うるう日

 本来は3月1日となるハズが、今年は4年に1回の閠年(うるうどし)。

 その当日の閠日29日。

 日本の今の漢字表記ではではなくと書かれるので、ここでも準じて閏と書く。これを読むデバイスによっては閠も閠も同じ表示になっている場合もありますので念のため、画像として下にも置いておく。

 うるう年2月は、1日のびるので、損な思いとなるか得な気分になるかは知らんけど、べつだん支障なし。

 ま~、この29日に生まれたヒトのみは、来年は28日が誕生日となるので、1日早くバースデー・ケーキに接するから、得したような感じと損したような気の狭間で肩先が揺らいだり、憮然としたりするんだろうけど、ま~ま~、仕方ない。

 しかし、うるう年の「閏う」っていうのは、いい語感ですなぁ。“潤う”に同じく、チョイっと満たされるような感じがなくはない。この日を設けるコトで天体運行と暦のズレを修正し、日々の潤いを正常に戻すという次第だ。

 

」は日本国語大辞典にもある通り、「」を書き誤った漢字らしいが、そのまんま使われ、定着したらしきで、これはすこぶる、おもしろい。

 時期はいつ頃かしら? 紀元前1000年頃の西周王朝の頃には「潤月」と書かれているらしいから、それ以後か?

 綴り間違ったゆえ逆に印象がよくって、漢字として独立したというのがオモチロイ。

 その時点までは、「」という字はないんですわ。

 以後、概ね暦に関しての単語に使われる。

 閏正月 (文字通りの閠年の正月)

 閏名月 (閠年8月の満月)

 閏同士 閏年、閠月に生まれた男女は別格に仲が良いという意味)

 閏位  (正統でない天子の位)

 閏秒  (精緻な原子時計と閠日の微少だが大きな差となる秒差を修正するさい使う

 閏月  (文字通り)

 閏月役 (うるうづきやく - 中世の閏月役にあった閏月のある年のみに加えられた課税)

 閏賀  (うるか - 揖保川上流の一地域名)

 したがって、当初使った「潤う」にある“湿り気”や“濡れた”感触は、「閏」には含まれない。

 かっちり独立一歩立ちした漢字になってるわけだ。

 

 けども、ただ1つヘンテコな使用例がある。それも岡山県に。

 岡山県の一地域では、

もう閏うた

 という言い方が有り、これは「もう飽きた」というコトらしい。

 わざわざ辞典に記載されている。

 けど、当方、県北にいた頃も県南に引っ越してからも、ついぞ聞いたことがない。

 ま~、でも掲載されているのだから……、過去には使ってたんだろう。

 深掘りしてみるに、悪い使い方でもないような気がしないでもない。

 充分に潤ってもう満足、それ以上はもうイイヤって~感じを漢字として「潤う」でなく「閏う」としたあたりに、ウエットでなくドライな、シャレっ気めいた気分を反映させたように思えないでもない。

 希有な例のようだから、その地域が特定出来るなら、「閠うた祭」とか称した地域お越しのイベントも出来そうだけど、ま~、そんなこたぁ~どうでもイイ。祭でのみ売られる「閠うた餅」を考案したって良いが、べつだん喰いたくもない。

 

 ともあれ、はるか昔々に、4年に1回の2月の追加デーを「潤日」でなく「閏日」と記したのは、印象操作という点で、実にまったく興味深い。

 いっそ、意識的だったんじゃないかと愚察するわけだ。

 だって、「」を書くには、まず左側の“さんずい“から書き出すのが通常であって、それをスッ飛ばすというのはありえないコトで、これは意識的に省いたとしか思えないんだよ。

 誤記ではなく、意識的な創造としてだ……。 

 きっとホームズもポアロもそう推理するであろうハズで、となれば、誤記ではなく、あえて、誰かが……、確信犯として新たな漢字を造った、そう企てたと、いう以外に答がないじゃ~ないか。特別な日を特別でもない潤と書くと“特別感”がないじゃ〜ないか……。

 

 であるなら––––––、それは昔々の中国の科挙で選ばれた官僚が、国語を担う上級官僚の誰かが、「潤」の“さんずい”は液体やら水に関しての部(海、湖、池、河、渚、汁、沖、汐、沁、泳……)ゆえ、そぐわんだろう。いささか乾いた語感として、満たすべき日「うるう日」をどう記したらイイかと思案の末に、あえて、“さんずい”を取っ払い、誤表記と笑われたり責められるのを覚悟の上で「」なる字を、でっち上げたんじゃないかしらん? 

 であるなら––––––、勇気ふりしぼった英断だったなぁ~。後世には「誤記」とされてしまったけど、デッカイ跳躍をやらかしたヒーローに価いした人物がいたんだなぁ。あるいは官僚グループがいたんだなぁ。

 と、ま~、そんな突飛な空想でニヒヒっと笑う……、閏日のわたくし。「うるう」の一漢字成立の遠い昔々にメダマの焦点を持ってって、4年に1回のこの日への敬意を湧かせつつ、こうして書いてるんだった。

CMYK

 

  過日、2日半ほどブッ続けの雨模様。倉庫を片付けようと思っていたけど、外に出るのも億劫。

 丸3日、部屋に垂れ籠め、何冊かの本とDVDを眺める。

 大昔30代前半の頃だかに買った古い映画ポスターを紹介した輸入本を久しぶりに取り出し、今とは異なる、色使い、当時の文字のカタチ、構図、配置などなどに小さく感嘆する。

 それらをそのまま現在の映画に適用は出来ないけど、それがゆえ逆に、その味わいに親和させられた。

 去った時代のモノながら、古びず、退色せず、とてもグッドな味わいの数々。

 

 で、フッと思い起こし、パンナムの1960年代頃のロゴのことを調べ直してみるに、米国企業の社名ロゴについての詳細資料をネットでみっけた。

 前々回の記事に書いた通り、映画『2001年宇宙の旅』で使われた宇宙船側面のパンナム・ロゴは1957年に一新(それまでにもアレコレのデザインあり)されたモノなのだけど、これの色についての記述というか、印刷のための色指定をみつけたワケだ。

 表記によると、16進数での色指定は「#2b67ac」であり、CMYKカラー分解での指定は「70 40 0 33」とある。

 これはラッキ~。

 パンアメリカン航空のロゴ色が、これでハッキリしたわけだ。

 1/72スケールというでっかい模型製作にまもなく着手しようとしている身として、このカラー指定はとてもアリガタイ情報だわさ。

 一般には「ラピスラズリ」という名で知れた青色だ。 

 青色というだけでは、薄いのやら濃いのやら、絶妙な色調が多々あって、ホンモノの色というのは見いだしにくい。

 それが「ラピスラズリ」であり、印刷するならば4色分解での指定数「70 40 0 33」、シアン70%・マゼンダ40%・イエロー0%・キープレート(黒)33%、であること必需というポイントを押さえられたのは、嬉しい。

 

 さっそく過日に造った模型用デカールの版下を修正。パンナムのロゴは1色のみなので、作業楽勝。指定色に変更のみ。

 80年代末のホノルル空港のパンナム・ショップで販売されていたマグカップの、そのレプリカを持ってるけど、このヤヤ薄っぽく見えるのが正当色なのだね。

 

 事のついでだ……、1/72のオリオン号の内部パーツを造る。

 運転席じゃなかったコクピット部分と客席部分を構築し、以後の作業に備えようという魂胆。

 本体に組み込めば、ほぼ95パーセントは見えなくなるけど、見えない場所にあるべきモノがちゃんと有るのがイイのだ。

 見えなくば造る必要なしというのが「合理」って~もんだが、模型は合理の産物じゃなく、いっそ合理主義的指向を「理不尽」なものとして哄笑する位置にあるような気がしないではない。

 見えないからジーンズの下はスッポンポンじゃ、居心地悪いじゃないか。

 

 映画のシーンを眺めるに、客室の前面にもう1部屋あり、さらに奥側にハッチがあるのるが判る。

 サービス提供のための乗務員室らしき空間がチャンと描かれているワケゆえ、見えずとも……、そこも造っておく。

 パーツを改造してハッチ部分をカットし、その向こうに小ルームらしきがあるのを“再現”しておく。

 ギャレー(調理室)機能もある部屋だろう、と想像しつつ、ではオリオン号ではその設えはどのようなものかと思いをめぐらすのは、た・の・し・い。

 この新造作業は、2日半の雨のおかげかな?

 と、それにしても映画製作時には液晶モニターは存在せず、液晶という性質の「概念構築とその実験」という段階だったはずなんだけど、早やこの映画の、この宇宙旅客船では、椅子背面に個々のディスプレーが描写されているワケで、1席ごと塗り分けつつ、あらためてその先取に鮮烈をおぼえさせられた。

 

 次いでコクピット部分も造型。

 Piers Bizony著の「2001 Filming the Future」に撮影当時のオリオン号コクピット・セット図面が掲載されている。

 これを参考にしつつ、キットのパーツを活かしつつ、アレンジを加える。

 椅子の1つをあえて後ろ向きに配置し、テーブルめいたモノを置いてみたりする。60年代だから天板はややチープな木目調プラスチックっぽくに……、などと思い描きつつ工作。

 

 LED電飾を考えているから、まだ貼り合わせ出来ないんで、天井などは後回し。

 工作はここまで。

 毎度のことながら、作業後のビールがうまかったぁ。

 まだお昼の3時前だ。

 クピ~っと500ml缶吞み干し、シュポ~ンっともう1本あけちゃうさいの気分良さたるや、昼下がりの情事っぽい、ウフフって〜な背徳味。

 

   ———————————————————————————————————

    

 余談ですがぁ〜、映画『キングスマン ゴールデン・サークル』に米国のバーボン製造企業「ステーツマン」を装いつつ実は正義の秘密組織というのが出てきて、その本社ビルも画中に描かれてるけど、このビルが実は、パンナム本社ビルなのだった。

                   劇中でのビルディング

 

 もちろんパンナムは今はなく、現在のビル所有は生命保険会社MetLifeなんだけど、1963年にパンナムが建てたまま今も活用されているのが……、いいな。

       

                       現在の姿

 日本だと、60年代のビルなんて「再開発」の名のもと、取り壊されてしまうのが常だけど、残すべきを残す文化土壌が養われ更新し続けられているのが、羨ましいな。

        

 1963年にオープンした頃のパンナム・ビルディング。ロゴ部分以外ほぼこのまま活用されているようだ。いいねぇ。

 なるほど日本は、法隆寺だの東大寺だのは大事にしてはいるけど、近代のモノに関しては「消費」という経済的原則のみで駆けてて……、いけませんなぁ。

 黒川紀章のカプセル・ビルも壊し、明治に植樹された森を捨てようとしたり……、そんなコト続けてちゃ後世に何も伝わらないし、文化継承という基礎の土さえ痩せちまう。

 100年先には、

「2024年前後の日本は目先利潤のみの、不毛時代だった」

 と嘲笑されるぞ、きっと。

 

 

10ヶ月ぶり秋本節

 

 馴染んだ店で馴染んだミュージシャンのライブ。

 10ヶ月ぶりの秋本節(たかし)のギターと歌。

 同じ店、同じ場所で昨年末に堪能したDATE SOLOライブ以後、ナマの演奏を聴いていなかった。

 ま~、そんなもんだ。

 DATE氏のライブでは清涼な湖に身を浸して活力を頂戴するような充足と満足があったけど、こたびもまた、乾いた皮膚に潤いがもたらされ、

「ふふふっ」

 当方ひそかに、喜色を浮かせ彼の数多のバラードに耳をかたむける。

 1月はなぁ~にもナマで聴いていないけど、年末時とこたびと、まことに美味しい馳走を連続で味わえた至福にひたるんだった。

 当然にご両者のキャラクターは違うけど、その違いが旨味というか、味わいの芯。そのヒトの姿カタチに萌える。

 比較としてではなく、好感寄せているミュージシャンの演奏をナマで聴けるその幸に、身体もココロも悦んでいるんだった。

   

 終演後は階下に下りての打ち上げとなるけど、そのさいはいつも、演奏をおえたばかりのミュージシャンと、どのような距離感をからませて喋るべきか……、考える。

 ステージから降りたばかりできっとくたびれているハズだし、チャプチャプチャプとこちらの思いを告げて自己満足って~のはイカンだろう。そう常に警戒というか戒めというか、意識的に距離をあけておこうとしている自分がいる。

 エネルギーを放出したミュージシャンと、エネルギーをもらったオーディエンスとの区別を、その場ではキチリ仕分けておかなきゃ~ミュージシャンに申し訳ないと思っている。

 ま~、その頃合いがいまだよく判らんのだけど、ともあれ、楽器を鳴らし歌声を披露するヒトに向けての憧れがボクには強い。

 羨ましい……、のだね。真似できない高みにミュージシャンはいるワケで。

 さらに加えて申せば、たとえばこの秋本は29年前の1月17日、住まう神戸で激震に見舞われ、かろうじて家から脱出し、眼の前の凄惨な光景に息を吞んだけども、その悲痛を越えた、あるいは越えるべく意識を内から外に向けた辺りから彼の曲は変化し、平易なラブソングではなくなって、より浸透性の深い愛の唄に変化しているようだ……、と当方ひそかに勝手に考察なんぞしちゃったりして、そんな風に考えさせてくれるシンガーという存在に興を惹かれてもいる。

 

 ま~、そんな理屈はどうでもイイか。ハッハッハ。

 ともあれ数時間、好んでいるミュージシャンとすごせる至福は何事にも代えがたい。打ち上げ時の差し入れ、M.Wakameちゃんのポテトサラダとキモ煮もメチャな御馳走でござんした。

   

 ロシアのナワリヌイ氏の不可解な”突然死”や、ミャンマーの非合法政権による徴兵制発動での若者洗脳化、などなど、いまだ人類が中世だの戦国時代だのの暗澹真っ暗な中にあるコトを証しているようで、ニュースが耳にはいるたび、いよいよこの浮世が嫌になっちゃうのだけども、音楽は、嫌になっちゃう時代の中でほぼ唯一の光明のような気がして、いけない。

 政治的空気の中の小汚い戦慄の、その真反対な美しき旋律のみが、今のところは唯一のヒトをヒトたらしめる奏であり、砦なんだろう。

 と、ま~、そんな思いに駆られもしつつ、身近にいてくれるミュージシャンズに濃い有り難みを感じている今日この頃。

2001年宇宙の旅:Orion Ⅲ

 

 ご近所のラブリ〜・タケちゃんがくれたチョコをありがたく囓りつつ、さて本題。

1月末頃だったか、眠ろうとして眠れない晩があり、羊をかぞえるのも何だしと弱ってたら、アタマの中に「美しく青きドナウ」の旋律が駆けた。

 綺麗な曲だわいねぇ。

 しばしはメロディを追ったが、この曲、「美しく青き」だったかな? 「青く美しき」だったかな?

 どっちだドナウ?

 と、気になりだした。そうすると眠ちゃお~という努力は揮発してしまう。

 ベッドから起き出し服をつけ、階下に下りて、暖房をつけ、iMacたちあげてウィキペディアで文字を拾った。

 あ、そうか。やはり「美しく青き」が“正しい”のだね、と納得。

 興がノッたので書棚から『2001年宇宙の旅』のBlu-rayを取り出し、モニターではなく久しぶりにスクリーンを下ろし、プロジェクター投影で観た。

 とはいえもう何10回も観た作品。早送りし、かの曲を背景に、宇宙ステーションにパンナムオリオン号が向かうシーンを観る。

 何度観ても、優雅かつ美しいシーン。

 ヨハン・シュトラウス2世とスタンリー・キューブリックの最高の組み合わせ。というよりも、「美しき青きドナウ」を宇宙空間に運んだキューブリックの着想に乾杯だなぁと感慨しつつ、ふと思いだし、amazonでオリオン号を検索。

 たしか去年の5月頃だかに、大きなサイズのプラスチック・モデルが出る予告があったよな。あれはどうなったんかしら……、何気なく探してみるんだったが、

「あらっ」

 驚いた。

 もう既に販売され、少量生産か、第1期輸入品は完売し、2期目が少々在庫というコトのようだったけど、なんか~、値段があがってら。

 確か2万円弱くらいとおぼえてたけど、3万を越えてるじゃんか……。

 円安ゆえ? 少量品ゆえの時価

 このままだとプレミア価格となってバッカみたいな値段になるかもしれない。

 悪しき予感がし、さて、そうなると、今のうちに……、というヘンテコ気分が急速に湧くんだった。

 

 去年暮れに海洋堂の「太陽の塔」を使ってディオラマ化したさい、

「もうこれでプラスチックの模型は造るコトはあるまいよ」

 と、確信的に思ったもんだったが、確信は、お豆腐の上に建ったビルディング……。

 もろいなぁ~。

 くわえて、この模型を製造販売の米国メビウスモデルズ社のことを兼々に好意的にとっている。 

 60年代頃のマニアックなSF系のモノや同時代の車などに軸足を置いて模型展開している極度に趣味性の高いメーカーで、ここが作ったモノなら信用していいという気も高い。

 

 という次第で2月になって大きなが届いてしまった。

 届いたら、すぐに開けてみるのが礼儀って~もんだ。

 手にし、軽度な仮組み。

 なるほど、1/72スケール。確かに大きい

 オリオン号の模型は複数持ってはいるけど、いずれもスモール。これは比較にならないサイズとディティール。

メビウスモデルズは1/350などスケール違いで幾つかオリオン号を販売してる)

 コクピットや客室部分もある。映画でのあのカタチを踏襲し、巧妙に再現している。

「いいじゃないか」

 ニッコリする。

 とはいえ、この宇宙船(米国ではオリオン号というよりスペース・クリッパーの名で通ってる。クリッパーとは帆船だ - スペースシャトル的客船だ)の窓は小さいから、そこに顔を寄せて覗きこんだって、そ~そ~内部は見えないであろうコトも、一目瞭然。

 どのように造りこんでも、船体を組み上げてしまえば、内部はほぼ見えなくなる。

 が~、それでも、いざ作業をはじめると、造り込んでしまうのがサガって~もんだ。模型ならはでの悲劇か喜劇か判らないけど、要は工作の満足度合いのバロメーターじゃね。チョイと加工したり塗装するコトで、

「あのカタチをこの手にしたぞ~」

 って~な、納得と得心をえるワケだね。

 模型全長は76センチほど。パーツを合わせつつ工作をどう進めるか、LED発光で航空灯などのギミックも仕込めるな……。クリアで綺麗だけど付属台座は使わないな……。早や検討している私っ。開封してまだ15分と経っていないのに。

 しかし、あんのじょうというか、パンナムのロゴがないんだ。デカール入ってないんだ。

 パンナムパンアメリカン航空)は、60~70年代は世界最大の航空会社、航空界のハナガタ企業だったけど1991年に倒産している。でも商標権は今もいきていて、現在の管財会社は容易に使用許可を出さないんだね。

 ナンギじゃねぇ。

 なので昨日、イラストレーターで作図を試みた。

 模型の該当部分のサイズを測り、径31mmどんぴしゃサイズのデカールを造る下ごしらえ。

 パンナムのロゴはネットで調べりゃ容易に見いだせるけど、ここで注意すべきは、そのデザインがいつのモノかということだな。

 

 実は2つ、あるんだ。

 もっとも知られているのが1970年頃にジョセフ・モンゴメリーがデザインしたロゴ。

 で、もう1つが1957年にパンナム社のデザイン・コンサルトだった建築家のエドワード・ララビー・バーンズが造ったロゴ。

 とてもよく似ているけど、絶妙に2つは違うのだ。PAN AMERICANのフルロゴも右方向にヒゲが伸びた独特なもの。

 映画『2001年宇宙の旅』はパンナムから使用権を得て60年代に製作されているワケで、当然に機体に描かれているのは、1957年にバーンズ氏がデザインしたロゴなのだ。

 

 というワケで版下造り完了――。

 まだ手元にデカール用紙はないし、電飾用LEDもないから、工作は後日だな。来月になるかな?

 あの夜、素直に眠れていたら、こんなコトになるハズはなく、3万円越えの出費もなかったろうとヤヤ後悔めいた感じもなくはないけど、これも宿縁か? あるいは宿怨か?

 ぬかるんだ模型の道をヨタヨタまた歩みつつ、クツクツっと笑う今日この頃。

 

 ゼッタイに見えなくなるコクピット部分パーツと、見えなくとも創ってしまったコクピット・パネルのイラストレーターによるディスプレー部分。実寸横幅22mmの極小。

 

 ちなみに上は、1982年にバーンズ氏が設計したニューヨークのIBM本社外観。ポストモダニズム建築の代表例。

 岡山市北区柳川交差点そばのグレースタワーⅢは、このテーストをチビッと模したようなカタチじゃないかしら。3階だか4階テラス部分に「たま大明神」があるのが愛嬌。グリーンで覆われたテラスは誰でも入れるけどアピール不足か?

 見せようとしてないのかな?

 1F部分にはライブ・スペースもあって、下写真は2019年4月19日撮影。小雨で肌寒かったよう記憶するが、馴染んだ方々のたのしい演奏で気づくと寒さはどっかへ飛んでってた、な。

 

2月茫洋

 

 3日節分の日に大勢の参拝者にまぎれて最上稲荷へ知人も参じ、運良くゲットした開運福豆を1つくれたのだった。

「へぇ、こんな袋に入ってるんだねぇ」

 とか云いつつ、ありがたや。労ぜすして運を開いてもらい、開封してポリポリかじるんだった。

 意外と美味しい。

 

 2月の岡山市は、昼と夜の寒暖差はあれども、陽射しがある白昼はホンマに2月なの? と訝しむような感触もあって、事実そんな日の午後、近所のスーパーにはTシャツ1枚に短パンという、粋がってるんだか、威勢がいいのか、耐寒能力が高いのか、そこは不明だけどもそんなイデタチの若いのが野菜を物色していたりする。

 過日、関東方面が大雪に見舞われた日も、こちらは雨がチョメチョメ降るだけで白いのが舞うことがなく、日中気温も5~6度あって、肌寒いことは肌寒いけど、およそ……、厳寒の砌(みぎり)に遠い。

 そのせいで、陽射しがあると庭池の金魚も浮上し、水面近くで、コタツにあたっているようなアンバイでジ~ッとしてる。

 過去、2月にこんなシーンを見たおぼえがない。

 3月下旬頃まで金魚は水底に沈み、仮眠というか休眠状態で、動かない。

 なので2月に金魚の姿など見たことがなかったんだけど、今年は早や、起き出してる。

 寒くなれば休眠という代謝リズムの中に金魚はあるワケだけど、この2月は気温がひどく下がらず、陽射しがあれば水温もあがるから、それで休眠を解かれている……。

 トンネルを抜けると雪国だった、という鮮烈は知っているけれど、鮮烈もない茫洋だけの季節のない2月という感じが拭えない。

 金魚も、「何で?」と思ってやしないか。

 去年、水温が10度を下廻った頃に、鉢植えにして室内に入れた4株ほどの布袋草は、息をつぎ、緑の葉も残っている。

 一方で庭池に取り残したのは、とっくに死滅した。

 なんだか、明暗別れて噫無情……。ま~、しかたない。

 

 昔々、なが~く続いた旧石器時代から縄文時代弥生時代は、自然サイクルに人間も従った時代といってよい。

 縦穴住宅内で火をくべて暖をとり、秋に貯め込んだ栗やら何やら日持ち良い食品食べつつ越冬し、春を待つ。さほど金魚と変わらない。

 たまに、陽射しが温かいようなら、家から出て、雪景色の中で、乾いた木切れを手にして、切り株の端っこ辺りを無心で叩いたりして、原初の太鼓がもたらす音に昂揚したかも知れない。

 弦楽器の最古のモノは意外や日本にあり、2012年に八戸市の是川中居遺跡から出土した木製品がそれで、およそ3000年前の縄文時代の終わり頃の品だという。

 機織りの道具という説もあって楽器と確定されたワケではないが、構造上、弦をはって弾く楽器的なモノだった可能性が高いらしいが、ここで書いてるのは縄文の終わりでなく、もっと前の旧石器時代か縄文初期頃の、打楽器的モノの想像話。

 

 誰かさんが切り株を叩いてるその音を聴いて隣家の家族も出てきて、その中にいる子供が真似て同じように音を出したかも知れない。

 どうやったら心地良く響くか、どうすれば2つの音に違和感がなくなるか……、小さな集落初のリズム教室のスタートだ。

 メロディはまだ登場せず、ひたすら周期的な音に興が集中し、単調ながらもそれを刻み続ける醍醐味に演奏者は炯々と瞳をはったろう。周りを囲ったヒト達も、なんだかイイ気持ちを味わい、

「何で心地良いんかしら?」

 不思議にくるまれたであろうコトはまちがいない。

 リズムは数式でもあり、時計の秒針同様「時間の均等分割」という高度なワザでもあって、そこは意識されないまま奏者は夢中になり、トン・トン・トン・トンとうまく叩いてる内たまに、トトンとか入ったりすると、よりグレードアップな醍醐味もおぼえて熱くなる。ますます叩くのを止められなくなる。

 日本の音楽史のスタートは、ま~、そんなもんだろうと想像する。誰に教わったでもなく叩き出したヒトは元祖ストリート系ドラマーだったといってヨイ。

     

 で、なにかのおり、一山向こうの集落のヒト達との会合だかで切り株叩いて披露したら、その集落にも似たようなヤツがいて、なんと自分用の小さい丸太を持っていて、それを叩く。

 もちろんそのヒトはまだ楽器という概念も持ち合わせてはいなかったろうけど、ともあれこうなると、どちらが元祖だか判らなくなりもするが、先陣争いなく2人が叩き合い、日本初のセッションがここに実現してシ~ンは大きく前進するのだった……、というようなコトを想像した今日の昼間。

 

 問題は、やがて野火のように広まったリズム叩きという行為に、誰がどうやってメロディを乗っけていったかだなぁ。難しいぜぇコレは。

 声だか何らかの道具で高低やら強弱をつけた連続音を出すという至難。

 しかし乗っかった途端、革命というよりもビッグバンに相応の炸裂が起き、リズムとメロデイによるグルーヴィー、ミュージックというカタチが誕生したわけだから凄いのだ……。

 

 と、そんな想像してたら、なぜか当方のアタマの右から左へとシンディ・ローパーの顔がよぎったのは、変だった。

 で、現実に戻り、ぁあ、彼女ももう70歳越えてるんかぁ。ま~、そんなもんだねぇ。などと感慨しつつ、「タイム・アフター・タイム」を聴きたくなった。文章の流れから云えばキャンディーズの「もうすぐハ~ルですんねぇ~♪ 恋をしてみませんか♪」あたりが都合いいのだけど、そうはいかずで、でも……、春を待つこと変わりなし。

 

     

 

ジョジョ・ラビット

   

 映画『ジョジョ・ラビット』は、いささか珍しいタイプの破壊力ある傑作だった。

 巻頭での、ナチス政権がもたらしてくれるであろう明るい未来を信じて熱狂するドイツ国民の記録映像とビートルズのドイツ語版『抱きしめたい』の取り合わせにめんくらい、けどもオモシロイ試みだな、なるほど、ヒットラーに向けての愛とて、かつて本当にあったワケで、そこにラブ・ソングを介在させておかしくないや……、次の展開はいかにと期待したものの、冗長なギャグめいたシーンの連打にヤヤ退屈をおぼえ、途中まで観て、そのまま放置していたのだけど、去年10月だったかプチパインのY子さんが、

「観たか?」

 問うてきて、こちらが全部観ていないと判ると、ふくよかモナリザ的な謎の笑みを浮かべて口を閉じたので、

「おやっ?!」

 と思った次第。彼女が微笑のさいは要注意だ。

 帰宅して、あらためて全編とおし観た。

 微笑の謎が解けた。当方も喜色した。

 で、以後、再見するコト複数回。

   

 この映画、スカーレット・ヨハンソン演じる母親の不幸あたりから味が染み出しはじめる。

 鍋が煮えだすんだ。冷めて硬い素材たちが、ニンジン、ポテト、オニオンたちが自身の味を発揮しつつ、合唱をはじめるんだ。

 法外な黒雲のようなユーモアと激痛めいた真面目が2つの車輪となって駆け続け、周辺の影響でヒットラーを教祖的に仰ぐ10歳の少年と、少年宅の屋根裏に隠れ住む16歳くらいの少女とが、1つのお鍋の中で煮たって……、驚くべきな結末部分へと至る。

 

 ごく個人的にはナチス将校役のサム・ロックウェルと身長2mのゲジュタポ役のS・マーチャントの、辛辣と滑稽スットボケ共存の面白さにも眼を奪われたが、主題を際立たせる重要な役回り。

 

 最終シーン、リルケ詩編が英文で出て、その背後でかのシンガーのかの象徴的な曲がドイツ語で流れる。

 日本語字幕は、リルケを訳して出てくるけど、背景曲の日本語訳は出てこない。

 

 Let everything happen to you

Beauty and terror

Just keep going

No feeling is final.

      -Rainer Maria Rilke

すべてを体験せよ

美しさも怖さも

活き続けよ

絶望が最後じゃない

        -リルケ 

 

 この4行はリルケの3部構成の大作『時禱書』、「Go to the Limits of Your Longing(直訳すれば「憧れの限界へ)」の後半部の引用だとおもう。

 岩波文庫リルケ詩集』で翻訳を探したが、全13行(英語版では)と短い作品ながら本書では割愛されているようだ。残念。

       

 映画での詩の活用は……、リルケが悪いわけはないけども、実は、この一点が激烈に惜しい、とボクはおもうんだ。

 おそらくは、映画化にさいして原作者との取り決め、ないしは原作者の要望として映画のラストをその文字で括れという次第があったように思えるがこと字幕に関しては、むしろ、いっそ、流れる曲、ドイツ語で唄われるその歌詞を訳して見せるべきだったと、強く思う。

 

 それを日本語として書けば、こうなる。

僕が王になり 

君は女王になる

誰もそいつらを追い出せないけど

そいつらを打ち負かせる 1日だけなら

僕たちはヒーローになれる 1日だけなら

 

僕は思い出せる

壁際に立つ

頭の上で銃声が鳴り響く

何事もなかったように僕たちはキスする

恥ずべきはそいつらだ

僕たちは永遠に打ち負かせる

僕たちはヒーローになれる 1日だけなら

 

 ほぼまちがいなく、監督を務めヒットラー役も演じたダイカ・ワイティティは、クリスティーン・ルーネンスの原作「Caging Skies」(翻訳本は出ていない)を映像として膨らませたさい、リルケ詩編のそれではなく、かの歌の意味するところと歴史的背景を中心に置いて映画を組み立てたに違いない。

 あの歌、ありき。

 いっさい、そこに持っていくがための展開だったよう、思える。

 彼は原作をうまく捏ねて団子にし、ブラックペパーじゃなくブラックユーモアとスラップスティックな辛みをたっぷりまぶしたストーリーに組み立てなおし、そのうえであの結末に持ってった。

 映画化の根底には、1987年の、ベルリンの壁の前でのあの時のライブが監督の脳裏にあったろう……、思える。いや、確実にそうだろう。

(やたらと、“あの”と書いてるのはネタバレとなるのを警戒してのコトだよ)

 圧巻のラストといっていい。

 街頭に出た少年と少女がゆっくりゆっくり身体を揺らせ、リズムとなり、やがて表情が緩んだ途端、画面は暗転し、かの曲が大きなボリュームで流れる。 

 この演出にギャフ~ン。一気に涙腺を破壊された。

 子供を中心に据えた反戦映画程度に思って見始めたのが、大きなマチガイ。

 何より主役の少年と少女がダントツに良く、まるでこの2人はこの映画のために生まれてきたんじゃないか? と訝しむホド素晴らしい。

 その起用の上での話の流れ。ラストのドイツ少年とユダヤ少女2人のみのセッションの凝縮。

 少年の中の転換と溶解、少女の中の困惑と怒りと次に来る許しの姿勢の萌芽。

 それを2人の身体の揺らぎで見せた演出の超絶な冴え……

 で、あの曲のガツ~ン!

 構えていたこちらのミットにまったく予期しなかった剛速球が飛んできた、その驚愕と狼狽。

 こういう手法もあったかぁ! かろうじてミットに収めると同時に嬉々させられ、一気に感涙。涙でベベチャになった頬っぺを拭うんだった。

 ま~、何度観ても、このラストであったかい涙がこぼれちまって、それはそれで困ったもんだけども、受け入れるということの大事をこの映画でも諭され、過日に買ったまま未封切りのBlu-rayベルリン・天使の詩』をそろそろ観なくてはとも思ったりしつつも、主役の2人のラストシーンでの笑顔に永遠の乾杯だ。

 

 未翻訳の原作はおよそコメディには遠いシリアスな内容で、結末もまったく違って暗く閉じられるようで……、なので、映画はあくまでもインスパイアされての成果ということになろうけど、これはこれで翻訳版がでれば読んではみたい。

 ぁ、いや、たぶん、映画とは異なると思えば、手にしても……、読まないような気がしないでもないが。

      

 

 

1月のおわり

 

 元旦初日からのひどいグラグラでなくなった方の冥福を祈りつつも、この1月が終わる。

 2日には羽田での瀬戸際脱出劇。

 数分遅れたら、えらい惨状となったのはマチガイなく、必然として「奇跡的」という語が生じたのも、ま~判らないではない。

 思えば、「ハドソン川の奇跡」もそうだった。

 実際の事件は2009年の1月15日だ。羽田同様、同じ1月だった。

 不時着水ゆえ火の恐怖でなく、こちらは水没の恐怖。真冬の水温氷点下ではヒトは長くは持たないんだけど、機長の巧みな着水とその後の誘導、近隣の船の駆けつけが功を奏した。(機体は着水して1時間弱で完全水没)

 ハドソン川の件は後に映画化されたけど、こたびの羽田もやがて映画だかになるのか? いや少なくとも日本映画は造られないな。もう一方の震災地に飛ぼうとした飛行機があまりに気の毒。

 ギリギリ瀬戸際でセーフだったという意味では、派閥パーティによる集団ネコババ行為での起訴をまぬがれた自民党醜悪議員諸氏の、「やれやれ、ほっ」といったズ~ズ~しいのもそうなんだろう。

 もちろん、祝福に価いしない。

 労せずして秘密収入を得て、ばれても尚、ナンだカンだと言いつくろってる連中が政治の中枢を担っているブザマをマノアタリにすれば、フランスや英国や米国なら国会取り巻いた大規模デモやら暴動が起きてあたりまえだけども、ニッポンはそうならないのが不思議。

 どこか……、我々は犠牲の儀の字に似た「蟻」と書く、集団でありつつ黙々しきった生き物っぽい。

 皆なで一押しすれば腐敗連中など容易に退場させられるとも思えるけど、近頃の日本共産党がごとく身内批判にエネルギー費やして昨日までの友を糾弾排除といった、小さく内向きに集団化してしまっちゃ~、グラグラした大地同様に不安定。お伽噺の門とて開かない。

 

 年末から新年にかけて、amazon primeが「ハリー・ポッター」シリーズ全8話を一挙配信したので、順おって観たんだけど、だんだん退屈になってったのは、こちらの感性が劣化しているゆえかしら? 

 3話までは映画館で観たけど、以後の作品は接していなかった。

 成長物語。3人の主役たちも子供から大人へ声変わりし、容貌も変化してと、そこはそれなりにヨロシイのだけども、同時に、コドモ→オトナへの移行が哀しく眼に映えたのも事実。

 大昔に読んだ「鉄腕アトム」第1話の天馬博士の悲哀を思いだしもした。

 天馬博士は亡くなった子供の代用としてアトムを創ったものの、背丈も伸びないアトムに苛立ってアトムを虐めてしまう次第ながら、グローイングアップの、受け入れ、あるいは拒絶、というようなコトが映画を観つつ常に明滅し、それが余計にハリー・ポッターの御伽に没頭できない足枷になったような気がしないでもなかった1月。

 

 過日にイトメン本社で買った「キャベツラーメン」が、珍しさも加わって、美味しかった。

 キャベツをメインにもってきた英断がキララっと光って秀逸。さらにキャベツ切って増量させ、ムキエビなど入れて、はんなりとした塩味を愉しんだ。

 次に出向いたさいにまた買うつもりながら、やはり「チャンポンめん」の旨味にまでは昇っていなくって、そこらあたりがイトメン社の課題だな……、小生意気な評論家みたいなコトを云いつつも、アイ・ラブ・イトメンに変わりなし。

 

 1月半ばに届いた、1970年当時の万国博覧会グッズ

 純然たる置き物で会場内で売られていたらしい。例によってオークションでの競り落とし。

 経年で外周金属フレームのメッキが剥離しかけていて、応急処置でビニール被せて保護したけど、中身は大丈夫。丸い青色の透明プラスチックが中のオブジェを浮き立たせてヨイ効果を出している。

 金ピカの大阪城と金銀にメッキされた太陽の塔が、安っぽいながらも大阪スーベニアンなテーストを醸し、1970年当時、お財布からお金出して、ついコレを買ってしまった方はきっと関西圏のヒトじゃなかったろうとヒッソリ想い、さらに54年後の今、私のところにやってきたゴエンを思ったり。

 会場でこれを買ったのが当時40代か50代くらいの人物と思えば、その方が亡くなって家財道具が親族の手で処分され……、それで古道具屋経由でオークションに出品されていたのかもと空想するワケだ。

 モノはモノを云わないけどモノガタリを秘める。

 

 秋に葉を落としたカリンが、すでに芽吹いている。

 寒い日もあれど長続きしない。やはり温暖化ゆえか?

 新芽が出るのは一見は喜ばしいけども、早く芽吹くと、生理障害を起こして病気になりがちだそうな……。2月はどんな気温となりますやら?

 

 それにしても能登半島壊滅的打撃……。

 観光資源も漁業も生活もメチャになってしまった深刻度合いの深さに衝撃されたまま、かの高名な一語「地の塩」ではないけども、近所のスーパーの応援セールで北陸方面のモノを買ったりするしかなかった1月ながら、続々更新される諸々なニュースの量に押されて、現在進行形の苦痛であるハズなのに、亡くなった方の四十九日もまだ済んでいないというのに、早や風化が進行しているようにも思えたり。

 

 ヴィム・ベンダースの『PERFECT DAYS』をシネマクレールで見終え、たかちゃんの店で吞みつつ夕食をとってるうちに、やたら『ベルリン・天使の詩』を観たくなる。

 “受け入れる”という一語とその行為がたえず明滅し、起承転結の物語ではなく、静かな力強さみたいなものを心が欲しがっている。

 たしかDVDがあったはずと帰宅後に書棚を探したけど見つからない。

 探すのをやめたら出てくるかもと一夜置いてみたけど、出てこない。

 なので翌々日にBlu-ray買ったけど、チャチャッと観るような映画じゃないんで、こちらの気分とピタリ符合した頃合いを待つことに、する。

 その代わりと云っちゃ~なんだけど、『PERFECT DAYS』で石川さゆりの横でギター伴奏していたあがた森魚のアルバムを連続で聴き、引いて満ち、満ちては退く、彼の海の波間に漂う。

 あがたは昨年11月末頃に「海洋憧憬映画週間」(仮題)という新アルバムのリリースを予定し、ご本人と当方のやりとりの中、その内の一曲をサンプルとして頂戴してもおり、期待を濃くしていたけれど、別アルバムに差し替えられ、1月になって販売を開始している。

 そのあたりの彼の心境の変化変遷をたどる必要はないけども、いみじくも結果としては、日本海側と太平洋側の相異はあれど、寒々として荒れた海洋光景のジャケットが、能登半島津波を含む震災とかぶさって……、この1月というヒトツキの流れをいっそう印象づけてくれた。