やや緩和ぎみながら、まだまだ寒いので何かと……、億劫。
よって手間かけずな食事で、一食をうっちゃるみたいなコトになりにけり。
レトルトの吉野家が都合良し。
昨年に近場の吉野家が僅かな距離ながら店舗移動し、同時に、店員さん対応からセルフになってしまい、面倒くさいカタチになりさがって、え〜い面倒だぁ、実店舗より通販のセット・オーダーのヤツで、もうイイやというアンバイ。


ほぼ店のと同じ味ゆえ、ま~、これでイイのだ。
グルメでもグルマンにも遠い、ビールで流し込むような食事じゃあるけど。
西部開拓時代の、いわゆるカウボーイの映画を観ると、たとえばヘンリー・フォンダ主演の『荒野の決闘』とか、乾いて広大な大地を多数の牛と一緒に移動している牛飼いさん達の食事は、ズイブン貧しいものとして眼に映える。
保温も冷蔵も出来ない環境だから、たいがい豆だねぇ。赤インゲン豆(キドニービーンズ)かひよこ豆。ジャガイモも食べてる様子。
焦げきった鉄鍋に水をいれ、豆やおジャガを煮て食ってる。

上写真はハワード・ホークス監督『赤い河』。袋から出したひよこ豆を手ですくい、今から煮るというシーン。

飼っている多数の牛は大事な商品ゆえ、ステーキなんぞは食べられないワケで、たまに弱った牛が出てしまったさいは移動を停め、倒れた牛をカウボーイ全員で解体する。
とはいえ冷蔵出来ないから、すぐに傷み出す。多くは破棄しなきゃいけない。大損害だろう。「肉うまいなぁ」なんて境地じゃない。
やむにやまれない状況下、ナンボかの肉を干して、岩塩まぶし、いわゆるビーフジャーキーにするんだねぇ。
そんな肉がある時は、豆とビーフ混ぜて、シチューも作ったようだ。

映画『荒野の決闘』より。使った金属皿を砂で洗ってる

開拓時代のコトを書いた本を読むと、カウボーイ達は旅の間は狩りもしたそうで、鹿やガチョウに遭遇すると、追いかけて銃を向けたらしい。なかなか遭遇の機会がないけど、大事なタンパク源だ。
テキサス界隈で自分の牧場を持って現地に生息する牛を捕らえて育て(当時は野生牛が多々いる環境だった)、カリフォルニアまで数千頭の牛を運べば、テキサス相場の20倍くらいの価格で売れる。南北戦争後の金鉱ブームやらで人口が大増加しているカリフォルニアは食料不足で、それでそんな高価格で売れる。
でも距離はざっと2400Km。岡山から香港へと歩くに等しい距離。その長大を何ヶ月もかけて野営しつつ、牛が痩せないよう草木の多い地所を選んでの大移動が牛飼いの仕事。それをほぼ豆の食事で堪えるんだからシンドイわ。

『荒野の決闘』より
冷えたビールもコークもあるワケなく、当然に紙フィルターもありゃしない。コーヒー豆を砕いて煮るだけ。豆粒だらけなのでナイフでそれを沈めつつ吞んでたそうだから、ワイルドだ。
ワイルドと云うとなんだかカッコ良く聞こえるけど、本質はテッテ~的な質素。乏しさをガマンしての食事だ。
較べると、吉野家の牛丼なんぞは贅沢で豪奢な食事という次第になる。
西部開拓時代(1865(慶応元年)~1890(明治23年))と聞いて、西海岸方面のコトと思うヒトもあるようだけど、米国中央部の話ですぞ。
英国やフランスからの移住者が太平洋側と大西洋側からジワジワ開拓開墾していって、その合流地たる広大な大地のコトを指すのだよ。ペリーがニホンに開国を迫ったアトの話。西部劇というのは明治時代の話。

で、この一帯には先住民たるインディアンが住んでるワケで、彼らは大迷惑を被る。
反抗は当然。斧と弓しかない彼らは劣勢だったけど白人の武器商人から銃を買って武装を近代化させる。カスター将軍の大部隊が全滅したのは1876年(明治9)。
カスター部隊は南北戦争時に支給された一発撃っては弾をこめる後装式ライフルで、逆にラコタ一族などのインディアンはレバーアクションの連発銃で武装。逆転がおきていた。東京に上野公園ができ、北海道にクラーク博士が来て、「青年よ大志を抱け」と申された頃だ。
一方で、放牧じゃなく、土地を政府から購入し、同地に根をおろして農業生活する者もでる。
彼らは彼らで広い小麦畑やらトウモロコシ畑を、数千頭の牛の通過で荒らされたくはないから柵で自衛し、カウボーイ率いる牛達の侵入を避ける。

映画『シェーン』では、定住を試みて牛飼い達との軋轢に苦労している農家で、焼きたてのパイをふるまわれ、荒野でいきたアウトローたる主人公がいささか困惑ぎみに家庭生活のぬくもりを感じる好いシーンがあったねぇ。英国からの移住者ならパイは定番料理だろうけど……、何パイだろ? ジャガイモが入ってるんかしら、わかりまシェ〜ン。
意外なコトに、この開拓時代の現地には多数のニホン人もいる。
明治となったニホンも当然に貧しい。長子相続という長男が跡継ぎになるという慣習は江戸時代と変わらずで、次男や三男は喰っていけない。
なので思い切ってアメリカに行って一旗あげる……、というヒトが続々でた。
開拓時代の末期には2000人を超えるニホン人が、カウボーイの手伝い仕事やら金鉱堀りの親方に雇われてる。
彼らも、たぶん、醤油味を懐かしみつつ、スープ状のひよこ豆を食べていたんだろうねぇ。
1882年に米国は、どんどん移民して来て労働現場を奪うという理由で「中国人排斥法」を制定。中国からの移民を禁じたけど、それに変わる低賃金労働力としての間口があいたのをキッカケにニホン人移民が急増した。
岡山に亜公園がまだあった1901年(明治34)頃には、なんと13万人ものニホン人が米国に移住し、いわゆる日系米国人の一歩が刻まれる。
(中国人排斥法は人種差別を公的に認めた悪しき法律として1943年に廃止。一方でドンドン入ってきて定住する日本人に対し、『排日移民法』を米国は1924年につくり、やがて1942年、ルーズベルトの大統領令でもって12万人もの日本人が強制収容される)
ちなみに醤油はニホンから送ってもらうしか手段がなく、戦後、昭和32年(1957)になってやっと、キッコーマンがサンフランシスコに現地法人を置き販売を開始。やがて米国工場も起ち上げたそうだから、日系1世や2世には待望のものだったろう、な。

All-Purose Seasoning。万能調味料。キッコーマンはこれを謳い文句に、テリヤキを米国で流行らすコトになる。

上写真はスーパーでハッピをまとった売り子さんが醤油の実演販売をやってるところ。
「あら、おいしい」と白人市民も喜んだ。
ところで、吉野家の牛丼って醤油ベースなのかなぁ。「あら、おいしい」のだけど、よくわかんない。































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