公示日過ぎて3日後に投票所入場ハガキが届く急ごしらえ。市役所の方は大変だろう。破廉恥な軽挙、虚言妄動がリードの不意打ち解散と衆議院選挙。
地面にツバ吐いちゃいたい気分。
けど、棄権は得策じゃない。
期日前投票に行った。意思表示した。

世論調査の動向を聞くに、魚影のない池に釣り糸を垂らすような徒労かもしれないし、じっさい釣果ゼロというコトになろうけど、「右へ〜ならえ〜」は嫌なんだ。
『プリズナーNo.6』の1エピソードでは、幽閉先の村の選挙に立候補したNo.6が、自由権求めてミニ・モーク選挙カーを駆使して駆けずり廻るものの、土壇場で対抗相手のNo.2にコテンパンにやられてたなぁ……、と思い出して上写真をパチリ。
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1970年万国博覧会のスーベニア・オーナメント。
オークションで手にいれたモノだけど、かなり劣化している。外周の金メッキはほぼ剥離している。

が、修復はしない。傷みもまた1970年から2026年の今にいたる時間の痕跡。そこを消しちゃうと手にした意味が薄れる。
金ピカな大坂城と太陽の塔の組み合わせ。小さな金ピカなパビリオンが複数。いかにもチープで、これがキッチュな味わいで好し良し。

こちら温度計。金ピカ太陽の塔を目立たせたいがために、背後マックロ。つまらないカタチと色彩。 1970年に会場で買って家に持ち帰ったヒトは、どこに価値を見いだしたのかしら?
しかし、いかにもお土産用という割り切った清さも感じなくはない。
けど一方で「こんなの売れるかなぁ」というタメライみたいな、デザイン以前の不安な気配も滲んでる。

ゴールドの輝きは不思議な蠱惑があり、ドバイの富裕層やら米国のトランプ翁は調度品に使いたがり、遠い昔のエジプトの王族同様に富と権力を誇示してるけど、こちらは0.1グラムの本物ゴールドさえ買えないから、もっぱら金メッキの光沢に眼を細める。

とはいえトランプやアラブのそれは醜悪っぽいなぁ、悪趣味に満ちてるなぁ~、とも思ってもいて、まがいものたるキラキラ黄金感覚なメッキ品こそが面白いのに……、などと小さくほざいたり、する。

トランプのゴールド好きは品なき俗悪趣味と断定してよいけど、一方の当方の安物ピカピカへの視線も、同じく俗悪なことには違いない。
ま~、そうであるけど、双方の嗜好方向が真逆という点で一致と不一致がせめぎ合い反目する。

転じて日本。
かつて秀吉は、天皇を驚かすべく黄金の茶室を創り、組み立て式のそれを京都御所に運んで、自ら五服茶をたて天皇に献茶(天正12年11月)したけど、その後もアチャコチャ持ち運び、戦場でも茶をたて、最終的には大坂城内に鎮座させた。

復元・黄金の茶室 MOA美術館所蔵

資料と復元製作を記録したMOA美術館の本。ちょっとしたバイブル

千利休はこの金ピカ茶室には関与していないというのがかつての定説だったけど、昨今は大いに関与していたという説が躍動し、当方も、そうに違いないと確信的に想ってる。
侘びと寂びの真反対な佇まいが、逆に利休の創作欲を燃やしたに違いないと思っている。
発案は金閣寺に触発された秀吉だったろうが、カタチにまとめたのは利休のはず。というより、利休以外にこれを造れるアーチストはいない。

茶室という小さな空間に、くすんで退色した侘び感・寂び感をあえて持ち込んだアバンギャルド嗜好の彼だったゆえに、金ピカ茶室もその逆転展開、必然の帰結であろうと、考える。彼の眼差しの方向は同じだ。利休の茶の湯の実態は「静謐」ではなく「過激」なのだ。

復元・黄金の台子 京都市埋蔵文化研究所所蔵
釜も茶入も茶碗も、茶道具もすべて金。柄杓と茶筅のみが竹製という徹底。
秀吉がたてた茶を啜った正親町(おおぎまち)天皇は、さぞや、居心地が悪かったろう思う。
控えの間に利休は座して、この茶事を見てい たとの文献がある。(『兼見卿記』)
天皇を巻き込んだ金ピカがもたらす演劇空間を影で演出した利休は、その喜悦を大いに感受したかと、思われる。
太閤秀吉は天皇を真ん前にし、黄金茶室の趣きで権力頂点に立ったコトを噛みしめて、『宇野主水日記』によれば「一段之御機嫌」だったらしいが、利休はおそらく、太閤さえも手駒にした茶の湯の醍醐味と本物ゴールドをふんだんに使っての低俗の具現を、まったく密かに愉しんだであろうかとも、想像する。
本物の金を、まがいキッチュなモノに成り下げた思想の転換には、茶の湯がもたらす効果の甚大の前では、富も権力もまがいな俗物と大差ないといった滑稽と批判眼が座っている。
しいて云えば、彼は一種の愉快犯でもあったろう。クツクツと密かに笑ったであろうとも、思う。
心静まる茶室という空間を心静まらないゴールドで覆うコトによる、心理的衝突を余儀なくされた天皇のご様子をば見て、利休は、
「芸術は爆発だっ!」
と唱えた岡本太郎と同じ境地に、正反対の概念を1つに統合しえた自身のアート感覚に誇りを抱いたろう思えてしかたない。

昨年のバースデーにYUKOちゃんから頂戴の70年万国博覧会の金杯。少量の実物の金を混ぜたメッキ・レプリカなれど、好い輝き。EXPO70のロゴをこのカタチに入れ込んだコトでキッチュな妖しさが増している。
上記した本の写真を見ていると、松下館のタイム・カプセルを思い出した。
実物はニッケル・クロムのステンレス鋼製だけども、直径1mを越える大きなモノ。もしもコレが金のツボならどうだったであろう? メッキじゃなく純金だったら?

今は大阪城公園・本丸跡の地下15mに2つは(2つ有るのですよ。1つは100年ごとに開封し中身の変化を検査するため。もう1つは5千年後に開封予定)埋設されているけど、でっかい金のツボなら……、盗掘しちゃお~というヤカラが出てきてもオカシクない、な。
で、ドロボ~達は中身はその場に捨て置く。本や写真やレコードやカセットテープなんて要らないや、価値なしと見捨てるんだ。
けどま~、それよりも前に大阪維新の会みたいなのがシャシャリ出て、行政経費の無駄だと見捨てて、100年ごとの保守点検も止めちゃって、文化品を文字通りに埋蔵物にしちゃう可能性の方が高いか……。
そもそも、5千年先まで我々は大阪城公園を維持できるのか?
大きな疑問も浮くけど、すくなくとも1970年時点では維持するという決意でもって万国博覧会会場から大阪城に運んで埋めたワケで、その決意の程の厚さと熱さを愛おしく感じる。
でもま〜、当方やはり、ゴールドなタイム・カプセルを、ついつい考えちゃう。
5000年地底で眠る黄金のツボ……。ステンレスの冷めた光沢よりロマンあってイイじゃんか、と勝手に空想して本文を閉じる。