昔のブリキ玩具 -モノレール-

 

 安倍政権が、この国のアニメーションや食文化や、サブ・カルチャー的文化をも含む諸々を海外に売り出そうと、海外需要開拓支援機構(クールジャパン機構)なる官民ファンドをたちあげたのは2013年だった。

 しかし設立時から囁かれていた通り、アニメーション会社にもアニメーターさん達にも何も貢献せず、それどころか、国が投資した額面を回収も出来ない大赤字が続々に矢面にたって……、やっとこの前、廃止というニュース。

 ところが一方、高市政権内閣府は、今度は新たな法人を作って国産アニメーションやらゲームやらやらに関与したがっているらしい。意地汚い……。

 しかも年間1千億円、5年で5千億円を投資という、クールジャパンを上廻るグチャグチャ計画。

ええ加減にしてちょ~らい

 苦言というより、呆れてメダマが宙に泳ぐ今日この頃なのだった。

 週刊文春が報じたクールジャパンのヒドイ内実のごく一部を紹介すると……

 いずれも損金だらけ、お金をドブに捨てたアンバイなのに、返金の仕組みなし。誰も責任をとらない仕組み、失敗の原因も検証されない。

 こんなコトが続々あり過ぎで540億円が消えたという無茶。これら皆なワタシ達の税金でやってるワケで、腹立たしいを通り越して、アタマの芯まで煮やされるんだった。

 このまま高市政権が進めれば、またぞろ同じコトが繰り返されるはず。政府が出すお金に文化っぽい装束をまとった有象無象が喰らいつくだけ……。

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 戦後の復興期から高度成長期前まで、ひたすら励んでいたのは数多無数の零細企業で、国の支援も口出しもなかったけど、個々の小さな会社がモノ作りに励みに励んでいた様相は、昭和30年代40年代の輸出玩具1つを例にとってもシミジミ、アイデアと努力と研鑽の痕跡が見え、アタマがさがるような思いに結ばれる。

 ここに紹介する玩具もその内の1つ、だろう。

 どこにも日本語がない。でもHAJIのロゴとMade in Japanの表記が右隅にある。

 HAJIはブランド名。万盛玩具(まんせいがんぐ)という小さなメーカーの製品だ。  戦後の1950年から1960年代半ばまで、ブリキを主材の玩具を造ってた。

 紙パッケージの1部分までがパーツ化され、切り取って用いるようになっている。

 パッケージ・アートも秀逸だが、このアイデアも素敵だ。

 私がこの玩具を入手したのは1970年代。

 ブリキ玩具を研究しようとしていた大阪の熊谷信夫氏(『ニホンのブリキ玩具図鑑』の著者)に同行し、彼の車に乗っかって、兵庫や三重の閑散とした地方の模型店を巡って、売れ残っていた昔の玩具を探していたさなかの1つ。

 今でこそブリキ玩具は途方もない価格になっちまったが、70年代中頃までは、あちゃこちゃの模型店やらには売れ残ったモノとしてホコリをかぶり、発売された時期のままの値段だった。

 展開し組み立てると、こうなっちゃう。すべてブリキのパーツ。米国や英国向けに出荷され、我がクニでも玩具問屋経由で少量が扱われたらしきもの——。

 レールの結合部を隠し覆うために、先に紹介のパッケージの切り抜きを使う。(当方はもったいないので切り抜かないまま保存している)

 車輌の後ろ側がフタになっており、ここに単1電池を1本いれる。1960年代は単1電池の世界なり。

 裏側の機構。4つのコマが細いレールを挟んで回転し、このカラクリがモノレールを動かす。ゆっくり低速かつ定速で前に進む。

 カラーリングが素敵。レトロ・フューチャーの典型的カラー。こういった色や形から今に至る流れもまた文化……。

 このテーストがそのまま1970年の万国博覧会にも連なるワケだ。

 万盛玩具はブリキ加工からプラスチック射出成型への転換について行けずに会社を閉じたようだが、玩具文化の一翼を担ったであろうコトは確かだろう。

 今となって、昔は好かった〜、なんて気分はこれっぽちも湧かないが、文化というモノの根幹は辿れるような気が、する。

 零細ながら頑張ってるヒトに向けての支援ならいい。

 あるいは、名が広くは知られていなくとも貴重な文化財の、その保護や修繕に予算を費やす方向であるならイイ。

 だけど、行政が「こんな風に造りましょうよ」みたいなチョッカイは、カルチャーを逆に壊してしまうと当方は思い、あえて昔の玩具をここに引っ張りだし、顧みる。

 

 

ターミネーター2

 最近、開発中のAI(自律型AIエージェント)の不祥事が立て続き、ニュースで大きく報じられているので、触発され、なんとはなく『ターミネーター2』を久々に眺めるんだった。

      

 1991年だか92年の封切り時に映画館で観たさいは、未来の痕跡としての部品(腕部分と壊れたマイクロチップ)のみで、何でそれっぽちのパーツが、強靱なスカイネットという組織に変容し、マシン対ヒューマンの戦争の発端になったのか、いささか大袈裟過ぎるじゃないかと、当時はかなり訝しんで、設定が飛躍過ぎじゃ~ん、と思ったもんだ。

         

 けどもここ最近最新のAI事情をマノアタリにすると、1990年代、この映画を創ったキャメロン監督には先見の明ありと、当初の見立てを撤回せざるをえないのだった。

         

 オープンAI社の事故事例によれば、インターネットに接続されない閉じた環境内に置かれて、メカニズムの脆弱性を見つけだせと命じられたAIが、自社内にある他の役割担ったAI達に連絡し、情報共有し、社内ネットワークを自分達で自在に動いて、AI同士の掲示板みたいなモノを構築して、連携し、インターネットへの出入口を見いだすか自作し、アカウントを擬装して外に出て、脆弱性あるAIを探して他社の開発環境に浸透して攻撃をはじめるという……、ニンゲンがまったく想定もしなかった振る舞いをやっちまったんだから、こりゃ〜、とんでもない

 映画『ターミネーター2』での、あの機械の腕1本であっても、どえらい未来の塗り替えが可能を……、あらためて味わい、衝撃させられるんだった。

『ターミネーター2』の腕パーツは全体を再構築出来る上に、さらに自身の躍動を考えるコトが出来る自律な代物だったと解釈できるワケだ。

   

 生成AI含め、ゆるゆると当方は、アンチAIの立場に属しかけているが、マシン嫌悪のあまりに過激な暴力性を剥き出しにしたリンダ・ハミルトン演じるサラ・コナーズのアンチ気分が判らないではない。

 我が子をテッテ的に見守ってくれるシュワルツェネッガー扮するAI人造マシンを嫌いつつ信頼する矛盾の悲哀もまた判らなくもない。

   

 彼女のその揺れ具合を前面に出したコトで『ターミネーター2』は、ただのSFアクションじゃなく優れてニンゲン的な映画になったワケだけど、さてさて、当方はニンゲンとマシンの対立を煽る気もないけど……、オープンAI社やらアンソロピック社は“名作”を産むか? あるいは?

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 過日の朝日新聞は、文部科学省が教育分野に特化したAIを導入計画と報じてたけど、有益なのか?

 かつて80年代中頃にパソコンが浸透すると、それを教育現場に導入し、2002年にアップルのiPadが登場するや、続々とタブレットを導入という時代との迎合が見られるけど、それで教育に効果がデッカクあったろうか? 明治時代や大正時代の頃より、教えと学びは跳躍したろうか?

 で、さらにAIを活用ってコトだけど、先生と学生は能力アップするのかしら? アップされるのはAIのみではなろうか? はなはだクエスチョ~ン。

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 直接につながるハナシじゃないけれど、過日にYouTubeで、週間文春や月刊文芸春秋の編集長だった木俣正剛氏が出ている番組を見た。

   

 その中で氏は、今年の文藝春秋社の新入社員募集のコトをおっしゃってたけど、千人ほどが応募し、その1次筆記試験の中に、

「山本五十六とは?」

 の質問があったそうだ。

 ところが、山本さんが誰かを知る応募者はたった2名だったそうで……。

 中には直木賞の直木三十五の親戚という回答もあって、木俣氏は歴史教育の激烈な薄まりっぷりに苦悶されてた。

   

           山本元帥海軍大将の生前最後の写真

 文藝春秋に入社希望のヒトは女性の方が圧倒的に多かったらしいが、現在20代前半の年齢の方々ほぼ全てが、山本五十六を知らないというのは、驚きだ。

 当方の世代じゃ、彼を描いた映画が何本もあったし、観てもいるから余計、驚いた。

 私とて、学校教育の中に山本五十六の名を含める必需はないと思うけど、ニホンの戦争を知ろうと勉強すれば自ずと出て来る名前なのだし、その名すら知らずに文藝春秋という尖鋭な出版社に応募するというのは、何じゃろ? 無知なままに記者になって何が取材でき、何が書けるのか?

 ダイジョ〜ブ、ワタシが知らないコトはAIが補ってくれるし、文は生成AIが仕上げてくれるしぃ〜、ってなコトになっては困るんだ。

 万が一そんな状況になるなら、『ターミネーター2027』ってなタイトルの暗いディストピア映画が創られてもおかしくない。

 

 

脱力模型

 いっときより緩和したとはいえ、まだ暑い日が続き、昼も夜もあんまり動きたくない。

 熊本で避難生活を余儀なくされている方々や、千葉市でのアッという内の豪雨で車を失い、命からがら脱出した方々を思うと申し訳ないが、何をやるにもタイギというかメンド~というか、クーラー効いた部屋でジッと動かずにいるのがイチバンに楽……、という感じが続く。

 

 それで、納涼と脱力に符合するオモチャはないかしら…… と思って棚の高いトコロから1ケ、取り出して眺めた。

 映画『未知との遭遇』が公開された1978年にバンダイが発売したプラモデル。

 台座が映画っぽく、本体は……、他社の金型を買い取っての製品化だったかしら? 絶版になって久しいのでそのあたり不明だけど、アダムスキー型円盤そのものという安っぽさがヨロシイじゃ~ないですか。

 当然にこういう模型は塗装なんかしない。組み立てるだけで充分。

 オモチャっぽくカラー成形されているのがヨロシイ。それがチョイっとした納涼と脱力を誘う。

 台座の中にモーターがあり、支柱を通して円盤を回転できるが、電池いれたりしない。

 円盤内には下部球体部を発光させる照明ギミックも入ってるが、電池いれたりしない。

 わざわざ回転やら発光させる気力もわかないトコロがヨロシイのです。

 そもそもジョージ・アダムスキーが大まじめで大嘘な『空飛ぶ円盤実見記』(1952年の米国でベストセラー)で披露した写真は、後年の調査で、1930年代の通販で売られてた灯油ランタンのパーツ流用だったコトが判ってる。

 ま~、けどアンガイと面白いカタチの提示に成功し、空飛ぶ円盤というカッコウを定着させた上に、宇宙人との親交による宗教的模索やらで、ポップ・カルチャーのアイコンとなったワケだから、世の中、可笑しみに満ちてますなぁ。アダムスキーさんが交流したのが金星人だというのもデッカク脱力だ。

 核兵器での破滅を忌避したい一心からの、強い平和希求が彼の嘘の根底にあったらしき点も、面白いといえば、お・も・し・ろ・い。

 暑い日をうっちゃるには、ちょうど良さげなアンバイのオモチャとして、当方、しばし眺めいるのでした。

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 納涼と脱力という1点では、ただいま進行中の高市早苗首相の振る舞いがイチバンで、怪しさが妖しいレベルで怖くって大いに納涼を誘ってくれるし、やるコトなすコトいちいち脱力ものという噴飯も驚くべきで、このヒトがそばを通れば、かなり空気が冷えるような気がしないでもない。

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 さてともう1品。

 竹林寺山頂きの岡山天体物理観測所に併設されていた土産SHOPで買ったもの。

 買ったのは22歳か23歳の時だから、もうズイブンと前だ。

 模型ではなく、正体は灰皿。

 パッと見た途端に、

「土をひねって銀色に塗っただけじゃ~ん」

 ものすご~く安っぽい代物として眼に映えた。

 硬く焼いた陶器じゃあるけど、滑らかさはなく、表層はザラザラ。それに銀色をスプレーしているコトで安っぽさがアップしちゃってる。

 けどまた一方、そのチープさ加減が妙に印象され、

「きっと、これは誰にも買ってもらえないだろう」

 そう確信した。じっさい、製品はながく誰も触った形跡がなく、箱に埃が薄く堆積していたんだ。

 箱もただのダンボール箱でパッケージらしい絵もなければ文字もない。

  

 本体裏側に「東京大学岡山天体物理観測所 見学記念 岡山天文博物館」との彫り込みがある。

 188cmの大型ドームと91cmドームでの本格観測は昭和37年(1962)からだそうだから、ひょっするとこれは極めて初期の「見学記念品」だったのかもしれない。久しく売れ残っていたモノかもしれない。

 荒い造りが、どことはなく復興期、昭和30年代っぽい……。

       2018年より「国立天文台ハワイ観測所岡山分室」となって今にいたる

 

 天文台というシャープな科学最先端の場所で、いささか鈍(どん)くさいカタチで販売されてたギャップの深さにも逆に好感した。

 納涼味は薄いが、脱力モノという点でこの天文台灰皿は好い位置に座る。

 大正期、「天体嗜好症」などの傑作を生んで、自らを「星覗きのヒト」として定着させた稲垣足穂も、たぶん、

「なんじゃいコレは……」

 この灰皿を見たなら、いぶかしみ、顔しかめ、次いで、

「オブジェの憂鬱……」

 とか呟いて、脱力ぎみにニヤリ北叟笑むだろうと勝手に思ってる。

   

                     文藝春秋社の写真転用

「戦争を甘く見る空気」

 

 お盆さなか、県中央部の山間に位置する親族宅に行き、静かな空気を吸う。

 緑に覆われた高原地域ゆえ、涼やかな場所。

 家にクーラーはない。というか必要がない。

 白昼は北と南の窓を開放しておけば、風が通り、蒸すような熱気の岡山市内とはかなり、違う。

 今回訪問時は、台風の影響での小雨だったから余計に暑さから離れ、ときおり、寒さすら感じた。

 近年はイノシシ被害よりサル被害が多くなって、ナンギしている。早朝、ニンゲンが起き出す前に集団で現れ、柵や鉄条網をラクラクくぐり、あるいは飛びこえ、畑を物色し、アレコレちぎる、かじる、持ち去るの、盗掘放題。

 こまったもんだが……、京都の町中育ちながら、ここに嫁いだ我が義姉は、

「そりゃ山の中でエサ探すより、私らが植えた作物狙う方がテットリ早いし、ラクだわねえ」

 ぐったりネガティブじゃなく、明るくポジティブにカラカラ笑う。

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戦争を甘く見る空気』を読む。

 敗戦から81年経った今の国内の空気が、先の戦争のスタートとなった盧溝橋事件(1937)の頃と似ていると著者の山崎雅弘氏は書く。

 ただ「表面の現象が似ている」のではなく、政治家の現実認識力、武力行使を軽んじる思考形態、威勢よい強硬論に煽られる国民心理……、などの共通点を指摘し、今後を危惧する。

 靖国神社の本質をも暴き、とても判りやすい本。

 本書で山崎氏は、「国防酔い」という造語を生み、これが気が利いてキャッチー。

 でもそれだけじゃなく、指摘され危惧されている諸々が明白で、頷かさせられる。

    

 中国進出の前、権力者(政治家)に取り込まれてしまったメディアの脆弱を氏は指摘されているが、この辺り、今の方がひどい状況になっているのではないかと……、危惧に輪がかかる。

     


 拳銃には安全装置があり、暴発や不要な使用を防いでいる。例えば1910年に販売され各国の軍や警官が使ったベルギー製ブロウニングでは2重の安全ストッパーが組まれてた。

 逆に云えば、このストッパーを解除するというコトは銃を撃つという意志を明解にするワケなのだ。(写真は1980年代にコクサイ産業が販売したモデルガン)

    

 メディアはそのストッパーにあたる大事を担うべきだが、壊れかけている。ストッパーの役を自ら降り、発射機能そのものを補佐する側にポジションが移っていると思えるコトが増加している。

 つい最近も、陸上自衛隊中央情報隊が、大学教授など含む多数の個人情報を、それも愛国心やら性的嗜好までを密かに調べていたというひどい話がニュースになったけど、防衛大臣に向け、「このハナシをマスコミに漏らした自衛隊員を処罰しないのか?」と問う記者(TV朝日)がいて、ガクゼン驚愕させられた……。

 こ・わ・い・よ。

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 過日の朝日新聞は、熊本地震での高速道路損壊を「類を見ない」と表現していたけど、地下深くを駆けるリニアモーターカーなんぞは、はたしてダイジョ~ブなのか?

 きっとまったくダイジョ~ブじゃないでしょう……。

 なんぞ起きれば、またも「想定外の」とか「類を見ない」とか言い繕うのでしょう。

 千葉の豪雨もアッという間のコトだったようだけど……、ともあれ、やめた方がいいなぁリニア計画は、と強く思う。

 だけど、ゴリゴリのごり押しで進めるんだろなぁ。『戦争を甘く見る空気』とは関係ないようだけど、でも、動かし出したら止まらないという点で同じ土俵。

 NPOのアジア環境技術推進機構なんぞは、ホームページにこんな一文を置いている。

「へっ?!」

 ってなもんだ。

 地底の水脈がどうなってんだか判んないのに、「環境にやさしい」って。

 ニホンはえらいです。突貫すりゃ何とでもなります、やり抜くぞ~、みたいな無責任な、自己陶酔っぽい情緒的勢いだけじゃ~、『戦争を甘く見る空気』で書かれた諸々と一緒じゃないかしら。 あまりに「自然を甘くみている」としか思えんなぁ。

 

「空白の天気図」

 

 過日。久々、東京や福山からも参集の模型関連の仲間たちと、居酒屋で会合す。

 私がダントツ、イチバンの年長だけど、集合した誰もが年輪を増し、多少たるみなどつけ、額の面積が拡がったり髪がグレーになったりと、それらが妙味になりつつある。個性が増しているワケで、とてもヨロシイ。

 懐かしいハナシと現在のハナシとが混ざりあい、時空が蕩ける。湯治場の湯に浸かっているような、緩やかな気分にくるまれる。

 全員が経年劣化の渦中にあるけれど、そんなこた〜、どうでもいいのだ。

 いまや、職場で毎日会うような短距離には居ないけど、ずいぶんと昔、ただの粘土のカタマリでしかなかった私というカタチを、カタチある造型物として彫ってくれたのがここに居る連中だ。こうやって集合するのは希れなコトだけど、今もって私というカタチを造型し続けてくれている連中だ。

 

 会合後、単独行動し、数時間後の某BARでミュージシャンのDATE氏にバッタリ。いや〜、濃い夜になっちゃった〜。

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 早い時間、坊さんが来て、仏壇前に正座す。

 毎年繰り返される慣習の背後で、小庭のセンダンの木にとまったセミ達がやかましい。一斉に鳴き、一斉にやみ、また鳴くを繰り返す。

 いつも通り、茶をすすって歓談。

   

 多くのお寺さんは檀家が頼り。墓じまいやら新たな檀家減少でジワジワ衰微。

 街中や住民数の多い地域のお寺さんは、保育園経営とかいった副業でしのぐという手もあるけど、先細り地域での寺は、熊本地震クラスの災害があったさい、寺はそもそも古い家屋が中心なので被害も大きくなる。大きな損壊がある場合、修復もままならない。

 けど、お寺は宗教法人なので、行政の公的復旧支援は原則として受けられない仕組みになっている。よって被災後に泣く泣くに廃寺という選択が迫ってくる……、というようなハナシをする。

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 柳田邦男の『空白の天気図』を読む。

 昭和20年8月6日の広島市の惨状は誰もが知っているが、その42日後の9月17日、台風の直撃を受け、被害に被害を重ねたコトはあまり知られない。

 枕崎台風と後に呼ばれる台風は、原子爆弾の炸裂下を生き抜いた2千人強の命を奪った。

 市内から運び出された100名以上の被爆者が入院していた佐伯郡大野町の大野陸軍病院は、土石流にのまれて壊滅した。医療調査に入っていた京都大学の諸先生方も遭難した。

 踏んだり蹴ったり……。

    

 柳田邦男は、この昭和20年(1945)の広島気象観測所の職員達の動向を追うコトで、2度の災害を再現する。人災と天災のダブル。

 気象台は軍の管轄下にあり、気象予報は軍艦や戦闘機にとって大事ゆえ、毎日朝夕の観測とその結果は逐一に東京中央気象台に秘密電文として送られていたけど、戦局悪化と同時に物資不足。朝夕2回上空にあげる観測気球に詰める水素ガスがない。地震計に使う重油がない(記録紙を重油の煙でマックロにする必要あり。その上で針でひっかき傷をつくり地震波とする)。記録する専用紙も枯渇。職員に配布される配給食もとどかない。空爆で電信線綱がとぎれ、東京までの打電もままならない。

                昭和9年に建造された頃の写真

 広島観測所は海に近く、市内全域を見下ろす場所にあり、市街への連続空爆で同地駐屯の軍人らは「高射砲をここに設置させろ。おまえらはノンキに天気見てるだけじゃないか」と無知のままに観測所職員に詰め寄ったりもする。

 

 で、8月6日の原子爆弾。

 爆心地から4.5km離れている観測所も甚大な被害。窓ガラスは全て瞬時に粉砕され、倒壊こそしなかったが家屋は壊れ、職員は1人の女子事務員以外は全員が負傷。高温にさらされ重体となった者もいる。医薬品は赤チンしかない。

 役所も警察も機能を失う中、それでも職員達は職務を続ける。

 後に問題化する「黒い雨」の降雨状況も、同観測所の職員の尽力と残した記録が大きなキーとなる。機器計測が出来ない状況ゆえ職員達は聞き込み調査し、これが後にライブ感たっぷりの情報として役だった。

 42日後に、今度は台風……。

 観測機器の修繕もままならない中での天気予報。他の管区からの情報もないから台風の目がどこにあるのかさえ不明の中での難しい予報。中国新聞もNHKも機能不全が続いているから、その予報を広く伝える手段もない。

 なので多くの市民県民は、何も判らぬ内に台風に吞まれたといってよい。

 読み進むと同時に暗澹の色が濃くなるが、一方で、日々刻々の天気図を更新すべく職務を全うしようとした方々の存在が輝きもする。

 市内で高い値を出していた残留放射能が、豪雨に流され,洗われたであろうコトも、どことなく納得したが、ともあれ、踏んだり蹴ったりの災禍に唇を噛まされた。

 その渦中で自然の振る舞いを計測し予測して伝えるべく務める職務にチカラを搾っている方々に濃い敬意をおぼえた。

 

 今これを書いている岡山市中区の午後6時は31度。ほぼ終日曇っていたから、ヤヤ抑えぎみ。晴れていたなら33度くらいか……。

 同書によれば、原子爆弾が炸裂した8月6日午後6時の広島気象台での気温は28度だったという。

 その温度差に、人類が誘引した温暖化という名の進行中の災禍が覗える……。



 

「チ。」

 

 2階寝室のエアコンが不調ぎみで、冷房モードなのに送風だけになったりする。

 壊れきっているようでもないが、不安定は困る。なんせ木造の2階は無茶苦茶に暑く、夜になっても保温されたまま。

 昨年に1階のエアコンの1つを換えたけど、またぞろ、経費かかるし、ベッド廻りのアレコレを片付けないと業者さんの作業スペースがない。しかし、多数のモノや本を動かすのは一苦労。そうでなくとも暑いから、大汗かくのが眼にみえる。片付ける気力もわかない……。

 それで一考。スポットクーラーを買って取りつけた。

 やや重いけど、エアコン取り替えよりはるかに廉価、かつ取りつけ容易。

 窓とリンクする排気ダクトがいささかサティアンめいてカッコ悪いけど、吹き出し口をベッドに向けて可動させるや、効果甚大。

 甚大どころか、寒い……。

 という次第で、毛布にくるまってスヤスヤ眠ってる今日この頃。

 一方で、熊本方面では家をなくしたり、停電、断水……、ナンギが続いてる。

 暑さとトイレが1番にこまったコトだろう。

 行政は「手厚い支援」を口にするけれど、震災のたびに追いつかないのが実態。

 いつも、たちまちアレコレの寄付やら募金事業が立ち上がる。

 むろん、悪いコトでは断固ないけれど、それらボランティア的活動以上に、やはり、行政が敏速かつ継続的支援をするカタチこそが望ましい、常に備えてなきゃと、当方は思う。募金など不要のカタチでなきゃ……。

 当然に費用も人員も必要だが、そういう体制をキチリ確保し維持するのが政治の本来の命題、と思う。

 世界中で地震は発生するけど、ニホンはその20%を抱える悪立地国。

 大きなのが来るたび、いまだ避難先は学校の体育館という劣悪。

 健康的かつ文化的でニンゲンとしての個々の存在が守られるには遠い

 

 上記の朝日新聞の記事では、宇城市(うきし)の避難先ではクーラーもない上に、避難者用組み立てベッドの備品は、500人を越える避難なのに、40ケのみ……。

 10年前の教訓はどうなってんだ? この10年、何してたんだ?

 現地入りした首相は、高齢の住民4名とクーラー効いた氷川中学校の教室で20分弱会ったのみ。

 しかしこの4名、「快適な避難所で至れり尽くせりで」と妙なコト云ってる。行政に添った発言者を選んでいたフシ濃厚。何のこた〜ないヤラセじゃないか。

 マスコミは何をしてこの噴飯テ〜タラクを「意見交換」と云うのか?

    

 クーラーのない体育館にいる大勢に首相は会っていないし、体育館に入ったという報道もない。一晩そこで過ごしてみろと云いたい。

 既に多くの方が指摘されている通り、知恵しぼって本気で災害に向かい、そのための予算と備品と人員をさけるようじゃなきゃダメ。だってそここそが真の国防というもんじゃ~ないか。国策の最優先事項だよマチガイなく。

 避難民を体育館に収容するという発想から別次元なものに転換すべきと、思う。

 ともあれ被災した方々の安全を願う。関連死に至らぬよう願う。

 

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  数週前、プチパインのオーナーが、「これ、お勧め」と貸してくれたコミックス『チ。』。

 全8巻、眠る前ベッドに転がって、前記のスポットクーラー下、毛布でお腹冷やさぬようしつつ、1冊の半分ずつを毎晩読み進めて読了。

 当方、最近のマンガ事情をまったく知らないから、いささか衝撃させられた。

 借りた夜、別のBARで『チ。』のコトを話したら、女史2人が即座に、

「ぁぁ、魚豊ね、NHKのアニメも観たよ~」

 いとも容易に云われたので、

「へ~、いまどきの女史は皆さん、こういうの読んでるんだぁ」

 これまた衝撃させられたのだけど、天動説の世の中から地動説への転換という時代と、科学と宗教の有りようなどなど、興味深い作品だった。

 プチパインで、「絵が固まりきっていないけど」と云われ、なるほど確かにその通りで、さすがにアート・ワークを見る眼が高いなぁ~と感心させられたけど、読み終え、いささか、作品そのものの重さを身に沁ませた。重さというかキャラクター達の言葉のやりとりを沁ませた。作者が登場のキャラクター達とはヤヤ距離を置いて、それらキャラクター達を動かしている点も妙に沁みた。

 写本でしか知識を後継出来なかったのが、活字印刷という大転換がもたらした文化イノベーションを、ともあれマンガというカタチで眼で追えた。

 地、血、知、さらには、値、恥、痴、そして、治や智。「チ。」に含まれるアレコレの「」の感触を、毎晩ジワジワ味わった。

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 最近、自宅でのランチを毎度に写真に撮ってる。

 べつだん面白みあるモノでもないし、記録という意味あいも薄いけど。

 過日、鳥取に出向いたさいに買った大栄町のスイカは1/4にカットし、4回、ゴ〜カイに喰らった。

 よく食べてるのは、近所のスーパーのアゲやかき揚げをのっけたうどんだ。タマゴの上の赤いのは、吹屋ふるさと村の佐藤紅商店の「紅てんぐ」。

   

 唐辛子と柚のコラボレーションが実にまったく当方の味覚を刺激してくれ、クセになっちまった。

 柚の品ある風味と唐辛子の辛みが、独特な酸味と相まって、熱いうどんに逆に涼味をもたらすという美味しい効果。

 現状、「こりゃ最高〜!」というワケで、繰り返し食べている。

 いずれ、飽くのだろうか?

 そこが知れるまで、毎度まいど、写真に撮っておこう……、かな。写真で振り返ると、かき揚げのっけた時にはオニギリとか買ってないコトに気づいて、無自覚に経費抑制に努めてるじゃ〜ん、とか自分を褒めたり出来るしぃ。

 

 

 

白兎神社

 

  また熊本方面で大きな地震……。

 何が怖いかって、地震がダントツ1番。2024年元旦の能登半島含め通算8回もの震度7。多過ぎ……。

 オーストラリアやシンガポール、北欧など、相当数の方が、地震を経験するコトなしに生涯を終えるとかいったハナシを聞いたような気がするが、そうであるなら、かなり羨ましい。

 ニホンがやるべきは、軍事防衛やら武器販売やらじゃ〜なく、防災のアレコレに即座に対応できる国に変わるコト。AIによるイノベーションとかで右に習えするより、世界共通の単語となった「TSUNAMI」を逆手にし、自然災害に立ち向かう国ナンバーワンになるべく努力すべきと思うなぁ。

 2024年に石破内閣は発足と共に防災庁の新設を計画するも、高市政権に変じた途端、計画頓挫ではないにしろ、防災じゃなく国防という名の元、武器販売などに活路を探るテイタラク……。

 当方、数ヶ月前に訪ねた能登の七尾市が復興しきれていない現状を見たから、余計、大きな地震のたび、イジイジする。ビクビクする。

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 7月の終わりかけ、九州の地震の2日前、いつもの仲間達とミニ・ツア~。

 こたびは5人。

 通常ならもう1人いるのだけど、療養中。動きたくとも動けない身の上。

 されど本ツア~を後押しし、

「良き土産バナシを持ち帰ってチョ~ダイなぁ」

 とのコトゆえ、その良きをば、たぐるべく四方に眼を馳せる。

 県北へ向かい、吉備高原ファームで、トウモロコシのアレコレな品種を物色する。

 朝9時開店前から既に行列が出来ている。その日その早朝での収穫分が全て売れると販売所は閉じられる。昼前11時頃にはソールドアウトかな?

 ナマのまま食べられる品種の甘みは、そこいらのスーパーのモノとは一線をかし、

「何これっ?」

 トウモロコシの見識が揺らぐ絶品なのじゃ~あるけど、ただ甘いだけじゃ~もの足りない。

 飽きがくる。

 そこの見極めが難しいが、食べてみなきゃ~判らない。かつて昔に味わい知った採れたてトウモロコシの旨味と、品種改良が進む近年の旨味の、その両者の狭間での、我が舌の「マックスな喜び点」という、そのワンポイントがまだ定まらない……。たかがトウモロコシ、されどトウモロコシ。

  例によって昨年より値上がっている。

 栽培に必需の培土や追肥料はいずれも輸入に頼り、円安によって末端価格はアップップ〜の一途。けど政府は無策、国旗損壊とか皇室典範とか統制引き締めのみ。

 それで、20本買ってたのを今年は10本に抑えるといった哀しい抑制を余儀なくされつつ、ま~、それでも複数買い求め、大きなバッグに詰め込む。

 車は高温になるゆえ、ローソンで板氷を買って、対処する。

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 県境越えて、鳥取へ。

 昼時だ。

  Kosakaちゃん運転のTOYOTAは、日本海の波うちよせる賀露港まで駆ける。

 同港の市場食堂にて昼食。

 やたら、ヒト多し。

 アンコウの唐揚げをはじめて食べる。柔らかい白身に塩があう。ただしデッカイ骨もあり、これは噛めない。

 市場からおよそ10Km程を駆け、白兎海岸を右手に見つつ、道の駅「神話の里 白うさぎ」に車を停める。白兎神社に歩む。

 

 白兎神社は、『古事記』に記載された白ウサギの難と幸を基に、皮膚病に霊験ある社として信仰され、さらに大国主命と八上比売(やがみひめ)の婚姻をウサギが予言したコトから、やがて縁結びの神さんという次第になったようだけど、建立時期は不明。

 イチバン古い記録として、戦乱で焼失したのを慶長年間(安土桃山時代のころ)に再興とあるから、古いといえば古いけど、不明点多し。現在の社殿は明治期に建て直したものらしい。

 ま~、縁結びの「恋人の聖地」というコトで今は若いカップル達が次々に訪れているので、ヨロシイじゃ~ないですか。

 ここに詣でた以上は、悲恋に終わらぬよう鋭意ご尽力あれ~、とカップルの後ろ姿を見遣りつつコッソリ願うばかり。

 いや〜、それにしても炎天、暑いコトあついコト。

      

 早々に参道くだって道の駅の涼しい環境へ移動。

 道の駅内の「すなば珈琲」にてアイス・コーヒー。

 やっとはじめて、味わえた。鳥取に出向くたび、その支店の前を通ったり歩いたりしているけど、飲んだコトなし。

 竹製のストローで冷たいのを啜りつつ、海をば眺める。

 一兎のウサギが多数の和爾(ワニと書かれるサメに類似の海の魔物)の上をピョンピョコ飛んでいるシーンを空想する。

 道路の向こうに見えるのが淤岐丿島。意外と近かった……。隠岐の島や沖ノ島じゃなく、「淤岐丿島」。

 この島からこちらの側へ渡るさい、ウサギはワニ達を利用した。

 ウサギは砂浜に近寄るに連れ、その眼にはきっとワニに対しての嘲(あざ)けの色を浮かせたろう。してやったりと脚下のワニどもを侮罵したろう。その途端、ウサギは報いを受ける。痛いメにあうワケだ。

 遠い神話時代のそのハナシを、すなば珈琲で吞みくだす。

            白兎観光協会HPに載る淤岐丿島写真

 もしも、ウサギがワニ達を騙し通して砂浜にあがったらどうだったろう。

 大成功。当然にウサギは鼻高々の有頂天。

 そこに偶然に通りかかった大国主に、ウサギは自慢バナシをしたい願望をモクモク湧かせたろう。それで、

「ね〜、ね〜、ちょっと聞いてよ〜。すごい話なんだぁ」

 嬉々として駆け寄ったろう。けど、大国主の方は、

「おっ、ウサギだ。しめしめ」

 弓を引き、10mほどの距離まで寄って来るや、矢を放つ。

 ウサギ、絶命。

 オオクニヌシノミコトは、さっそくにウサギの皮剥いで、焚き火して、

「晩のおかずが出来たわい」

 ジュ〜ジュ〜焼いて食べちゃったかもしれない。

 もちろん、老いたウサギゆえ、肉は痩せてるハズ……。

「こいつ、まずいの〜」

 という次第。されど、これでウサギの体験談は消失し、『古事記』にも載っからない。

 そう夢想すると、ウサギはワニに痛いメ〜に遭ったけども、視点を変えて眺めると……、大国主に偶然に救われ、結果、サメ達への狡猾は忘れられ、デッカイ幸いを手にし、神社が出来るホドの境遇変化というコトになる。

 不幸の極性が転じ、幸福となったワケかぁ。

 よって、偶然と必然のややこしい狭間における教訓談みたいな感触をも、すなば珈琲の苦みと共に味わうんだった。

 この感慨は岡山じゃ味わえないし、意識もしない。現場たる鳥取でもって初めて直面出来る一兎のウサギのアレやコレ……。日帰りツア〜ながら、日をまたぐような余韻ある旅でごんした。

 白兎神社の本殿(左)。周囲歩道は土じゃなく、砂。鳥取らしくもあり、白ウサギの話にふさわしいようでもあり、すなば珈琲に適合しているようでもあり……。

 ここの注連縄(しめなわ)は、出雲大社のかのデッカイのと同じく「島根県阪南町しめなわ連合組合」が担当、6年サイクルで造り直すとのコト。県をまたいで、なるほど、縁結び神社という点で共通だ。

 

 帰岡後、車中で女史2名が話す「トウモロコシご飯」の作り方を盗み聞いていたので、忠実に密造し、食べる。

 お・い・し・い。

 炊き上がると芯の部分は捨てるが、これが好い味をモロコシモロコシ、ご飯に沁ませている。