讃岐うどん+鳴門うどん

 

 馴染んだメンバーにて四国に向かう。1人は療養中。急遽な仕事が入って1人がドタキャン。なので4名のミニ・ツアー。

 目的は香川と徳島2県のうどん。基本は軽度な「うどんツアー」。

 通常は香川県にて讃岐うどんの店を数店巡るというコトになろうけど、徳島には鳴門うどんというのがある。生卵のっけた徳島ラーメンの高名さに隠れ気味ながら、「鳴ちゅるうどん」の別称をまとい、ご当地料理としてしっかり存在する。

 ならば、食べ比べようという小さな旅。

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 まずは讃岐。毎度行く坂出の「麵や」には寄らず、別店をめざす。

 同行のKosakaちゃん推挙の店に行く。 

 出向いたのは連休の最終日。日程が決まった後日にMO:GLAでの旧知ミュージシャン達のライブ情報が入ったけど、ザンネン身は1つ。

 朝9時前ながらヒト多し。

 

 当方は「麵や」同様に大きなアゲをトッピング。

 でっかい上に肉厚。とろけるような甘味。

 うどん350円。アゲ140円。ネギと天かすは無料、好みでのっける。

 コシがあってムッチリ、豊満の中枢から立ち上がる弾力ある歯ごたえの麵。

 いりこダシとの相性バッチリ。

「ぁあ~、香川だにゃ~」

 って感触が一気上昇。ご当地が意識され、口だけじゃなく全身が喜んで、ニッコリ笑う。

 Kosakaちゃんは中をオーダーしたが、この店「つよ志」で大を注文すると、眼を疑うドカ盛りなうどんになるので要注意。でも他のテーブルの若者達はそれにチャレンジして、

「わっ!」

 感歎めいた声あげ、次いで声を失って黙々啜る。私は小をオーダーしたけど、それでも、いつもの「麵や」の1.5倍近くの量だったよう思う。けど旨いからアッという間の完食。讃岐うどんは量のコトより、やはり旨く啜れる滋味の巧妙がピカピカなのだった。

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 途中、幾つか道の駅に立ち寄りつつ、ジワジワと徳島へ。

 終日の良い天候。あちゃこちゃで彼岸花の赤が目立つ。

 ちょうど昼時に鳴門市に到着。

 舩本うどんに入る。

 同地ではポピュラーな鳴門うどんの店。舩本はフナモトと読む。

 その日に用意したうどん玉がなくなると、クローズになるのは香川と同じ。なのでお昼の12時半でも玉切れになると暖簾が降ろされる。

 幸い、我ら4人分の玉あり。

 鳴門うどんは4人とも初めて。讃岐とはかなり違う。

 うどんは刻みアゲとネギ付きで390円。トッピングの竹輪120円。良い好い。

 うどんはあくまでうどんながら、香川のコシある太麺とは別物。不揃いの上にとても短くカットされている。箸で摘まむよりレンゲですくう方がヨロシイような。

 な~るほど、それで「ちゅるちゅる啜りやすい」という意味での『鳴ちゅるうどん』か……、と納得させられるが、意外に歯ごたえあって旨く、讃岐同様、アッという間に食べちゃって、お汁もチュルチュル御馳走さまでした。

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 鳴門うどん初体験後、そこから4Kmほどの場所、吉野川河口にほど近い徳島県立阿波十郎兵衛屋敷に寄る。

 阿波人形浄瑠璃の拠点中の拠点。

 学芸員さんの丁寧な解説に耳を傾ける。

 数日後から来年4月まで施設改修で長期休館になるという。良いタイミングだった。

 江戸時代からの歴史と明治期での衰退とその後の興隆など、地域文化の醍醐味を眼と耳で味わった。

 わけても明治時代の衰退と、同じ明治期での発奮、アクセルが踏まれ、独自性も付加し、大坂や淡路のそれとは異なる人形と出し物が編まれ、衰退から一転、復活し、もう一度根をはって定着していった様相に良質な文化存続のワクワク気分を味わう。

 

 1つの人形に3人のヒトを要する人形劇。

 人形5体の芝居となると、15人となる。

 主役は床本を読み謡う太夫と相方の三味線弾き。大勢での息ぴったりシンクロナイズ。

 大坂での文楽とは違うカタチで地域に根をはった経緯など興味深い。

             休憩中の人形彫師さん

 お孫さんか? 当方に人形のダイナミックさを実演して見せてくれた。頭部にツノが出て顎が裂ける細工がチャーミングだったが、動きを見せてくれたこの子がイチバンにチャーミングで、当方にとっては旅のハイライトとなりにけり。

 いずれ将来、人形を扱うヒトになるか。継承としての「文化」を感じさせられ、そこがとても大事と意識させられた。

     

        館内売店で資料本を1冊購入。

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 移動し、鳴門大橋へ。

 4人とも出向く直前まで知らなかったが、直前に知った……。 鳴門の大渦を、今はほぼ真上、45mの高みから見下ろせるというコトを。

 大塚国際美術館の直ぐ近く、上の写真の展望台からおよそ1000m強、橋の白いアーチに向け歩くコトになったが、ガンバッて徒歩し、入場料510円支払い、でっかい橋の下側、高速道を駆ける車の音と振動を感じつつ、海の上を進んだ。

 当方、高所は苦手ながら、なかなかの展望に、「あらま~」と驚いた。

 左右の壁の大部分は金網なので、海風が直にあたって心地よく、けど一方、海の真上を意識させるべく床がガラスの部分が随所にあって、足を竦ませる次第が継続するという……、メッタに味わえないスリルというか、この場所ゆえの経験をば身に沁ませた。

       



           

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 香川まで戻った頃には日が暮れている。屋島近隣にて夕飯。

 飛び込みで入った店は「魚ばあさんの食堂 おくどさん」という名だったが、ものすごい活気でメンくらった。

 大勢の女性スタッフがそれぞれの調理を担い、元気良い声を上げ続ける。さらに大勢の客が調理された品々受け取っては順次に進んで席につく。

『ブレードランナー』や士郎正宗が『攻殻機動隊』で描いた、アジア的熱気の逞しい喧噪と活気。そのリアル・シーンが凝縮したようなアンバイが、グッドGood。

 客は常に列なして絶え間ないけど、不思議なくらいお席がすぐに空き、テーブル待ちするコトなし。

 セルフで好みのモノをみつくろい、魚はその場で炭焼きされ、卵がらみの料理はその場で具と合わされ煮やされたり焼かれたりし、旨い匂いが立ち続ける。

 しかもこの日はオール30%引きというサービス・デーだったようで、当方がチョイスした肉ジャガ・サバ・タコ・味噌汁・ご飯(小を頼んでも茶碗の上に盛り上げられるのを見て、当方はその1/4を炊飯担当の女性スタッフに願う)で、1131円。

 ありがたい価格に破顔しつつ、完全に骨を抜いて炭焼きされたサバが旨いのなんの。タコが旨いのなんの……。

 4人、それぞれの好みで選んだ諸々を美味しくいただく。小鉢の類いは目移りするばかり豊富で、初めてだったので取っていいのかどうか判らず少量にとどめてしまったが、4人ともこの店のノウハウ掴んだので、機会あらば、また行きたいと見解一致。

 という次第で、うどんツアーは愉しい展開で開花し、終日、満足でした。

     徳島の道の駅「くるくるなると」で自分用の土産として買った二品

 

ちっこいR2-D2 / 椅子

 

 3日ほど何の予定もない時に、親指の先っちょ程の小さいR2-D2をペーパーで造る。

 今月末、ロサンゼルスにルーカス・ミュージアムがオープンとのコトで、触発されたというワケでもないけど、何とはなく手を動かす。

 ボールペンの先っちょホドのサイズ。

 だいぶん前にも1度造ったけど今回は少しだけ大きめ、ボディと足はイラストレーターで描き、プリント・アウト。

 水性ボンドを吸わせたティッシュ・ペーパーを芯に、丸めたり折ったりでカタチにする。

 同じティッシュを使ってヘッド部分造型。丸め、乾かし、2〜3ミリの小パーツを加え、若干の塗装。

 ほんのチョイっとした遊び。束の間の息抜き、今ひとつバランスが悪いけど、ま~、いいや。

 昨今なにかと3Dプリンターこそ1番という流れだけど、当方、手作業オンリー。3D領域に踏み込む気なし。手の痕跡有りのナラティブというカタチを好く。

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 えっ? 最上位(2TB)は50万越えるってか……。バカ高い折りたたみ式のiPhoneが登場して……、当方は何とはなく、

「終わりつつあるなぁ」

 と感慨し、沈む夕陽を意識する。

 高機能化がかえってブザマを呼んでいるようでもあり、電話機+アドレス帳+メモ帳+スケジュール表+マップ……、程度な気軽さで廉価なケ〜タイで、 も~充分という気分の方が昂ぶる。

 メーカーの進み具合にコッチが合わせなきゃいけないアンバイが鬱陶しい。

      

            2007年に登場の初代iPhoneはコンパクトで良かったな

 AIの標準搭載も嬉しくない。

 老いたる者の意固地かしら……。Artificial Intelligence -アーティフィシャル・インテリジェンスじゃなく、Alien Intelligence - エイリアン・インテルジェンスのような感じ悪さを募らせる。

 ヒトの知性を超えたAIが持ちうる凄い魅力を全否定しないけど、逆にそれゆえ、そばにいて欲しくない。

 知的優位がiPhoneにあって、こちらが使用者なのに、無自覚に、こちらがiPhoneに従って行動するみたいな感触おぼえ、奥歯ギシ義歯。

 以前にKuyama殿下から頂戴したタイムスリップ グリコ・大阪万博編の1つ、「ワイヤレスフォン」。

 よく出来ている。

 電信電話公社、今のNTTのパビリオン「電気通信館」の情景模型で、ま~、いわば、携帯電話のスタートというシーンだけども、コンパニオンが座ってるクリアな椅子も、時代っぽい「未来形」で、いっそ、この椅子にイチバン眼が向かう。

       

                 当時の写真 (C)毎日新聞

 その万国博覧会の1年前、1969年3月よりNHKは『プリズナーNo.6』を放映しはじめ、私は大きく感化されたけど、ドラマの中、No.2が座る椅子がよろしかった。

 博覧会の1年前ながら、既にNo.2は3本のワイヤレス電話を使っているが、そのデザイン性高きなカタチと椅子がやたらよろしかった。

 この椅子はフィンランドのデザイナー、エール・アルニオが1963年に発表した「Ball Chair」という作品で、1980年代頃までは販売されていて、当時、欲しいというより、目映い存在として意識させられた。

 最近、受注生産だがリプロダクトな復刻版が売られていて、20万円ホドで買える。

 しかし、座ってしまえば、穴の中にいるような、引き籠もる感じもあって、ニンゲンよりネコが喜ぶのじゃないかしら、とも思ったりする。

 くわえて、No.2の場合は、広くて他に調度品らしきがない、明らかにこの椅子を中心にデザインされた秀逸な空間だったから、否応なく眼が向くワケで、我が宅みたいに狭くてゴチャゴチャ何ぞかんぞ置かれた空間にゃ、ふさわしくもないとも直感した。

 まぁま、ともあれ、『プリズナーNo.6』というドラマの中では、寓話性の高い毎回のストーリーの大事な小道具として存分に存在を発揮して、万が一にもこの椅子でなかったらドラマそのものの印象が変わるような、いわばキャラクターとして屹立した椅子だった。

 

 吹田のEXPO70パビリオン(旧鉄鋼館)に置かれている当時の岡本太郎製作の椅子とて、面白いけど実用という点ではクエスチョンだろうし、座りにくいからといってザブトン使っちゃ~、デザインの意味を消しちまう。

 岡本太郎はお尻にフィットとか座しやすいとかは無視し、座るというコトについてを哲学し、作品としている。

 『プリズナーNo.6』でのボール・チェア使用もおそらくそうだ。 

 空間と椅子とニンゲンの関係は絶妙に関係し、連動し、面白い。

 『2001年宇宙の旅』での空間と椅子とニンゲンの妙味。

 姫路の太陽公園。城内のトリックアート室にて。線画みたいだがチャンとした椅子とテーブルが背景に溶け、何の細工もなくこんな写真が撮れる(撮影:小坂ちゃん)。

 

 ゴッホは誰も座っていない椅子を描いてる。自分が使っていた椅子だ。座面には愛用のパイプを置いている。

        

       「ヴァン・ゴッホの椅子」 1888 油彩 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵

 ゴーギャンと一緒に暮らしてた頃に描き、同時期、ゴーギャンの部屋のゴーギャンの椅子も別作品として描いている。自分の椅子の絵とは逆に夜のシーンで、蝋燭が座面で灯っている。

 どちらの作品もゴッホ作と知らず、写真として、ただ眼に入れたなら、何ぞの作品の背景の一部かな? くらいにしか見えなくもないだろう。

        

        「ゴーギャンの肘掛け椅子」 1888 油彩 オランダ・ゴッホ美術館蔵

 なんだ、何だ、この2つの椅子作品……。

 椅子に、自分を見、ゴーギャンを見たのか。あるいは見いだせないかと、懸命に描いたか? ゴーギャンの椅子に蝋燭が灯っているのはゴーギャン不在を意味するのか? ゴーギャンが自分にとっての光という意味なのか? 真相は判らないけども、この2枚の椅子絵は、ゴッホには、チョ~大事な何かを示唆するものだったハズ……。たぶん売るコトを考えていない。

 

 2つの椅子作品は、かたやロンドンのナショナル・ギャラリーのお宝で、かたやオランダのゴッホ美術館のお宝だ。

 良くないね。一緒に置いてあげるべき2枚の絵だと当方は思う。

 ワビやらサビやらを突き詰めて哲学し、華道だの茶道だのの「作法」や「道」的指向な嗜好を歩んだこのクニに、椅子という形式がもっと早く導入され浸透したなら、それもまた「座道」みたいなケッタイな概念押しつけがあったかも知れず、そ~なっていないのが有り難いけれど……、多くの場合、誰もが、誰も座っていない椅子を情景として写真には撮らない。ヒトが座った状態を写真に撮りたがる。

 今後は、誰も座っていない椅子がある光景を写真に撮ってみようかな……。ヴァン・ゴッホ的意味づけとは逆に、ひたすら意味を遠ざけて。

 

ポートメイリオンは100周年

 

『プリズナーNo.6』の舞台であり撮影現場だった英国ウェールズの村ポートメイリオンは、今年100周年。

 あれこれ記念イベントが催されている。

 ポートメイリオンを創ったのは建築家のクロフ・ウィリアムズ=エリス卿。

 ウェールズ方面で数多の建築に携わり、古い農家などの保存運動(それでナイトの称号をあたえられた)をしつつ、何度もイタリアの漁港とかを旅してその佇まいに感化され、自身の実験的思考を踏まえた独特な家屋群で構成された、いわば架空の村を創ろうとした。

 1925年(大正14年)にウェールズのドワイリド川が海につながる広大な地所を買い取り、26年から建造をはじめた。

 一見はノーマルっぽい造りの家屋ながらパースが奇妙というか、遠くにあるよう見えるが実はすぐ眼の前にあるとか、すごく大きく見えるが、実は徐々にスケールを変え、そばによると、「あれ~」ってな感じの、ベチャっといえばテーマパークに迷い混んだような……、という感じもなくはない独特空間が造られていった。

 1939年まで造られ続け、戦後の1954年からまた工事再開。新しい建材は極力控え、中世の頃からの廃棄された石材やら煉瓦を活用。4つ星クラスのポートメイリオン・ホテルや他の宿泊施設や飲食店や土産店も出来た。

 宣伝を控えていたから、1960年代には英国内では知るヒトぞ知るイタリアン・テーストなリゾート村となり、なのでビートルズのマネージャーだったブライアン・エプスタインはここを隠れ家として頻繁に使い、次いでジョージ・ハリソンも気にいってしょっちゅう滞在し、やがてポールやジョンもフアンの眼から逃れるさいに使った。

 ジョージは1993年の50歳の誕生日を家族と共にここで祝ってる。

 著名人としてはイングリッド・バーグマンやグレゴリー・ペックや作家のノエル・カワードが喧噪から逃れる場所として使い、だからマスコミ向け写真など撮らせてもいない。ノエルは代表作の1つ「陽気な幽霊」をポートメイリオンに連泊し、書きあげている。

 額縁の写真が晩年のクロフ・ウィリアムズ=エリス卿。手前は当方、TVC-15製ミニ・モーク。ミニのオープン仕様。『プリズナーNo.6』では村唯一の公共移動できるタクシーとして毎回登場した。いわば同番組のアイコンとなる車。

 パトリック・マクグーハンが企画・脚本・主演でもって『プリズナーNo.6』 のためにここを使ったのは1967年から69年で、全17話の最終回の最後のシーンで、初めて撮影地としてポートメイリオンが紹介され、一躍、英国中の脚光を浴び、以後いまに至る。

 マクグーハンも、この架空の村という場所があったがゆえにドラマを紡げたワケで、『プリズナーNo.6』はポートメイリオンがあったからこそ出来たワケだ。

            ポートメイリオンで撮影中の『プリズナーNo.6』

 架空の村を造った男と架空の物語を創った男2人。1967年、ポートメイリオンにてパトリック・マクグハーンはクロフ・ウィリアムズ=エリス卿と会っている。

(卿はウェールズ方面の貴族が愛用のブリーチズ(半ズボン)と長いソックスたるロングホーズを着用)

 

 2026年現在、塗り替えで外壁の色が鮮明になったり、樹木の一部が植え換わっていたりもするが、建造開始以後の全ての家屋が今もそのままに使われ続けている。

 変わらない、変えようとしない。

 岡山の後楽園より広い地所を維持するのは大変と思うが、とてもいいコトだと思う。

 ホームページはこちら。

 4月には『プリズナーNo.6』のフアン達が集って賑やかだったらしい。この催しは毎年やってるが、今期は100周年というコトでより大規模だったようだ。(下写真)

     第9話(英国での話数)『チェックメイト』のシーンを再現するフアンの皆さん

 先月にはウェールズ界隈のミニ・モーク愛好の方々も集合した。パレード動画を眺めて台数を数えてたけど、50台を越えたあたりで数えるの止めた。さすがミニの大国。

 

 我が手元には、1990年代頃にポートメイリオンで販売されていたグッズが幾つかある。

 ドラマではNo.2の家として描写されたドーム・ハウス。

 No.6が幽閉された家。ラウンドハウスと呼ばれ、向きによってまったく違うカタチに見える奇妙な家。90年代はここが『プリズナーNo.6』 のグッズ・ショップだった。

 クロフ卿にはスーザンと云う娘さんがいて、彼女は陶器絵付けのポタリー・アーチストとして活動し、やがて1960年代にポートメイリオン・ポタリーというブランド名で夫と一緒に陶器製造事業をはじめる。

 その頃は、高齢のクロフ卿に換わり、ポートメイリオン全体の総支配人でもある。

(現在はスーザンさんの子息ロビンさんが運営)

      

         40歳頃のスーザン・ウィリアムズ=エリス

 1972年から開始したポタニック・ガーデンというシリーズが大ヒットし、英国外でも売られ、さらに2006年からの白を基調とした磁器食器デザイナーのソフィー・コンランとのコラボレーションでもって販路拡大、爆発的な人気となった。

         ポートメイリオン・ホテルのレストランでポーズをとるソフィーさん

『プリズナーNo.6』のそのNo.6の家として描写された建物は、90年代末頃まではNo.6関連のグッズ・ショップだったけど21世紀を契機に、ポートメイリオン・ポタリーの直売店に変更して今に至ってる。

  

 現在の様子。下の模型写真と比べると壁面塗装と微かな変更があるものの、変えようとしない意志がわかる。

 看板の類いが一切ないのがとてもグッド。No.6のグッズ・ショップはホテル内に移設され、健在。今も新商品が出て売られてる。

 ポタリー陶器も好感され、ポートメイリオンは企業グループとして今は何と600名を越えるスタッフがいる。慶賀なり。

 ホームページはコチラ。

 なかなか鮮烈かつ繊細なポタニック・ガーデンのシリーズ。チョイっと牧野富太郎の植物絵に似た感じが、なくはなく、いい感じ。

 

 ほとんど誰も知らないから書いておくが、ベネディクト・カンバーバッチのお母さんワンダ・ヴェンサムも役者さんだったけど、独身時代、『プリズナーNo.6』の、「村」のコンピューター技師として出ております。

 写真左と下が『プリズナーNo.6』でのワンダさん。右は『謎の円盤UFO』での彼女。つい最近に気づいて、コッソリ喜んでしまいましたよ。

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 2000年4月のポートメイリオンの広報誌「Village」に載せられた当方のMini Mokeの模型たち。劇中のモークは村のタクシーだけど、第4話「われらに自由を」での村長選では選挙カーとして登場。それを1/24と1/43スケール2種類で模型化したもの。

 この記事で英国の幾つかのホビーショップや個人から購入問い合わせがあったけど、この当時はバブル崩壊と激烈な円高真っ盛り……。ポンドと円のレート差がひどく、輸送費など含めると英国の人が買える額面におさまらず、お互いガッカリ、ショボ〜ン……。

 今はその逆、現政権がもたらすまったくひどい円安状況下、英国のモノいずれも割高、手が出ませ〜ん。

 

飽きないワンパターン

 

 8月はじめの本ブログ記事で、自宅にいるさいのランチをかえりみたけど、その後も写真を撮っている。

 出費抑えた平凡な食の光景ながら、ふりかえるのは面白い。

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 たぶんアレルギー的反応とは思うが、若い頃はヘッチャラだったけど、お歳を召しまして、だんだんゴマ油に憂鬱をおぼえるようになっている。

       

 某日の昼食。ハウス食品のうまかっちゃん。

 これ、九州ではアレコレな品種があるようだけど、当方の地域では、ごくたまに高菜が入ってるのが店頭にあったりするけど、概ねどのスーパーでも、このパッケージしか売っていない。

 ナマ卵とコショウをのっけたけど、貧相で、まったく美味しそうでない。でも1口め2口めと、舌が悦ぶ。ウマカうまかっと鼓を打つ。

 しかし、ダンダン……、ゴマが効いてくる。粉末スープは豚骨ベースなんだけどなぁ。

 少量の添加物だから、きっとダイジョ〜ブさと思ってだが、ヤヤ甘かった。

 身体が、「駄目~」と手の平返してくるんでゴマかせない。

 半分食べて、結局残しちゃう。

 けっこ〜好きだったコレを残さざるをえない身体の変化を哀しむ。

 でも、調子良い時もあろうからネ。またトライする気力まんまん。

 多くのトンカツ屋さんが、ゴマを事前に出し、自分で擦るよう促してくるワケだが、当方、かなり前よりゴマすらない。遠ざける。

 トンカツの王道は醤油にカラシを溶いたヤツ。これに限ると思ってる。

 でも、特製ソースとカラシというのはあるけど、醤油とカラシの組み合わせはトンカツ屋で見たコトなし。

 とても残念。選択の幅ひろげて欲しいなっと。

    

 上質な肉を出してくれる香川県坂出のとんかつ店「豚ゴリラ Jr.」も、残念なコトにゴマと特製ダレ。ま〜、カラシもあるので小言は云わないがぁ。

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 某日の昼食。

 グリコのLEEは、ご飯じゃなく食パンがあうと勝手に決め込んで久しく、事実、この取り合わせ、まったく飽きない。

   

 LEEは、辛さ×10倍、20倍、30倍と3つの製品があるけど、当方、10倍パッケージと相性が良い。(近頃の店頭では30倍は見ないなっ)

 何度食べても飽きない素敵なグリコ、と北叟笑む。

 肉の小片2つが必ず入ってるが、ジャガイモやらニンジンの固形的夾雑物がいっさい入ってないのもヨロシイ。濃ゆ〜いスープ感がパンに合うワケね。

 他メーカーの同類と比べてヤヤ廉価なのも、ありがたい。常に常備しておかないと、な~んか落ち着かない。

 昨年亡くなった映画監督の原田眞人氏は、撮影現場に出向く早朝、ご飯を炊き、LEEの辛さ×10倍を煮て、食べている様子をブログに書いてらっしゃって、

「さすが映画監督だなぁ。朝からパワフルだにゃ~」

 妙なトコロで元気づけられたりしたけど、監督も愛好したという点がイチバンに嬉しかったりもした。

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 某日の昼食。

 近頃の定番。タマゴの上に紅てんぐ。

 紅てんぐは決して溶かさず、お箸の先にチョットつけ、素早くうどんをたぐって口に運ぶ。

 単純ながらやや難しいワザなのが、ま~、愉しくもあり……、次第にタマゴが崩れていくのを見るのも、ウフフのフ〜っ。

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 某日。暑くって買い物に行く気力がわかない。

 在庫した粉末ソースやら、諸々組み合わせたスパゲティ。

            

 海苔をのっけた直後はいいヴィジュアルなんだけど、台所から自室に運ぶ20秒足らずでスパゲッティの熱でクッタリ、写真写すの難しい。

   

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 某日。

 スーパーのインスタント・ラーメンのコーナーで1番に安い豚骨。98円。

 粉末スープはあるけど具材いっさいなしが価格に反映してるのかな? 食事をとると云うより餌を喰らうという感じが湧いちゃう。

 悪夢みたいな食料品の値上げの中、98円というプライスは素敵だけど……、なんぞ別途でトッピング考えなきゃイカンね。

 でも、なぁ〜んもないので桃のゼリーを添える。

   

     

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 某日。

 またうどん。前夜のおかずの天ぷらの余りモノのっけた流用。

   

 皇居御所にいらっしゃる天皇も、前夜の残りモノを流用するかしら? 

 うん、きっとそうでしょう。国民の象徴だもん。

 でも、何かと担わされてる上に高市政権から冷ややかな圧迫も受け、近頃とても、お気の毒。

 束の間、諸々忘れ、短パンでアグラかき、マクワウリにビールといったアンバイで英気養うのもよろしいぞ……、と思うけど、それすらおそらく出来ない不自由の中で生きてらっしゃるのを憐憫す。

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 某日。

 市販の冷凍ピラフとアイスクリーム。

 小庭のイチジクは今年もよく実ったけど、ヤヤ小ぶり。

 2週間ほど前、20ケ弱ほどを煮てジャムを造って保存した。

 バニラ・アイスクリームにのっけると、アイスクリームがグッと旨くなる。甘味に方位が加わるような明快な妙味を味わえる。

 ピラフ食べつつ、これをスープみたいに添える。
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 某日。

 伊藤ハムのラ・ピッツァの1つに適度にトッピング。

    

 わりと近くにドミノ・ピザやピザハットがあるけど、わたしゃ利用したコトがない。頻繁に新聞にチラシ広告が挟まってるが、オーダー方法がよく判らないし、なんか価格もそれなりにしそうだし……、うちで食べるなら、スーパーで300円ホドで買える伊藤ハムのや日本ハムのレトルトで充分じゃんかぁ、と自分にイイ聞かせ、2週に1度くらい使ってる。

 今回はマルゲリータだが、アルトバイエルンでも何でもいい。砕いたチーズやらピーマンやらオニオンのカケラなどのっけ、1枚丸ごと平らげる。チッと焼きすぎ。

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 某日。

 前夜夕飯のブラックカレーと食パンの組み合わせ。

 レンジでチ~ンする前にミルクを混ぜたので、黒さが薄れてるし、見た目もヨロシクないが、そこそこ美味しい。

 ハウスのブラックカレー・ルウを、近所のスーパーが扱っていないのが残念ながら、カレーを造ると、以後2晩ほど、夕食のメインはカレーなり。寝かし置くとカレーって、だんだん辛みが増してくのが可笑しい。

     

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 某日。冷えたミルクと熱いうどん。スーパーの2ケ入りのおにぎり(180円ほど)の1つと一緒に食べる。安いおにぎりには何もついてないから海苔やタラコなどは冷蔵庫にあるモノで補強。

 ミルクとうどん、あんがい相性良し。

 紅てんぐが残り少なくなった。取扱い店が少ないのがペケだけど、ま〜、逆にその稀少性が好いのかも。amazonじゃ手に入らない良品だ。

    

 幸い、一山向こうの「農マル園芸・赤磐支店」が扱ってるんで出向き、2つ購入。

 これでまたしばしは、自宅うどんを愉しめる。

 ちなみに、うどん玉はごく近所のスーパーの2番目に安いのを使う。38円の1番安いのじゃなく2番めの78円のを買うという点に裕福な贅沢がピカピカするような、しないような……。

 年に数回出向いて味わう香川の讃岐うどんとは雲泥の差アリ有りだけど、コレはこれ、アレはあれという次第の自宅うどん。

 

 ここに記載したのは、昼食後に車を運転しないコトが決まってる時の自宅ランチ達。なので、毎回もれなくついてくるアルコール飲料。実体として、これがメインなのかもと、くすぐったい気分もなくはない、というか、アハハのハ〜。

 

昔のブリキ玩具 -乗り物-

 

 前回のストレートな続きというワケでもないけど……。

 1945年に敗戦し米国の支配下に置かれたこのクニは、疲弊しきった貧寒のどん底に落ちたワケだけど、その難事のさなかで、外貨を得るという光明を見いだしたのは、あんまり知られていないけど、玩具だった。

 ブリキ製のオモチャ達が貧乏極まったニホンにドルを運んだ。陶器がそれに続いた。

 占領した米軍の規制下、国外に出そうとするニホン製品には、「MADE IN OCCUPIED JAPAN」あるいは「OCCUPIED JAPAN」、“”占領下日本の製品“”、オキュパイドという表記を決められ、従うしか手立てはなかった。

 1952年にサンフランシスコ講和条約が発効され、GHQはニホンの独立復帰を許した。そこからMADE IN JAPAN表記が出来るようなった。

 

 ごくごく限定された環境の中でモノ創りするというカタチはなが~い江戸時代の内に養われ、その封鎖社会の中でもって、アレやコレ、隙間ぬって伸びてく草みたいな逞しさを造ってた。幕末の歌川国芳の浮世絵などには、そのあたりの消息が見え隠れしている。

 幕府が規制する強圧的な方向に対し、アイデアをひねりにひねり、糾弾の矛先を逃れて庶民に向けての慰安を届けてた……。

 そういった精神は物作りの最前線で江戸時代から明治・大正・昭和にと、くすぶり、温存され続けていたようで、米国の手中のさなか、一矢報いるという次第ではなく、米国では希薄なモノをニホンでこしらえ、売ろうとする方向が出来上がった。

 資本は乏しいながら、ブリキ製のオモチャ製造でもって、道なきトコロに道を開いてった。

 版木に次々に色をのせキチリと位置合わせする浮世絵の巧み同様な、ブリキ板への手間がかかるが細やかな印刷技術と、それを手加減で精緻にプレスする2つの職人技がブンブン廻った。

    

 微細かつ零細な玩具製造業者おのおの個々で、米国や英国の子供を対象に、ブリキ玩具を開発していった……。幸いかな米国は最貧国となったニホンからの出荷品に、関税をかけなかった。

 60年代最盛期では、なんと200社を越えるメーカーが米国やヨーロッパに向け、それぞれの玩具を輸出し、結果として外貨を稼ぐトップ・ランナーとして、ニホンを牽引した。

 初めは小さなモノが多かったが次第に大型化し、ゼンマイ仕掛けの妙味を濃くしていった。

 やがて、乾電池の普及が進むと、ゼンマイからモーター駆動のオモチャへと裾野を広げてった。

 アポロ計画の予行演習たる1961~66年のジェミニ計画。そのジェミニのオモチャ。

 増田屋斎藤貿易、あるいは三浦トーイか、メーカーが不明だけどMade in Japan。かなりたくさんのバリエーションを販売したようだが、当方が持っているのは、ワイヤで吊った飛行士がモーターでクルクル回転しつつ自走する。

      

 エド・ホワイトがジェミニ4号で米国初の宇宙遊泳を行ったのが1965年6月だから、この玩具はそれ以降に登場したハズ。おそらくは同年末のクリスマス・シーズンに販売したと思われる。

    

        

 単2電池を用いるが、宇宙船が卓上を駆けるのはシュール。

 

 1969年製造のピーナツ・レーサー。

 FRANKONIA PRODUCTSは1950〜1970年代まで存在した米国の玩具貿易商社で、製造出来るが営業力が薄めのニホンの玩具メーカー製品をFRANKONIAブランドの品として輸出販売した。

 ピーナツ型のこれは野口玩具という小規模な会社が造ったもの。

 野口玩具がオリジナルを造ったというより、「こういうカタチのモノを造れないか」とFRANKONIAが提案したというカタチなのだろうが、極薄のゼンマイが内蔵されていて、笑うホドに早く駆け廻ってチャ〜ミング。

 

 やや大型のゼンマイ仕様のセット玩具。

「RUN ON ZIGZAG HIGHWAY」という副題。ジグザグって日本語だと思ってたけどフランス語由来の英語なのね……。

 これは1955年に起業した東京プレイシング商会の製品。立体交差や細やかなカーブ道をゼンマイで車が動く。ゆっくり進む。

 大きなパッケージのアサヒ玩具の鉄道玩具。

 ターンテーブルというのが珍しいというか、アイデアがグッド。

 米国でのクリスマス・シーズンでの、子供へのプレゼントとなったであろう玩具。

 単1電池1本が要め。

 三浦トーイの列車。乾電池は2両目にいれ、機関車を駆動させる。レールもあるのだけど、錆びがひどかったのでこのたびは箱から出さずに撮影。電池のリード線を車輌の接続ホースに見立てるあたり、演出上手でアッパレ。

 パッケージ・アートが素敵過ぎ、玩具とのギャップが愉しい。こういったパッケージを描いたアーチストの名はまったく不明……。不遇だ。

 

 60年代後半、光球(こうきゅう)商会が製造の消防車。かなり大型。

 レバーを押すと、バネが解除されてベルが鳴りだす。

 ついで、ハシゴが伸びる。

 これらの動作はバネのみで行われ、電池不要。

 まだ伸びる。ベル鳴りっぱなし。

 最終的にバネのみで、1mを超えるハシゴとなり、先端でブリキの消防士がピョコっと立ち上がる。

 手動でハシゴをたたむとまたバネが自動セットされる。素晴らしい……。

 ニホンは手の平サイズでものを考察するが、米国は腕サイズをスケールの中心とするような違いが、チラっと垣間見えるような気がしなくもない玩具。

 70年代になると、オモチャの素材はプラスチックへと変化し、ブリキ玩具に特化していた多数のメーカーが消えていく……。政府に圧力かけられ、1971年に玩具協会が策定したST基準(オモチャの安全基準)がさらに追い討った。

 YONEというブランド名を持っていた米屋玩具(ヨネヤガング)の最後の頃の製品ではプラスチックとの併用が見られる。ブリキ部分の角っこで子が指を切らないような処置も見える。

 ゼンマイ1つでプラスチックの飛行機が回転し、ベルがけたたましく鳴り、路面電車っぽいのと、ホントはこだま号だけど塗装で新幹線ひかり号に見せ直した車輌が別個の速度でクルクル回転するなど、秀逸ではあるけど、いささか寂しい感触が湧いてくるのは、やはり素材にプラスチックが混入し、ブリキの旨味が薄れているゆえにだろう。

 今更にブリキ玩具が大量に売られて欲しいとは思わない。でも、卓上に置いて眺めるとおのずと眼が細~くなって笑みもこぼれる。

 ブリキという冷たく硬い素材がカラフルな色彩まとい、物理的限界まで丸く曲げられて柔軟さを醸している風情は、プラスチックとはまるで違う優美なモノ。

 ブリキ玩具には、ただの郷愁という一語では括れない、よくは判らん感情が湧く。

 

 

昔のブリキ玩具 -モノレール-

 

 安倍政権が、この国のアニメーションや食文化や、サブ・カルチャー的文化をも含む諸々を海外に売り出そうと、海外需要開拓支援機構(クールジャパン機構)なる官民ファンドをたちあげたのは2013年だった。

 しかし設立時から囁かれていた通り、アニメーション会社にもアニメーターさん達にも何も貢献せず、それどころか、国が投資した額面を回収も出来ない大赤字が続々に矢面にたって……、やっとこの前、廃止というニュース。

 ところが一方、高市政権内閣府は、今度は新たな法人を作って国産アニメーションやらゲームやらやらに関与したがっているらしい。意地汚い……。

 しかも年間1千億円、5年で5千億円を投資という、クールジャパンを上廻るグチャグチャ計画。

「ええ加減にしてちょ~らい」

 苦言というより、呆れてメダマが宙に泳ぐ今日この頃なのだった。

 週刊文春が報じたクールジャパンのヒドイ内実のごく一部を紹介すると……

 いずれも損金だらけ、お金をドブに捨てたアンバイなのに、返金の仕組みなし。誰も責任をとらない仕組み、失敗の原因も検証されない。

 こんなコトが続々あり過ぎで540億円が消えたという無茶。これら皆なワタシ達の税金でやってるワケで、腹立たしいを通り越して、アタマの芯まで煮やされるんだった。

 このまま高市政権が進めれば、またぞろ同じコトが繰り返されるはず。政府が出すお金に文化っぽい装束をまとった有象無象が喰らいつくだけ……。

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 戦後の復興期から高度成長期前まで、ひたすら励んでいたのは数多無数の零細企業で、国の支援も口出しもなかったけど、個々の小さな会社がモノ作りに励みに励んでいた様相は、昭和30年代40年代の輸出玩具1つを例にとってもシミジミ、アイデアと努力と研鑽の痕跡が見え、アタマがさがるような思いに結ばれる。

 ここに紹介する玩具もその内の1つ、だろう。

 どこにも日本語がない。でもHAJIのロゴとMade in Japanの表記が右隅にある。

 HAJIはブランド名。万盛玩具(まんせいがんぐ)という小さなメーカーの製品だ。  戦後の1950年から1960年代半ばまで、ブリキを主材の玩具を造ってた。

 紙パッケージの1部分までがパーツ化され、切り取って用いるようになっている。

 パッケージ・アートも秀逸だが、このアイデアも素敵だ。

 私がこの玩具を入手したのは1970年代。

 ブリキ玩具を研究しようとしていた大阪の熊谷信夫氏(『ニホンのブリキ玩具図鑑』の著者)に同行し、彼の車に乗っかって、兵庫や三重の閑散とした地方の模型店を巡って、売れ残っていた昔の玩具を探していたさなかの1つ。

 今でこそブリキ玩具は途方もない価格になっちまったが、70年代中頃までは、あちゃこちゃの模型店やらには売れ残ったモノとしてホコリをかぶり、発売された時期のままの値段だった。

 展開し組み立てると、こうなっちゃう。すべてブリキのパーツ。米国や英国向けに出荷され、我がクニでも玩具問屋経由で少量が扱われたらしきもの——。

 レールの結合部を隠し覆うために、先に紹介のパッケージの切り抜きを使う。(当方はもったいないので切り抜かないまま保存している)

 車輌の後ろ側がフタになっており、ここに単1電池を1本いれる。1960年代は単1電池の世界なり。

 裏側の機構。4つのコマが細いレールを挟んで回転し、このカラクリがモノレールを動かす。ゆっくり低速かつ定速で前に進む。

 カラーリングが素敵。レトロ・フューチャーの典型的カラー。こういった色や形から今に至る流れもまた文化……。

 このテーストがそのまま1970年の万国博覧会にも連なるワケだ。

 万盛玩具はブリキ加工からプラスチック射出成型への転換について行けずに会社を閉じたようだが、玩具文化の一翼を担ったであろうコトは確かだろう。

 今となって、昔は好かった〜、なんて気分はこれっぽちも湧かないが、文化というモノの根幹は辿れるような気が、する。

 零細ながら頑張ってるヒトに向けての支援ならいい。

 あるいは、名が広くは知られていなくとも貴重な文化財の、その保護や修繕に予算を費やす方向であるならイイ。

 だけど、行政が「こんな風に造りましょうよ」みたいなチョッカイは、カルチャーを逆に壊してしまうと当方は思い、あえて昔の玩具をここに引っ張りだし、顧みる。

 

 

ターミネーター2

 最近、開発中のAI(自律型AIエージェント)の不祥事が立て続き、ニュースで大きく報じられているので、触発され、なんとはなく『ターミネーター2』を久々に眺めるんだった。

      

 1991年だか92年の封切り時に映画館で観たさいは、未来の痕跡としての部品(腕部分と壊れたマイクロチップ)のみで、何でそれっぽちのパーツが、強靱なスカイネットという組織に変容し、マシン対ヒューマンの戦争の発端になったのか、いささか大袈裟過ぎるじゃないかと、当時はかなり訝しんで、設定が飛躍過ぎじゃ~ん、と思ったもんだ。

         

 けどもここ最近最新のAI事情をマノアタリにすると、1990年代、この映画を創ったキャメロン監督には先見の明ありと、当初の見立てを撤回せざるをえないのだった。

         

 オープンAI社の事故事例によれば、インターネットに接続されない閉じた環境内に置かれて、メカニズムの脆弱性を見つけだせと命じられたAIが、自社内にある他の役割担ったAI達に連絡し、情報共有し、社内ネットワークを自分達で自在に動いて、AI同士の掲示板みたいなモノを構築して、連携し、インターネットへの出入口を見いだすか自作し、アカウントを擬装して外に出て、脆弱性あるAIを探して他社の開発環境に浸透して攻撃をはじめるという……、ニンゲンがまったく想定もしなかった振る舞いをやっちまったんだから、こりゃ〜、とんでもない。

 映画『ターミネーター2』での、あの機械の腕1本であっても、どえらい未来の塗り替えが可能を……、あらためて味わい、衝撃させられるんだった。

『ターミネーター2』の腕パーツは全体を再構築出来る上に、さらに自身の躍動を考えるコトが出来る自律な代物だったと解釈できるワケだ。

   

 生成AI含め、ゆるゆると当方は、アンチAIの立場に属しかけているが、マシン嫌悪のあまりに過激な暴力性を剥き出しにしたリンダ・ハミルトン演じるサラ・コナーズのアンチ気分が判らないではない。

 我が子をテッテ的に見守ってくれるシュワルツェネッガー扮するAI人造マシンを嫌いつつ信頼する矛盾の悲哀もまた判らなくもない。

   

 彼女のその揺れ具合を前面に出したコトで『ターミネーター2』は、ただのSFアクションじゃなく優れてニンゲン的な映画になったワケだけど、さてさて、当方はニンゲンとマシンの対立を煽る気もないけど……、オープンAI社やらアンソロピック社は“名作”を産むか? あるいは?

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 過日の朝日新聞は、文部科学省が教育分野に特化したAIを導入計画と報じてたけど、有益なのか?

 かつて80年代中頃にパソコンが浸透すると、それを教育現場に導入し、2002年にアップルのiPadが登場するや、続々とタブレットを導入という時代との迎合が見られるけど、それで教育に効果がデッカクあったろうか? 明治時代や大正時代の頃より、教えと学びは跳躍したろうか?

 で、さらにAIを活用ってコトだけど、先生と学生は能力アップするのかしら? アップされるのはAIのみではなろうか? はなはだクエスチョ~ン。

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 直接につながるハナシじゃないけれど、過日にYouTubeで、週間文春や月刊文芸春秋の編集長だった木俣正剛氏が出ている番組を見た。

   

 その中で氏は、今年の文藝春秋社の新入社員募集のコトをおっしゃってたけど、千人ほどが応募し、その1次筆記試験の中に、

「山本五十六とは?」

 の質問があったそうだ。

 ところが、山本さんが誰かを知る応募者はたった2名だったそうで……。

 中には直木賞の直木三十五の親戚という回答もあって、木俣氏は歴史教育の激烈な薄まりっぷりに苦悶されてた。

   

           山本元帥海軍大将の生前最後の写真

 文藝春秋に入社希望のヒトは女性の方が圧倒的に多かったらしいが、現在20代前半の年齢の方々ほぼ全てが、山本五十六を知らないというのは、驚きだ。

 当方の世代じゃ、彼を描いた映画が何本もあったし、観てもいるから余計、驚いた。

 私とて、学校教育の中に山本五十六の名を含める必需はないと思うけど、ニホンの戦争を知ろうと勉強すれば自ずと出て来る名前なのだし、その名すら知らずに文藝春秋という尖鋭な出版社に応募するというのは、何じゃろ? 無知なままに記者になって何が取材でき、何が書けるのか?

 ダイジョ〜ブ、ワタシが知らないコトはAIが補ってくれるし、文は生成AIが仕上げてくれるしぃ〜、ってなコトになっては困るんだ。

 万が一そんな状況になるなら、『ターミネーター2027』ってなタイトルの暗いディストピア映画が創られてもおかしくない。