ブラックホリデー

 

 突然の、韓国の「戒厳令」には、マジかよ~? ビックラこいたが、一夜明けぬ内にそれがもう転覆……。

 いきおい戦車が市街に出て要所をかため、兵士の銃口が周辺を圧迫するというような状況ではないけれど、『戒厳』という、言論を含むモロモロを封殺できる「パンドラの箱」がパコッと開き、また閉じたコトに、驚かされた。

 ひどい方向に向かわねばヨロシイが、不安定な情勢に杞憂がふくらむ。

 映画『ターミネーター2』でヒロインのサラ・コナーズは、破滅する世界を知っているがゆえに悶え苦しみ、そこを何とか我が手で突破しようとテロルの道に落ちかけて、

未来は先の見えない夜のハイウェイ……

 と云ってたけど、昨今モロモロ、日本も世界も、光量少ないライトでかろうじて数メートル先を照らすだけのまま、猛速で駆けるしかない真夜中の道路状況のようで、なんだか、とても、疲れさせられる。

 

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 数年前から、やたら『ブラックホリデー』という単語が急速浮上で、今年は、あの店この店いずこもが競うがごとく、セールス・モードでかまきびしい。

 1週間ほど前の新聞の折り込み広告も、どれもこれも黒基調なダーク色。

 どこの国じゃいココは……、発祥地の米国じゃ感謝祭の1日だけのセールスということなのに、なんじゃい、いつまでも……。

 うざったい気分で眉をしかめるんだけども、30%だの40%だのの割引プライスが眼にもとまって、つい、というか、マンマと……、amazon吉野家オフィシャルに注文したりもして、結局は手を振り腰を振り、踊らされてしまうんだった。

 

 

 加川良の『教訓1』の歌詞は、

命は1つ人生は1回 だから命を捨てないようにね

慌てると ついふらふらと

御国のためなのと言われるとね

 で始まるワケだけど、なんだかこの歌詞のように、

ついフラフラと

 やっちまい、セールスにノッかってしまったコトを、恥じるような気がしないでもなく、どこともなく加川の云うところの「教訓」っぽい。

 が一方で、密かに頑固に、「好物を安く買えたんだからイイじゃん」、損得勘定もうごめいて、反撥と受け入れの狭間空間が裂けるような感じもしたりで、モノ売る者とモノ買うものを繫ぐ、なかなか、困ったもんだのセールス「ブラックホリデー」なのだった。

 

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 35年以上前に神奈川は相模原の友人よりプレゼントされ、以後ずっと愛用したマグカップを壊してしまった。

 お茶をナミナミ入れたのを一口すすり、テーブルに置こうとして落っことした。

 横須賀の米軍基地の一般観覧日だかで友人が、当方宛に買い、岡山にやって来るさい持ってきてくれたマグカップ……。

 ビショ濡れた床の拭き掃除でアタフタした後、壊れたマグカップに気づき、

 ガ~ン

 一発くらったような痛苦を味わった。

 ロッキードは1981年にステルス攻撃機F-117を開発したけど久しく情報公開されず、改良型F-177Aの開発でもってやっと、その形状など概ねの詳細が開示された次第ながら、それを記念してというか、情報公開したのでもうイイだろうと、米軍の広報部署から販売されたスーベニア・マグカップ

 開発後の実使用中も秘密にされてたもんだから、レーダーに映らないらしいという評判が1人歩きし、ステルスという匿名性高き単語とあいまって、形状が判らないまま想像で構築されたプラモデルが販売されてベストセラーになったコトもある。

 機種ナンバーも不明だったゆえF-17じゃなく、F-19と模型メーカーが、これも想像でつけてる。想像での形状ながら、なかなか……、イイ線ついてた模型、でしたな

 

 1988年頃、どういうカタチの機体かを米軍本人が公にしたことでそれまでの憶測やら空想はピタリやんだ。限定品マグカップも売りに出た……。

 これをプレゼントしてくれた彼は、つい数ヶ月前、亡くなった。

 報を聞いたさいには、朦朧とした暗鬱に落ちて落涙したけども、こたび、マグカップ破壊に追い打たれ、ガッチョ〜ン。

 うっかり、床に落とした自分を責めるしか、ない……。

 彼は図柄の違う2ケをくれたので、もう1つは健在ながら、左右の翼の片っ方を自ら砕いた次第に、しばし、ガックシうなだれ、暗澹の波をかぶった。

 亡き彼に申し訳ないと詫びても、もうしかたない。破損したカップを見つつ、壊れても捨てられないであろう記憶の堆積がかぶさり、マグカップという小品の中に、大きな宇宙ありや……、感慨した。

 破損のまま、一輪の花を活ける入れ物にしようかと、手元に置くコトを想った。

 モノはただのMONOでもあるけど、時に、大きく大事な物思いの中心点でもあるよう思う。

 

 

 

さらば やまな食堂

 

 急速に気温がさがって……、たぶん、今年ファイナルとなるであろう鳥取行き。

 Kosakaちゃんとの2人ツア~。

 この日は太田徹哉トリオのライブも予定されてたけど、身は1つっきり。かねて予定のミニツアーを優先。

 蒜山経由で向かう。

 蒜山三座は雪化粧。

 冷たい雨と強い風。

 蒜山大根を買おうと道の駅「風の家」に寄ると、早朝に強い雨が降ったらしく、本日分の入荷が遅れ、すでに入ったのはもう売り切れ。

  残念。

 しゃ~ない。車を駆けらせていたら、寒風の道端でお百姓さんが自家売りしてた。

 さっき採ったばかりという。雨に濡れて綺麗に光ってる。

 しかも道の駅より安い。フフっ。ありがたや。

 蒜山大根は、じゃがいも殿さんの隣りにすわり、ゆで卵にコンニャク、厚揚げ、巾着、牛すじなんぞの五人囃子従えたおでん鍋の白い姫さんだねぇ。煮えて火照った白肌に淡い茶色のカラシのおべべ着せたら、ぁぁ、美味し。

 いやいや、厚く輪切りにした煮立てに味噌からめてというのもイイだろう。

 いやいや、極く薄くに切って、鷹取醤油にワサビを溶いて、ナマの感触を味わうのもイイだろう。

 ともあれ図体は大きいのに値段は小さい蒜山大根という存在が、好き。

 

 老舗のやまな食堂。

 よもやこの日1130日をもって、閉店とは夢にも思わなかった事態……

 朝10時半に着くと、車でいっぱい。店内もヒトでいっぱい。車の中で待機してる方々もいる。

 蒜山高原は避暑地として人気抜群の場所ながら、住まうにはヤヤ孤立した地域でもあって、労働人口はひどく手薄い。

 人材難。スタッフの確保が実に難しいらしい。

 行列たえない店がゆえの苦悩。80年代半ばに店をオープンさせたヒズ・マザ~も高齢となり、サービス低下で運営するよりは、いっそ店を閉じた方が良いと、山名氏は決めた。

 やまな食堂のない蒜山で昼膳をどうすりゃいいんだ……、とも思うが、それは客の立場。

 閉店決断の姿勢は、不正をしてでもナンゾ売ろうとする企業などと較べるまでもない。マネーやモノを上位におかず、栄えある撤退を選んだ気概やあっぱれ。いさぎよく、うつくしい。

 それゆえ、つくづく閉店を惜しむが、ファイナルの日に訪問し、ホルモン焼きそばをいただき、一声、労をねぎらうことはした。

 けどもやはり、乾ききっていないタオルのウエットな感じに似た残念が、寂しさと共にのこる……。


          RSK山陽放送も取材していましたな

 

 やまな食堂から北へ。倉吉を抜け鳥取に向かう。

 雨天で雲厚く大山はまったく見えないが、ときおり、冬の気配を沁ませた陽射しが落ちる。

 レンブラントの数少ない風景画の1つに『石橋のある風景』というのがあるが、やや暗い空の中から一条の陽光が中央付近の樹木を照らしていて、この絵をみるたび、冬の到来をいつも想う。

       レンブラント『石橋のある風景』 アムステルダム国立美術館

 似通う光景が車窓から、チラッチラッと見えては直ぐに流れて消える。その束の間が、いとおしい。

 レンブラントはその束の間を絵画として永劫のものとしたが、こちとら、そういうワザの持ち合わせがないんで、車窓のうつろいをただ茫漠とやり過ごす。

 もったいないような気がしないではないが、画家のようにはいかない。憂鬱と憂愁の狭間で時に燃え上がるような歓喜もおぼえ、ただ揺れる。

 

 鳥取市。賀露港の市場食堂で海鮮を味わう。

 kosakaちゃんは既に何度も足を運んだ店だけど、当方ここで食べるのは初めて。

 あれこれ豊富なメニューに、どれにしようか大いに悩むが、こういう時の悩ましさって~のは期待が背後でウズウズしてるんで、オモチロイねぇ。成就しない恋の悩みとはテンデ違う。

 1250円という値段のわりにズイブンなボリューム。ビールは別料金。

 やまな食堂でホルモン焼きそばを食べているので、全部食べられるかしら? と束の間思ったけど、全部ペロリ。

 いや、しかし、風強く、かつ冷たい……。

 あんまりウロチョロしたくない。売られるがために水槽にいる松葉ガニ達は逃げてウロチョロしたいだろうが、こちとら、そうでない。

 という次第で、八頭郡八頭町の隼駅に車を駆けさせる。

 路線短き若桜鉄道の隼駅は、1部のバイク乗りにとっては聖地。

 当方、バイクに乗らないのでハヤブサというバイクに興味は持っていないけれど、昭和4年建造の駅舎には興味ビッグ。

 こういう佇まいが好きなホ~。

 ちょうどうまい具合に車両が入って来たのはラッキーだったかな。

 

 鳥取県から兵庫県へ向かう。

  宍粟市安賀の道の駅「みなみ波賀」の後ろ、引原川沿いのモミジ並木が、赤から茶色に変わりつつあった。写真はKosakaちゃんが撮った2枚を合わせたもの。

このミニ・ツア~でやっと出会った「秋っぽい色」だった。

 

 ちゅ~ワケで、岡山に戻ってのやや遅い夕飯は、山陽町の某店で茶色きわだつカツカレー。

 3度の食事に3度のビール、上等ジョウトウ。

 

プチパインでSASライブ

 

 

 ヴァイオリン・ジャズギター・フラメンコギターという編成のSAS(サス)。名古屋からのお越し。ジプシーキングス系スパニッシュJAZZユニットというコトで、聴くのは初めて。

 たまさか、70年代末の英国バンドCARMENの2枚のアルバムを愛聴し、シャワーを浴びるがごとくスパニッシュ・スパイシ~なフラメンコギターに官能の芯を燃やされている身として、こたびはどんなサウンドなんでしょうや?  興味シンシンで着座した。

 やたら女史率高し。

 

 ヴァイオリンが中心。それを奏でる高橋誠の人気がそのまま女史率高騰の原因か?

 ウンうん。好い良い酔い。

 3つの楽器が1本のロープとなり、時に直線、時に曲線、しなり、うねり、クルリ廻ってピョンと跳ね……、そんな自在なうごめきに優美さが引き出され、プチパイン瀟洒な空間そのものが、踊った。


 が、しか~し、第2部がはじまった直後、当方の左足、フクラハギとアシクビ辺りが攣っちゃった。

 グギ~っ。

 ことさら急に運動したワケもなく、重い靴を履いてたワケでなく、理由不明。

 前々日に備前市吉永の田倉牛神社に詣で、ケッコ~きつい石段参道に、

「うへ~っ」

 とナンギさせられてはいたけど、よもや、それが原因とも思えないし。

 なれどとにかく、攣ったツッタで痛いのなんの……。

 こういう場合、隣りの席のヒトに救いを求めたって何ぁ~にもならない。隣席の谷本氏が気遣ってくれたけど、むしろ迷惑ゆえ、

「だいじょうぶ〜〜」

 と笑む。

 よって1人、脂汗が滲むような思いをひた隠し、足をモゾモゾ、両手でモミモミなどして、早急な緩和を願うばかり。

 ちゅ~ワケで、後半の2曲ほど聴けてない。

 耳に入ってはいても、左足の痛苦が優り、集中は演奏ではなくアンヨに……。

 しばらく後、ほぼ突然のように、何事もなかったように復帰して、ヤレヤレのホッ。

 なワケでの聞き逃しに、大きく損しちゃった気分ながら、後半のリズムにまたノッかって、再度、好い良い酔い。アンコール曲もしっかり堪能し、ま・ん・ぞ・く、の4文字で円を閉じる。

 

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 上記の通り、過日に田倉牛神社(たくらうしがみしゃ)に詣で、勾配のきつい石段を登り、とんでもない数の備前焼の牛の山を見て、

「わお~っ」

 積もりに積もったピープルの願望祈念に、かえって……、空恐ろしさを感じないワケもなくはなかったが、そんな気持ちの動きが、はからずも、翌々日のプチパインでの足攣りとして、いわば、報いとしてバチがあたったのか……、などと思っちゃ~イケナイ。

 これはコレで、それはソレ。

   

 同神社参拝では社務所牛の備前焼ミニチュアを買い、さらに、堆積した備前焼き牛の中から1ケを拾って持ち帰り、念願かなえば2つをお返しするというのがシキタリだけども、当方としては誰とも知らないヒトが祈念をこめたミニチュアを持ち帰る気、なし。

 ちゅ~ワケで、1200円で買ったミニチュア牛1つに、

「よろしくお願いしま~~す」

 自身が祈念し、そのまんま持ち帰った。

                 枯葉踏みながら参道をゆく

 そも、この田倉牛神社は一般的な神社でない。

 本殿もなければ拝殿もなく、鳥居はあるけど昭和になって造られたもの。ジンジャではなくウシガミシャと読むあたりにもその生い立ちが滲んでる。

 社務所におられる方も、「神官ではなく、私、僧侶です」と正直に申される。

  では本来は寺だったかといえば、やはり、そうでない。

 御神札もお守りも絵馬も破魔矢も、売っていない。あるのは牛のミニチュアと御朱印のみ。

 上記の方(80歳代とのこと)と話す機会あったので、社の由来など聞き、そのさい当方はラミネート加工のお守りを頂戴したけど、それはこの方のごく個人的な神仏合体思想による授与品では、なかろうか。

 ともあれ、大昔、農耕生活における牛を大事に扱ったゆえの、その牛を奉った、素朴で原初っぽい息吹きのみで成り立っているのが、ここの魅力。

 牛に向かい無心に祈る、という基本が素敵。備前焼きの地であるコトもこの神社興隆に寄与してる。

 かなり急斜な石段。これが足の攣りの原因か?

 つもり積もった牛の陶器——

 ここのトイレは、入口が男女別になってるけど、中は一緒の空間なので、いささか苦笑の要注意。

 

 牛神社の帰り道、和気駅前の食堂で、どってコトのない親子丼を食べたけど、こういう場合、ビーフカレーあたりが、良さげだったかもや。

 

読み比べ『宇宙戦争』

 

 新訳で本が出ると、刷新感が前面にあって、良さげに想うコトしばしだけど……、時に、チョイっと違うんじゃないの~、と思う新訳もある。

 H・G・ウェルズの『宇宙戦争』が、それ。

 過去、ジュブナイルを含め数多アレコレの版として出回って、当方宅にも翻訳者の違う本、幾つか有り。

 イチバン古いのは昭和42年(1967)刊行の中村能三(よしみ)訳の角川文庫。

 次いで偕成社2005年に出した雨沢泰の訳本。

 さらに、同年に出た創元文庫、中村融が訳した“新訳決定版”。

 この2冊は、トム・クルーズ主演のスピルバーグ映画『宇宙戦争』公開の前に出た。

 当方ながく1967年の角川版-中村訳を愛読していたので、21世紀になってのこの2つの訳本には、やや面喰らった。

 事件の発端となる火星での謎の発光現象の観測シーンで、久しく親しんだこの版では、地球側に向かって飛び出したらしき何かについて、

飛翔体

 と書いている。

 それに対し、新たな2つの訳本は、

ミサイル

 と記される。

 あらまっ、ロケットエンジンもまだ開発されてもいない大砲時代にミサイルって単語があるの?

 大いに訝しんだ。   

   

 では、19世紀末のウェルズの原文はと調べると……、なんとま~、

missile

 とあるじゃんか。

 それでもっと調べてみるに、当時すでにこの単語は一般的ではないながら、ラテン語のmittere(投げる)から派生した物理学用語として存在し、意味は、

「外的なチカラで押し出され、慣性によって動き続けるもの」

 というコトらしいのだ。

 で、その延長として、

「石や矢や弾丸もその範疇に含む手や仕掛けによって発射される「飛び道具」を現す」

 という意味合いが含まれ「projectile」と記されることもあったようなのだ。

 というワケで、19世紀末に「missile-ミサイル-」という語があるのは、判った。それをウェルズが使ったワケだ。

 

 この「missile」を1967年の角川版-中村能三(明治生まれの翻訳家)は、「飛翔体」と訳したワケだが、良いではないか。実にいいじゃないか

 北朝鮮から発射された物体を近頃の日本政府は「飛翔体」と云ってるけど、語彙の原典はこの中村能三の『宇宙戦争』かも知れない?

 確定出来ないモノに向けての表現として、ゆえに、この「飛翔体」はとてもヨロシイよう思う。

  一方、2005年(平成17)の2つの訳本は、そのまま「ミサイル」とした。

 これは……、いただけない。

 今の我々が耳にするミサイルは「軍事のための爆発物をロケットで遠距離に飛ばす兵器」というカタチにイメージが限定されているから、ウェルズの時代とは受け取り方が、まったく違うんだ。

       

 小説中の「ミサイル」は第1章のはじめの方で2度ほど登場するけど、火星から兵器が発射されたというニュアンスはなく、地球からそれを観測した眼には、未知な現象としての、まさに「飛翔体」が飛び出たらしいという、その後の展開とのギャップも含んでの適切適語なハズだったよう思われる。

 当時の英語圏の方々も、おそらくはこの耳慣れない単語を通して、遠い火星での異変を天文学的な事象のようにウェルズが書いたと了解したと思う。

 それを21世紀の現在、ただ「ミサイル」と書かれると、直線的に、第1章の最初っから、火星が地球に向けて攻撃しているという感じになっちゃって、小説の流れとしてコレはそぐわない、というよりも展開の醍醐味の足を引っ張ってツマラナクしている……、と思うんだ。

 

 しかし一方で、新訳によって新たな領域がもたらされるのも事実で、『宇宙戦争』の場合では、火星人と機械についての描写濃度がかなりアップしている。

 1967年版-中村能三訳では、火星人のカタチが掴みにくい。

 地球にやって来た火星人はアレコレの機械を使うのだけども、そこの描写がアイマイというか、どこが火星人そのもので、どこが機械なのかが判りづらい。

 常に前置詞として火星人があるので、カタチの掌握がむずかしいのだ。

 一方の2005年の2つの訳本では、そのあたりの描写がヤヤ判り良く、ほぼ頭だけの生物である火星人が、その行動範囲を拡げるがために、三脚足のトライポッドなどの機械に乗って、いわばパワードスーツのようにそれら複数の機械を活用しているという感じが、かなり明瞭に伝わってくるんだ。しかも、それら機械は地球にやって来てから順次組み立てているという辺りのコトの次第もよく伝わる。

         

                偕成社版『宇宙戦争』の佐竹美保の挿絵 

 明治生まれの中村氏は、1967年時点ではパワーアシスト、強化スーツというカタチの装着機械への理解が薄くって、それが翻訳にも反映され、彼の「火星人理解」そのものがいささか弱いような感じがあって、ウェルズのその発想を汲み取りきれなかったよう思えて仕方ないのだった。

 けども、古典をコテンのままに味わいたい気分がコチラにはあるんで、中村能三の今となっては古めかしい訳が、その時代性の香気となって、イチバンに当方の気分にマッチするようにも思ってるんだ……

 ウェルズは火星人の侵攻によって右往左往するヒトを描写し、その心理にまで踏み込んで克明に描写しているが、中村訳はそこを日本語として実に上手に翻訳しているよう、思う。

 氏自身の空襲体験など戦争をくぐり抜けた経験が、この『宇宙戦争』翻訳に反映しているような気もするほど、逃げ惑う人々の描写や心の動きが実に深いところにまで浸み沁みしてる。ウェルズの原文の中の悲惨を逃すことなく日本語に置き換えていると、思う。

 

 その点で最近のバージョンは、判りやすいけども、古典ゆえの読書感が、いわば薄味スープみたいに平たくなった感じがあって、そこがどうも、引っかかるのだ。

 すでに話の内容は判りきってはいるけれど、読む歯ごたえが新訳と旧訳ではいささか違うトコロが、読み比べとして、ま~、おもしろいワケです。

 

 そのオモシロサを愉しんでいる今日この頃ではありますがぁ~、近年(2019)にコミックスも出てる。

 3巻で完結のKADOKAWAのがそれで、大胆な脚色も加えつつ、極力にウェルズの19世紀末時代を忠実に描き出したというコトらしいのだが、読んでみるに、漫画として眼で見せるものだけに、火星人の凶猛な熱線(光線)や毒ガスの威力がビジュアルとして迫り寄せて、

「こりゃ、スゴイわぁ」

 漫画の優位性に感嘆するんだった。

 が、大きくガッカリもしている所があって、原作では主人公はアレコレの雑誌や新聞に記事を載せる著述家だったのを、写真家というカタチに変えているのが、よろしくない。

 劇中、頻繁に主人公はカメラを持ち出し、撮影し、フィナーレではその写真の効力が感動的に描かれてもいるのだけど、ズバリいえば、時代に忠実ではないんだな、その描写では……

 登場のカメラの時代が違うんだ

 描かれているカメラは明らかに米国コダック社のブローニー・ジュニアNo.1 という製品なのだけど、それはこの漫画が舞台とする1901年にはないものだ。

 漫画ではウェルズの設定した時代より1年先、20世紀に入った直後に変更しているけども、それでも、その1901年にこのカメラは存在せず、発売されたのは1920年だから、未来のモノなんだ。

 加えて云えば、このジュニアNo.1は大衆向けの廉価なモノで、名の通り、お父さんが中学生くらいの子供にクリスマスにプレゼントするような製品であり、レンズ精度も平凡で、比較的容易にスナップ写真が8枚撮れるというカメラだった。現像やプリントは、カメラごとコダックに送り返し、新たなフィルムも入れてもらうというカタチだ。

 一方で当時の写真家は、ドイツ製品ゲルツ・アンシュッツ・クラップ・カメラを使ってた。レンズも良くフィルムサイズも大きいので品質の高いプリントが出来る。現像や引き延ばしもユーザー自身がおこなう。ボディが大きいのは両手で左右からガッシリ挟み持って手振れを抑止するがゆえの構造だ。

                 ウィキペディアより

 1920年代後半からはツァイス・レンズが採用され、日本では新聞社に写真部が開かれるや、多くがこのカメラ(キャビネ版サイズ撮影)を所有し使った(もちろん同カメラも年々グレードアップし、大戦時にはフラッシュを外装するなど、大きく変化している)戦後の日本では1950年にGHQ統括の元で米国製のスピグラ(正式名はスピード・グラフィック)という写真機のみが新聞社への「特別購入枠」として輸入(1946年からの臨時物資需供調整法に基づく)が許可され、結果、ドイツ製クラップ・カメラの座を奪ってる。

         1954年の映画『ゴジラ』のシーン。スピグラを構えたカメラマンがみえる

 

 そんな次第で、この漫画で描写されるカメラは時代が違う上、職業写真家が使うモノではなかったという史実とのすり合わせがかんばしくないんだ、な。

 良いインパクトがある漫画だけど、そのあたりの整合性の悪しきが、かなり惜しいコトでした、な。

 

矢野さんの歌声

 

 久々に夜の街に出る。

 ロッコツを傷めて以後、吞みに出るのを自粛というか、用心というか、家吞みに終始し、なのでズイブンにお久しぶり~な感じでチョイ新鮮。

 ま~、こたびはかねてより予定していたワケだけど、たかちゃんの店で、矢野啓三郎さんの歌声を聴く。

 岡山在住の不動のボーカリスト。たかちゃんはかつて彼にジャズ・ボーカルを学んだので、師弟の関係。

 ベースにサトウヤスオ御大。

 こたびはノーチャージでの異例の身内的な催し。

 とはいえ当方、矢野さんとさほど懇意なワケでもない。

 もうだいぶんと前になるけど、彼のCD「桜」を買ってしばし愛聴していたコトがあるにはあるけど、時にどこかのBARでバッタリ遇ったり、どこかで歌声を聴く程度で、親しく話したコトはない。

 けどもいつも、その佇まいに清廉を感じてはいて、ベチャっといえばカッコ好いと当方が想っているヒトの1人。

 カッコ好いと想う岡山在住のミュージシャンは、そんなに多くない。

 DATEさん、黒瀬さん、福武さん、矢野さん、サトウさん、池田さん、などなどなど……。皆さんスタイルやスマイルが違うけど、音楽の陽射しの中を飛んでるイカロス達。

 イカロスは一気に高く登ろうとして翼を焼かれたが、我が敬愛の皆さんは無茶しない。けども羽根をピンと張って飛行しながら、嗜好は違えど、中空に音楽でもって宮殿を創り続けるアーキテクチャー、建築家としての永劫感覚を同じくして、かつ、根っこがすこぶるピュア~。

 そこに“信”をおけるよう想ってる。

 表現者としての澄明な視線を維持し続けてらっしゃる姿勢に、惹かれる。

 ま~、そんな理屈っぽいコタ~どうでもよろしい。

 たかちゃんの店のさほど広くはないけど居心地良い空間でアルコールを口にしつつ、醸されたゆるやかな時間を食(は)んだ。

 ハシゴ酒をと当初は思ってたけど、矢野さんの歌声とサトウさんベースの、その波の豊穣に浸かり、この夜はこれにて円を閉じ、シメとしちゃお~と、そう心変わり。

 浮遊感あって昂揚も上昇したミニ・ライブだったと、雨あがりの、帰りのバスの中でニッタリ北叟笑む。

 終演後、ボーカリストの昌子さんとのスリ〜・ショット♥

 

ホテイアオイ数株のみ

 前回ブログで紫色の花をつけた事を書いたけど、その花がすべて萎(しぼ)んで、ホテイアオイも冬シーズン、休眠期に入ろうとしている。

 この植物はニンゲンの皮膚感覚よりも鋭敏に、実際の季節の変わりをよく掌握しているに違いない。

 ニンゲンは、虚実ゴッチャ煮で自分イチバン男を大統領に選んだ米国人を大いに訝しんで、「なんでっ?」などと困惑してアタマをかくが、ホテイアオイはそんなコタ〜見向きもせず、ただ季節のうつろいに、気温の変化に身をゆだね、同化している。

 いわば、

 自然の 自然による 自然のための自然、に徹している。

 この数日でアッという間に花は失せた。

 昨年はそれが10月半ばだった。今期は3週間ほどのずれ込みとなったが、ホテイアオイは冬到来を察しているワケだ。

 けど、南米生まれの植生ゆえ、日本の冬は乗り越えられない。

 それで……、数株を無造作に選んで、池から室内に移動させる作業をば、おこなう。

 選ばれたホテイアオイのみが越冬し、庭池に残ったのは皆、数週間後には寒さに負けて、枯れてしまう。いささか無惨ではあるが、しかたない……。自然とニンゲンの交差点における悲喜こもごも……。

 池から取り出したヤツの根を少々刈り、適度に全体を洗う。

  

 今回は3鉢を用意した。この3つに入るだけのホテイアオイを池から移し、洗う。

 鉢にネットを敷き、鉢底石を敷き、去年買って使い余っていた水生植物用の土でくるむようにホテイアオイを鎮座させる。

 あんのじょう、土が足りない。

 水生植物用土は、早いハナシ、稲が育つようなタンボの土なんだけども、当然にタンボを所有していないんで、手に入れるには園芸店に行くっきゃ~ない。

 作業中断し、近場のホームセンターに駆け、去年と同じのを1袋あらたに買う。

 

 帰ってすぐに作業継続。

 土を積み入れて、慣らし、水かける。

 ジャブジャブかける。

 鉢の底にヤヤ深めのパッドを敷く。ここにいつも絶えず水があるコトが重要。なんせ水生植物だ。

 3鉢を室内の窓のそばに置く。

 これで今期のホテイアオイ作業は終了。

 後は来春また池に戻すまで、常に水をきらさぬよう心がけるコト、のみ。

 室温や灯りの加減なども絡み、失敗の可能性もあるが、うまく冬を乗り越えてくれたら、う・れ・し・い・な。

 来年もまた園芸店でホテイアオイを買わずに済む。

 作業中、別用途の土の袋に眼を向けて、一瞬、「さし身の種まきの王」と読めてしまった……。

 作業終え、ホームセンター横手のマクドナルドで買ったビッグマックを2ケ、レンジであっため直し、パクリ。

 食べ残したポテトは夕飯の味噌汁にいれる。出来上がった汁の最後の一煮立ちに投入するのがベスト。揚げられて逃げ出せない塩分が味噌汁の中にホンヤリ滲み出て、アンガイと旨っ。ハナっから入れちゃうと何だかフニャけたショボいモノになるんで、ヨ〜注意。

 ビッグマックの後、パッションフルーツも小庭から室内に移動。枝葉は越冬用に大幅カット。

 窓辺がヤヤ賑やかになった。

 

越冬準備

 

 11月のアタマに岡山市の広報誌「市民のひろば」がポストに入ってた。

 タイトルに「いつまでも働きたい」を応援しますとあった。

 それで、「えっ?」と首かしげた。

 皆さん、自ら好んで、いつまでも働きたいのか?

 多くの老いたる方々は働かなきゃ〜やっていけない、というのが現実なのじゃあるまいか?

 働かずとも自分生活を楽しみたい……、というのがニンゲンっぽくはないか?

 そんな暮らしであって欲しいのだが、あたかもシュミ生活の延長がごとくに労働をバラ色に塗り替え、老いたるを働かせたいようで、

「違うんじゃない、これ」

    

 行政のおこないとしては、

いつまでも働かなきゃいけない方を支援します

 が正しいのじゃないかしらん。

 そも、応援と支援はかなり違うものでして……、吸える空気が薄くなるのを感じて、

 しかめっ面になった。

 

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 11/3文化の日、小包が2つ届く。

 1つはあがた森魚さんの事務所からで、CDが2枚。

 サインの入った方の最新作『オリオンの森』を聴きつつ、もう1つの小包を開封すると本が出てきた。

 ユリイカの「松岡正剛特集号」。ページをめくると、奇しくも、あがたさんが正剛氏を追悼するエッセーも載っていた。

 かつて10年前、正剛氏と空港でばったり遇った事を……、「そのたわいない束の間に――」、と回顧されていた。

 当方もまた、晴天となった文化の日に、2つの小包が同時偶然に届いたコトを、「そのたわいない束の間」として、いずれ回想し頬を緩ませるコトができるか。

 一方通行でしかない時間の流れがあやなす偶然と必然の曼荼羅めいたモロモロを想う。

 

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 庭池のホテイアオイに紫の花がつき、束の間、水面が賑やかになっている。

 もっとも、繁殖し過ぎて水面はあんまり見えない。池全域がホテイアオイに覆われて、他の水生植物は大迷惑というアンバイ。

 開花が終われば1年のサイクルとしては休眠期に入るけど、外来種たるこやつめは日本の冬の外気温に耐えられない。

 それで毎年枯らし、次の春に園芸店で新たに購入して池に投入を繰り返したけど、昨年の10月後半に、数株を鉢に植えて室内に入れ、様子見し、ほとんど葉もなくなったのを、今年の春にまた池に戻してみたら、その数株が復活し勢いづいて、写真の通り、今や盛大に密茂という状態。

 紫色のなが~い繊毛めいた根がドンドン伸びるので、夏場は2週間に1度ほど、草取りみたいにセッセッと根を引きちぎるという乱暴なコトをしていたのだけども、へこたれない。

               黒く見えるが根は光に翳すと深い紫色

 しかし、さすがに11月。水温が下がってきていてる。

 この開花が終われば、また、2~3株を鉢に移植して部屋に入れよう。

 昨年は10月19日にこの移植作業をやっている。皮膚感覚として充分に冷えていたワケだ。

 だけど今年は10月になっても夏の余熱冷めきらずという気配で、作業時期も遅延後退だ。

 富士山も初冠雪が遅れに遅れ、いまだ白いもの見られずで、観測史130年で初めての事態というコトらしいが、小庭の小さな池であっても、温暖化現象が見てとれる……。

 ずっと化石燃料に依存した結果ゆえの高温化……。かといって原子力発電を歓迎しないし、この先が思いやられる。

 ホテイアオイの根は柔らかく、よく茂るので、金魚の遊泳を邪魔するけども、その密茂っぷりゆえ逆に、魚にとっては良き産卵場所となるようなトコロもある。

 この夏オドロイタのだけど、金魚が1匹生まれ、気づいた頃には割合い大きくなっており、両親(?)らと一緒に泳いでいる。

 茂った根が良きユリカゴとなったようだ。

 となれば、夏の合間、無造作に、草むしりみたいに「根むしり」をやってたけど、ひょっとすると金魚の卵がくっついたのも……、むしったかもしれない。

 閉じた庭池世界ながら、生態系というモノを考えさせられる。

 ま~、いいさ。

 今期の土への移植は来週あたりにやろう。

 

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 小庭中央のセンダンはおごりにおごり、枝をグングン伸ばしていたけど、落葉し、地面に黄色に変じた葉を落としつつある。

 ご近所の方々、庭木に注視できる方々(大体が年配者だけど)には、

「今年もよ~育ちましたなあ」

 と声をかけられ、ヤヤ嬉しいような気もしないではないし、けども、しっかり観察されてるんだなぁ、などと思ったりするけど、放っておけば、来年さらにデッカクなるのは眼にみえているので、気の毒だけど、伸びた枝を伐採し、これ以上デッカクなるのを抑止する……。

 2階ベランダから見ると庭中がセンダンに覆われているよう。

 雨の翌日、晴れ渡った午前中、園芸ノコをあてがい、次々に枝を落とす。

 そこそこのチカラ仕事。幸いかな、ロッコツの痛みは8割減って脚立に登る作業も楽ラ~ク。

   

 夏の盛りに涼しい木陰を作っていた枝葉が失せると、一気に、庭は寒々しい感じになるけど、しかたない。

 徹底的に枝をカットして、丸坊主というより丸裸にする。

 いやしかし、10時、11時と時間が進むと共に……、気温もあがり、汗タ~ラタラ。ホンマに11月かい? と顔しかめるほどのカンカン照り。

 これほどに伐採しても、毎年、春になれば、芽吹いて新たな枝が出てくる。今回も来春にはそうなるであろうとの予測でもって、センダンには申し訳ないが、ゴリゴリと枝にノコをいれた。

             切り落とし後の処理がイチバンに大変……

 

 けども、枝葉ごっそり落としてしまうと、緑色が失せ、空間がひらけ、赤裸な閑散感触も押し寄せてくる……。ま~、これもしかたない。来春に向けての我慢の時期がはじまるワケだ。

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 次いでゆえ、道路にはみ出た金木犀の枝葉もカットし、こじんまり……、させた。

 チョキチョキつまみ、幾つか枝をゴリゴリ。

   

 大汗かいた作業だけども、車高の高いクロネコさんのトラック荷台などに、これで触れることなし。良し良しヨシ。

 

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 夜になってから、センダンの枝を落とした部分に薬剤を塗布し、化膿症の予防とした。

  こんな農薬があるのを最近知った。再生力が強いとはいえ、切られて大怪我をしているワケで、それで、オロナイン軟膏を塗るみたいに、いたわった……。

 効能がどれほどなのか、気休め的療法となるのか……、結果は来春に持ち越し。