早ちゃん、早田和泰の訃報に肩を落とす……。
コロナ以後、ずっと会えていなかったコトも残念に輪をかける。
2016年10月。米国の2人のミュージシャンを囲んで朝3時過ぎまでプチパインで吞んだっけ
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前回記事で「ブラックホリデー」と書いてるけど「ブラックフライデー」のマチガイ。コメントを頂戴して過ちに気づいたんだけど、いや~、可笑しなコトというか、思い込みというか……、フライデーと書いてるつもりがホリデーと書き続けてるんだから始末がワリィ〜。
そういう次第ゆえ、我が戒めとしてそのまま修正せず、残す。
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坂出北で高速を降り、朝8時半、四国に渡るたびいつも訪ね寄るうどん屋で、でっかいお揚げをのせ、コシがすわった馴染んだ麵をツルツルし、丸亀に向かう。
今年出向くファイナルの四国。
とはいえ丸亀は近い部類に入る場所。
市内やや郊外に台湾の方がやってる台湾料理屋さんがあり、リーズナブルかつ美味しいとのハナシを聴いたゆえ、
「行ってみようや、食ってみようや」
kosakaちゃん、nakathukasa君、3人での丸亀行き。
高知に向かうような旅情は薄いが、台湾料理の濃い味をば楽しみにレッツらゴ~の3匹。
昼食までの腹ごなしというワケでもないけど、丸亀城の外周を散策と考えたものの、着くや同行2人がトットコとっとこ、急斜極まる坂を登り出す。
「おい、コラ待てっ。そっちは外周とちゃうぞ〜」
と云えど、2人モクモク登ってく。
天守閣に向かう道だ。現存する城の石垣として日本イチバンの高さ。その石垣に沿って造られた険しい道。いや~マイッタ。
マイッたけど追うっきゃ〜ない。
大ハード。たちまち足がボ~。追いつけぬどころか、2人は見えなくなり、当方がよ~よ~天守閣近くまで登った頃には、
「さ~、次イッちゃいま~す」
2人ニコニコ笑って、下ってる。
天守閣そばの石垣の傾斜を模してヤヤ前傾のわたくし。photo : h.Kosaka
で、いきおい脱線するけど……、2年前にリニューアル・オープンした岡山城天守閣へ、やっと出向いたハナシ。
コロナ騒動やら人の出が多いだろうと、なかなか足が向かずで、こたび丸亀行き前々日に見学し、歴史学のいわばスターたる磯田道史氏を監修者として招聘し、リニューアル計画の影の黒子であった小野田氏をあらためて賞賛したい気分を濃くした。
氏はシティミュージアム筆頭の学芸員だった頃、タダの模型屋さんの当方を同ミュージアムやオリエント美術館での展示やら講演で壇上にあげる尽力をくださって……、こういう人物が縁の下にあって、令和4年の大改造が推進されたのだなぁ~、と感慨までリニューアルさせられた。
つまらないコンクリート壁面を徹底的に覆い隠し、外観同様に黒を基調に仕立てなおした上、各フロアをややこしいような見学コースに仕向け、かつ無駄のない要点展示の数々に、当方ワクワクさせられた。リニューアル効果を存分に満喫した。
カタッ苦しい展示でないのが良く、アミューズメント・パーク的親近があって、銃や刀剣に触れられるのもイイし、「馬」に乗れるのもイイ。
おびただしい映画の数々で戦国時代の武士の乗馬を見ているけれど、黒澤明を含め、いまだ当時の馬の大きさを再現出来た作品はただの1本もなくって、なぜなら明治期、露西亜や仏蘭西の西洋馬術が導入されて馬の種類が変わり、古来より江戸時代までエンエン使われた国産馬の需要が失せ、ほぼ全て、背丈あって足が細くって長いサラブレットを含むアラブ種に変わっちまったんで、映画を撮ろうにも、もう昔の日本馬は極く限られた頭数しかないワケで……、そんな次第で真実の姿というのがナカナカ掌握出来ないんだけど、展示品の中に当時の平均的サイズを再現した在来馬模型がいて、これの背に乗れるんだから、笑っちゃいながら当方もノッかってみるんだった。
なるほど、これは小さい。おまけに、多くの場合、足を乗せるアブミがなくって、不安定この上ない状態でノッてたのね……、と体感できる点がポイント高い。
数多の映画で、馬上で槍を振り回すシーンを見てきたけども、なるほど、このサイズの馬であるなら、見下ろすように槍を振ってたワケじゃなくって、概ねで水平位置の敵兵に鋭い切っ先を向けてたんだなぁ~、実際の戦闘時の様相がイメージされるんだった。
が一方で当時の日本人のサイズも、小さいんだ。
こたびのリニューアル展示では鎧を身に着けた武者が数体展示され、現在とはかなり違って、「ガリバー旅行記」の中に入り込んだような可笑しみを味わえるんだった。
八丈島に流されたコトで結果として同期の武将達よりはるかに長生きしてしまったヒト宇喜多秀家の甲冑と、そのサイズでもって厳密再現された彼の体躯。ズイブンに小さい。
関ヶ原合戦のさいの池田家武将の1人も、このようなサイズ……。が、たぶん当時はこれでも大きいヒトだったんだろう。手にした軍配振りかざし、部下をも威圧する“大人物”だったろうと思える。
これら秀逸な展示のおかげで、時間はアッという間に過ぎる。
3階だか4階の「烏城カフェ」の、シャキっとしたキャベツが入ったホットドッグも美味かった。
久しくコンクリート製再現の岡山城に好感していなかったけど……、妙に好きになっちまったというのが本音。
ちなみに、見学者は少ないと思ってたら、海外からの探訪者でイッパイで、欧米系の方も多く、これはひょっとして真田広之の『将軍』効果か?
閑話休題――。
丸亀だ。
丸亀城から下りて、少し車を走らせてMIMOCA-猪熊玄一郎現代美術館へ、ゆく。
現在やってる企画展は……、好みの作品展じゃない。現代アートというのは、範疇広すぎで、これがゲ~ジュツなの? と訝しむモノも多くって、こたびはその部類か? 評価する方も多数なんだろうけど、当方はソッポを向く。
パスし、猪熊の常設展示のみを見遣る。
上は、猪熊作品の背後でオブジェ化したkosakaちゃん
しかし駅前に、その空間を活かした美術館があるというはイイもんだ。直線構成のシャキっとした感触が立ち、ここ自体がアートですよ~と笑みている。笑みは通常は丸みある感じと共にあるような気がするけど、ここは直線がそれを受け持って揺るぎない。
という次第で、当方も猪熊作品に溶け込んでみる。
次いで、また車を少し駆けさせ、「中津万象園」に向かう。
1688年(元禄元年・徳川綱吉の時代)に丸亀藩主だった京極家が造った大名庭園。
京極家は近江の出身なので琵琶湖を模したようなカタチに池をまとめ、そこにアレコレの構造物をおいたそうな。
幾重の浮島と紅い橋がチャ~ミングで、後楽園や栗林公園の味わいとは一味ちがい、これもイイ。
イチバンの見所は、茶室「観潮楼」だろなぁ。
抹茶ではなく、ここでは煎茶がメインだったというから、やや特異。
要は道具にこだわらないというトコロかしら?
高床式で、おそらくこのカタチで造られた江戸時代後期頃は、茶室に座したまま、瀬戸内が見えたのだろう。というか、高床は松林の向こうの海を借景とすべく、坐った姿勢で海が眼に入るよう設計されたのだろう。
残念ながら今は松も背が高くって海は望めないけども、正座でなく、やや足をくずしての胡座座りで、煎茶をすすりつつ瀬戸内の彼方を眺める丸亀藩の殿さんのスガタを、しばし想像した。
利休的な、思考までも茶に集中して型を決めるという方向でなく、煎茶を口に運んでボ~ッと頭の中までユルめて憩っている姿を勝手に想像した。
もう1つの茶室「松帆亭」。この徹底したシンプルさがイイ。
さぁ、台湾料理。
丸亀駅から南にチョイっと郊外に向かったところに、目的の「香味苑」。
厨房に台湾の男性1人。接客は台湾女性1人。
途中からお母さんらしき人も加わっての家族っぽい運営。たどたどしい日本語ながら、ふっくらした頬に笑み浮かべた応対がチャ~ミング。好感。
メニュー豊富。なにより食事のボリュームがよろしい。
結局は平凡な酢豚を注文したが、わずか700円で良き御馳走とあいなった。
その後、道の駅なんぞをめぐり、日本酒を豊富に置いたマルナカパワーシティ店で、日の出製麺所の半ナマ麵を見つけて、買ったりし、昼が夜になった頃合いで児島まで戻り、児島インター近くのキッチン高山へ。
オープンの時間より15分ほど前に着いたけど、開店を待ってるヒト多々。
先週の鳥取行き同様に喰ってばかりのツア~と化したけど、トンカツと合鴨ロースを食べる。
価格は1600円で嬉しくないけど、なるほど同行の2人が過去に何度か食事して、「いや~、よかったぁ」と云ってた通り、美味しいお肉だった。
キャベツと味噌汁とゴハンはおかわり無料らしいが、当方に必要なし。願わくばビールのおかわりがあれば……、という次第で、こたびのミニ・ツア~も、ま・ん・ぞ・く、の4文字がピカピカ点灯の1日となりにけり。
日中に中津万象園でカモと戯れ、夜に今度はカモを喰う……。「クワッくわっク〜」と笑う。2人は全部ペロリだったけど、当方、ごはんは残す。
もったいないが仕方ない。大量に食べられなくなった年齢や哀し。