BONSAI

 

 某日の夕刻、谷本玉山氏の盆栽展を見学。

 逞しい作品の数々にご健勝を感じ、何やら安堵混じりの感慨がわく。

 今回は花物が多い。

 開花のコントロールが大変であろう難物が、幾つも並んでいるのを眺めると、どれだけの時間がさかれているのかと、いささかアタマが下がるような気がしないではない。

 私にゃ、と~て~出来ない。

 だから余計、魅せられる。

 いまどきの日本で、

「盆栽やってます~」

 という若い人をボクは知らない。

 でも海外に眼をむけると、メチャに多いというワケではないにしろ、それなりの割合で若い人が興をもち、BONSAI ワールドに足を踏み入れているらしい。

 

 盆栽は、大木のカタチやイメージを極小の鉢の中に生成させるというミニチュアリズムが要め。

 ミニチュア文化が長い英国やベルギーやフランスなどでBONSAIが着目されるのは、多分にそんな「人形の兵隊」やら「ドール・ハウス」などに一脈通じているからだろう。

 けども、盆栽というのは、フィニッシュがないんだね。

「よっしゃ、出来上がりだぁ!」

 というのが、ない。

 製作者本人が納得した翌日には、も~、枝が生長したり、あるいは、萎えたりで、とにもかくにも生きているワケで、そこのフィニッシュ感覚が模型とはゼッタイ的に違ってる

 ま~ま~、だからこそ、盆栽作家は次々続々に新たな鉢で、新たな作品に挑み続けるという宿痾の悦びと苦悩を味わい続けるのだろう……。

 

 海外でBONSAIがブームになったのは、1970年の大阪万国博覧会の日本庭園が発火点だったらしい。

 当時、多くの日本人にとってこの日本庭園はEXPO70の添え物的施設と見ていた感が濃ゆいけど、わざわざ来日した西洋人の眼には、鮮烈おどろきのガーデンであったらしい。

 南北の幅は200mながら、東西長さ1.3Kmというデッカイお庭で、日本における庭園史を見せるべく、上代・中世・近世・現代、という区分に分けて展開し、西洋のガーデン感覚とはまるで違うジャパンのグリーン・ワールドを提示したわけだ。

 

 で、その現代地区にあったのが多数の盆栽と水石たち。

 ここを訪ねた海外の方は、

なんじゃ、こりゃ?!

 一鉢づつの、スモール・ワールドにオッたまげたらしいのだ。

 本物の樹木でもって、その樹木の大木となったスガタを小さな器の中に表現するミクロコスミックなミニチュア感覚に、

「ガッチョ~~ン」

「やられた~ぁ!」

 うたれたらしいのだ。

 

      

 EXPO70の10年後、1980年に梅棹忠夫を中心に編まれた写真集『 日本万国博覧会10周年記念 世界の盆栽・水石』。国内では話題にならなかったけど英国などで販売部数を重ねた本。

 

 万国博覧会の46年後、2016年度の日本貿易振興機構がまとめた数字によると、同年の盆栽輸出額は80億円を超えたという……。

 トヨタやHONDAの輸出額とはケタ違いに小さい数字じゃあるけれど、1つ1つのそのサイズと造られたエネルギーを思えば、80億円という輸出額は額面以上に、おそらくデッカイ数字と思える。

 ヨーロッパ圏や米国で自宅に盆栽を置きたい方がかなりいるワケだ。〔以前にも書いたけど映画『ブレードランナー』の主人公の部屋には大きなBONSAIが置かれ、それが実に効果的だったですねぇ)

 

 いっそ、このBONSAIに、閉塞感漂う日本の秘めた真価、かつて明治になって日本人自身が捨てた浮世絵がゴッホなどヨーロッパの方々に強い刺激をあたえ、「こりゃスゴイ」と感心させたように、もっとアピールしてよい“文化的カタチ”のような気がしないでもなく、

「おじいさんの趣味じゃろ」

 っぽい、つまらん位置づけの払拭にもつながるようにも思うんだけど……、ね。

 ま~、ともあれ、開催尽力に努めた玉山氏のご子息と場を提供のPetit Pineさん(預かって水やりする苦労も含め)、さらには、展示工夫に一味くわえ、リトル・ヘルプを惜しまなかったコ~ヘ~ちゃんに、コ~ベたれて感謝の念ワックワク。

 

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 某日の夜。城下公会堂にて、ライブ。

 PAのバランスに難ありだったけれど、楽しい集い。

 アレあり、コレあり、のミックス・ジュースの旨味。

 時にバナナ味、時にシナモン味、時に爆音レモン味、酸味あり甘味ありで、飽きなかった。

 アートとミュージック……、二艘の舟の合体が何より、ヨシ。

 

 主催KUROSE氏のオリジナル曲の、シュミ的マニアを綴った歌はなかなか意味深で、ご本人もまた何事かについてはマニアだろうし、当方とてその気質の含有量が高いから……、その昂揚ゆえの悲哀が行間に滲んでいて、同氏の密やかな凄みを感じたりもしたが、ま~、今回イチバンに着目したのはピアノのIZUMI FUZIWARAちゃんだったな。

 また聞きたいと、これまたコッソリ思ったわいね。

 

 テルミンとギターとピアノ。ひさしぶりに聴いたテルミンも味わい深かった。テルミンという楽器は奏者の動きの幅が狭くって、写真ではその魅力が伝わらない。やはり動画が最適なのかな? 魅惑いっぱいの楽器であるコチにマチガイはないんだけど。

 

 

 

ガンヘッド

 先日、伯母が死去。

 昨年11月に没したマイ・マザ~の姉。

 あと数ヶ月で101歳になったのだけど、妹の後を追った……。

 マイ・マザ~は5人兄弟だったので、これで全員が鬼籍に入ってしまった。まったく残念というホカないけど、次世代への交代という否応ない新陳代謝、サイクルとしての人生を意識させられた。

 

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 木曜の午後に某書類を投函すべく郵便局に持っていくと、配達は月曜になるという。

 同じ市内なのに、4日後なんて……。

 宅急便が高速な配達に務めているのとまったく反対。土日の配達を止めちゃった弊害だ。時代を逆行しているとしか思えない。

 思えば数ヶ月前、Eっちゃんからのバースディ・カードも4日後に届いたっけ。

 北区と中区の相違はあれど車で20分ほどの距離。江戸時代の飛脚だって……、あ〜た、4日はかからんでしょ。どう転んでもコレって退行なのに、されど、文句を聞かないのも不思議。

 

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 ビオラがシーズンの盛り。

 赤っぽいのやムラサキっぽいのやら、色々なカラーがあるけど、青っぽいのは、こんな感じ。

 なんか、ヒゲづらのおじさんの顔に似てる。

 多数が咲くと、多数のおじさんが、コッチを見てるよう。

 そう意識すると、

「あんたらねぇ……」

 あんまり、嬉しくない。

 

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 我が周辺の模型系の知友たちは、こぞって『シン・ウルトラマン』を観に劇場へ出向いてるようだけど、エヴァにもシンにもアンノにも触手が動かない当方としては、置いてかれたような気など毛頭なく、遠い昔には自分も『ウルトラマン』に夢中になったもんだわぁ~、と感慨の気分がわくのをヤヤ悲しいかなと思う程度にまで枯れちゃったようなトコロもなくはないんだけど、卒業という2文字もチビっと点滅してる。

 ま〜、ともあれ夢中になるのは良いことぞ。

 

 ごく最近、『ガンヘッド』がBlu-rayでようやく出ると知って、これは思わず、予約してしまった。

 33年ぶりの再会になる。

 

        ガンヘッド Blu-ray 2枚組

 

 1989年の夏に、この巨大ロボットを主眼にした空想特撮映画を岡山東宝で観たさいは、誰と一緒だったろう? 

 記憶曖昧だけど、劇中巻頭での機内の様子がやたらリアルで、さらには、日本人俳優の英語が実に自然で、そこらあたりに、それまでの日本の空想特撮映画とは一線をかす作品かもと、魅せられた記憶が濃い。

 米国生活が長かった原田眞人監督の采配あってのものだろうけど、でも、なぜか映画のストーリーなんぞは全部忘れてしまってる。

 今はその原田ファンなのじゃ~あるけれど、内容を印象していないってコトは、結局は、ま~、当時の自分の評価が薄かった……、ということになるのかな?

 そこいらを確かめる意味も含めて、Blu-rayを予約した次第だわさ。

 

 たまさか『ガンヘッド』が封切りされた直後に、東宝撮影所に『ゴジラビオランテ』の取材に出向いている。模型誌じゃなく中四国界隈向け就職情報誌の映画コラム記事のため)

 取材当日は、ゴジラ原子力発電所を襲来するシーン撮影で、思った以上に左右幅のある大きなセットに、

「おっほ~」

 と、眼を細めたりし、後日に劇場で本作と接したさいは、実際に見た撮影現場での火薬の炸裂音などとはケタ違いの音響編集の妙味に、

「映画って、編集作業での追加が命だにゃ~」

 などと自明なコトをあらためて思ったりもしたけど、取材時、スタジオそばの巨大なゴミ捨て場には、撮影所が前作で使ったセットの残骸が山積みされていて……、それが『ガンヘッド』の諸々の大道具なのだった。

 

 ま~、そんな回顧と共に、こたびのBlu-ray発売という次第ゆえ資料を見ると、準主役級で円城寺あやさんが出てるじゃないの。

 これにビックリ、たまげたわい。(1989年当時には彼女を意識する術がない)

            左が円城寺あや。後ろの大きな人は主役の高嶋政宏

 

 数年前になるけど、遅~い夜中、某BARで2回ほど、円城寺さんとは席を同じくしている。

 そこでほぼ1対1でおしゃべりしたコトがあるというだけなんだけど、そういうのはチャ~ンと印象されるワケだ。

 なので円城寺さんと判ったとたん、

「こりゃどうも、失礼をば」

 アタマをさげたりしちゃった……、『ガンヘッド』。

 ちなみに「GUN-HEAD」じゃなく、「GUNHED」。

 GUN-HEADじゃ、「銃アタマ」になっちまう。

 

 当時、公開後、米国でのVHS発売にさいして大幅な編集が加えられ、原田は立腹。監督名を外せと米国側に伝えて、なのでそのVHSの監督名はアラン・スミジー。例の『DUNE』の米国TV放映時にやはり大幅変更があってデヴィッド・リンチが怒って偽名扱いにしたのと同姓同名のアラン・スミジー

 米国って、不思議だねぇ。監督さんが怒ってオレの名を出すなぁ、と叫べば、監督組合が機能してアラン・スミジー名義に換えるという仕組みがあるのね……。日本にもそういう仕組みってあるのかなぁ?

 

 こたびのBlu-rayはもちろんそんなペケなもんじゃ~なく、劇場公開時のままのオリジナル。

 発売は6月半ば。チビリ待ち遠しいような、そうでもないような、でも、再見しなきゃ~ハナシにならんもどかさしとか、予約後モロモロに心が揺れる今日この頃。

 

 

見え隠れ太陽の塔

 太陽の塔についての2回目。

 丹下健三のあの大屋根を取り壊してしまったのは、つくづく残念なことだった。

 それがあったゆえに、太陽の塔は見えるようで見えず、けどまた、見えないようで見えてもいるという、もどかしいようなヴィジュアルに置かれ、それがすこぶる効果的で、塔の圧巻を増させ、圧倒を増幅していた……

 

 太陽の塔は、大屋根とその下でのお祭広場を含む空間そのものとのセットであるべきで、今はなんだか孤軍、スッ裸にされ路頭に立たされている感が、濃い。メチャ、濃ゆい。

 塔が自意識を持ち、声を出せるのなら、

「とにもかくにも、恥ずかしい」

 羞恥に恥辱を混ぜマゼしたような悲哀をつぶやくような気がしていけない。

 

 建って既に52年が経ち、このスッポンポン状態しか知らない方々の方がダントツに多いから、スッポンポンがアタリマエで、それ以前の光景なんて知ったこっちゃないわい……、というのが普通っぽくなってしまってるのを、とても残念に思う。

 世代的立ち位置も意識せざるを得ないワケだけど、チョイっと過去の姿を顧みてみよう。

 

 

 大屋根に近づき塔のそばへ行くには、まず、なが~い階段を登らないといけなかった。

 登りきって塔の方に歩むと、塔はすり鉢状の大きな凹みの中にあるのが判る。

 2階建ての民家がすっぽり入いちゃう深さの、すり鉢構造。

 すり鉢の斜面は階段状になっていて、そこにヒトが座れるようになっている。フラットな大地に塔が立っているワケじゃ~ない。

 そのすり鉢の下には地下空間があって、地底の太陽を中心とした展示ゾーンとなる。(現在リニューアルされて公開されている地下スペースは当時の1/3に満たない縮小規模)

 

 

 すり鉢の所に寄っても太陽の塔は全体が見えるワケじゃない。両腕の先は大屋根の中にあり、やはり、見えそうで見えない。

 大屋根と塔は一体化されているワケだ。

 この一体化の妙味、醍醐味は、丹下の未来的メタボリズム建築というカタチと、岡本の反未来的カタチの「衝突」がもたらす軋轢の火花にある。

 相容れない2つのカタチが合体しているコトで、いわば物質と反物質の衝突、粒子と反粒子のぶつかりで巨大なエネルギーが生じて新たな粒子が生じるみたいに、新たな流れとしての星の再構成めいた大転換が起きるぞ〜、とモノ申しているのが太陽の塔で、それが何よりも魅力だった。

 後年に岡本太郎は、「ゲ〜ジュツは爆発だぁ」とコトあれば云ってたけど、要は衝突エネルギーがアートになくっちゃ〜つまらんと彼流なコトバで申していたワケだ。

 当時、彼は、「人類の進歩と調和」というテーマに真っ向から疑義を呈し、ハッキリそれを公言してはばからなかった。

 EXPO70がスゴイところは、そんな反博精神をも含み入れての博覧会だったという事につきる。

 昨今の全体主義的流れではなく、支流でも汚水でも、大河みたいに、ナンボでもナンでも受け入れまっせぇ、みたいな柔軟に富んでいたところ、だな……

 硬直した行政的なイベントじゃなく、前例ないんでソレはいかがなものかみたいな官僚的一律じゃなく、いっそ、そういう制約いっさいが取っ払われた希有なイベントだったと、顧みると、今はそこが目映っくて仕方ない。

 

 1945年の敗戦で否応もなく直面したどん底から這い出た、その復興の証しの頂点としてのイベントが1970年大阪万国博覧会だった……、といっても言い過ぎでないよう思うし、そうであるゆえの、りきんでガムシャラでもあった当時の空気、アレもコレもが1つの良い意味での方向に向けてバッタバタバタと羽ばたいたと、今はそう顧みられる。

 会期中のそのお祭広場(正しくはすぐソバの水上ステージ)で、コンサートがあり、そこで唱われたのが「戦争を知らない子供たち」という曲で、北山修の甘い平和主義な歌詞に、当時も今も疑問というか、「そんなんでイイのかぁ~」な懐疑を持ってはいるけど、ま~、それはそれとして、当時ベトナム戦争の渦中でもあって、そんな反戦歌が反戦歌として万国博覧会というワールドワイドでグローバルなイベントの中で堂々と大合唱されたトコロが、今はもう出来ない性質をたっぷり帯電させた1970年大阪万国博覧会という、希有に価いするイベントなのだった。

 

    

 

 横道にそれたけど、さて、塔の後ろには、お祭り広場の大空間が拡がっている。「戦争を知らない子供たち」もこの広場に音として響いたワケだけど……、その広場を塔の背面の黒い太陽が見下ろしているという構造が、驚くべき凄みだった。

 

 

 明るい色彩の太陽でなく黄泉のクニを示唆するような黒色の太陽が、にぎやかイベントたる諸々の“愉しい催事”が行われる広場を見守っているという戦慄すべきな配置には、「人類の進歩と調和」というテーマを薄っぺらい発想として苦言した岡本らしい「反博」の意志がドデ~ンと座ってた。

 むろん、この「反博」は博覧会反対というような意味じゃなく、明快な皮肉ぶくみのアイロニー。岡本は逆算的に「進歩と調和」って何だろうを懸命に自問したはずで、その答えをカタチにしたのが、今に残る太陽の塔だった。

 

 太陽の塔の視線の先には、丹下健三たち設計チームが考案したシンボル・タワー(EXPO TOWER。EXPO70全体を象徴する塔。太陽の塔より背が高い)があって、それは1970年当時の先鋭的デザイン、未来的な都市の一部を見るようなカタチではあったけど、太陽の塔これはあくまでも大屋根とその下のお祭り広場を含めての「人類の進歩と調和」という博覧会テーマを象徴するものだった)は、それと真っ向から対峙し、

「それでエエのんかい?」

 その進歩性を帯びたシンボル・タワーのカタチに刃向かうという関係にも、置かれてた。

 対峙。

 衝突。

 その峻烈を含んだ上での合体……。それが大屋根と塔と広場空間の、緊張感をはらんだ凄みであり妙味なのだった。

 丹下健三を中心に磯崎新や上田篤など13名の建築家、さらに小松左京粟津潔たちによってシンボルゾーンは設計され、そこに岡本の太陽の塔が加わる……。右の塔がシンボル・タワー。名の通り、これがEXPO70の顔をなすモノであったのだけど、フタを開けるや、太陽の塔にヒトの視線は集中した……。

 

 岡本は太陽の塔以前の10年前、1958年に既に下記の言葉を放っている。

 

 建築と芸術の本質的な協力は、相互の異質の徹底的な自己主張によるディスカッション、問題のぶつけ合いによって、新しい次元を開くことだ。建築にほとんど必要的にそなわった合理性に対し、人間本来の混沌、非合理性を強烈につきつける。それによってかえって本質的な生活空間、居住性が打ち出される。

 

 けれど今はもう、その大屋根がない。お祭広場もなく、シンボル・タワーもない。

 本来、この塔が持っていた主目的は剥がれ、そのエネルギーの方向が失われているワケなのだ。

 素っ裸で立たされているというのは、そういう意味でた。

 そこが鎌倉大仏とはまるで違うワケで、大屋根を奪われたコトで逆に太陽の塔は、その魅力の大半を失ったと云ってイイ。

 塔だけを保存するのでなく、大屋根を含むお祭り広場そのものを残すべきだったのに……、そうしなかったのが大きなペケ。戦後日本のイビツを象徴するような、これはアンバランスな顛末でもあって、今の日本の姿をこれまた象徴するダメな事象だった。

 

 1970年当時まだモノゴコロついていないヒトや、それ以後に生まれた方々にとって、太陽の塔は今あるように、ポツネンと突っ立っているモノとして認識され、それに基づいての塔への思いやら評価なんだろうけど……、あえて云うけど、この姿はやはり、哀れだ。

 塔は屹立し、何事にも揺らがない堂々の姿態ではあるけれど、アンプのないエレキギターを持って駅前に立たされてる、しかも丸裸で……、みたいな恥辱めいた感触が、拭えないのだった。

 

 そこでま~、見えるようで見えず、見えないようで見えてもいるというバランスを模型で再現してみた。

 およそ150m×350mというチョ~巨大だった大屋根全部を造るワケにもいかんので、塔のごく周辺、すり鉢構造とその地階を暗示すべくなカタチで、ちょめちょめ、工作してみた。

       

 海洋堂が製造したこの小スケール模型の、台座はヨロシクない。岡本がもっとも嫌った「民芸的」な匂いが強い。岡本自身の筆跡をうつしたものだけど、こういう風に使っちゃ~いけない。

 これでは園児の胸にくっつけられた名札と変わらない。なので、この台座はクビにする。

 

 実際は、大屋根の丸穴の中心に塔があったワケじゃない。(実物の円の直径は80m)

 ここも魅力のツボで、幾何的な円と塔は正比関係に置かれず、離れているようで離れていないフラフープの真円と身体の関係のようなアンバイだ。

 その再現は断念。円柱形ケースのサイズと模型サイズの制約ゆえに、穴と塔の位置がまるで違うんだけど、ま~、しかたない。見え隠れする太陽の塔、というヴィジュアルを模型化したに過ぎない。

  

 ま~、ついでゆえ、地下空間の地底の太陽もチラリと見えるよう、たのしく工作した。

 

 ぁぁぁ、でも工作を終えても、まだ、ぜんぜん、満足出来んなぁ~。当時を模型的に幻視懐古するには足りない……。

 

 こういう不満足な燃焼不足を代弁するのは、これかなぁ。

 I can't get no satisfaction

 'Cause I try and I try and I try and I try

 I can't get no, I can't get no

 万国博覧会の5年前、1965年に登場のこの曲もまた、太陽の塔と同じく経年にめげず、今もってハイパワーで鬱屈と対峙してる。

 



 

アメリカはいつも夢見ている ~イノセンス~

 

 連休が終わり日常が戻って来たのとほぼ同時に、コロナ感染の数量がアップしているとのニュースがチ~ラチラ。

 若いヒトの重症化は少ないようだけど、こちとら高齢グループに身を置かざるをえない立場ゆえ、いざ感染……、という場合はもはやアウトな確率が高っぽいんで、さぁさぁ、困ったもんだ。

 ウィズコロナとかいった新語とも俗語とも判別できないコトバでもって、コロナウイルスとの共生共存を模索だなんて云うけれど、

「フンっ!」

 けったくそ悪いや。

 

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 連休さなかの某日、ちょうどsunaちゃんが我が宅に遊びにやってきたさいアマゾンから届いた本。

 全ページに眼を通すワケでなく、一昨日、昨日と拾い読み。

 

             

 

 著者の見解に全面賛同でもなく、ところどころ懐疑な情も駆けたけど、他者に寛容でない我が国ニホンの精神構造のイビツさは了解できたような気がチラチララ。

 ま~、そのコトに触れる前に、この筆者がアラン・ビーンと親しくしていたのを本書で知って、少なからず羨望した。

 

 アポロ12号で月に行き、さらにスカイラブ計画でまた宇宙滞在し、50歳で画家に転じたアラン・ビーン

 我が最大のヒーローたる人物といってイイのだけど、晩年の彼と懇意にし、アランいきつけのイタリアンレストランでのミートボール好きの彼のプライベートな側面などを読んで知らされ、羨望気分が2メートルほど深まった。

 著者は、そのアラン・ビーンの生き方に共鳴共振し、そこから本書の主題へと進んでく。

 

 

 上は、アラン・ビーンの1992年作品「The-Fantasy-Conrad-Gordon-and-Bean」。

 月面に3人の飛行士はありえない事実だけど、それをアランはあえてファンタジーとタイトルして、12号で共に月にいったコンラッドと、月に降りられなかったゴードンの3人を月面に置いて描いてらっしゃる。

 この融和でなごやかな精神にたぶんに著者はアラン・ビーンに惹かれたのだろうと思う……。そこを基点に、ニンゲンの幸せ感って何よ? と彼女は本書でもって思考の経緯を綴る。

 

       自宅アトリエのアラン・ビーン彼については10年ホド前にも記事を書いている

 

 同書によれば2019年に国連がまとめた国別の幸福度ランキングでは、日本は58位だという。

 ずいぶん、低い。

「1人あたりの国内総生産

「社会的支援」

「出生時の平均健康寿命

 などの基礎的幸福度ファクターは、幸福度上位の国々と変わらないし、「出生時の平均健康寿命」にいたっては調査された156カ国のうちで2番めというチャンピオン状態なのだったけど……、「他者への寛大さ」という項目において、俄然にダッ・ウ~ン。

 156カ国のうち、ほぼ最低に位置しているらしいのだ。麻薬売買とそれに付随した殺人なんぞが日常茶飯事のコロンビアなんぞより、個々人の思いとしてニホンは幸せ感覚が少ないんだ。

 

 思えば、諸々、心当たりアリ。

 前を走っている車がノロイ煽り運転する心理。レジでモタモタしてるオバチャンに、「さっさとしろや」と非難する心理。チョイっと肩がぶつかっただけで先方にスゴミたくなる心理、などなど。

 実は微細なコトなのに、それを断固許せないと感じてしまうケッタイな苛立ち……。

 議論が出来ず、すぐに喧嘩ごしに硬直してしまうスガタ……。

 本書は、いみじくも、その寛大さを失っているがゆえの日本人のカタチを浮き彫りにし、そこに幸福度が薄い原因を見いだして、これはガッガ~ン、脳に響いた。

 

 著者は米国で米国人と結婚し、ダメな米国を、とりわけトランプ政権になってからの利己的個人主義の跳躍のひどさをしっかり味わいつつ、根っこの部分には“寛大さがまだ活きている”らしき米国の良さを了解し、自身も意識的にそうあるべきと実践されているようで、寛大であるには自身が努力して積んでいくものかも……、とそう、くっきり感想したりもさせられるのだった。

 幸福度の低さは、自分の廻りに原因するのじゃ~なくって、自身の内にあるんじゃなかろうかという視点が大事、なのだ……。

 

 ま~基本的に、本書は人生のハウツー読本というジャンルに置かれるものだろうけど、幾つか示唆され、読んで良かったワイと、表紙をナデナデし、寛大寛容、を改めて意識するのだった。

 

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 昨日、久々に押井守の『イノセンス』を観る。

 押井守は、他人のフンドシ(正しくはマワシだ)で相撲をとらせると名人に価するホドに旨味を発揮する希有な才あるヒトだけど、本作はそれがいささか度が過ぎて、鼻につく。

 リラダン尾崎紅葉、ニコライ・ゴーゴリ斎藤緑雨アシモフウェーバー、ロマン・ロラン、フレィザー、ミルトン、世阿弥孔子プラトン……、あげればきりがないホドの引用の連打。

 

 悪しくとれば、バトーら主人公達は自分自身のコトバをもたないガランドウ~。

 これは如何なもんか? その引用連打に辟易させられる。

 なのだけど再見したのは、麻薬的陶酔めいた味わいある音楽ゆえ、なのだろう。

 この映画を映画として立たせている最大の魅力は、たぶん、川井憲次の音楽なんだろう。

 雰囲気重視で押し進んでるだけのこの映画の空虚を、川井の音楽が隅々まで埋めていて、そこが本作再見の理由となるポイントかもと、眺めつつ再確認させられた。

 押井守には気の毒だけど、川井のそのサウンドの心地よさこそが『イノセンス』一番の光点なんだろうな、ボクには。

 映画そのものの評価は「押井のインテリっぽさが鼻についてペケ」なれど、CD買おうかしら……、と思ってしまえる川井の音楽の深みのみ、いい。要はカワイ音色で救われている映画なんだ、な。

 この評点については、当方、寛大にふるまえない。

 ペケはペケ、マルはマルなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

世羅高原

 

 柔道家に車の運転を任せ、久しぶりに福山市の友人宅を訪ねて、つい数ヶ月前に亡くなった彼の妹さんに花をたむける。

 幼い頃から心臓に疾患ありでペースメーカーを入れての生活。でもチャンと仕事にもついて着々に前進していたのだけど……、残念なことになってしまった。

 

 福山のその友人を誘い、世羅高原に向かう。

 広島県北の山中にある大規模な花の農園を2つ、廻る。

 連休中ゆえ、あんのじょう、人でいっぱい。

 というより、人でいっぱい過ぎ。

 たまさか、みどりの日。しかも晴天。そりゃ当然にこういう環境に人はやって来るわいなぁ~。

 

 

 ナチュラルな自然公園じゃなく、1品種を季節に応じて大量に咲かせる観光農園

 高原という立地と、その量的威勢に圧倒されるまま、大勢の人にまざって花と花の小路を歩む。

 人、花、人、花、ヒトヒト、ハナハナ……。シュガーに群がるアリのようでもあるけど、ともあれ、一面のネモフィラを見渡せたのはヨロシかった。

 うちの小庭じゃ、こうはいかない。

 ま~もっとも、旬の極みを過ぎてるようで、広大なチューリップ園もネモフィラも花が終わりかけ。

 ジャストのタイミングでなかったのがチビリ残念。

 

                     足元のネモフィラ

 

 むしろ濃く印象したのは、ネモフイラの丘そばのムギ畑の穂がいっせい風に揺れる姿。しなり、うねる、その柔軟にしばし眼が、悦ぶ。

 ライ麦畑でつかまるコトのない束の間の自由みたいなのを……、味わう。

 

      静止画像じゃ伝わらないけど、風で麦穂がいろいろなカタチに変化して飽きなかった……

連休と豆ごはん

 

 連休だ。

 といって、べつだん、自分にはほとんど影響ない連打。

 29歳で独立自営の細道に入っていらい、祭日も日曜もさほど関係なしの生活を続けているゆえ、キャ~バタバタって~、嬉しい悲鳴っぽいホリデー・フィーバーは体内にないんだった。

 でも、周辺のお友達、律儀に会社に勤めてる友達からすれば、タマの休みでヤレ嬉しや and 安堵というコトでお布団に入って、足バタバタさせちゃうほど嬉しい~~、というようなのが5月の連休って~もんだ。

 一括りに判別しちゃ~いけないけども、会社勤めと自営とでは、連休というカタチによる色や匂いや景観は、かなり、違うんだ。

 

 ま~、それはどうでもヨロシイ。

 連休ウンヌンと直接に関係しないけど、この2年ほどのコロナ禍で、自分がすっかり出不精になっちゃったコトは……、これは確かだ。

 夜毎、呑みに出るという慣習が奪われ、そ~なると……、運動しない肉体が衰えるのと同様、夜に外出という慣れ親しんだヘキもまた、希薄になるのだった。

 おかしなもんだけど事実だから、しかたない。コロナ禍という新たなヘンテコリンに身体が馴染んでるワケだ。

 これはいけないコトなんじゃろね……、とも思いつつ、家呑みの日々が続いてるんだった。

 昨夜も、ZOOMでの呑み会ケン会合で語らってた。県外者含め5人での非接触ながら濃厚スープな会話。月に1度のペースで、これももう2年近くになる。

 そろそろナマを味わった方がいい、な。

 

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 太陽の塔についての続きを書こうかと思ったけど、眼の前のお弁当のコトを書いておこう。

 

 

 豆ごはんのお弁当。

 近所のプラッツ(スーパーの名前です)で3月頃から売り出され、これがアンガイといいもんだから、週に1度か2度、買っては、朝に喰らってる。

 豆ごはん……、好きなんですよボクは。

 赤飯よりも豆ごはん。炊き込みごはんの中じゃ、イチバン上位なのが豆ごはん。笑っちゃうけど、そ~なんだから仕方ない。

 おまけに、ずいぶん安い。

 惣菜弁当って、1コイン500円辺りの価格が多いけど、さらに100円も安いんだから、顔が  (^o^)  こんな感じになっちゃうのだ。税を入れると正しくは430円だけど、シガレット1箱より安価なのだからリーズナブルという一語はこの弁当へ捧げちゃっても良いわい。

 ま~、値段のことより、とにかく基本は、これが豆ごはんであるコト、そこに尽きます。

 少量、食卓塩と醤油をふりかけ、レンジでチ~~ンの朝ごはん。

 なんだかも~、今日1日とても裕福な気持ちで進むだろうといった、まめまめしくない大らかな気分になってしまえるんだから、豆ごはんの威力絶大。安あがりのボクちゃんだぁ~。

 

 

 連休と豆ごはんは、何ぁ~んも関係ないけど、季節的にはマッチ近藤、今度も豆ごはん買っちゃうよ~、ってな勢い。

 えっ? 朝からアルコール?

 いいじゃ~ござんせんか。朝寝ェ~朝酒ェ~、連休ゆえの小原の庄助さん。

 

太陽の塔

 

 自然がしでかした苛烈。ヒトのしわざでの非道。……などなどで我々は泣いたり笑ったりの連続なのじゃ~あるけど、そういった諸々な事態に直面して、ヒトが造った代物として、対抗あるいは拮抗できるチカラをもったモノって有るのか?

 多量のモノを創り出し、食(は)み消費しているこの時代にあって、その中、メチャな事象に向かって、負けず、パワフルなモノとして不動、屹立しているモノは、有るのか?

 

 ま~、そんなことを考えてみますに、最初にアタマに浮くのは、弥勒像とか阿弥陀像といった仏像だったけど……、しかし、仏像はヒトの何事かを救済しようとはしているようじゃ~あるけど、どうも違う。

 ある種のチカラは有るけど、あくまでも専門店的で、何でも買います売ります的なパワーは、ない。大きさでは充分ながら奈良の大仏もしかり。

 

 

 コルコバードのキリスト像も候補にあげてみたけど、リオデジャネイロ市街を見下ろすデカサはあるし、「救済しましょうぞ」のしっかりした意志も見えるけど、けどやはり「宗教」という枠内での『祈り』に集中してるんで、それが足枷、慈悲的ではあってもパワフルというニュアンスじゃ~ない。

 建造物としてはパリのエッフェル塔も悪くないけど、いっさい受け入れというホドでもない。

 

 そうやって候補をおとしていくと、1つだけ残るものがある。

 ご存じの、太陽の塔

 これが現状で唯一、拮抗のチカラを持ったカタチなのじゃ~なかろうか……、とそう思う。

 

 

 何よりもまず、何だかよく判らん、そのカタチがよい。

 美形か醜形かの区別がつかず、そも、奈良の大仏リオデジャネイロの山頂のそれと違い、「お救いしましょう」というような慈悲的意志は見えない。

 そもそも、太陽の塔に賽銭箱がない。浄財を頂きましょうという気がない。ま~、もっとも、近年に地下のごく一部が再整備され、塔内にまた入れるようになって「入館料」というのが発生してはいるけど、それはかまわんかまわん、当然の受益だ。

 

 

 

 太陽の塔を一瞥するに、まず、左右の腕(?)の反りに眼がむかう。

 キリスト像などとは違い、後ろにヤヤ反って、受け入れようとしてるワケでなく、いっそ、拒んでいるようにも見える。

 が、また同時に、その反りっかえしが逆に、

「え~い面倒だ、オレにまかせろ」

 というようにも……、見える。

 いや、もちろん逆に、

「オレにすがるな」

 やはり、拒絶しているのかも知れずで……、どうとでもとれるのがイイし、なにより、その姿勢ゆえの“堂々っぷり”がイイ。

 

 

 という次第で、現状で入手できる最大でイチバンに出来良い縮小レプリカを入手し、見上げてるんだった。

 そ~、太陽の塔は見上げるもんで、見下ろしちゃ~いけない。

 

 

 1970年、中3から高1になった春、大阪万国博覧会ではじめて直にこれに接したさいは、左右の赤いラインにウルトラマンを想起したもんだった。

 むろん岡本太郎の念頭にウルトラマンがあろうハズがない。相似というもんだ。

 岡本は、縄文土器の炎の躍動を“転写”して、日本人の原型の中にあったであろう火のチカラへの憧憬とそこから生じた美意識的視線をうねらせたのだろう。ヒトの中の火に向けての信仰めいた気分の萌芽をこの2本の赤いラインに象徴させたのだろう。

 だからといって、この塔を信仰の対象にしようなどとは、岡本は思っちゃ~いない。

 背面に死を想起する黒い太陽を置いたことで“生と死”を含み入れたコトはまちがいないけど、祈願成就的な信仰方向とは違う。

 

 

 だから、「お救いしましょう」、「救ってチョ〜ライ」といった仏像めいた擬人化視線は、ホントはよろしくない。

 祝祭空間であったお祭り広場との位置的な関係を思えば、トーテムポールの巨大なモノと思った方がいいのかも知れず、設計創作にあたっての主語はお祭り広場であったはずで、太陽の塔はそれに付随のモノという関連性の中でホントは語るべきカタチであったろう……。

 

    大屋根とお祭り広場と塔の配置をIllustratorで描くとこうなる。右の大きな空間がお祭り広場。

 

 しかし何十年が経過し、ユルリと眺め直すと、既にこの塔は、岡本太郎という作者名を越え、独り立っているようにも見える。事実その通り、大屋根もお祭り広場も今はないワケじゃあるが、そういうコトではなくって、存在としての光量が日増しに増加し、生みの親から距離を置いて、

「ぁあ、たしかに父はタローですが、それが何か?」

 しがらみとしての属性からも離れ、既成の枠からも外れ、独立独歩した存在〔物体)に見える。その背景に神様的思惑を背負っていないのが何よりイイ。

 だから、強い。

 逞しいというニュアンスではなく、存在の強さとして、今これに匹敵するモノってのは、他に、ないよう思う。

 震災の不幸も不当極まる侵攻もコロナも……、なにもかもこの塔の前では「過ぎてく事象」でしかない……、といった感触をもつ。

 

 

 以上、観念的見解じゃ~あるけど、呑み込みと拒絶がこの塔のカタチでは常態であるよう感じられる。上から目線でもなく、下からのそれでもなく、いわばヒトを含めた生命全体の“根源的な踏ん張り”みたいなものの抽象化……。

 

    

太陽の塔の原型めいたカタチを岡本太郎は既に1956年の映画『宇宙人東京に現る』で描いてる。右は監督の島耕二。この映画に出て来る飲み屋「宇宙軒」についてはコチラ参照。

 

 けれどしかし、今の太陽の塔が“健全なカタチ”かといえば、そうでない。

 ま~、長くなるからそれは今度に。^_^;