どんより曇った朝6時。
去年5月に高山・福井方面へ共に出向いた仲間と、三重に向かう。
伊勢神宮に詣で、翌日は紀勢自動車道を駆けて熊野を抜け、那智の滝へ向かい、それから太平洋に面した和歌山、紀伊半島を駆ける男3人ツア~。

概ね4時間半で神宮・外宮(げくう)に到着。伊勢神宮は子供の頃に出向いたきりで、その時は雨だった。

豊受大神宮の手前にて photo:H.Kosaka
外宮参拝後、4Kmほど離れた内宮(ないくう)へ。
外宮、内宮、共に駐車場の確保にナンギと予想していたけど、両宮ともに年期のはいったベテラン誘導員さん達のおかげで、待ち時間は少々あったもののスムーズに運び、やれやれホッ。

市内いたるトコロで赤福に遭遇


photo:H.Kosaka

皇大神宮手前にて photo:H.Kosaka
こたびの探訪でイチバンに接したかったのは、内宮のアマテラスを祀った皇大神宮の左手にある荒祭宮。アマテラスのB面、荒御魂(アラミタマ)を祀った社。
アマテラスは文字通り天照らす最高神ながら、時には荒れて嵐を逆巻かせる。疫病やら地震やらをもたらす。その暗いハードな部分にも眼を向け祀っている伊勢神宮のカタチの本幹が荒祭宮。同一な神の中の二面性を祀るというのは他の宗教にはないカタチ。外宮、内宮あわせて115もある別宮の中、最高位に置かれている点がただならない……。

内宮の荒祭宮 ↑
外宮の、ほぼ同じ造りの多賀宮も拝見した。
外宮でイチバン重要な豊受大神宮は、一里4Km離れた内宮に祀られたアマテラスに食事を提供するというカタチのお宮だけど、豊受大神にもまた荒ぶれたトコロがあって、それを祀っているのが多賀宮という次第。

外宮の多賀宮 ↑
なので、こたびの参拝では、この2ヶ所が見学ポイント。吹田の太陽の塔に向かったさいと似た気分も、なくはない。
両別社どちらも、いつのまにやら開運興隆の霊験スポットみたいに云われたりするけど、元来は、アマテラスの荒ぶる魂を鎮めて、いわば寝た子を起こさないように配慮した場所なんだし、食事を出す神にも豊受という荒御魂があって……、というコトは、これは、稲作でなりたった国家の安泰を懸命に考えての二重構造の安全弁であって、「食事を出す」というのは「米作り」そのものであり、それに付随して荒ぶる神もいるというのは、日照りやら水害やらで米の不作の怖さがガッツリ浸透しているゆえの、神さんの中の別面への畏怖、それを荒御魂というカタチとして祀ったのだと思う。
だから、この神宮成立の大昔での“科学的結論”としてのカタチに向けて、個人的な願かけたりしちゃ~イケナイ。地震やら大雨などもたらさないで下さいと、集団としての国民であるコトを意識しつつ、密やかに祈念するのがイチバンでしょう。

8年後の2033年には荒祭宮も多賀宮も式年遷宮で建て替えだ。今年1月1日よりその準備がはじまっている(上写真)。鎌倉時代には既にそれ以前の遷宮記録が残っているというから古式中の古式。
稲作でもって立国している国家の、米の安定 = 国の繁栄を、建て替えによって願をかけて維持しようとする意志。あわせて「防災忘れまじ」との、根幹での気分を色濃く出してらっしゃる、と当方はそう理解して伊勢神宮に来ている。

米の生産と配給を倒壊させ、起き上がれないまま、起き上がったフリをやってる現在の為政者やら農協やらは、伊勢神宮の根底にある米での国の安泰という意味を、あるいは、毎年に天皇が宮中にて田植えをし、その収穫を新嘗祭(にいなめさい)でアマテラスに捧げるといった式事も含め、権力者たればの振る舞いを熟考して欲しいところだけど……、無策の連打を続けるより、トッとと舞台から降りてくれ、などとも思ったりさせられたお伊勢参り。
下記事のような男が農業関連のトップじゃ、ハナシにもならんでしょ……。

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足がくたびれた。お腹もすいた。
ここに来た以上は、ま~、伊勢うどんでしょ。


という次第で、メチャクチャにヒトでいっぱいのおかげ横丁を泳ぐがごとく彷徨い、どこでもいいや、席が空いてる店を探し、茶黒いお汁の腰のないのをチュルチュルすする。香川うどんに慣れきった舌が、何か云いたげなのを、郷に入れば郷にしたがいましょうや、ごまかし、うっちゃる。
この地域特産の炙りサンマの寿司もオーダーし、男3人で分け合って食べちゃう。

伊勢神宮となれば、伊勢市に宿泊が常套だろうけど、こたびはあえてお隣の松阪市に宿泊。
1つには、伊勢市内のホテルがどこもネダンが高いのが原因だ。伊勢詣での客が絶えない地だからだろうが、高いより安い方がいい。
それで隣りの松阪市に決めた。車で40分ほどの距離ながら、数千円の差を思えば、40分の捻出なんかヘッチャラだ。
そうなると当然にモ~モ~、松阪牛、でしょ。
松阪市内はやたら焼き肉店が多い。「お肉のまち」と云われるだけのコトあり。
市民が普段に食べる松阪牛(松坂と書くのは誤り)。高級ステーキとしてじゃ~なく焼き肉というのがヨロシイですなぁ。
では現地でそれを味わいましょう、という算段。ホテルのそばにも複数の松阪牛焼肉店あり。

伊勢市でなく松坂市に宿をとった差額分+αがこの焼き肉で消えたが、いいのだ。
味わえて嬉しい。

複数の支店がある老舗「一升びん」の宮町店は、回転寿司同様に肉が廻ってくるというので、面白がって本店ではなくこの支店を予約。
冷えた部位一人前ずつ綺麗にカットされたのが、な~るほど、廻ってくるのを品定めしつつ、1皿とっては即座に炭火の網にのっけて焼く。
回転レーンは透明ドームで覆われ、レーン全体が冷蔵庫になっているワケだね。赤いボタン押せばシュッと扉があき、1皿とれば、またシュッと閉じる。タブレットでの注文も出来る。

30代の頃みたいにバクバク大量には食べられないけれど、松阪で喰らう松阪牛の滋味をば堪能。
A5クラスの極上部位と共に、ここではホルモン部位も食べられる。

頬がゆるみ、眼がほそまり、舌と顎が歓喜し、喜悦が咆哮した。
肉をつまみ、肉汁の溶けた輝きを見つつ、ビールで流し込みを続けていく内、当方のしこった肩や腰が蕩けてった。

懸命に肉を選ぶヒト、忙しなく焼き続けるヒト、私、食べ続けるヒト。こんな豊満で幸いな肉食を味わった後は、その勢いのまま何ぞシメの食事をと、貪欲がうごめく。
なワケで数100mうろついて、1軒のラーメン屋さんの前に立つ。

もう9時を廻ってる頃合いなのに待ち時間有り、とのコトで、こりゃ人気店だな、であるなら、このさいショ~ショ~待ってもイイやと10数分待って入店。
「北熊」という店名から北海道的なアレかなと思ってたら、北熊と書いてホクユウと読み、九州は熊本に10店舗ほどある店の、唯一の本州での支店だそうな。
お客はほぼ8割くらいが台湾の方々。応対の店員さんも台湾系の方々。一組が帰るや直ぐに着座させるのではなく、卓を綺麗に片付けてから新たに着座させる独特スタイル。
それがこの三重県松坂市の支店のみの特徴なのかどうかは知るよしもないが、そんなこた~どうでもよろしく、見た目はコッテリだけど実はそうでない、他所では味わったコトのない感触の味が、松坂牛焼肉のシメとして、
「これはイイわい、秀逸だぁ」
舌が大いに喜んだ。

当然ながら、喰いすぎだ。吞みすぎだ。
でもイイじゃんか、これが旅の醍醐味ぃ~、だ。
ホテルに戻るや、至福の豊満に眼がトロ~ン。たちまち甘睡に溶けてった。
このヒトなくば「古事記」が史書として輝かなかったコトを思うと、
「こんな場所で彼はコツコツと……」
感慨深かった。

誰かに命じられたワケでなく自力でコツコツと研究を進めたワケで、江戸時代というのはケッタイな時代だったなぁ~、とも感慨させられた。
300メートルほど離れてみれば、ヒマな開業医に見えはしても、実はコツコツ勝手に、銭カネにはならないけれども知の領域を掘り進めているヒトの存在を許容するだけの、余地余裕があったのが江戸時代って~もんなんかしら……、とちょっとした愉快を憶えないでもなかった。
くわえて彼は、この松阪(当時は松坂)という、その頃は牛の産地でもなんでもなかった田舎(江戸時代、関西方面からの伊勢参りは松坂藩を通過する。そのため大きな規模の遊郭があって繁盛していたらしい)で、孤立して研究に没頭していたワケでなく、インターネットもSNSもなく、電話もないけれど、江戸や尾張や飛騨高山の同好者と文通し、交流し、現在の我々よりも強固なネットワークを造って、研究成果を披露したり、意見を求めたりして、ジワジワと「古事記」探求を揺るぎないカタチにまで運んでった点も、
「凄いなっ……」
唖然とさせられるんだった。
ネットを通じて情報の大海と化した現在よりも、本居宣長の情報選択と発信は格段に上じゃんか……、眼をはるんだった。

レンズのせ〜で随分に明るく映ってるけど実際はかなり暗い室内。

2階にある四畳半の小さなスペースで、日々、彼は研究し執筆していたそうな。
玄関先のしめなわ。松坂は年中しめなわを飾る。全国でここだけの風習。車で市内を駆けてるさいも幾つか目撃した。
これは『日本書記』や『古事記』に通じている。
スサノオがこの地での宿泊場所に困っているさい、「蘇民将来(そみんしょうらい)」という名の家族が親切心で家に泊めたといい、以後、慈悲深い蘇民将来の子孫であるという門符(もんぷ)を、茅飾りと共に玄関に掲げるというのが風習となっている、そうな。
本居が『古事記』を研究対象としたのは、そういった慣わしの郷土って何かしら? との疑問が発火点だったような気がするし、後の明治時代、本居の屋敷を廃城となった松阪城へわざわざ移動させて保存した方々の愛郷心も、イイ感じとして、味わえた。
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翌朝。ホテルのモ~ニングを軽く食べたあと、出立。
あいにくの雨天……。
熊野方面へ向かう。

山間を1時間半ほど駆けて尾鷲市へ出て、さらに熊野市へ。幾つものトンネルを抜けるたび雨足が強くなる。

海沿いの「花の窟(いわや)」。

『日本書記』では、国を産んだイザナミが火の神を産むさいアソコが焼けて死に、花と共に埋葬された地がここというコトになっている。
『古事記』でも墓所という認識だったらしいが、時代を経て、この窟そのものが神体として崇められるというワケで、車から降り、傘さしたまま見上げる。
窟(いわや)自体が神社。これが日本最古の神社かと思うと感慨深い。

大きな窪みがあって「ほと穴」といい、伝承の中ではここにイザナミが埋葬されているという。
ユネスコ世界遺産ゆえ、見物の方も多いけど、ズブ濡れになって正座し、ぬかずいている方もいる。それを目撃して、こちらはキョトンとする。


当方は、神話界と現実の光景が合致するような写真を撮れるかしら、iPhoneをかざして構図を考えるんだけど、窟が大きすぎる上に、強い雨と風にナンギさせられ、足元ベベチャになるばかり。車に退散。

大谷翔平も参拝し、願をかけたという丸石。窟の一部が転げ落ちた石というコトらしいが、野球のボールみたいなのでベースボールの方々の聖地でもあるらしい。当方は野球に興味がないんで、ただキョトンとする。
予定を早め、50分前後駆けて、那智勝浦に到着。山間に入って坂道をあがり、熊野那智大社に詣でる。
傘が飛ばされそうな風雨。

那智の滝は立ちのぼる水蒸気に覆われ、それはそれで見栄えもするが、雨風の勢いにタジタジ。
滝のそばまで行こうという計画は頓挫。でも悪天が逆に熊野の厳しい霊山環境を感じさせてくれた。

那智山青岸渡寺から滝を見るカッパ集団、この方々はこれから熊野古道に分け入ろうとしているらしい。

雨足が強いままなので、予定を変更。
下山し、マグロ漁で高名な那智勝浦の町で昼食。そのマグロをいただく。

厚切りのマグロの定食1500円。ボリュームと鮮度高きな味、貝のお汁に満足してる内に風雨が弱まっていた。

そこから和歌山有田・関西方面に向けて駆け、岡山を目指すには、6時間ほどドライブしなきゃ~いけないシンドイ一般道の連続だけど、なぁ~にダイジョウブ。私は運転しない(苦笑)。
途中、アチャラコチャラと立ち寄る。

太古の昔にマグマ噴出で出来た「橋杭の立岩」をば、見物。
まさに奇観。
さらに移動。白浜に立ち寄り、雨混じり強風の千畳敷を眺める。

いささか離れた場所で見物するも、潮っぽい霧が着衣にかかる。
この後、同地にある高名な梅干屋さんによって自分ミヤゲを買う。ここは行くと決めていた店。

甘いのから酸っぱいのまで多々あって、決めるのに手間取る。甘いのは好みじゃないが、我が舌が好んでいる酸っぱいのもアレコレあって、一品を決めるのが難しい。でも選んでいる時間が愉しかった。

夜になりきらない刻限。よ~よ~大阪港界隈まで辿り着き、左手に夢洲万博会場、右手にユニバーサル・スタジオと、両施設とも車から見えはしないけど話題の場所そばを素通りしている頃、阪神高速5号線上の車内まで染める太陽の目映い赤色に、
「ケケケっ」
と笑う。
天照らす太陽神の宮を訪ねた帰りに、よ〜やく本尊と遭遇したワケだ。

第二神明・明石のSAで遅い夕食。
旅のシメはシンプルなカレー。日常が戻ってくる感覚をモグモグ噛んでのみ込む。
