ギャンゴのビルこわし

 

 1970年万国博覧会の開幕直前、少年マガジン手塚治虫に表紙を描いてもらってる。

 各パビリオンを合体させて1つの怪獣に見立てた絵。

ss

 この現物がたしかドッカにあったよなぁ、表紙だけ切り抜いて保存したはず。倉庫状態の2階の一室を探したのだけど、残念、出てこなかった。

 でも代わりといっちゃ~何だけど、別なモノが茶色に変色した紙箱から出てきた。

 やはり少年マガジンの切り抜き。「きみも怪獣を作ろう!」というタイトルの巻頭特集、怪獣ブーム真っ盛りの頃だろう。

ウルトラマン』の放映は1966年から67年までだから、たぶんこの特集はその間だ。

 構成・監修は大伴昌司

 少年マガジンはまだ子供向けの雑誌という体裁で、1970年万国博覧会頃のとんがった青年指向とはチョット違ってる。

 そのとんがりを率先してやったのが大伴だけど、この特集記事の内容と構成は、今の眼でみても鮮烈だ。

 怪獣の大きさを強調すべく見開き2ページをあえて横向きで印刷し、添えられた実際の制作現場の写真を効率よく、かつ効果的に配置などして、編集力がハンパない。

 当時、子供がテレビの怪獣番組を知る手がかりといえば、少年サンデーやら少年マガジンくらいしかないから、本記事はずいぶん目映いモノだったはず。実際、当方が切り抜いて持ってたくらいだから……。

 当時これを読んで、怪獣の背びれとかが硬いもんじゃなく、スポンジを円錐状に切ったモノと知って、子供だった自分がビックラこいたコトも、思い出した。

 スポンジは台所とお風呂にあるモノと思い決めていたけど、この記事でもって、転用する、違う用途に用いる、というコペルニクス的発想転換の醍醐味をば学習したのだった……。

 こまめな取材写真とイラストを中心にした的確な描写が、全国の子供の怪獣探求心を大いに刺激したはず。今でこそDVDなんぞで「メーキング・シーン」を見せるのは普通だけど、60年代という早い時期に、大伴昌司はそこがポイントと見極めているし、円谷プロもそれをよく了解して写真を撮らせている。素晴らしい

 と、それにしても1966年頃のニホン……。貧しげなコスプレだけど、手作りカネゴンの頭部分にザルを使ってるのがイイねぇ。

 当時どこにでもあった竹ザルだよ。逆に今は見かけない。いらない下着を使うというのもイイな。この場合、いらないというのは余ってるんじゃなく使い古された下着というイミだ。小っ恥ずかしいホドに当時のニホンは貧しいんだ。

 でも、逞しい。貧しさから離脱しようと泳いでる。

 ファミコンもない時代だから、自分で工作して楽しむというのが遊びの大きな柱だったと、この切り抜きをみて痛感させられた。

 大伴昌司の編集も、円谷プロの手作りに皆さんも学ぼう、という辺りに暗に焦点をあわせてる。創案し創造する当時のモノ作り日本の姿勢、結果としての「高度成長」とリンクしている。

 で、「動く怪獣工作室」というページがあって、これが何ともヨロシイなぁ。

ギャンゴのビルこわし」というのに、特にそそられた。

 記事では、誌面の図を3倍の大きさにして、切り抜き、絵は自分で描くという次第。コピー機もない時代だからねぇ。当時の子供には、だいぶん大変な作業だわさ。

 ほんじゃま、せっかくゆえ、童心に戻って工作しちゃいましょうや……。

 

 ま~、今になって誌面通りの工作をやっても仕方ない。1960年代半ばと違い、Macやスキャナーやプリンターやらのある「未来世界」が今なワケで……、アレンジして作画し、切って貼った上で、60年代を踏襲し、輪ゴムと糸でもって可動するオモチャをば作ってみた。

 わずか一晩の工作ながら、ひさびさ純粋に“た・の・し・ん・だ”。

 モーターじゃなく、アナログな輪ゴムで動かすというのが、すこぶるイイ。

 誌面に敬意を表し、見出し部分をスキャンしイラストレーターでレイアウト。使用したのはA4クラフトペーパー2枚と輪ゴムと糸のみ。

 動作効果を考慮し、国会議事堂部分はヤヤ背高ノッポな建物にした。

 糸を引けばギャンゴの右手が動き、議事堂が真っ二つ(笑)。

 ウルトラマンがカメラ目線でこっち向いてるのは、ギャンゴスペシウム光線発射しようか、それともいっそ議事堂内の悪いヤツ向けに発射しようか……、躊躇しているという構図。

 ま〜、今どきのペーパーモデルゆえ、チョイっと時事風味くわえて、一晩の工作、おしまい、おしまい。

 引いた糸を放せば、輪ゴムの抑力でギャンゴの腕とビル部分は一応は元のカタチに戻るけど、キチンとは戻らず、ちょっと指で補助しなきゃ〜いけないアバウト加減も良きアンバイなり。プログラム化されたモーター駆動じゃコレは味わえない。