盆栽展

「谷本玉山-盆栽展」を見る。谷本氏作品の鑑賞は3回目。

 会場の雰囲気も良しヨシ良しのヨシコさん。

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 盆栽は我が宅には、ない。

 自分で“創作”しようとは思わない。

 手入れが大変だ。放っておくという事が出来ない。

 が、そんなんだから逆に、苦労を苦労と見せず育てた枝っぷりやら佇まいをば、見物したい。

 人の痕跡を消しつつ、人が大きく関与しているカタチの妙味が醍醐味、かつ、おもしろい。

 

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                   腰がすわった松柏盆栽

 活花が時間の静止を見るものなら、盆栽は樹木時間と創作者時間を感じて”愉しむ”ものだろう。

 そこはチョット模型に似ている。

 くわえて、盆栽には流派がない。育成にやや細かいルールがあるらしきだけど、師弟も組織もないのがいい。

 平鉢1つの小世界を人に見せようと決意した途端にそれは作品に昇華し、優劣の判断いっさいは見た者に委ねる。その潔さも、いい。

 谷本氏は鉢も自作。捏ねて焼きあげ、それに土を盛って植樹。小宇宙にかけるエネルギーが半端でない。

 

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              いわゆる実物(みもの)

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             こたび一番に気にいった葉物 色合い絶妙

 

 以前にも書いたよう思うけど、盆栽に接するたび『ブレードランナー』が念頭に浮く。

 主人公デッカードの部屋には大きな盆栽が置かれている。

 ほぼ日当たりしない暗い室内ゆえ現実なら環境はよろしくないけども、映画の中のそれは存分に活きて目立ち、デッカードの置かれた状況を暗示する小道具の1つじゃ~あった。

 酸性雨ふりしきり過度に汚染されたその世界では生物はほぼ死滅し、生物は疑似のレプリカに置き換わっているという設定の元、デッカードの部屋にあるそれははたして本物なのか、あるいは模造レプリカなのか、そういう面も含めて、うまい小道具の使い方だなあ、と初見以来ずっと印象が継続している。

 盆栽はただの背景じゃ~なく、このホンモノとニセモノがからみあう物語が駆けてく線路のいわば枕木の1つと思うてみるも良し。

 

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 本物を憧憬していながら既に本物のない世界に生きているデッカードの、その鬱屈の物証の1つとして、それは偽物であろう事が暗に示されている。例えそれが“期限付きで成長”するモノであろうと。

 その人造物を愛でるしか出来ない世界の中で生きる苦悶が、デッカードの鬱屈の起源なのだろう。

 いささか無機的存在だったレプリカントのレーチェルに暴力的に「性-SEX」を吹き込もうとした行為は、その鬱屈ゆえの暴発だ。

 人形同然のヒューマノイド・レプリカに「性的衝動」をあたえる事で、彼そのものがそこで“創作者”になっているわけだ。

 で、同時に、いみじくもその強いられた、

「Say,Kiss Me……」

 に続く行為で「生-LIFE」を萌芽させたレーチェルに対して彼は、濃い愛情を抱くようになる。彼は彼で強いた結果、偽物ではないラブに目覚めてしまうわけだ。

 Befor-After じゃないけど、このシーンを端境に、映画はコペルニクス的大転換をおこす。

ブレードランナー』は、未来SFの形にのっかったラブ・ストーリー。根っこは、F・ヴェーデキントの古典戯曲「春のめざめ」に通底した作品といってもいい。

 

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 昨今の風潮でとらえれば、この端境シーンの、セクシャルハラスメントかつドメスティックバイオレンスな描写は難しいかもだし、映画公開当時ハリソン・フォードはその描写を含め、演じた役に嫌悪したようだけど、傑出の映画である事は揺るがない。背景の盆栽の存在を含めて。

 おそらくこの映画の小道具担当者は、盆栽がナマの樹木を使いつつも徹底した人造物である事に着目し、ストーリーに沿う背景物としてチョイスしたのだろう。

 良い選択だった。

 

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                 谷本玉山作 葉物と実物の膳仕立て

無残やな……

 18日のTV放送後、お久しぶりな方も含め、あれこれ連絡をたまわる。

 皆さん、けっこう観てるんだね、テレヴィジョン。

 TVメディアはもう古いと云われつつも、影響力ある存在……、と再認識。

 

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 ニンゲン、悲喜こもごもあって、ケケケと笑う時もあればガックリショッボ~ンな時もある。

 10日ほど前に衝撃させられたとある事から、まだ抜けきれない。

 ま~、詳細は語らない。

 

 かの『ひょっこりひょうたん島』のテーマ曲は、当時中学1年生だった前川洋子が、

「苦しいときもあるだろさ 悲しいときもあるだろさ だけどボクらはくじけない~」

 気分乗り越えを軽快に歌いあげて、なるほど、溌剌な歌声に、チョイっとは元気づくよな気になりはするけども、そのチョイっとの数秒後にはまたブルー気分が浸透してきて、

「ぁ、ふ~~」

 重い吐息をこぼしたまま思考停止、

「やってらんないわ~」

 嘆息するのだった。

 

 無残やな兜の下のキリギリス

 

 芭蕉はスケッチとしてこの句を詠んだとは思うけど、取りようによってはえらく深淵、深い憂愁に沈めるようなところもある。

 兜、かぶと、甲……、と媒体によって表記まちまちだけど、石川県小松の多太(さた)神社を訪ねたさい、平家の斎藤実盛の兜を見学して詠んだらしい。

 解釈としては、その古い兜の下にいるキリギリスに実盛という過去の武将を重ね、

「おいたわしや……

 と鎮魂したというのが通説だけど、さ~、そこはどうかな?

 兜の下にキリギリスが実際にいたかどうかは知る由もないけど、情景イメージとしては「絵」になって揺らぎない。けど、芭蕉が「無残やな」と見たキリギリスが、はたして無残な境遇に陥ってるのだかどうかは、わかんない。

 人の気配察して隠れ場として兜の下をチョイスし、自ら入り込んで人に悪さされるのを回避したのかもしれないではないか。

 となれば、

 

 逃げおうし兜の下のキリギリス

 

 と詠んだって不思議なし。

 当然、そうなれば意味もガラ~ッと変わる。

 ただこの場合、情景をそのまま文字に移しただけで、深みなし。無残やな、と切り出したことで味わいが出たわけで。

 芭蕉は大なり小なり、発句した頃合い、ブルーな気分だったんだろう……

 昂揚が“芸術創造”に関与するように、沈潜もまた同様で、たまさか鬱屈な気分だったのを、句にノッけてみたという方が妥当のような気がしないでも、ない。

 

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       「奥の細道行脚之図」 芭蕉(左)と弟子の曾良 (森川許六作)

 芭蕉が見た兜は、今は重要文化財としてガラスケースに入ってる。でも芭蕉の時代は剥き出しで展示されていたはずだ。

 ガラスは透明だけども、「心理的隔て」を産んでくれる。

 その点で芭蕉はよかっなぁ、直に接して。

 昨今は、人と人の合間にビニールやらアクリルの隔たり。

 難儀なこっちゃというか、「無残やな」な情景。感じ取れる諸々までが抑制されてる。

 ま~、これはこれでいっそ、「山椒魚は悲しんだ」ではじまる名作の、”囚われの感”に近いような気もするけど……、いろいろ象徴的ではあるなぁ、芭蕉のそれと井伏鱒二のあれは。

 

 

月は東に日は西へ

 18日、水曜の午後8時よりの、山陽放送の番組『メッセージ』をお見逃しなく。

 なんてね……。

 まっ、これは番組に自分が出るんで……、自分宛の備忘的-記述。ローカルな話。

 長時間取材され録画され、10日ほど前も追加の録音取材があったたけど、おそらく4分ほどに縮められているだろうとの予測があたっているかどうかが、ま~、愉しみというか、同じ出てくるなら10秒でも長いほ~が良かないかぁ……、とか。

 番組詳細は下記へ

www.rsk.co.jp

 

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 ほぼ定期的に、模型を作りたい気分になる。

 お腹がすいて何ぞ欲しい、という感じに似てる。

 模型屋さんだから習癖としてそうなるのかどうか知らないけど、こういう時はたいがい、仕事モードの模型製作じゃなくって、市販のプラスチック・モデルが念頭に浮いている。

 かといって、作るわけでない。

 いざ作業に入れば本気になっちまって、他の諸々が出来なくなる。

 それは困るので、なのでいつも回避……、ボックスアートを眺めるだけに留めて自分をうっちゃる。

 

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 X-15のプラスチック・モデル。

 子供の頃に横山光輝の『少年ロケット部隊』に遭遇し、一気に魅了され、この機体が大好きになって、いまだ自分の中にあってはカッコいい飛行機の代名詞なのじゃあるけど、漫画と違い、これは飛行機は飛行機でも、地上から発進は出来ない実験機……。

 ほぼ、弾丸に近い。

 この弾丸ロケット機を人間が操縦し、大気圏と宇宙の端境付近まで一気に駆け上がって燃料を使いきり、後は滑空して降りてくるだけの飛行体だ。

 それゆえパイロットは宇宙服(スペーススーツの開発初期なので不格好。着座を前提にしてデザインされたようだ)とその維持装置を身につける。

 X-15はマッハ7に近い速度記録を持つ。

 

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                      photo:NASA

 

 音速の7倍というのはどういうことかしら? 

 音は1秒でおよそ340m進むから、たとえば椎名林檎が「あ~」と声を出した瞬間にはマイクは2.38 ㎞ 先に飛んでってる事になる。いくら彼女が頑張ってもマイクは声を拾わない……、という感じ悪さ。

 快適な乗り物であろうはずがなく、危なっかしいモノの代名詞になりうるのがX-15だった。

 アポロ11号のアームストロングがなぜ船長に指名されたかといえば、このX-15の操縦に長けて見事に危機を回避したという事があげられる。

 いったん宇宙空間まで飛び出したものの、戻ろうとするや空気の層に阻まれて、いわゆる進入角度が取れない状況に追いこくられたのを、途方もない速度のさなか、自力での再突入に成功したのが、彼だった。

 同氏はジェミニ計画でも超ヤバの危機回避に成功。映画『ファースト・マン』ではこの両エピソードも描写されているけど、ちょいと判りにくいのが難だったな。

 

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           アームストロングとX-15 photo:NASA

 

 宇宙空間ぎりぎりまで一気に駆け上がるさい、X-15は空気摩擦で機体が焼ける。鍛冶の炉の中で灼熱した刀みたいに、先端部付近はオレンジ色にまで燃焼する。

 無事に戻って来たX-15はボロボロといってよいくらい焼け焦げ、部分が剥離しているが、その損傷を軽減させていくのも実験研究の1つであったろう。

 飛行回数を増すたびに改良され、X-15は全部で3機が作られた。2号機は損傷激しく修復不能、3号機は空中分解しパイロットのアダムズが殉職し、現存する1号機は今はスミソニアンに展示されている。

 操縦したのはアームストロングを含めた12名のエキスパートだけだったが、200回近い実験飛行がもたらしたデータの積み重ねは大きかった。

 X-15の翼はやたら小さい。滑空にまったく適していない。降下時には激しくグラグラする。その抑止に翼の両端に噴射装置があって、滑空降下時、パイロットは不安定な機体をその噴射によってコントロールし、向きを変えたり姿勢を制御したりした。

 アポロ司令船はこれを応用している。大気圏突入から着水までの間、宇宙飛行士はジッと座ってたわけじゃない、着水予定地に降りるべく噴射装置を駆使し、実は「運転」していたわけなのだ。

 これはスペースシャトルの滑空で大々的に使われたし、ISS国際宇宙ステーションにも似た機能装置がある。

 シャトルはX-15が産んだでっかい実の子供といっていい。

 

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                降下中のX-15 photo:NASA

 

 というような史実を踏まえ、模型工作するなら、飛行した後での、アチャコチャ焼け焦げたカタチでのX-15をば、壊れた2号機のそれを作ってみたいにゃ~、などと空想の羽をパタパタ羽ばたかせるのだった。

 でも、工作には突入しない。

 現状、その空想で模型を作った気持ちになって小さく満足するわけだ。

 しかしたぶん、いずれ、いつか、こういう状態は破綻するわいね~。フラストレーションがたまって貯まってマイ・レージ、我を忘れて工作に突き進むやもしれない。

 けどまた一方で、結局は作らず終いで、作る想像だけを膨らませ、それがすなわち、“愉しみ”という次第で決着するのかも知れない。

 プラスチック模型は夢をはぐくむ装置。トリッキーなマジシャンの帽子みたいなところが、ある。

 

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  MONOGRAM社製X-15のパッケージやらパーツを眺めつつ、で、なぜかこの句が浮くのだった。

 

 菜の花や月は東に日は西に

 

 蕪村は神戸は六甲、摩耶山でそう俳句しちゃったけど、月に太陽に地球に自分……、ずいぶん雄大だ。

 彼は眼下に菜の花を見つつ、沈む太陽と登る月を同時に味わっているわけだ。これを絵に描くなら、遠近180度全開光景の、その中心に存在としての自分を置くという構図。天体と地上と自分、三方位を17文字で結んでる。

 ま~、その雄大に1機の黒い機体を飛ばして、句にロケット時代の速度的アクセントを加えちゃいたいような感じかしらん。

 

 

仏壇返し

 

 いま、大事な友が入院している。

 我が車の面倒いっさいを診ているFくん。

 けどもご承知の通りで、見舞いに行けない。

 こちらはまだしも、入院しても誰も来てくれないというのは、心もとなかろう。とりわけ大きな手術の乗り越えでは……。

 が、どうしようもない。

 また、こういう時にかぎってじゃないけども、車の調子が悪くなる。MINIのエンジンがおかしい。

 が、どうしようもない。Fくん退院を待つしかなく、乗らず放置っきゃ~ない。

 

 コロナ感染が止まんない。

 いつ、どこで、だれが……、何てことはさっぱり判らない。

 宝くじは買ってはじめて当たる可能性を与えられるけど、コロナウィルスは買わずとも感染確率の俎上に乗っけられ、あたる人はあたる。ある意味で平等。

 平等は人類が求めてやまない理念だけど、この平等、有り難くない。

 

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 某日。トランプ落選の“朗報”を耳にしつつ、不特定多数を回避、ごく懇意とごく近しい店2軒をハシゴ。

 と、それにしても、まだこんなトロい事をヘッドラインに置く報道……。

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 当選者の糖質嗜好なんぞより、混迷の難局を高齢のこの方が4年にわたって乗り切れるかどうかの資質の有無……、あたりを検証し先の指針の1つとなるような報道に接したいなぁ。揺らぐ時代の中での新たな1本の梁として期待もしているわけだけど、負けを認証できないトランプの老人性固執を眺めるに、総じていえば、高齢の大統領誕生というところが気がかり。

 

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 仏壇の、吊灯籠の電球ソケット部分が劣化し、壊れてしまった。

 配線ごと換えなきゃ直らない。

 なワケでamazonで仏壇用を探して購入、自分で取っ換えた。

 左右用に対になったLED2本セット、けども僅か2000円ほど。

 仏壇屋に願うと工賃含みで1万円くらいかかりそうだから、amazonという存在は助かる。

 amazonが独占的存在として近頃は問題視されているけれど、その重宝さと社会性を背反するものとして見るか見ないか……、絶妙に難しい。

 既得権が破壊されてamazonという新たな既得者が出たというに過ぎず、マネーの流れの卑小な問題かもしれないし、そうでないのかもしれないし、しかし、廉価でモノを得られるという仕組みは悪くない。

 少なくとも、仏壇用という限られた使用目的の電気装置は仏壇屋でなきゃ入手が難しく、それはそれで独占的に販売されていたともいえるわけだし。

 

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 LEDの時代。小指の爪の1/4程度の小さな光源と、それまでのフィラメント電球を較べると、サイズといい仕様といい、隔絶感ありありでケッタイな笑いが浮くようじゃあるし、仏壇というカタチにLEDというのも何やら過去と未来のごった煮みたいな感じもなくはないのだけど、電球に比して5倍は長寿のLEDなのだから、仏壇というカタチ上そうそう点灯させるものでもない。ヘタするとこの先、50~60年、使えるかもしれない。

 ま~、たいがい、そうはならず、10年も経たないうち、ブ~ブ~悪態をつくような事になる可能性の方が高いとも思うけど、LEDに換えた事で、仏壇というケッタイな装置そのものに、

「必要ありや?」

 懐疑がわかなくはない……。

 

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 60年代での科学の粋を極めたアポロ11号でもって月に降り立ったニール・アームストロングとバズ・オルドリン。

 着陸船のドア開けて月の大地に立つ直前に、オルドリンは個人的に持ち込んだコンパクトな宗教セット聖餐式用のパン・ワイン・ミニ聖杯)で祈りの儀式をやって、アームストロングを困惑させるという小さな“事件”があったけど、何かそんな事も想起させられる「信仰と科学」。

 

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 何ぞや仏壇、されど仏壇……。

「しがらみ」という一語も明滅する。

「しがらむ」は、まといつける、からみからませる、とかいったニュアンスだけど、といって仏壇に悪しきモノという感覚をおぼえる次第もなく、損得勘定上のモノでもない。

 むしろ一個人と一家族の過去と現在を結べる数少ないタイムマシン的装置として有効とも思えるし、だからこそ仏壇というのはケッタイな装置なのだった。

 

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 amazon primeで 『サザエさん』を眺めるに、カツオくんの家族に対する異様な関心に眼がとまって、この子はやがてとんでもない青年になるんじゃなかろ~か……、と案じるのだったけど、イソノ家には先祖仏壇がある。

 江戸時代のご先祖(ぼた餅が大好き)が霊として登場してくる回も複数、ある。

「あれっ?」

 資料を見るに、イソノ家の出自設定は福岡藩藩士で、波平の双子兄弟である兄・海平は福岡在住とある。

 なれば、その兄のところに先祖を祀る仏壇があるハズなのだけど、なぜか東京の波平宅にあり、墓も都内にある。

 先祖墓の移動はなくはないし、代々が江戸詰めというコトにしているのかもしれないが、これでは本籍の兄の方がわざわざ東京の弟宅にお参りにというコトになる。どうなってんだろ? とても変……。これもまた『サザエさん』という枠組みの中にあって、ケッタイな装置には違いない。

 

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 仏壇の中にカメラ入れて天井側を撮る。

 タイトルの「仏壇返し」は多くの場合ナニの体位の1つとして、お江戸の時代よりヒソヒソ語られたり実践されたりのものじゃ~あるけんど……、ここじゃ~、体位、あ・つ・か・わ・な・い。

 

 

プロジェクト ブルーブック

 ショーン・コネリーに初めて接したのは『史上最大の作戦』で、以後アレコレの作品。たえずそばにいるような感じ。

 亡くなってもそこは変わらない。だから思い出という箱に収まらない。ベストな1本を選ぶというようなことはチョット難しい。

 繰り返し観ることが多いものとしては『薔薇の名前』、『ネバーセイ・ネバーアゲイン』、『小説家を見つけたら』あたり……。

 

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 Amazon prime で『プロジェクトブルーブック』の第1シーズン全10話を観る。

 実写とCGのうまい合体映像で50年代~60年代前半頃の米国が、かなり良く再現されている。わけても50年代後半辺りの米国女性のファッションやら家庭内の様相やらは、たびたび、

「ほほ~」

 リアルさに眼をはるようなトコロがあって、時代再現に感心させられた。

 

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 主人公ハイネック博士のワイフ(後方)が勇気を出して入店し、買い物をする高級化粧品店の様子

 

 かといって、UFOやら宇宙人は実在かも……、何ていうコトには、興味が向かなかった。

 なるほどこの番組は、実在したアレン・ハイネック博士を主人公に、これまた実在した未確認飛行物体の調査機関プロジェクト ブルーブックが取り上げられ、いかにも怪しいシーンが頻繁に出て来もするけれど、宇宙人はいるのかいないのか……、というようなコトはおそらくは、番組の作り手も二の次・三の次だったのじゃ~あるまいか?

 何を描こうとしたかといえば、おそらくは、米国人特有とも思われる「侵略される恐怖」とそこから生じた「不安心理」、その不安を操って都合よき社会を構成しようとする勢力の存在……、そのあたりの空気の感触なのじゃなかろうか。

 

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 製作年度は去年の2019年。トランプ政権下でもって国内諸般に懐疑と分断が生じ、歪みが大きく重くなって不安な心持ちが常態化している時期……。

 トランプ政権の登場はこの政権を支持しないヒトを不安にさせたが、同時に、政権支持者をも違う色合いで不安にさせ、妙な陰謀論も横行し、だからこたびの大統領選は前向きなものじゃなく不安と不安がぶつかって せめぎ合うみたいな、足下が二分し断裂していく様相を示すものとして見てもいいとは思うけど……、そんな分断感触をば、過去の一時代にリンクさせて投影しているというのが、このTVシリーズの根底にあるのじゃなかろうか。

 

 50年代から60年代前半にかけての時代、ソビエトとの不穏はピークに達し、核シェルターが飛ぶように売れ(ほとんどが地下シェルターじゃない。庭に設置の木製で自分で組み立てるタイプのもの。これは劇中にも登場する)、学校では授業の合間に原子爆弾対応の避難訓練が頻繁にあり、赤狩りにみられるコミュニズムに対する恐怖、その猜疑によるスパイ活動の顕在化、スプートニクの飛行……、などなどの追い詰められるような不安な情勢から、

「何んか、変なのが飛んでるぜっ」

 という正体不明の飛行体が一気に話題化し、目撃例あいついでヒステリーめいたパニックが増幅させられた時代。

 ソ連の新兵器かも? いや宇宙からやって来た異星人かも? わけがわかんないから余計に不安の焦燥が募る。

 1951年のロバート・ワイズ監督『地球の静止する日』を皮切りに、空飛ぶ円盤を題材にした娯楽映画の相次ぐ公開と、追い打つように虚実ゴッチャ煮で扇動するタブロイド新聞や雑誌の販売。

 

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               空飛ぶ円盤を伝える当時の新聞

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                   新聞記事の数々……

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              雑誌「ライフ」も円盤を取り上げてた…… 

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              事態を煽るタブロイド雑誌など……
 
 

 いよいよ米国人は怯えちゃって、結果、護身として銃を買ったり、デマを信じ込んでしまう妙な連鎖があった頃、米軍のプロジェクト ブルーブックは実際に活動を開始して当時の「ライフ」とかまでが取り上げる……、という史実もあり、その史実としての空気感と今の空気が、実はかなり似通うというトコロを描いたのがこの番組なのだろう。

 劇中、主人公ハイネック博士のワイフも夫に内緒で銃を買う。不安いっぱいで挑んだ森での試射で彼女は銃所持による安心感にめざめる。

 

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        劇中のシーン。買ったのがワルサーppkというのも時代イメージに符合
 

 ともあれ、

UFOって、やっぱ宇宙人の?」

 みたいな、『未知との遭遇』っぽい眼でこの番組を観てしまうと、見誤る。

「恐怖の不安心理」が個人や社会をどう歪めていくか、あるいは正当化されていくのかといった辺りでの情報伝達のなせるワザが見所のポイントかと、思えた。

 不安な気持ちを煽られ、結果、不安に操られて自発的な隷従が生じる危うい感じ悪さが、描き込まれているようには思える。どの「情報」に乗っかって行動を決めていくか……、というようなこともチラチラ考えさせられる。

 

 とま〜、米国大統領選挙の報道の、その拮抗した票の流れを片耳にしつつ、このドラマを深読みした。

 最初に記した通り、Fifty Graphics、住宅のカタチなどを含めての50年代文化をシゲシゲ眺められるというところはポイントが高いとも思う。意外なほど造り込まれていて、この点、好感だった。

 

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  劇中シーンより。この平たい50年代モダニズム家屋と丸っこいボディの車のビジュアルは最高

 

 ごくごく個人的には、博士を演じたエイダン・ギレンの眼鏡の風貌が、あれこれお世話になってるYK先生にそっくりで、ま~、それでついつい、あたかもYK先生が主役をやってるみたいで面白くもあり……(苦笑)

 

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 ギレンは『ボヘミアン・ラプソディー』では、クイーンを出世させたEMIの理解ある重役ジョン・リードを好演していたけど、実物のリードに似せるべく特殊メイクしていて彼本来の顔とはちょっと違う。でもこの『プロジェクト ブルーブック』ではやや素顔かな。YK先生に似て、いい顔だ。

 

松茸

 

 29日付けの山陽新聞夕刊で亜公園を取り上げてくれている。

 夕刊をとってる方は少ないだろうが、それでも3万部近い数が出てるようだから、ローカル情報を伝える媒体として、あ・り・が・た・い。

山陽新聞夕刊は11月末をもって休刊となる。惜しいけど仕方ないか……)

    

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               画像データを送ってくれたsunaちゃんに感謝

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 さてと、11月直前。

 いよいよ秋深まってアッという間に冬がやってくるわけだけど、この9月から10月半ば、今期は数回、松茸を味わえた。

 やや異例。

 買ったわけじゃない……。親戚のお山で採れるんだ。

 この数年は不作が続いてさっぱりだったけども、今期はよく採れたようで、あ・り・が・た・い。

 お裾分けしてもらっては、ニッコリ笑顔で遠慮もなくいただくのだった。

 

 不思議な植物だ。

 噛んで美味いかといえば、美味くはない。いっそ無味に近い。

 なんちゅ~てもダントツは香り。

 品なきカタチに、その香り。

 嗅覚と味覚の端境を行き来する不思議食べ物……。

『日本書記』には香木沈香・じんこう)の「香」を重宝する描写があって、既にそんな大昔から香りへの感心があるのは判るけど、松茸はそんな嗜好に近い。むしろ食べられるという点では香木より“愉しみ範囲”がでかい。

「松茸? わたし、嫌いです」

 という人に会ったことがない。

 

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 気づくに、マツタケと発音することは少ない。

 マッタケ、といってる。

「まっ、高けぇ~」

 が連想されるけど、マツタケというよりマッタケという方がいいやすい。

 しかしあらたまって、マツタケといい直してみると、高雅にきこえる。

 たたずまいが凜とし、背筋がシャキンとする。

 

 難儀な植物だ。

 山であれば育つというわけにいかない。松茸は山を選ぶ。

 かといって、荒れ放題の山では採れず、手入れし過ぎた山でも採れない。

 ニンゲン同様、虫の類いもその香りに惹かれる。

 頃合いをみてニンゲンはそれを採るけど、虫も旨味のマックスを狙ってる。

 夜明け頃に採取に出るニンゲンは、

「もう一晩置いておくか……

 採りたいのを我慢して翌朝へ期待を繫ぐ(一夜で大きくなる)けど、虫たちも同じだ。

 やはり味わいのマックスを狙い、ニンゲンより一足早く、囓っていたりするコト多々。

 採るタイミングがやたら難しい。

 毎年毎年のお山での採取経験がないと良好なのは採れない。我が良き親戚は基本の生活ベースは都心なのじゃあるけれど、生まれ育った山里を放置せず、定期で戻って来ては山を管理し、秋の収穫をみる。

 ま~、こちとら、味わうだけなのでその辺りの苦労はないけど……、ともあれ、ありがたいに変わりなし。

 すき焼き、吸い物、焼いたやつ……、堪能の芯メラメラなのだった。

 しかし欧米人には、この松茸の香りは不快な部類に入るモノらしい。

 その感覚差も、ふ・し・ぎ。

 

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 聞くところによれば、猪は松茸をとらないそうだ。何でもかんでも貪るように掘って喰い、山里のニンゲンを困らせているヤツなのに、意外や、匂いが苦手なのだろう。あるいは、猪の嗅覚では美味いものと知覚しないんだろう。

 ならば山里での農作物の畑に、擬似的に松茸の匂いをスプレー出来たら良くないか?

 けど近年は、猪に加えて猿も出没するようで……、アジャパ~。モンキーズはまだ松茸の美味を知らないようじゃあるけど、いざや知っちまうと、さぁさぁ~、いよいよニンゲンは困るわなぁ。

 今シーズンも終わり、来年は、さて?

 実のところ松茸は、この7月、国際自然保護連合(IUCN)が絶滅のおそれがある植物の1つとして指定したばかりだ。

 それで採ってはいけないというコトにはなってはいないけども、日本を含めて近年、大幅に減少しつつはあるようだ。

 先に書いた通り、虫にひと囓りされる前にと焦り、傘が開いていないのを採ることも多いから菌が飛ばず、次の松茸が生える機会が減ってもいる。

 10年20年先となると、さてさてさて。

 

 

 

10月下旬の秋の空

 過日。

 自宅にてRSK山陽放送さんから取材を受ける。大型カメラが入り、胸にピンマイクをつけさせられ、およそ1時間、問いに答える。

 過日。

 RSK山陽放送さん新社屋と甚九郎稲荷にて、VTRカメラを前に若干の解説。

 演出として拝殿で手をあわせるというポーズを取ったけど、拝殿そばの金木犀によく花がつき、いい香りをばらまいてる。こっそりそれを愉しんだ。

 放送は11月18日の水曜。

 夜8時からの「メッセージ」というドキュメンタリー1時間番組。

 プチこけら落としの講演をやった能楽堂では、野村萬斎の公演があり(ウィルス騒動中ゆえ同局関係者だけ)、さらに市民会館の新建造という「文化的流れ」をくんで、カルチャー・ゾーンとしての岡山市という括りで番組は構成されるらしい。

(タイトルはまだ仮題とかでこれから決まるようだ)

 こちらは明治時代の亜公園というカルチャー施設の先駆け話……、1時間という番組の中、メインとなるのは当然に現在の話だから、岡山という地方都市での演劇の最前線にいるアートファーム・大森氏やら市長へのインタビューというシーンもあるようで……、こちらはあくまで昔話、たぶん5分ほどの登場か?

 

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 明治から昭和初期にかけて県庁坂といわれた通りから新社屋南端の塔を見上げる。

 かつて亜公園があった頃、やはり多くの人がこうやって同園の塔・集成閣を見上げていたろう。似通う高さと位置だから……、感慨深い。

 やや乱れ気味ないわし雲と、無粋な電柱と電線も印象的。

 

 過日。

 雨天。

 傘さして、またまたRSK山陽放送へ。

 

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 取材されるワケでなく、今度は1聴講者として能楽堂の客席に、おすわり。

 2人の先生が順次に登壇し、明治の時代の藤田傳三朗のことを話す。 

 聴きたかったのは山陽鉄道の工事のこと。亜公園の片山儀太郎ともエンがある。

 といって、藤田と片山が直接に会ったという次第は、ない。

 けども山陽鉄道の開設事業という大枠で、「Who’s who」 としては結ばれる。

 ま~、そのあたりが興味の中心だったのだけど、残念、鉄道の話は出ず。

 

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 自分が講演したさいはまったく気づいていなかったけど、講演といった催事では、能舞台の柱の1本を取り外すんだね。多目的用途を考慮して設計してあるわけだ。

 最前列の端っこで拝聴しつつ、その辺りの空間設計の妙味もしばし味わった。

 

 聴講後、かなり降ってる雨の中、県庁前に出向いて倉敷ぎょうざを買う。

 この餃子にはまって早や6~7年。ビールとの相性ダントツ。まったく飽きない。

 

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 日本での餃子の普及は、敗戦で中国大陸から戻って来た日本兵がアチャラの味を懐かしみ、それで宇都宮で再現したのがスタートという説があるけど、ま~、そんなもんかなぁ。

 明治の人は水餃子であれ焼餃子であれ、接する機会は少なかったろう。生涯その存在を知らずという人もイッパイいたろうね。

 けど一部地域、たとえば長崎は、江戸時代、鎖国中とはいえ中国とオランダの窓口だったから、いわゆる唐人も住んで、蒸した餃子や水餃子には馴染みがあったはず。

 ギョウザという名でなくジャオスとかチャオズと呼ばれていたんだろうけど、この岡山では味わえない食の光景があったはず。

 岡山で餃子を出す店の第一号は、いつだろう、どこだろう?

 餃子があったかどうかは判らないけど、大正14年頃に、今の銀ビル近くに「廣珍軒」(現在は表町3丁目で営業)が営業をはじめ、もう1軒、栄町界隈に「百万元」という中華そばの店があったというから、その辺りがスタートなんだろう。

 ま~、それはどうでもヨロシイ。

 月に一度くらいの頻度で倉敷ぎょうざを買い、おうちで焼いてビールだか発泡酒と一緒に、

「うっま~」

 てな喜悦を沸かせられる、”今そこにあるプチ・ハッピ~”がポイント。外気が冷たくなるに連れ、逆に焼餃子は美味くなる。

 倉敷ぎょうざは別売のタレもいい。味の秘訣の大きな要素がこのタレ。量たっぷりでたいがい半分以上残っちゃうけど、残っちゃう事で何か得したような気も増量するのがいい。

 

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     おいしそうに見えない写真……。白く泡立って見えるのは薄々の皮部分ざ〜ます