点描

 

 1月半ばにたつの市イトメン本社直売所で買った「チャンポンめん 海鮮風とんこつ」を、ようやく食べる。

 豚骨味を前面に出したものと想像していたけど、同社チャンポンめんの滋味をより切れある味わいにした感じで、やや意表を突かれたけど、美味しくいただけた。

 馴染んだ滋味の強力装甲バージョンみたいな感触を受けつつ、お汁までぜ~んぶ平らげご馳走さんでした。プラスで稲荷も1つ。

 次回にたつの市に出向いたら、これをまた買わねばと欲をうごめかせた。

 _______________________________

 

 近年、大部の著作「日本のブリキ玩具図鑑」(創元社刊)を上梓した大阪ブリキ玩具資料室の熊谷信夫氏より、冊子がおくられて来た。

 大正時代の初期、四国高松で郷土玩具と人形のことをコツコツと調べたりコレクションの展示会を催した女性(安井齢子さん)がいて、彼女は「趣味のおもちゃ」なる、500ページを越える手描きの記録を残している。

 熊谷は、複数年に渡って高松で開催のその展示会での写真や手描きの記録を入手したようで、後世に残さねばと……、まずは冊子によって、その存在を知らしめ玩具文化というカタチを継承しようとしているのだろう。

 実に良いことに思え、15ページほどのこの冊子の写真をば、しげしげ眺めた。

 地方での玩具資料というのは、アンガイとない。皆無といっていい。オモチャというカタチは文化的財産とは見なされず、記録されることはなかった。

 それが500ページ越えの記録として記されているのだから希有にして貴重、熊谷が身を乗りだした気持ちはよく判る。

 大正時代の崩し字と旧仮名遣いは、今となっては立ちはだかる険しい山のようなもので、それを現在の言葉に交換する作業は容易でないだろうけど、文化史への大きな貢献となるだろう。

 元来なら、地域の図書館やら行政の文化部門が関与すべき事案に思えるけど、それを一個人が進めようとしている熱情にアタマがさがる。

 _______________________________

 

 最近やたらにヒンニョウぎみで、3時間を越える映画となると……、映画館に出向くのが躊躇される。

 29日公開予定の『オッペンハイマー』は早く観たいとも思うものの、中座してトイレに駆け込むようでは落ち着かない。不憫だなぁ~。

 この3時間越えの映画に関しては、試写会で接した方々より、広島・長崎が描かれていないという批判があるようだけど、はたしてどうか?

 その視点とオッペンハイマーへの視点は、同一線上にあるものだろうけど、1本の映画の中に幕の内弁当みたいなボリュームを望んでも詮無きことのようにも思える。

  おそらくは、監督のノーランもそこは悩んだはずなのだ……。

 ま~、観ずしては何も語れないんだけど、原爆の父という名で呼ばれてしまったヒトの葛藤を描いた作品が大きな賞を得たことが感慨深い。

 必見だねぇ。

ゴジラ-1.0』」と宮崎作品の受賞も喜ばしい。

 かつて『ALWAYS 続 三丁目の夕日』での山崎貴監督と白組による巻頭のゴジラ・シ〜ンに脱帽し、そこを観たいがゆえに2回映画館に出向いたコトもあって、なので余計に喜ばしい。

 

 クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』の次回作は、かの『プリズナーNO.6』 らしいというハナシがある。

 ただのリメークなら興醒めだが、このハナシが現実化するなら、パトリック・マクグーハンの編んだ、あの驚くべきイメージをさらに大きく越える作品として登場して欲しいと願う。

     

 _______________________________

 

 過日に画廊で会った丸山徹也氏より頂戴したテレビ録画のブルーレイ。

 NHKの番組で、黒澤明と能についての番組だったのだけど、安田登がインタビューにこたえているのには驚いた。

 この映像を観るチョイっと前に、氏の本を読んでいたので、このタイミングでこう来るかぁ~、と偶然に輪がかかり、当然に驚きの輪がでっかくなって、

「わっ、わっ!

 2度ほど、吠たえてしまったがや。

 安田の文章は明晰で確固としていて、能をこれほどに言葉として紡げるヒトは希有だなぁと思っていたけど、インタビューでの彼は想像した通りの明快さで、明解に黒澤の中の能を語っていて、とても勉強になった。

                番組中の下掛宝生流能楽師・安田登

 

 映画『乱』は公開当時に映画館で観たものの、なんだか顔作りやアレコレ大仰だなぁと思い込んでいた。けども、こたび丸山から頂戴した番組録画でその景観は一変。

 再見しなくちゃいかんなぁ、能表現を映画という表現に合致させようと挑戦した黒澤明の果敢に、今になって拍手をおくりたいような次第なのだった。

 

 同日にはYUKOちゃんより、岡本太郎関連の古いTV録画をDVDに焼き直したレア映像も頂戴しているけど、美味しそうなモノは後で味わう方なので、まだ観ていない。

 _______________________________

 

 経済評論家の森永卓郎氏はミニチュア・カーのコレクターでもあって、その一部が倉吉の「円形劇場くらよしフィギュアミュージアム」で展示された昨年だかに見学に出向いたことがあったけど……、その森永氏は末期のガンで闘病中。

 本人も遺作となると心決めているらしき本が出たので買って、読む。

 森永は、元日本航空アテンダントで退職後に東大にはいって今は教授職に就いてらっしゃる青山透子(とうこ)氏の本『日航123便 墜落の真実』に触発されて以後は、この墜落事件の真相を追って、青山女史同様に陰謀論だの馬鹿げているといった誹謗にめげず記述を続けてる。

 なるほど読めば読む程に、御巣鷹山に墜落した日航機事件は不可解が極まり、愕然とさせられると同時に恐怖をおぼえさせられる。

 日本政府が米国追従一辺倒となっていく経緯も、本事件が基点となっているらしきを森永は本で伝えようとしていて、オモシロイと云ってしまうとペケだけど、「?」と「!」が湧いては弾け、弾けては湧いてきて、多数の犠牲者が出た惨劇だというのに、ほぼ徹底された真相究明の遮断というのが今も続いているらしきコトに驚愕させられる……。

 一歩足を踏み外せばトンデモ本と烙印されておかしくない状況ながら、真相に迫れる数多の目撃談が封殺され無視されたまま圧力隔壁の破損というコトに話が導かれ、いまだボイスレコーダーの記録すら公開拒否(昨年6月での東京高裁判決)という流れと、その流れのさなかで隠蔽され続ける真実との、まさに“圧力隔壁”的な分断の厚みに唖然とさせられ、読了後にグッタリさせられた。

 闘病中の森永氏にはエールをおくりたいが、ギャグを好む方だから、こういうのもいいだろう。

 

丸さん・金杯・チャギントン

 

 過日、岡山電気軌道清輝橋線に乗っかって大雲寺前まで行く。

 どこをどうまさぐっても、過去、この路面電車に乗った記憶がない。

 東山線は頻繁に乗っているけど、なが~く岡山市に住まっていながらこたび初体験の清輝橋線。こういうコトもあるんだなぁ。

 

 で、大雲寺前から数分歩いて、ギャラリー108に行く。

 グループ展が開催されていて、友人の丸さん、丸山徹也が幾つか出品している。

 それを見に出向いたワケ。

 昨年に彼は表町の画廊アンクル岩根のギャラリーで個展(正しくは2人展)を催し、当方は惹かれた陶芸小品を一点買い求めたけど、こたびも陶芸に加えて木彫り作品を展示するというので楽しみに出かけたワケだ。

 多数の作家さんが参加というカタチゆえ、出展数は少ないけども、1年ぶりの彼はあいかわらずの元気印でハツラツ炯々として、喜ばしい。

    

 桧を削り、丸め、部分を磨き、部分に彩色施した見事な作品。

 タイトルは「新世界より」。

 一見は牧歌的ではあるが、共生か、こういう生体か、樹木めいた諸々を生えさせ、背には髑髏あり。頭頂にカエルのようでカエルでない生き物を置いて何かに耳をすませる人類の末裔?

 不思議な姿に、前回に鑑賞した作品同様に、しばし固唾を吞むような思いで凝視した。

 カタチの中にストーリーが潜んでいる。

 遠い遠い幻影的な未来の1シーンが確固としたカタチになって今現在に立ち現れただけでなく、この木彫りの中で物語が進行しつつある。

 

 貼り合わせでない、彫刻作品とした、製作中の集中と慎重が眼に浮かぶ。

 粘土造型ではやり直しが可能だけども、木像彫刻はやり直し不可の大勝負。

 ましてや、写真の通りの繊細で大胆な造型……。

       前回、昨年3月に表町の画廊で展示された作品「新世界よりⅡ」の顔部分

 

 こんな作品たちを眼の前にすると、アタマが下がるというか感嘆に痺れ、眺めているだけでデッカイ至福にくるまれる。他の方々の作品群はカタチもおぼろと化し、ただもう木彫り作品だけがギャラリーの玉座位置に鎮座す。他の作家さん達には申し訳ないけど、そう感じたんだから仕方ない。

 

 こたびは、漆塗りの作品も展示していたけど、ウルシの奥深さを探る習作という位置づけのようなので、それにはカメラを向けなかった。

 でもおそらく、来年あたりの個展なりグループ展で、いっそう跳躍した木と漆による新作を観ることが出来ようと、楽しみが1つ増した。

 作家自身も漆の性質に驚きをまじえた可能性を見ているようで、そこも頼もしい。

 今回イチバンに感心を寄せた陶芸小品は、この写真の、金魚をモチーフにした女性像。

 静謐な優雅が髪型に集約され、それが金魚の肢体がごとく後ろになびいているカタチに、感嘆させられた。

 彼は、彼の中で醸造される発想のコトを「妄想」とよんで、クスクス笑うけど、いいぞいいぞ、もっともっと妄想に耽って頂戴とエ~ルをおくる。

 

 こたびは、ジャズフェスのTシャツやら、秋本節のCDジャケットやらやらをデザインしているYUKOちゃんと共に探訪。

 画廊は6時までなので、やや時間が早い。プチパインはまだ開いてないし、この時間で開けてくれそうな店は岡山駅前のタカちゃんの店しかない。

 電話してお願いし、3人ともども移動し、お酒と美味い食べ物でお腹を満たす。

 

 で、その場でYUKOちゃんより、思ってもいなかったモノをプレゼントされビッグに狂喜。

 な~んと70年万博で売られていた24K GPの金杯セット

 箱に貼られた証紙も劣化少なく、当時をしのばせる。GP表記なので、純金でなく金を含んだメッキという位置づけになるけど、輝きが素晴らしい。

    

 彼女は70年万国博覧会以後に生まれたヒトじゃあるけど、ずいぶんと前から、同博に羨望の眼を向けていたようで、太陽の塔が改修される前の2003〜2007年に抽選で当たったヒトのみ入場見学出来た塔内も見学している。

 狭き門を突破。傷んでいるとはいえ、1970年当時の姿をマノアタリにしたワケで、これはとても羨ましい体験だ。

 で、そのさい関連施設の特売でご自身が入手したこの稀少なグッズをば、こたび古希を迎えた当方に贈ってくれた次第なのだ。

  

 ゴム版画で刻印の「祝こき」もシャレてる。古希でなく、コキでもなく、「こき」がいいのだ。

 古希ではいかにも古びた印象が先立ち、コキでは敬意が失せて軽すぎる。彼女はおそらくは、そのあたりを熟考の末でひらがなを選んだのだろう。

 あ・り・が・た・い。

             昨年10月29日の太陽の塔

 同日の塔内。2006年頃にYUKOちゃんが体感した塔内はこんなカラフルさはなかったよう思えるけど、よりオリジナルな空気や色彩を味わったという点がとても羨ましい

 

 ともあれ、嬉しいったらなかったなぁ。

 かくなる上は後日に膝つめあわせ、70年万博バナシの四文字固めで、太陽の塔談義の花咲か爺じぃ~と化してやろうとも思うのだったけど、この日はヤヤ早く起きていた関係でオチャケの酔いが早くって、いけねぇ~、会話中にマブタ下がって眠りモードに落ちちゃった。

 やむなくタカちゃんにタクシー呼んでもらい、早々の退散という次第になって丸さんにもYUKOちゃんにも申し訳なかったけども、やって来たタクシーに、

「あっら~!」

 一転、一瞬に眼が醒めちゃったわ。

 つい最近に両備グループが導入したチャギントン仕様車だよ。

 よもやこのファンタスティック(笑)な車に乗ろうとは夢ユメ思ってもいなかったんで、

「なんだかメチャメチャ良い日に終始したなぁ」

 丸さんとYUKOちゃんとタカちゃんが手を振るのを後方にしつつ、

 充実

 の一語を点灯させるんだった。

 ……乗った感想としては、ま〜夜でよかったなぁ〜というコトかいねぇ。

 昼間、こき迎えたオトコがヒトリ乗ってる図となると、ヤヤ滑稽な気がしないではない。

 けどま〜、タクシーというのは、目的じゃなく、あくまでも運んでもらうための手段ゆえ、万が一、白昼にこれと遭遇してもコチラから乗車拒否なんぞは断固しない。

 

 

無能の人

 

 過日、郊外の大型総合スーパー、東区東平島の「ゆめタウン 平島」に出向く。

 入店するのは10数年ぶりかいねぇ。

 外観は変わらねど、テナントは色々と変わったようで、フジヤのケーキ・ショップもある。

 昨年にオープンしたようで、普段は率先して甘いモノを買ったりはしないけど、綺麗にレイアウトされたフジヤ・ブランドに興をひかれ、ドラ焼きなんぞを手にする。

 ポコちゃんが刻印されたのや、ペコちゃんのも買う。

 気持ちよい応対のフジヤの後、1階食料品売り場を一巡して、晩のオカズのシシャモなどアレコレ買い求めたけど、値札が手描きのモノが多く、それも急ごしらえっぽくて、判りづらく、かつ貧相にも見えて、

「何でや?」

 訝しみつつ、

「ドンクサイなぁ……」

 と、ひそかに悪態をついてしまった。

 でも、翌々日だかの新聞の折り込み広告を見て、合点した。

不正アクセスによるシステム障害

 が原因なのだった。

 告知の文字を見て、なんともはや、悪態気分を湧かせて申し訳なかったなぁと心の内で平謝り。

 

 事件は2月15日に発生し、復旧予定は5月1日と書いてある。

 かなり大規模に、壊滅的にヤラレているんだろう。

 平島店だけでなく、邑久店や福山店など全国191店舗が同じ状態らしい。

 見ず知らずの何者かが同社のメイン・システムに入り込み、大事なデータを勝手に暗号化してアクセス不能にし、復旧させたいなら「身代金」を払えというランサムウェア攻撃だったよう想像できるが、そのあたりの消息は報じられていない。

 国内からの攻撃か他国からの攻撃かも判らないし、警察も動いているとは思えるけど、容易でない事態が進行しているのは判る。

 

 システムが機能不全なら、値札表、バーコード、レジ、会員さんのカード発行や割引、ポイント、などなどなど一切が連動していようから、お~ごとだ。

 ゆめタウンを経営のいずみグループの首脳陣は胃がデングリ返る暗澹たる思いに違いない。

 けどイチバンにナンギしているのは店頭にいるスタッフの皆さんだろう。

 値札を手描きし、閉店後の決算も、コンピュータなら即座ながら、人力で集計し、何度も引き算足し算繰り返し、四苦八苦で危機に対応しているんだろう。 

            

      

 チョイっと昔、ブルース・ウィルスの『ダイハード4.0』では、社会インフラの大基盤たる交通システムやら電力供給システムに侵入して勝手放題にメチャし、莫大な金銭を巻き上げようとする悪辣なグループが出てきて、その主犯が元国防省のシステム設計者だという、笑うに笑えない状況を描いてたけども……、そんな映画的な事件がごく身近で起きているようで、ホント、ナンギな世の中になっちまったですねえ。

 むろん映画では、ブルース演じるマクレーン刑事が悪漢をコテンパンにやっつけるけども、現実は、泣きっ面に蜂のテンデワヤに終始しているのではなかろうか。

 コンピュータとそのシステムは明るくて健全な生活の基礎基盤であるハズが、屋台骨を揺すぶられているワケで、ゆめタウンのスタッフ一同の歯ぎしりと口惜しさに大いに同情する次第。

 

 歯ぎしりで思いだしたが、最近、やたらに眼につく岸田某の顔……。

 いずれのメディア写真でも、口元にチカラ入れて食いしばったような顔が登場し、この造った顔がとても滑稽で、すこぶる可笑しい。

 

 何ぞヤッてます、決意してます……、という次第の彼なりの表現なんだろうけど、どれほど駄目な三文役者でも、ここまで造った顔は見せまい。

 不自然の極致というか、能力の低さを顔で隠そうとしている稚拙が浮き出て、逆に哀れ。

 

 という次第の流れじゃないけど、つげ義春の『無能の人』を久しぶりに眺める。

 河原で、河原で拾った石を売る主人公。

 当然に石は1つも売れないワケで、バカにされる。

 主人公には妻子もあり、妻はパートで働き、そこそこ生活してもいるワケで、拾った石を売る必然は薄い。

 が、そうであっても、小屋とも云えない“店”の軒下でジッとうずくまっているその彼の姿に……、その心の内に……、入っていきたいと読み返すたびに思う。

 彼はけっして岸田某めいた造り顔で繕ったり出来ない自身のカタチに怯え、結果、寂寥をも羞恥をも勝手に背負ってる。

 社会という集団での営みの中で、彼はいっそ「無用のヒト」というポジションに自身を置いてしまっている。

 が、その要領の悪さを悪さと言い切れない。むしろ読みつつ、その不器用に共振してしまう。

 河原にいる彼に魅力を感じるのは、多感ゆえの、詩人過ぎるヒト、という一点が灯っているあたりか……。 

 主人公は悲哀を存分に判っていつつ無能レベルの場に身をおいて途方にくれている。

 そこに疼かさせられる。

         

 なので、

「ふ~っ」

 溜息ついて……、ノ〜ナシにも色々なカタチがあるんだなぁ、と感慨するんだった。

 無能だの無用というレッテル貼りはいけないのかも知れないけど、我が事を含め、いやいや、ヒトゴトでなく己のが身のコトをば上流において、いささかの明暗の点滅をば意識しつつ、もう1回読み返すべきかな、「無能の人」。

 読むたびに、ヤヤ疲れるんだけども……、惹かれ続けてやまないんだから仕方ない。

(C)つげ義春 日本文芸社

うるう日

 本来は3月1日となるハズが、今年は4年に1回の閠年(うるうどし)。

 その当日の閠日29日。

 日本の今の漢字表記ではではなくと書かれるので、ここでも準じて閏と書く。これを読むデバイスによっては閠も閠も同じ表示になっている場合もありますので念のため、画像として下にも置いておく。

 うるう年2月は、1日のびるので、損な思いとなるか得な気分になるかは知らんけど、べつだん支障なし。

 ま~、この29日に生まれたヒトのみは、来年は28日が誕生日となるので、1日早くバースデー・ケーキに接するから、得したような感じと損したような気の狭間で肩先が揺らいだり、憮然としたりするんだろうけど、ま~ま~、仕方ない。

 しかし、うるう年の「閏う」っていうのは、いい語感ですなぁ。“潤う”に同じく、チョイっと満たされるような感じがなくはない。この日を設けるコトで天体運行と暦のズレを修正し、日々の潤いを正常に戻すという次第だ。

 

」は日本国語大辞典にもある通り、「」を書き誤った漢字らしいが、そのまんま使われ、定着したらしきで、これはすこぶる、おもしろい。

 時期はいつ頃かしら? 紀元前1000年頃の西周王朝の頃には「潤月」と書かれているらしいから、それ以後か?

 綴り間違ったゆえ逆に印象がよくって、漢字として独立したというのがオモチロイ。

 その時点までは、「」という字はないんですわ。

 以後、概ね暦に関しての単語に使われる。

 閏正月 (文字通りの閠年の正月)

 閏名月 (閠年8月の満月)

 閏同士 閏年、閠月に生まれた男女は別格に仲が良いという意味)

 閏位  (正統でない天子の位)

 閏秒  (精緻な原子時計と閠日の微少だが大きな差となる秒差を修正するさい使う

 閏月  (文字通り)

 閏月役 (うるうづきやく - 中世の閏月役にあった閏月のある年のみに加えられた課税)

 閏賀  (うるか - 揖保川上流の一地域名)

 したがって、当初使った「潤う」にある“湿り気”や“濡れた”感触は、「閏」には含まれない。

 かっちり独立一歩立ちした漢字になってるわけだ。

 

 けども、ただ1つヘンテコな使用例がある。それも岡山県に。

 岡山県の一地域では、

もう閏うた

 という言い方が有り、これは「もう飽きた」というコトらしい。

 わざわざ辞典に記載されている。

 けど、当方、県北にいた頃も県南に引っ越してからも、ついぞ聞いたことがない。

 ま~、でも掲載されているのだから……、過去には使ってたんだろう。

 深掘りしてみるに、悪い使い方でもないような気がしないでもない。

 充分に潤ってもう満足、それ以上はもうイイヤって~感じを漢字として「潤う」でなく「閏う」としたあたりに、ウエットでなくドライな、シャレっ気めいた気分を反映させたように思えないでもない。

 希有な例のようだから、その地域が特定出来るなら、「閠うた祭」とか称した地域お越しのイベントも出来そうだけど、ま~、そんなこたぁ~どうでもイイ。祭でのみ売られる「閠うた餅」を考案したって良いが、べつだん喰いたくもない。

 

 ともあれ、はるか昔々に、4年に1回の2月の追加デーを「潤日」でなく「閏日」と記したのは、印象操作という点で、実にまったく興味深い。

 いっそ、意識的だったんじゃないかと愚察するわけだ。

 だって、「」を書くには、まず左側の“さんずい“から書き出すのが通常であって、それをスッ飛ばすというのはありえないコトで、これは意識的に省いたとしか思えないんだよ。

 誤記ではなく、意識的な創造としてだ……。 

 きっとホームズもポアロもそう推理するであろうハズで、となれば、誤記ではなく、あえて、誰かが……、確信犯として新たな漢字を造った、そう企てたと、いう以外に答がないじゃ~ないか。特別な日を特別でもない潤と書くと“特別感”がないじゃ〜ないか……。

 

 であるなら––––––、それは昔々の中国の科挙で選ばれた官僚が、国語を担う上級官僚の誰かが、「潤」の“さんずい”は液体やら水に関しての部(海、湖、池、河、渚、汁、沖、汐、沁、泳……)ゆえ、そぐわんだろう。いささか乾いた語感として、満たすべき日「うるう日」をどう記したらイイかと思案の末に、あえて、“さんずい”を取っ払い、誤表記と笑われたり責められるのを覚悟の上で「」なる字を、でっち上げたんじゃないかしらん? 

 であるなら––––––、勇気ふりしぼった英断だったなぁ~。後世には「誤記」とされてしまったけど、デッカイ跳躍をやらかしたヒーローに価いした人物がいたんだなぁ。あるいは官僚グループがいたんだなぁ。

 と、ま~、そんな突飛な空想でニヒヒっと笑う……、閏日のわたくし。「うるう」の一漢字成立の遠い昔々にメダマの焦点を持ってって、4年に1回のこの日への敬意を湧かせつつ、こうして書いてるんだった。

CMYK

 

  過日、2日半ほどブッ続けの雨模様。倉庫を片付けようと思っていたけど、外に出るのも億劫。

 丸3日、部屋に垂れ籠め、何冊かの本とDVDを眺める。

 大昔30代前半の頃だかに買った古い映画ポスターを紹介した輸入本を久しぶりに取り出し、今とは異なる、色使い、当時の文字のカタチ、構図、配置などなどに小さく感嘆する。

 それらをそのまま現在の映画に適用は出来ないけど、それがゆえ逆に、その味わいに親和させられた。

 去った時代のモノながら、古びず、退色せず、とてもグッドな味わいの数々。

 

 で、フッと思い起こし、パンナムの1960年代頃のロゴのことを調べ直してみるに、米国企業の社名ロゴについての詳細資料をネットでみっけた。

 前々回の記事に書いた通り、映画『2001年宇宙の旅』で使われた宇宙船側面のパンナム・ロゴは1957年に一新(それまでにもアレコレのデザインあり)されたモノなのだけど、これの色についての記述というか、印刷のための色指定をみつけたワケだ。

 表記によると、16進数での色指定は「#2b67ac」であり、CMYKカラー分解での指定は「70 40 0 33」とある。

 これはラッキ~。

 パンアメリカン航空のロゴ色が、これでハッキリしたわけだ。

 1/72スケールというでっかい模型製作にまもなく着手しようとしている身として、このカラー指定はとてもアリガタイ情報だわさ。

 一般には「ラピスラズリ」という名で知れた青色だ。 

 青色というだけでは、薄いのやら濃いのやら、絶妙な色調が多々あって、ホンモノの色というのは見いだしにくい。

 それが「ラピスラズリ」であり、印刷するならば4色分解での指定数「70 40 0 33」、シアン70%・マゼンダ40%・イエロー0%・キープレート(黒)33%、であること必需というポイントを押さえられたのは、嬉しい。

 

 さっそく過日に造った模型用デカールの版下を修正。パンナムのロゴは1色のみなので、作業楽勝。指定色に変更のみ。

 80年代末のホノルル空港のパンナム・ショップで販売されていたマグカップの、そのレプリカを持ってるけど、このヤヤ薄っぽく見えるのが正当色なのだね。

 

 事のついでだ……、1/72のオリオン号の内部パーツを造る。

 運転席じゃなかったコクピット部分と客席部分を構築し、以後の作業に備えようという魂胆。

 本体に組み込めば、ほぼ95パーセントは見えなくなるけど、見えない場所にあるべきモノがちゃんと有るのがイイのだ。

 見えなくば造る必要なしというのが「合理」って~もんだが、模型は合理の産物じゃなく、いっそ合理主義的指向を「理不尽」なものとして哄笑する位置にあるような気がしないではない。

 見えないからジーンズの下はスッポンポンじゃ、居心地悪いじゃないか。

 

 映画のシーンを眺めるに、客室の前面にもう1部屋あり、さらに奥側にハッチがあるのるが判る。

 サービス提供のための乗務員室らしき空間がチャンと描かれているワケゆえ、見えずとも……、そこも造っておく。

 パーツを改造してハッチ部分をカットし、その向こうに小ルームらしきがあるのを“再現”しておく。

 ギャレー(調理室)機能もある部屋だろう、と想像しつつ、ではオリオン号ではその設えはどのようなものかと思いをめぐらすのは、た・の・し・い。

 この新造作業は、2日半の雨のおかげかな?

 と、それにしても映画製作時には液晶モニターは存在せず、液晶という性質の「概念構築とその実験」という段階だったはずなんだけど、早やこの映画の、この宇宙旅客船では、椅子背面に個々のディスプレーが描写されているワケで、1席ごと塗り分けつつ、あらためてその先取に鮮烈をおぼえさせられた。

 

 次いでコクピット部分も造型。

 Piers Bizony著の「2001 Filming the Future」に撮影当時のオリオン号コクピット・セット図面が掲載されている。

 これを参考にしつつ、キットのパーツを活かしつつ、アレンジを加える。

 椅子の1つをあえて後ろ向きに配置し、テーブルめいたモノを置いてみたりする。60年代だから天板はややチープな木目調プラスチックっぽくに……、などと思い描きつつ工作。

 

 LED電飾を考えているから、まだ貼り合わせ出来ないんで、天井などは後回し。

 工作はここまで。

 毎度のことながら、作業後のビールがうまかったぁ。

 まだお昼の3時前だ。

 クピ~っと500ml缶吞み干し、シュポ~ンっともう1本あけちゃうさいの気分良さたるや、昼下がりの情事っぽい、ウフフって〜な背徳味。

 

   ———————————————————————————————————

    

 余談ですがぁ〜、映画『キングスマン ゴールデン・サークル』に米国のバーボン製造企業「ステーツマン」を装いつつ実は正義の秘密組織というのが出てきて、その本社ビルも画中に描かれてるけど、このビルが実は、パンナム本社ビルなのだった。

                   劇中でのビルディング

 

 もちろんパンナムは今はなく、現在のビル所有は生命保険会社MetLifeなんだけど、1963年にパンナムが建てたまま今も活用されているのが……、いいな。

       

                       現在の姿

 日本だと、60年代のビルなんて「再開発」の名のもと、取り壊されてしまうのが常だけど、残すべきを残す文化土壌が養われ更新し続けられているのが、羨ましいな。

        

 1963年にオープンした頃のパンナム・ビルディング。ロゴ部分以外ほぼこのまま活用されているようだ。いいねぇ。

 なるほど日本は、法隆寺だの東大寺だのは大事にしてはいるけど、近代のモノに関しては「消費」という経済的原則のみで駆けてて……、いけませんなぁ。

 黒川紀章のカプセル・ビルも壊し、明治に植樹された森を捨てようとしたり……、そんなコト続けてちゃ後世に何も伝わらないし、文化継承という基礎の土さえ痩せちまう。

 100年先には、

「2024年前後の日本は目先利潤のみの、不毛時代だった」

 と嘲笑されるぞ、きっと。

 

 

10ヶ月ぶり秋本節

 

 馴染んだ店で馴染んだミュージシャンのライブ。

 10ヶ月ぶりの秋本節(たかし)のギターと歌。

 同じ店、同じ場所で昨年末に堪能したDATE SOLOライブ以後、ナマの演奏を聴いていなかった。

 ま~、そんなもんだ。

 DATE氏のライブでは清涼な湖に身を浸して活力を頂戴するような充足と満足があったけど、こたびもまた、乾いた皮膚に潤いがもたらされ、

「ふふふっ」

 当方ひそかに、喜色を浮かせ彼の数多のバラードに耳をかたむける。

 1月はなぁ~にもナマで聴いていないけど、年末時とこたびと、まことに美味しい馳走を連続で味わえた至福にひたるんだった。

 当然にご両者のキャラクターは違うけど、その違いが旨味というか、味わいの芯。そのヒトの姿カタチに萌える。

 比較としてではなく、好感寄せているミュージシャンの演奏をナマで聴けるその幸に、身体もココロも悦んでいるんだった。

   

 終演後は階下に下りての打ち上げとなるけど、そのさいはいつも、演奏をおえたばかりのミュージシャンと、どのような距離感をからませて喋るべきか……、考える。

 ステージから降りたばかりできっとくたびれているハズだし、チャプチャプチャプとこちらの思いを告げて自己満足って~のはイカンだろう。そう常に警戒というか戒めというか、意識的に距離をあけておこうとしている自分がいる。

 エネルギーを放出したミュージシャンと、エネルギーをもらったオーディエンスとの区別を、その場ではキチリ仕分けておかなきゃ~ミュージシャンに申し訳ないと思っている。

 ま~、その頃合いがいまだよく判らんのだけど、ともあれ、楽器を鳴らし歌声を披露するヒトに向けての憧れがボクには強い。

 羨ましい……、のだね。真似できない高みにミュージシャンはいるワケで。

 さらに加えて申せば、たとえばこの秋本は29年前の1月17日、住まう神戸で激震に見舞われ、かろうじて家から脱出し、眼の前の凄惨な光景に息を吞んだけども、その悲痛を越えた、あるいは越えるべく意識を内から外に向けた辺りから彼の曲は変化し、平易なラブソングではなくなって、より浸透性の深い愛の唄に変化しているようだ……、と当方ひそかに勝手に考察なんぞしちゃったりして、そんな風に考えさせてくれるシンガーという存在に興を惹かれてもいる。

 

 ま~、そんな理屈はどうでもイイか。ハッハッハ。

 ともあれ数時間、好んでいるミュージシャンとすごせる至福は何事にも代えがたい。打ち上げ時の差し入れ、M.Wakameちゃんのポテトサラダとキモ煮もメチャな御馳走でござんした。

   

 ロシアのナワリヌイ氏の不可解な”突然死”や、ミャンマーの非合法政権による徴兵制発動での若者洗脳化、などなど、いまだ人類が中世だの戦国時代だのの暗澹真っ暗な中にあるコトを証しているようで、ニュースが耳にはいるたび、いよいよこの浮世が嫌になっちゃうのだけども、音楽は、嫌になっちゃう時代の中でほぼ唯一の光明のような気がして、いけない。

 政治的空気の中の小汚い戦慄の、その真反対な美しき旋律のみが、今のところは唯一のヒトをヒトたらしめる奏であり、砦なんだろう。

 と、ま~、そんな思いに駆られもしつつ、身近にいてくれるミュージシャンズに濃い有り難みを感じている今日この頃。

2001年宇宙の旅:Orion Ⅲ

 

 ご近所のラブリ〜・タケちゃんがくれたチョコをありがたく囓りつつ、さて本題。

1月末頃だったか、眠ろうとして眠れない晩があり、羊をかぞえるのも何だしと弱ってたら、アタマの中に「美しく青きドナウ」の旋律が駆けた。

 綺麗な曲だわいねぇ。

 しばしはメロディを追ったが、この曲、「美しく青き」だったかな? 「青く美しき」だったかな?

 どっちだドナウ?

 と、気になりだした。そうすると眠ちゃお~という努力は揮発してしまう。

 ベッドから起き出し服をつけ、階下に下りて、暖房をつけ、iMacたちあげてウィキペディアで文字を拾った。

 あ、そうか。やはり「美しく青き」が“正しい”のだね、と納得。

 興がノッたので書棚から『2001年宇宙の旅』のBlu-rayを取り出し、モニターではなく久しぶりにスクリーンを下ろし、プロジェクター投影で観た。

 とはいえもう何10回も観た作品。早送りし、かの曲を背景に、宇宙ステーションにパンナムオリオン号が向かうシーンを観る。

 何度観ても、優雅かつ美しいシーン。

 ヨハン・シュトラウス2世とスタンリー・キューブリックの最高の組み合わせ。というよりも、「美しき青きドナウ」を宇宙空間に運んだキューブリックの着想に乾杯だなぁと感慨しつつ、ふと思いだし、amazonでオリオン号を検索。

 たしか去年の5月頃だかに、大きなサイズのプラスチック・モデルが出る予告があったよな。あれはどうなったんかしら……、何気なく探してみるんだったが、

「あらっ」

 驚いた。

 もう既に販売され、少量生産か、第1期輸入品は完売し、2期目が少々在庫というコトのようだったけど、なんか~、値段があがってら。

 確か2万円弱くらいとおぼえてたけど、3万を越えてるじゃんか……。

 円安ゆえ? 少量品ゆえの時価

 このままだとプレミア価格となってバッカみたいな値段になるかもしれない。

 悪しき予感がし、さて、そうなると、今のうちに……、というヘンテコ気分が急速に湧くんだった。

 

 去年暮れに海洋堂の「太陽の塔」を使ってディオラマ化したさい、

「もうこれでプラスチックの模型は造るコトはあるまいよ」

 と、確信的に思ったもんだったが、確信は、お豆腐の上に建ったビルディング……。

 もろいなぁ~。

 くわえて、この模型を製造販売の米国メビウスモデルズ社のことを兼々に好意的にとっている。 

 60年代頃のマニアックなSF系のモノや同時代の車などに軸足を置いて模型展開している極度に趣味性の高いメーカーで、ここが作ったモノなら信用していいという気も高い。

 

 という次第で2月になって大きなが届いてしまった。

 届いたら、すぐに開けてみるのが礼儀って~もんだ。

 手にし、軽度な仮組み。

 なるほど、1/72スケール。確かに大きい

 オリオン号の模型は複数持ってはいるけど、いずれもスモール。これは比較にならないサイズとディティール。

メビウスモデルズは1/350などスケール違いで幾つかオリオン号を販売してる)

 コクピットや客室部分もある。映画でのあのカタチを踏襲し、巧妙に再現している。

「いいじゃないか」

 ニッコリする。

 とはいえ、この宇宙船(米国ではオリオン号というよりスペース・クリッパーの名で通ってる。クリッパーとは帆船だ - スペースシャトル的客船だ)の窓は小さいから、そこに顔を寄せて覗きこんだって、そ~そ~内部は見えないであろうコトも、一目瞭然。

 どのように造りこんでも、船体を組み上げてしまえば、内部はほぼ見えなくなる。

 が~、それでも、いざ作業をはじめると、造り込んでしまうのがサガって~もんだ。模型ならはでの悲劇か喜劇か判らないけど、要は工作の満足度合いのバロメーターじゃね。チョイと加工したり塗装するコトで、

「あのカタチをこの手にしたぞ~」

 って~な、納得と得心をえるワケだね。

 模型全長は76センチほど。パーツを合わせつつ工作をどう進めるか、LED発光で航空灯などのギミックも仕込めるな……。クリアで綺麗だけど付属台座は使わないな……。早や検討している私っ。開封してまだ15分と経っていないのに。

 しかし、あんのじょうというか、パンナムのロゴがないんだ。デカール入ってないんだ。

 パンナムパンアメリカン航空)は、60~70年代は世界最大の航空会社、航空界のハナガタ企業だったけど1991年に倒産している。でも商標権は今もいきていて、現在の管財会社は容易に使用許可を出さないんだね。

 ナンギじゃねぇ。

 なので昨日、イラストレーターで作図を試みた。

 模型の該当部分のサイズを測り、径31mmどんぴしゃサイズのデカールを造る下ごしらえ。

 パンナムのロゴはネットで調べりゃ容易に見いだせるけど、ここで注意すべきは、そのデザインがいつのモノかということだな。

 

 実は2つ、あるんだ。

 もっとも知られているのが1970年頃にジョセフ・モンゴメリーがデザインしたロゴ。

 で、もう1つが1957年にパンナム社のデザイン・コンサルトだった建築家のエドワード・ララビー・バーンズが造ったロゴ。

 とてもよく似ているけど、絶妙に2つは違うのだ。PAN AMERICANのフルロゴも右方向にヒゲが伸びた独特なもの。

 映画『2001年宇宙の旅』はパンナムから使用権を得て60年代に製作されているワケで、当然に機体に描かれているのは、1957年にバーンズ氏がデザインしたロゴなのだ。

 

 というワケで版下造り完了――。

 まだ手元にデカール用紙はないし、電飾用LEDもないから、工作は後日だな。来月になるかな?

 あの夜、素直に眠れていたら、こんなコトになるハズはなく、3万円越えの出費もなかったろうとヤヤ後悔めいた感じもなくはないけど、これも宿縁か? あるいは宿怨か?

 ぬかるんだ模型の道をヨタヨタまた歩みつつ、クツクツっと笑う今日この頃。

 

 ゼッタイに見えなくなるコクピット部分パーツと、見えなくとも創ってしまったコクピット・パネルのイラストレーターによるディスプレー部分。実寸横幅22mmの極小。

 

 ちなみに上は、1982年にバーンズ氏が設計したニューヨークのIBM本社外観。ポストモダニズム建築の代表例。

 岡山市北区柳川交差点そばのグレースタワーⅢは、このテーストをチビッと模したようなカタチじゃないかしら。3階だか4階テラス部分に「たま大明神」があるのが愛嬌。グリーンで覆われたテラスは誰でも入れるけどアピール不足か?

 見せようとしてないのかな?

 1F部分にはライブ・スペースもあって、下写真は2019年4月19日撮影。小雨で肌寒かったよう記憶するが、馴染んだ方々のたのしい演奏で気づくと寒さはどっかへ飛んでってた、な。