最終章。戦争映画そのものと云えなくもない。

 

 ともかくも、4時間半という時間の中に、過去の一部分が凝縮され、それゆえ、この映画は繰り返し観るべき性質を強く帯びていると思う。

「さなえさ~~ん」

 と声をあげるのもイイだろう。でも、政治家に向けての眼は、たぶんもっと辛辣でなきゃ~いけないし、熟考しての選択としての「さなえさ~~ん」でなきゃ~いけないような気がしていけない。首相はアイドルじゃ~ない。

 中盤に石原莞爾が登場する。

 末期の膀胱癌で市ヶ谷の裁判所に出向けない彼に対し、住まう山形県酒田市の商工会議所に出張法廷が設けられる。

 毛布で身体を覆い、支持者の大山倍達が引く大八車に乗って法廷に出た彼は、ニュージーランドのノースクロフト判事の尋問に、

満州事変の中心は私だ。満州国建国は自分の立案である。その私が戦犯として市ヶ谷の法廷に召喚されないのは解せない」

 連合国の戦犯指名が誤りだと指摘、さらに、

東条英機とは意見があわなかったのか?」

 との問いに、

「私には仔細ながら意見や思想もある。しかし東条には意見も思想もない。思想もない人物との間にどうして思想意見の対立があり得よう」

 判事らを煙に巻いて圧倒した。が、一方で石原は「宣誓供述書」で、満州事変と満州国建国は自分が意図したものではないと戦犯になるコトを避けた発言を繰り出している。

 ニンゲンの不可解やら奇妙さやらアレコレが錯綜し、映画を観ている間、熱されたり冷まされたり、し続ける。

 心地良いものじゃ~ないけれど、心地悪さが台頭している今こそ観るべき映画だとは思う。

 3人の子供が国のために死んでも泣くに泣けずだったが終戦にいたって号泣したという……、映画の前半に紹介される「昭和萬葉集」の幾つかの和歌の1つ。