1年ぶりの高知のカツオ

 

 戻りがつおのシーズン。

 前日までの台風がらみな雨がやんだ晴れた日、4人で、高知は久礼漁港方面へ向かう。

 朝まだきの刻限では、まだ樹木が濡れ、昇りだした陽射しに目映く光っていたが、瀬戸大橋を渡る頃には、もう濡れた感触は失せて、陽光の目映さのみが晴れ晴れと君臨している。

 毎回毎度のパターンながら坂出で高速をおり、まずは朝食、讃岐うどん。

 朝の8時過ぎ。「麵や 川津店」で地元の方々に混ざって、コシのある麵をすする。

 地元の皆さん、食べ終えると仕事に向かう。

 こちら、食べ終えると高知に向かう。

 香川のうどん朝食文化をライブ体感するのは、おもしろい。

 6月より320円→330円(小)と値上げしたというが、100円でなく10円というトコロ、よくぞ抑えたと好感。

    

 例によって道中の道の駅に立ち寄って、ちょっとした食材を物色。まんのう町の空の夢もみの木パークと、三豊市のたからだの里は、我が宅近隣のスーパーより野菜類いずれもはるかに廉価な上、いささか珍しい食材もあって重宝。

 三好市の井川池田ICでまた高速にのり、正午頃に目的の黒潮本陣に到着。

 昨年は10月23日にここに来ているから、ほぼ1年ぶり。

 ワラ焼きのたたきは、11月から価格を上げるらしい。

 ここも値上げかぁ~と肩を落とすが、かつお漁船舶の燃料価格など考慮すると、単純には嘆けない。 

 くわえて、前日まで久礼方面は3日連続で海が荒れ、漁にでられず。アジやカマスなどの一夜干し焼き物もなし。

 そんな次第で、かつおも早朝水揚げのものではなかったが、おいしく頂戴す。

 肉厚い切り身にニンニクのっけ、タレをからますと……、ぁぁ、うまい。1年ぶりの滋味をビールで流し入れる。

 黒潮本陣は海を見下ろす丘の上にあるが、その真下が久礼漁港。

 道の駅が併設され、いつもならかつおを中心に鮮魚も売られるけど、こたびは魚影なし。

 台風直後の探訪ゆえ、「ひょっとして……」と向かってる道中に危惧していたけど、ビンゴ! 店内ガラ〜ン。

 漁に出られなかったのだから、しゃ~ないですわね。たたきを食べられただけ幸い。

 漁港はほとんど船影なし。静まった海原に漁に出ているのだろう。翌日ここに来れば、アレコレ店頭に並んでるはず。

 

 須崎市へ移動。

 須崎は今年6月末頃に出向いて、同地名物の鍋焼きラーメンを食べたけど、その日はかなりの雨で、太平洋沿いの横浪黒潮ラインを駆けても、景観すべて灰色というアンバイだったゆえ……、あえて再チャレンジ、同じコースを駆けて、晴れ間での経験をやっと味わう。

 海に向けて鳥居がたつ鳴無(おとなし)神社。

 雨天時とはまるで印象が違った。

 近年に部分修復されたらしきだけど、本殿の配色にヤヤ驚いた。

 創建は鎌倉時代。現在の社殿は寛文3年(1663)のもの。クニの重要文化財だが、かつてはこの朱色を中心にした極めてカラフルな神社だったと思える。

 鳴無神社は驚くほど複雑なカタチの湾内にある。それゆえ湾の向こう側からここに来るのは、車も道もない時代には大変なコトだったろう。

 それゆえ、湾の向こう岸には、立派な遙拝所もある。我々そこには行かなかったけど、大きく入り込んだ湾ゆえに、ここに海神を祀っている大昔のピープルの姿勢をば、感じないワケでもなかった。

 湾内にはいり込んだ海の幸が豊穣なのは、かなりの数の小さな漁船が岸に繫がれているトコロからも察せられる。山口の、安德天皇を祀る赤間神社も鳥居は海に向けて建つが、そことここでは鳥居の意味がまったく違うのだった。

 波打ち際で、石のモノリスの写真を撮ってるKosakaちゃんとTsukasaちゃん。

 

 同神社から10分ほど車を駆け、前回どしゃ降りで車から出られないままチラッとだけ拝見した武市瑞山のでっかい銅像をやっとマノアタリにする。

 広い敷地ながら、自動販売機1つなく閑散。誰もいなくって寂しいかぎりながら、誰も訪ね寄らないトコロがあるイミ……、魅力か?

 しかし、この銅像のみは、ひどい雨の中の色の失せた気配での感触の方が、武市半平太という実在した人物の中の黒いテロリストとしての顔と、強権に反撥した変革志向の顔という2面が意識されて、かえって悪天の方がよかったような気がしないでもなかった。

 桂浜の坂本龍馬銅像の人気と比べると、何やら空疎な、観光地化の失敗例として当方の脳内には刻まれもするのだった。

 陽光に目映く輝く太平洋を見ているうちに、少々汗ばみ、上着脱ぎ、ソフトクリームを食べたいというコトで4人の意見一致。

           銅像の視線はこの太平洋の拡がりに向けられている

 ひの町側へ北上し、松山街道にある芋屋金次郎 日高本店に寄り、ソフトクリームを舐める。

   

 紫と白のミックスカラーが1番の人気らしいが、当方はバニラのみの単色をペロペロ。

 私らの前に2組のカップルが来店していて、やはり、ペロペロ。

 私らの後に入店したヤヤ高齢っぽいご婦人2人も、ペロペロ。

 芋ケンピの高名店ながら、皆な、ケンピじゃなくソフトクリームって~のが、お・も・し・ろ・や。クリームにケンピ1本が刺さってるのも、お・か・し・や。

 

 すっかり暗くなって瀬戸大橋を渡り、あえて水島へ。

 岡山市内に出店していない「てんぷら一代」という店で、天ぷらの夕飯。

    

 清潔そうな明るいカウンター内で若い複数のスタッフが次々に天ぷらをあげている。

 無料食べ放題のめかぶ明太子でゴハンもすすむ……

 2回に分けて運ばれる揚げたて熱々の天ぷら。2皿めの大きなカボチャとアナゴで満腹ぎみ。ミニ・ツアーの締めとした。

 

全身古市福子のはずが……

 今日25日は午後からの、古市福子さんのイベント最終会に、あえて当日券で入って鑑賞する気でいたけど、あいにくの雨天。

 雨ごときは何ともないが、どことはなく不穏な寒気が体内にあり、いささか不調。

 躊躇したあげく、でむくのを止め、念のため風邪薬を飲んだ。

 福子さんに申し訳ないが、こういう場合はヒンニョ〜気味な身体がいっそう瀕するのが眼に見える。映画以上に皆さん舞台に集中している演劇空間での中座はヨロシクない。カッコ悪いという以上に、舞台に集中している方々にとっては迷惑以外のナニモンでもなし。

 観覧後に感想をココに書こうと画策していたのだけど、こまったもんだ。

 前夜は前夜でかねてより用あって、フランスから里帰り中のTaka Shimizuのライブにも出向けていない。こまったもんだ。

     

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 という次第で、急遽に題材変え、最近の写真を見繕って本ブログを書く。

 8月・9月に次いで3回目。自宅でのランチたち……。

 こりのない平凡。

 ぁぁ、でも僅かながらも変化もあって、自分のコトとしては、おもしろい。

 久しくスーパーの廉価なお弁当をヒンパンに買ってたけど、最近は激変、廉価に遠いバク値上がり。弁当買ってない……。

 くわえて、価格アップなのに、おかずがとても貧相にも見え、

「どうなっとんじゃい?」

 惣菜やらお弁当のコーナーに行くたび、肩をおとす。

 某日。スーパーで売ってるニッスイ製冷凍のチャンポン麵。

 野菜は自分で用意しなきゃ~いかん。しかし、このチャンポンの頃、キャベツの高いコト高いコト。

 某日。これまた市販の焼きめし。粉末のポタージュスープ添え。

 某日。調理なしのお手軽ランチ。当方宅の近所のコンビニはお昼12時頃はどこも、工事関係者の車輌が3台も4台もエンジン駆けっ放しで停まり、これと同様な食事を車内で取ってらっしゃる。

 真似たワケじゃないが、こういう手軽も、ま〜、いいさ。

 某日。ひさびさにビッグマック持ち帰り。たぶん2ヶ月ぶり。

 20代の頃から今に至るまでマクドナルドで買うのはビッグマックのみ。

 2つたいらげ、オマケのポテトは晩の味噌汁に浮かべる。

 フライの油分と塩分が味噌にパンチをあたえ、塩分摂り過ぎの警告灯が点滅するが旨い。

 通称マクド汁。

 某日。またまたお手軽。

 この製品、味噌が溶けにくい。こたびは大失敗。かなり攪拌しないと底に味噌がたまってしまう。納豆を掻き回すようなイキオイで混ぜないとイカン。

 薄い味だなぁと感じたのは、攪拌不足ゆえにか。次があるなら気をつけよう。

 某日。我が定番のグリコのLEE。

 軽く焼いただけの食パンと相性ビューティフル。

 スプーンで少量をすくい入れ、熱い辛みのさなかにパンを囓ると、口の中がパンパカパ~ン♫、何やら勢いあるメロデイがよぎる。

 某日。これまた我が定番。紅てんぐの酸味と辛味がサイコ~によろしい。

 某日。先月に出向いた徳島で自分用土産に買った乾麺を開封。

 メチャに小さなナルトが入っていて苦笑。

 茹でたら1.5倍ほどに拡大したけど、スモールはスモール。

 徳島ラーメンは生卵入りが基本。潰して崩れかけてるのを啜るのがよろしい。

 3年前の6月に徳島に出向いたさいは、徳島市内でダントツに行列が長いらしい「いのたに」に、午後3時頃の客足少ない時間に入店し、おいしく頂いたけど、生卵は食券機のトッピング部分のボタンを押さなきゃダメで、当方、そのシステムを知らずで、結果、生卵なし……。

                  いのたにで生卵なし

 そんな次第で3年ぶりの徳島ラーメン自宅版。「いのたに」の味をおぼえているワケもないけど、生卵入れて、なんとはなく気分よろしい。

 某日。焼きそば。

 あいかわらずキャベツ高し。いっときは小さい半玉で500円。アジャパ~。今は279円くらいに下がったけど……、フランスでは、キャベツはともあれ、食材などの価格高騰に怒ってデモが起きる。

 ニホンはデモなし、しかたがないと流されるのみ? 

 常のコトながらデモ参加者の一部が暴徒化し、市庁舎を全焼させたりとワヤクチャも含まれるが、抗議するという姿勢は羨ましい。いかんせんニホンのニュースは乱暴狼藉の方に眼がむいて、ピープルが何故にデモするのかの事の本質についての言及がない。

 10月は祭シーズン。

 某日、県北の親族が鯖寿司を届けてくれる。

 ありがたい毎年の頂戴物。すこぶる美味しく、毎年ひそかに愉しみにしている逸品。

 親族宅の地域の方々が総出で造る秋祭用販売物。厚みある鯖。ギュ~ギュ~に詰められた寿司米のどっしり。

 つまみ上げでも型崩れしないボリュームが半端ない。

 米収穫の豊穣が意識され、季節の色が濃くなる。

 台風の影響というか秋雨前線というか、本日は雨。まったく秋っぽい。たぶん今頃、福子さんの芝居イベントも終わってる頃だろう。

 

 

サンダーバード60周年

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 英国で『サンダーバード』が放映されたのは1965年~1966年だから、早や60年が経ったワケだ。

 いや~、ズイブンと前になるんだなぁ~と感慨すると同時に、一向に古色にまみれないなぁ~とも思うのだった。

 60周年……。

 なるほど英国ではこのタイミングを柱にマニア向けに、幾つか小さなダイキャスト模型などが新発売されている。

  

 とはいえ20代や30代のヒトが求めるとは思わない。1966年に子供時代をおくった方々が眼にとめる玩具だろうな。

 ま~、そんなもんだ。

 それでいいのだ。

 

『サンダーバード』といえばジェリー&シルヴィア・アンダーソン夫妻が念頭に浮くけど、当方は、撮影での特殊効果や視覚効果の監督だったデレク・メディングスの存在を常に思う。

『サンダーバード』の撮影現場で陣頭指揮していた頃、彼は35歳だった

           ネクタイしているのが彼、デレク・メディングス

            『サンダーバード』第1話の撮影セットに立つデレクさん

 彼はクリストファー・リーやピーター・カッシングのドラキュラ映画などを製作したハマー・フィルム・プロダクションで、トランシルヴァニアの古城などを予算のかからない段ボール紙を駆使して効果的に造り、ガゼンに脚光されたヒトだった。

  

 やがて彼は60年代に、アンダーソン夫妻の元に移籍して人形劇に携わる。

    

 人形を直に扱うのじゃなく、そのドラマの背景となるシーンを如何にリアルに見せるかという点に注力した。

 1964年に英国初の全編カラー番組として放送された『スティングレー』と、その次の『サンダーバード』の仔細を見比べると、ワイヤーで吊った模型の動かし方や火花の効果など、飛躍的に彼のスキルが向上しているのが眼に映って、目映い。

 わけてもサンダーバード1号と2号のリアルな汚し塗装、噴射シーンでの火薬の扱い、煙の扱い、模型の動きは圧倒的に素晴らしい。

 どんぴしゃ、ジャスト・タイミングで点火され、強い火力と噴射煙が圧倒的に見事。かつ、その噴射が終わるタイミングまでが素晴らしい。

 火薬を扱う法律が英国にもあるし、製作現場はそれに準拠する制約があったろうけど、扱いの巧みさが尋常でない。

 比較するのはヨロシクないが、1967年のニホンの『ウルトラセブン』でのウルトラホークの発進シーンなどを見ると、模型の精緻具合や質感含め、いささか残念な気分は拭えない。

 デレク・メディングスの、縮小模型を使ってのリアル感を如何に見せるかという一点の熱意とその結果がとにかく熱いのだった。

 上写真はデレク氏の唯一の著書。

 1956年にAPフィルムズを起ち上げたジェリー・アンダーソンは次々に低予算の人形劇シリーズをTV向けに製作。1959年の『トーチー・ザ・バッテリー・ボーイ』の製作時に、氏は移籍して参加。

 APフィルムズは『サンダーバード』製作時に社名をセンチュリー21プロダクションに変更。それゆえ本は「センチュリー21のビジョン」という次第で、この本が出版された頃はネット時代以前ゆえ、多数の資料写真掲載がバイブルみたいなアンバイ。当方がニホンでのサンバード模型事業に携わった頃には座右の書だった。

 彼は『キャプテン・スカーレット』や『謎の円盤UFO』もこなし、ま~、その力量が買われて、やがてフリーになり、『007』シリーズの特殊効果を担い、さらに1989年にはティム・バートン監督の『バットマン』でのミニチュア・ワークも担うコトになる。

    ロジャー・ムーアが主演の『私を愛したスパイ』での原寸ロータス・エスプリの水中模型

 007シリーズでは『死ぬのは奴らだ』、『黄金銃を持つ男』、『私を愛したスパイ』、『ムーンレイカー』、『ユア・アイス・オンリー』、『ゴールデンアイ』と6作品で大活躍。

       

       『バットマン』の撮影用模型バットウィングを調整中のデレク

  

   『ゴールデンアイ』の撮影中でのデレク・メディングスと007役のピアース・ブロスナン

 1995年の『007/ゴールデンアイ』での仕事をこなした直後、彼は64歳の若さで没してしまい、とても残念なコトだった。

 訃報を聞いたさいは喪失感にグッタリさせられた。

         『007/ムーンレイカー』で使った模型達とデレク・メディングス

 ま~ま~ともあれ、『サンダーバード』は今年で60周年。

 祝ってよい慶事と思う。

 90年代に当方らは、第2次だか3次のニホンでの再ブームの一翼を担い、何冊かの模型本に貢献した。

 これらの出版に伴い、出版社の社主から、「おまえは東京に職場を移せ」と誘われたが、社主が急逝して話はハナシに終わった……。

 2013〜2016年はフジテレビと東北新社主催の大がかりな主要都市巡回展に関わったりしたが、こたびは90年代当時のスタッフだったハタ坊(当時の愛称)の模型(これが後にモデルカステンのソフトビニール製模型の基になる)を引っ張りだし、両翼が連動可動する仕掛けなど、眺め、動かし、

「よく出来たキット原型だったなぁ」

 ハタ坊と彼をヘルプした複数の仲間たちのコトを目映く思い返すのだった。

 2013年からの『サンダーバード博』では、大がかりなセット模型にこの1号を配置した作品を構築したが設置面積の関係あって、最終的に展示されなかった。が、1号機は存分に使われた。

 以下、当時の展示品を中心に何枚か写真を……。

 最初の展示会場となった日本科学未来館。マスコミ向けセレモニーで挨拶する当時の館長・毛利衛元宇宙飛行士。

 当方らが製作した模型を取材するマスコミの方々。

 展示のこれらは90年代に造ったものだから、ただ東京に運んだだけという次第だけども、久しぶりに開陳出来てヨカッタ好かった。

      

 丸山徹也作品。1/6スケールの可動模型。そうなのです。90年代の丸山氏はフィギュア・モデラーで頭角。後年にアートな陶芸家ケン彫刻家になろうとは……(^^)/

 東京某所、東北新社の作業場で輸送木箱をあけて用意中の当方。

 展示準備。この日は個々の模型のガラスケースのための計測やら。

 セッティング打ち合わせし、後日に会場へ。

 ハタ坊原型のキャストモデルを乗せたディオラマは、ディオラマ部分が大きく、周囲の他模型とのバランスを考慮、結果として展示品から外した……。番組中の1シーンの忠実再現模型だったゆえ、今でも残念。左後方は3号のランチ・ベイ。

 この博覧展示にあらたに造ったトレーシー邸は、奥行きが1m越えの大がかりなものになったが、電装し、内部まで造ってその構造を掌握したし、これを60年代に撮影用セットとして構築したデレク・メディングスのセンスをも、たっぷり味わった。

 プールは可動し、その底に1号基地を配置してチラリと見えるよう工作したので、期間中、ケッコ〜人気だったようで何より。

 大きなガラスケースに入って、邸宅内はまったく見えないけども工作では室内も再現している。この工作の間はずっとデレク・メディングスを思い続けてたような気がする。

 1/100スケールの大型ディオラマ。90年代当時、私の所にいた仲間達の総力が結集した逸品。H君の見事なパーツ構成と精緻な造り。元はハタ坊のポリウレタン樹脂製キットの1号を乗せていたが『サンダーバード博』では軽量なソフトビニール製の同じ物を乗せた。

 

 60周年。

 この数年はDVDでの映像も見ちゃいないけど、久しぶりに観てみようサンダーバード!

 CONGRATS!    DEREK MEDDINGS!   

 VIVA!   THUNDERBIRD A GO!

       

 

 

 

 

デッカードと謎の女性

 

        

 『ブレードランナー』をこよなく愛して研究を続けていた新関純一君。

 長い付き合いだった。

 当方は、彼の資料収集を通じて数多諸々な情報を得たものだった。

 急逝したのは『ブレードランナー 2049』の日本公開のチョイっと前のコト。出版社が決まり、彼の初となる研究本出版の原稿を書き下ろしてるさなかだった。担当の編集者とウマがあわないと愚痴って苦笑していたが、果実を得る前に彼は逝ってしまった。

         1/6スケールのデッカード可動フィギュアと1/32スケールの彼の車

 遺された膨大な資料は、コレクションとして某氏が買い取って散逸を逃れたようだけど、その後は知らない。

 新関君と最後に会って吞んだのは新大阪駅近くの居酒屋だったけど、彼と私が話題にしたのは、劇中の群衆シーンで瞬間的に出て来る帽子の女性のコトだった。

 つぶさに映画を追うと、この女性は3カットに出ているよう見える。1つのシーンではアップで映り、しかも異例なコトに、視線がカメラに向いている。

 あたかもデッカードの動きを見ているという感じも、なくはない。

 だから目立つ。印象に残る。

 なので、

「誰だろねぇ、この女性?」

「リドリー監督の愛人かぁ?」

 などと、楽しく酒の肴にしたもんだ。

 

 それがごく最近にfacebookに、Jason Deanというヒトが予想もしなかった記事を載せていて、

「え? ホンマかいや」

 フェークな記事なのかと疑ったけど、Jasonさんの他での関連記事を読み、写真をチェックしたりなどして……、クエスチョンもあるけど、肯定できる感もあって、あらためてココでも記事化しておこうと思った。

 ご承知の通り、ハリソン・フォード演じる主人公デッカードは、自室にピアノを置き、その上に数多の写真を置いている。

 その中で、右端に額縁入りのがあり、その写真がコレだという。

 

 デッカードが結婚したが別れているというコトは映画の巻頭、彼自身のモノローグな呟きでもって、証されている。

 その女性とのツーショットだとJasonさんは云う。

 で、この女性こそが、街頭の群衆の中にいる目立った女性であると……。

 確かにフィリップ・K・ディックの原作には、Iran Deckard(イーラン・デッカード)という妻が出てくる。

 上下の写真、似ているようでもあり、似ていないようでもあり、判別しがたいが、そうであるなら、リドリー・スコット監督は映画の中に色々な伏線をはっていたというコトには、なる。

 いや、伏線じゃなく、何らかのシーンがもっと撮られてもいたが、編集で2転3転として、この謎の女性の輪郭も曖昧になったというコトもあり得る。

 

 ハッキリした、それでいて思いがけない事実は、レーチェルが子供の頃の写真だと脳内に植え込まれている写真と、デッカードのピアノの上の写真とが、どちらも白い柱を左右に配置した、いわばシンメトリー的構造になっているというコトだろう、な。

 呼応しているワケだ。

 これは偶然じゃなく、意図された構図だと思える。

 もっとも、デッカードのシーンでは、あくまで背景の小道具としか見えずで、どういう写真なのか、一見では具体なコトは判らない。

 伏線の小道具として写真が用意されたけども、映画編集の段階で曖昧なものになっていったのだろう、か……。

 リドリー監督が、

「デッカードはレプリカントだ」

 と云いだしたのは、封切られて4〜5年近く経ち、カルト的人気が沸いていた頃合いに、特番として放送された米国TV番組「Edge of BLADE RUNNER」の中。

 以後、このセンセーショナルな発言が映画の中核となっている次第だけど、当方は……、当方の映画感想としての眼と感覚は、

「やはりデッカードは人間でしょう」

 と、云いたがる。

                 劇中のデッカードの車とその模型

 当方は、人造レプリカントという存在を通じて、逆にデッカードという人物が人間性を取り戻していくという話であって欲しいと、実のところ、ズ〜〜っと思っている。

 ま〜ま〜、なので『ブレードランナー 2049』をチビっとも評価しないのだけど、それはさておき、新関君が健在なら、きっと嬉々として調査し、Jason Deanさんとコンタクトとり、写真の出典など尋ねに尋ね、数週後には屹然と、「ホンマでした」「嘘でした」と白黒ハッキリさせたろなぁ。

 そう思いつつ、久々に『ブレードランナー』を眺め、早過ぎた新関君の逝去をあらためて悼む。

 同時にあらためて、デッカードは人間でしょ、と感想を固める。

 かつてスタンリー・キューブリックは『2001年宇宙の旅』の真意について問われたさい、

「あなたが見て感じたものが全てだ」

 と発言し、インタビューした記者は面喰らったけど、突き放したワケじゃない。映画というのはなるほど確かに、見た者がどう感じたかが最重要。

 リドリー監督の見解に従わずとも、「私のブレードランナーは」という感想こそがキーと、想う。

     

 

何が出る?・出ない?

 ここ数日の好いお天気の中、小庭の金木犀が咲きかけて、早や良い香りを辺りに漂わせている。もう数日で満開か?

 終われば、おびただしい落下。辺りの掃除が大変だけど……、それまでは秋到来の香りと色彩を愉しめる。

 エジプト方面にも、この樹木はあるのかな?

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 9月の中頃に、ツタンカーメン王墓の奥側に大きな空間があるというニュースが出て、久々、

「ワオッ」

 色めき立たされた。

 かなりの規模の空間が、棺が置かれた後ろの壁の向こうにあるのが、概ねで確実になったようで、それが何なのか……、早く解れば嬉しいなぁ。

 というよりも、21世紀の今になってこんな「新発見」が出て来るコトにビックリさせられている。

 王墓の壁の後ろにまだ部屋らしきがある、という論説が出たのは2015年で、この時にはGPRレーダー探査でニホンの技術者が部屋らしきがありそうだという結果を出して大きなニュースになったけど、翌年に別グループが調べると何もないという相反する結果が出た。

 なのでさらに別チームによって3回目、レーダー照射での検査があって、やはり何も見いだせないというコトになって、

「何だ~、がっかり」

 話題は消えてったワケだ。

  

 それから11年経って、地球物理探査の技術が進み、今度は、重力変化で地中構造を検査するマイクログラビティ調査というのをやって、徐々に下降する箱型構造があるようだ、という再結論になった。

 レーダー波は地中4mほどしか届かず、それより下方は紛らわしい「ゴースト波」となって判断が難しくなるらしい。

 こたびの重力波検査はその欠点を拭う検査法というコトになるのかな。

 しかしエジプトは、考古学の部門と観光省庁が合体した奇妙なカタチの上に、ニホンで私らが味わっている時間の捉え方とは違って、ゆったりユッタリなので、来年再来年に調査がググっと進むとは思えない。

 気長に次なるニュースを待つっきゃ~ない、な。

 幼い頃に子供向けの本で、ツタンカーメンの発掘物語を読んでワクワクし、ずいぶん時間が経って30代になってから、やっとハワード・カーター自身が書いた『ツタンカーメン発掘記』に接して、2度目のワクワク。

 しばしマイ・ブームみたいにアレコレ本を買ったりしたけど、よもやそのツタンカーメンの墓の後ろに、彼の義母で王妃として高名であったネフェルテイティの墓かも知れない空間があるかもというこのニュースは、いまどきグッタリなニュースだらけの中、良い色で輝くようなアンバイ。

 ネフェルテイティの墓の不明はエジプト史の大きな謎の1つだったけど、それがひょっとしてと思うと、やはりワクワクが募るなぁ。

          大英博物館のスーヴェニア・ショップで売っているペンケース

 ツタンカーメンの父親は多神教から太陽崇拝の一宗教へと大改革をやって当時のエジプトを混乱させたアクエンアテン(アクナートンとかアメンホテプ4世ともいう)で、ネフェルティティはそのワイフ。

 アクエンアテンは複数の愛人を持っていて、ツタンカーメンはその愛人の1人が産んだ子供。

 ネフェルティティは6人の娘を産んだけど、いずれも若くに亡くしたようだ。で、義母たる彼女が没した後、父親の血を継ぐ9歳のツタンカーメンが王位を継ぐ。

 当時については諸説あるが確実な資料は薄いから、もしももしも今回の件がネフェルティティの墓と確定されたら、また新たなコトが判ってくるんだろうなぁ、と期待ビッグ。

 とんでもない金銀財宝が出てくれば、ワクワクがドッカ~ン。

 もちろん、10代末で亡くなったツタンカーメンの墓を大急ぎで造るコトになったさいの、造成上の瓦礫空間……、という結果もありうる。

 だから早く真相を知りたいワケですわ。

 ニホンでもこんな新発見があればイイのだけど、天皇陵の学術調査を国家が拒んで制限しているようなアンバイだからね~、無念というより、曖昧をアイマイのままにするこの未開、無惨なり。

 

丸山作品を観に倉敷に向かう

 

 ひさびさ電車で倉敷に向かう。

 丸山徹也作品展。

 場所は倉敷駅直結の天満屋、4階のアートサロン。ゆえに電車が都合よし。

 同行はYUKOちゃん。丸山氏の個展のたび共に眺め、刺激を共有しているデザイナー。直近で、詩人・永瀬清子生家保存会関連のラベル・デザインなど、アレやコレと意匠依頼あって、せわしなく活動されてらっしゃる。

 良いお天気。せっかくの倉敷ゆえ、直行で天満屋に入らず、徒歩にて美観地区へ。

 えびす通りを抜け、江戸時代の面影を今風の匂いで沁ませた本町通りを歩き、国芳舘に入る。

 入館料1200円。観光地価格……。けどま〜、古くて大きな規模の旅館をうまくアレンジした多数の展示室とコリのない日常照明は、悪くない雰囲気。

  

 歌川国芳の作品を眺め、しばしボ~っとする。

 顔は見えないが、国芳と彫師と摺師、少なくとも3人の巧みが念頭に浮く。浮世絵は画家だけの功績じゃないのは自明。

 くわえて版元さん。何が売れるか見極め、テーマを決めて国芳に絵を依頼して託し、たぶん、いつものコトながら期待を上廻る上出来な図絵。それを元に彫師と擦師とのコラボレーション。

 国芳の名のもとでの「編集するチカラ」を当方は感じ、匠達の速度ある力量に目映さをおぼえる。

 江戸時代、浮世絵を買った人はガラスの額縁なんかに入れるワケもない。手にとり、丸めたり、時に折りたたんだりもしたろう。

 アグラかき、サンマを箸でほぐしつつ茶碗酒を口にし、

「ここ、オモロイな~」

 箸の先っちょで絵の部分をなぞって、脂沁みをつけたりもしたろう。

 ご飯粒を糊として、破けた襖にペタリ貼っつけたりもしたろう。

 ま~、そんなもんだ。

 アートに値いする語彙は当時は固まっておらず、けれど、わざわざに買って眺めて愉しむという行為は、よくよく考えると……、極めて不思議な行動という風にもとれないコトはない。

   

                  アダチ版画研究所の写真借用

 江戸時代後期の浮世絵は大判錦絵で20文くらい。およそ1000円。

 小さい役者絵だと8文というから、屋台のかけそばの半値くらい。けっして高いモノではないにしろ、生活にユトリなくば買えないワケだけだし、江戸時代には、小遣いという範疇でユトリがあったというコトでもあるんだろう。

 買ってでも絵を愉しみたい気分とそのカタチというのが、庶民生活の中に浸透している様相が、それ以前の時代とは違っているのが面白いし、やがての近未来に漫画誌が週刊で600万部も消費されるという流れに通じると思えば、感慨も深い。

 なので今は逆に、国芳舘でのアートでございます、お宝でございますな、高尚な色で距離を置かれた感が意識され、そこがさらに面白いといえば、おもしろく、アートに向けた時代の変わりがガラスに反射し、ヤヤやるせなくもあった。

 国芳舘には当方が好む猫モチーフの絵はないけど、「通俗水滸伝」や入館チケットにプリントされる「相馬の古内裏」の実物などなど、ボリュームある展示を堪能。

 ユルユル見学し、ゆったり美観地区を歩いて天満屋に向かう。

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 天満屋4階。

 作家ご本人が迎えてくれる。

 さっそく新作をば眺める。

    

              「素盞嗚尊~神楽~」

 スサノオと八岐大蛇神話を備中神楽(びっちゅうかぐら)という芸能に昇華させた文化的香気を、赤土練って造型し、穴窯焼成した逸品。

 見事なもんだ。

 繊細と大胆が静かに踊り続ける。

 見るヒトと決して視線を合わせぬよう巧妙に仕込まれた眼の配置の驚くべき巧み。どうカメラを向けても、眼は合わない。合えば神的存在とヒトは対等の立場になってしまう。あえてのズレに神楽における神々しさを丸山氏は意図したのだろう。

     

                   背には鷹

        

 神話的香りと寓話的香りが巧みなワザの中に合体し、根を下ろして、高貴な品位を放っている。まったく見飽きない。

              「温羅〜鬼ノ城城主」

 高温で焼かれて溶出した薄浅黄(うすあさぎ)というかサックスブルーというか、独特な輝くブルー色をこの写真ではうまく捕らえられなかっが、常のコトながら創作された人物の眼が、すばらしい。

 はるか遠方を見るような、憂いと憂愁がからんだような、優しいような険しいような深淵があって、感嘆に輪がかかる。

 岡山県総社市でのウラ伝承と、同地のキノジョウ(飛鳥時代の史跡)のそのトップをリアル想像再現という試みが、鋭く、かつ頼もしく、このヒトと話をしたいような気になって、面白みも高い。

       

             「織火~after all~」

 木彫り作品。これまた大胆な構図。人物が宙に浮くカタチにしばし、眼を奪われる。

        

 下方から見上げると、人物の素足が見え、「あらま〜」と妙味にしばし息を吞まされた。

     

 1時間ほどかけて、溜息つきつつジックリ鑑賞し、サロンすぐそばの喫茶で歓談。作家共々に天満屋を出ると、まこと見事な神話的夕景。

 当方、倉敷での飲食店といえば「梅の木」くらいしか知らないし、丸山氏も馴染んだ店がイイという次第で、氏の愛車で岡山市へ移動。

 親しんだ座敷席にてくつろぎ、お願いしていた鍋をつつく。

 美味い。

 この良き店「たかちゃん」は2号店というか別店の運営準備中。そのショップ・カードなどなどのデザイン・ワークはYUKOちゃん。

      

 老齢な当方としては、丸山氏、YUKOちゃん、たかちゃん、個々のフィールドでパワーを発揮しているのが目映く感じられ……、羨望し、かつ発奮させられる。

     

          丸山徹也作品展「木と土 ~造型と器~」

          倉敷天満屋 4階アートサロン

          10月12日まで

 

歌川国芳

 

 1990年代頃から歌川国芳の浮世絵は注目度合いが増し、脚光を新たにして今に至っている。

 京都市京セラ美術館ではこの前まで、およそ300点を集めての展覧会を開いてた。

      

 幸いかな、倉敷市には2021年にUKIYO-E KURASIKI /  国芳舘がオープンし、高名な幾つかの作品に直に接するコトが出来る。

 近いので都合良しなのじゃ~あるし、倉敷観光のポイント地点の1つとして素晴らしいロケーションでもあるけど、国芳と縁ある地でもなく、客寄せ的、便乗的浮世絵収集という感も拭えず……、やはり本でもって作品に接するというのが1番に気持ちがラクっぽい。

 

 けども今までアレコレ本を買ったものの、満足するかといえば、そうでない。

 本のサイズ、編集スタイルなどなど、気に入らない。

 多くの場合、部分が強調され、アップはあれど、逆に全体はよく判らない、ましてやオリジナルのサイズも明記されておらずで、ページをめくってく内に、編集者の気分は判るけど、いささかウザッたい感じが濃くなる。

 要はこちらの感じ方が制約され、国芳の眼ではなく、編集者の眼を通しての鑑賞というトコロに堕ちてしまうんだ。

 まして加えて、本のサイズが小さいと絵の魅力も小さくなって、2重にヨロシクない。国芳の洒脱や粋を謳いあげるのに反比例し、本の大きさが魅力を阻害する。

 そういう点では、美術館が展覧会を催すさいの図録は、イイ。

 概ねが大判だし、作品そのものを紹介するという基礎がしっかりあって、編者の妙な意気込みとかがなくって、落ち着いて眺められる。

 当方が持っているのは1996年の大規模展覧会での図録で、紙質もよく、ま~、これで充分と云えなくもないけど、この前まで開催の京セラ美術館での図録も眺めてみたいとは……、チビッと思う。   

      

                    猫の当て字 ふぐ

 国芳の絵が気になり出したのは、自画像が常に背後から描かれ、顔を見せないトコロあたりだったかな。

 シャイなはにかみじゃなく、斜(はす)に構えているとも見えるし、逆に羞恥含めた照れのようでもあり、一方では着衣のサイケデリックにも印象深かった。

 自身の背中までキャンバス化した背後には当時の刺青文化があるのだろうけど、この大胆な颯爽には感じいらされた。

    

 常に猫がいる。

 彼の描く猫たちの姿カタチが、ただのかわいい猫じゃないトコロが1番にチャーミング。

 どの猫も凄みがあり、かといって凄みだけじゃ~ない「何かの愛嬌」が浮き出て、それが斜め背後からの肖像と重なって、絵そのものを、作者そのものの印象を、こちらに刻印してくるという次第。

 凶作により米価高騰が諸物価にまで及び、国内治安を保持せんと江戸幕府はあれこれ施策するが、老中・水野忠邦の政治姿勢は愚の骨頂。

 歌舞伎役者の追放やら浮世絵に描く内容までを検閲し出版取り締まり。時に江戸追放を命じるという馬鹿げの極み。

 国芳とてその影響下。

 歯ぎしりするような難苦を味わったろうが、文句云われないであろう新たな描写でもって、官僚政治に刃向かった。レジスタンスを顕わにするというコトじゃなく、絵を描くという職を守りつつ妥協ではない作品を生み続けた。

 そのあたりが今となっては「凄み」と映る。

 しかし、数多大小の本より、国芳の絵をプリントした手拭い1枚の方が、濃く、強く、訴えかけるようなトコロがあって、

「本が手拭いに負けてらぁ~」

 苦笑したりもするのだった。

   

 アートとして構えるコトなく容易に手で触れる感触が、そのサイズと相まって、皮膚感覚として浸透してくるので、逆に国芳作品を意識出来るのだった。

 カルチャーそのものを副次カルチャーが補強するというか、手拭いという仕立てが還って国芳の絵の魅力をステップアップさせるみたいなアンバイに好感する次第。

 とかいって手拭いを集めたりはしないけど、国芳といえば、我が手元のこの1枚が最初に念頭に浮くのだった。

 ちなみに、手拭いは端を縫わず、切りっぱなしが本来の姿らしい。

 あくまで実用のモノゆえ、乾きが早く、何ぞあれば即座に裂いて使えるというカタチがイノイチバンらしく、そこがハンカチやタオルとの一線となる……。

 当方が持ってるのは縫ってあるから、チッと残念。

 左3点はいずれも縫い目なき、いわば本格様式の手拭い。