吉野家と西部劇

 

 やや緩和ぎみながら、まだまだ寒いので何かと……、億劫。

 よって手間かけずな食事で、一食をうっちゃるみたいなコトになりにけり。

 レトルトの吉野家が都合良し。

 昨年に近場の吉野家が僅かな距離ながら店舗移動し、同時に、店員さん対応からセルフになってしまい、面倒くさいカタチになりさがって、え〜い面倒だぁ、実店舗より通販のセット・オーダーのヤツで、もうイイやというアンバイ。

 ほぼ店のと同じ味ゆえ、ま~、これでイイのだ。

 グルメでもグルマンにも遠い、ビールで流し込むような食事じゃあるけど。

 

 西部開拓時代の、いわゆるカウボーイの映画を観ると、たとえばヘンリー・フォンダ主演の『荒野の決闘』とか、乾いて広大な大地を多数の牛と一緒に移動している牛飼いさん達の食事は、ズイブン貧しいものとして眼に映える。

 保温も冷蔵も出来ない環境だから、たいがい豆だねぇ。赤インゲン豆(キドニービーンズ)ひよこ豆。ジャガイモも食べてる様子。

 焦げきった鉄鍋に水をいれ、豆やおジャガを煮て食ってる。

 上写真はハワード・ホークス監督『赤い河』。袋から出したひよこ豆を手ですくい、今から煮るというシーン。

 飼っている多数の牛は大事な商品ゆえ、ステーキなんぞは食べられないワケで、たまに弱った牛が出てしまったさいは移動を停め、倒れた牛をカウボーイ全員で解体する。

 とはいえ冷蔵出来ないから、すぐに傷み出す。多くは破棄しなきゃいけない。大損害だろう。「肉うまいなぁ」なんて境地じゃない。

 やむにやまれない状況下、ナンボかの肉を干して、岩塩まぶし、いわゆるビーフジャーキーにするんだねぇ。

 そんな肉がある時は、豆とビーフ混ぜて、シチューも作ったようだ。

          映画『荒野の決闘』より。使った金属皿を砂で洗ってる

        

 開拓時代のコトを書いた本を読むと、カウボーイ達は旅の間は狩りもしたそうで、鹿やガチョウに遭遇すると、追いかけて銃を向けたらしい。なかなか遭遇の機会がないけど、大事なタンパク源だ。

 テキサス界隈で自分の牧場を持って現地に生息する牛を捕らえて育て(当時は野生牛が多々いる環境だった)、カリフォルニアまで数千頭の牛を運べば、テキサス相場の20倍くらいの価格で売れる。南北戦争後の金鉱ブームやらで人口が大増加しているカリフォルニアは食料不足で、それでそんな高価格で売れる。

 でも距離はざっと2400Km。岡山から香港へと歩くに等しい距離。その長大を何ヶ月もかけて野営しつつ、牛が痩せないよう草木の多い地所を選んでの大移動が牛飼いの仕事。それをほぼ豆の食事で堪えるんだからシンドイわ。

                    『荒野の決闘』より

 冷えたビールもコークもあるワケなく、当然に紙フィルターもありゃしない。コーヒー豆を砕いて煮るだけ。豆粒だらけなのでナイフでそれを沈めつつ吞んでたそうだから、ワイルドだ。

 ワイルドと云うとなんだかカッコ良く聞こえるけど、本質はテッテ~的な質素。乏しさをガマンしての食事だ。

 較べると、吉野家の牛丼なんぞは贅沢で豪奢な食事という次第になる。

 

 西部開拓時代(1865(慶応元年)~1890(明治23年))と聞いて、西海岸方面のコトと思うヒトもあるようだけど、米国中央部の話ですぞ。

 英国やフランスからの移住者が太平洋側と大西洋側からジワジワ開拓開墾していって、その合流地たる広大な大地のコトを指すのだよ。ペリーがニホンに開国を迫ったアトの話。西部劇というのは明治時代の話。

 で、この一帯には先住民たるインディアンが住んでるワケで、彼らは大迷惑を被る。

 反抗は当然。斧と弓しかない彼らは劣勢だったけど白人の武器商人から銃を買って武装を近代化させる。カスター将軍の大部隊が全滅したのは1876年(明治9)。

 カスター部隊は南北戦争時に支給された一発撃っては弾をこめる後装式ライフルで、逆にラコタ一族などのインディアンはレバーアクションの連発銃で武装。逆転がおきていた。東京に上野公園ができ、北海道にクラーク博士が来て、「青年よ大志を抱け」と申された頃だ。

 

 一方で、放牧じゃなく、土地を政府から購入し、同地に根をおろして農業生活する者もでる。

 彼らは彼らで広い小麦畑やらトウモロコシ畑を、数千頭の牛の通過で荒らされたくはないから柵で自衛し、カウボーイ率いる牛達の侵入を避ける。

 映画『シェーン』では、定住を試みて牛飼い達との軋轢に苦労している農家で、焼きたてのパイをふるまわれ、荒野でいきたアウトローたる主人公がいささか困惑ぎみに家庭生活のぬくもりを感じる好いシーンがあったねぇ。英国からの移住者ならパイは定番料理だろうけど……、何パイだろ? ジャガイモが入ってるんかしら、わかりまシェ〜ン。

 

 意外なコトに、この開拓時代の現地には多数のニホン人もいる。

 明治となったニホンも当然に貧しい。長子相続という長男が跡継ぎになるという慣習は江戸時代と変わらずで、次男や三男は喰っていけない。

 なので思い切ってアメリカに行って一旗あげる……、というヒトが続々でた。

 開拓時代の末期には2000人を超えるニホン人が、カウボーイの手伝い仕事やら金鉱堀りの親方に雇われてる。

 彼らも、たぶん、醤油味を懐かしみつつ、スープ状のひよこ豆を食べていたんだろうねぇ。

 1882年に米国は、どんどん移民して来て労働現場を奪うという理由で「中国人排斥法」を制定。中国からの移民を禁じたけど、それに変わる低賃金労働力としての間口があいたのをキッカケにニホン人移民が急増した。

 岡山に亜公園がまだあった1901年(明治34)頃には、なんと13万人ものニホン人が米国に移住し、いわゆる日系米国人の一歩が刻まれる。

(中国人排斥法は人種差別を公的に認めた悪しき法律として1943年に廃止。一方でドンドン入ってきて定住する日本人に対し、『排日移民法』を米国は1924年につくり、やがて1942年、ルーズベルト大統領令でもって12万人もの日本人が強制収容される)

 ちなみに醤油はニホンから送ってもらうしか手段がなく、戦後、昭和32年(1957)になってやっと、キッコーマンがサンフランシスコに現地法人を置き販売を開始。やがて米国工場も起ち上げたそうだから、日系1世や2世には待望のものだったろう、な。

All-Purose Seasoning。万能調味料。キッコーマンはこれを謳い文句に、テリヤキを米国で流行らすコトになる。

  上写真はスーパーでハッピをまとった売り子さんが醤油の実演販売をやってるところ。

「あら、おいしい」と白人市民も喜んだ。

 ところで、吉野家の牛丼って醤油ベースなのかなぁ。「あら、おいしい」のだけど、よくわかんない。

 

 

2001:スペースポッド

 

 数週前に芦屋に行き、さらに高知へとフラリと電車に乗っかったEチャンは、過日、またも芦屋にフラリ旅。芦屋市立美術館を再訪問、立版古の新たな展示物を見てきたそうな。

 で、数日前の桃太郎大通り岡山市イチバンの通り沿いの高層マンションで火事があって騒然とした晩(選挙の前夜・1人亡くなった)、現場からわずか100mほどのBARで、サイレンやらパトランプの明滅を窓の外に見つつ、Eチャンからまた何枚か、展示の写真を頂戴した。

 明治・大正期のペーパー玩具。がんばって組み上げれば、かなり大がかりなディオラマとなるオモチャ達。

 いま厚紙はポピュラーなペーパーだけど、当時そんな紙はなくってペラペ~ラの薄い紙にこれらは印刷され、廉価でもってそこいらの玩具屋や雑貨店で売られていたワケだ。

 それを組み立てると、商品によってはかなり大きな情景が構築出来るという次第を、この展示は見せている。ペチャンコの紙が、切って折って曲げて貼り合わせれば立体物となって立ち上がる壮観を見せている。

ショーケース越しにEチャンが撮影した立版古の大型ディオラマ。横幅は1mを越えている。

 行動力希薄な私は、密かに羨望というか、ボヘミアン的流浪の一人旅をやってるEチャンに感心すると同時に、芦屋市立美術博物館は、なかなか良い企画展示をやってるなぁ……。一度行ってみたいなあと興味をそよがせた。

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 1月末に職場復帰した柔道家は、しかし、完治したとは云いがたく、週1~2回は出社するが、春頃までは療養に重点を置くというカタチを取っている。

 彼の職場はとても寒い環境で、その冷気がよろしくないようで、皮膚移植した部位がズキンズキン疼き、仕事に集中できないとのコト。

 ま~、しかたない。身体がヒト1倍でっかいブン治りも遅いと笑う。

 されど暖かい環境なら痛みは湧かず、職場以外はほぼ平気。何も苦痛がないので、ヤヤ拍子抜け。

 という次第で、出社しない日は部屋でゴロゴロするのもアホらしい、整体医院からの帰り、近所のパチンコ屋で時間をやりくりする。

 

 で過日に、2000円投資してスロット台に向かったら、あらま~、9万円勝っちゃったそうな。

 当方はパチンコ店に行かないからスロット・ゲームの方法も知らないのだけど、柔道家は去年、43万円大勝というコトも経験している。

 とはいえ療養が表向きだから、スロットで遊んだというようなコトは広言できない性質だ……。ちゅ~ワケで、数日前に我が家に、

「儲けた金で買ってきたぞ、退院祝い兼ねた御礼だ」

 と、模型を持ってきた。

 米国メビウス社の製品。プラモデルながら4万円近い高額。円安から脱却できない限り輸入品のネダンは上がり続けて我々を苦しめる。たいがいのホビーショップは額面が額面ゆえ取り扱えない。

 浅口市のマニアックなホビー店に在庫有りと聞き、柔道家はわざわざ買いに出向いたという。

 

 およそ30年ほど前、このスペース・ポッドは我がブランドTVC-15で製品化し、馴染みに馴染んだカタチじゃあるけど、そんな昔と違い、再現のための資料も今は潤沢にあり、ましてプラスチック成形の精度高きな逸品TVC-15ブランドではポリウレタン樹脂)ゆえ、時代の変遷を、柔道家との間ではよく話題にしていたモノだった……。

 最近も時々見かけるオークション・サイトでの当方作品。オリジナルは9800円だったけど法外なネダンがついてるなぁ。

 電飾はしなかったが内装再現に注力したもんだ。その頃はまだコレは、One Man Space Podと呼ばれてたんだけど、 メビウス製品はEVA Podという呼称なのが今っぽい。

 

 以前にも柔道家は当方に組立模型をプレゼントしてくれてるけど、こたびは、療養中の不労所得というか、予定外な収入をば、当方宛の費用として使ってくれたワケですな。

 ありがたいなぁ。会社出ずに、暖房効いてヌックヌク暖かいパチンコ屋さんに毎日行きなさい。

 などとこちら、礼を云いつつ、このスペースポッドが、かの映画の中で大きな役割をはたしてたなぁ……、チッと感慨に耽るのだった。

 映画の中、HAL9000というAIが殺人を犯すさいの道具として、これが用いられたワケだ。

 哀れプール宇宙飛行士(下写真の左)は深宇宙で落命……。

 1968年の封切りから33年後、現実の2001年になったというコトで同年1月7日に記念イベントが開かれ、プールを演じたゲィリー・ロックウッドが来日した。

 その時に取材したけど、その頃の彼はずいぶんと太っていて、握手したさいも、映画と眼の前のヒトがうまく一致せず、嬉しいような、そうでないような妙な気分を味わったもんだが、……当方もすでに大きく変化しちゃってる(^_^;)。

             いささか老いたゲイリー氏といささか若い当方

 こたびの選挙では、生成AIを使った高市早苗をヒーローに仕立てあげたSF映画っぽいショート・ムーヴィ、あるいはアニメっぽい動画がyoutubeに幾つも載って、

「なんじゃこりゃぁ」

 顔をしかめるより前に、極めて精巧で巧妙な宣伝広告めいた造りに、眼を奪われるようなアンバイ。

 高市という人物を、別次元にイメージ化した生成AIというツールに、戦慄させられた。フェークという枠では括れない巧妙なファンタジープロパガンダ動画。

 民意の底の浅さをこたび痛いくらいに当方は味わっているが……、これら生成映像だけで自民党大勝となったワケはない。が、AIが「閉塞を破る強さイメージ」の一翼を担ったのもまた確かだろう。

              HAL9000がコントロールする劇中のスペースポッド

『2001宇宙の旅』に出てくるHAL9000は、AIの良さと悪さの両面を背負って登場の、その第1号かな?

 共同原作者のA.C.クラークはその後の数多の著作でその“解説”を懸命に繰り返してたな。

 キューブリックが映像で見せようとした危なっかしさとはチョイと違う感じがあって、そのあたり、面白いといえなくもないけど、キューブリック自身は自作を語るコトをしなかったから、彼の没後も繰り返して研究本的書籍が登場しては、あ~だこ~だと、メーキング含めたアプローチで解析が試みられ、これもまた面白いといえば面白い。

 ごく最近のCNNの記事で、ISSに6ヶ月滞在したロイ・チャオ宇宙飛行士は、観る前にクラークの小説を先に読めと勧めていたけど、真っ向反対だ。

 キューブリックは映像を観て想像を膨らませてくれ……、と思っていたはずで、小説を先にアタマに入れちゃうと、こちらのイマジネーションがクラーク版小説に影響されちまい、限定され、面白みが薄れますがな。何より自分で考えない方向に堕ちちゃうよ。

 

 

2001年宇宙の旅』を10年ホド前には、「もう古い映画になっちまったなぁ」と思ったコトもあったけど、2026年現在のAI状況の良さと悪さを思うと、古さは失せ、むしろその映画体験は新鮮な方向に更新されているような気が、する。 

 という次第もあって、柔道家がせっかくプレゼントしてくれたんだ、この模型を作ってみようかな……。なんとはなく励んでみたくなった。

 なにより、このデッカイ……、サイズにクラクラさせられた。

 ヒトの頭部を上廻るデカサ……。

 映画の中のこの1人乗り宇宙作業艇は、白いボディに黒色パーツがキチリおさまって、機能性が全面に浮き立って、それゆえ清廉で凜々しく、まったくカッコいい物体なんだけども、HAL9000はこれをコントロールし、凶器に転じさせる。

 あな怖ろしや。

 でもAI機能を遮断されたスペースポッドが、18世紀的ロココ調の部屋と、床が照明らしき未来的な奇妙空間の中に、ポツンと佇むビジュアルは、すこぶる良かった。

 

 このシーンだけで『2001年宇宙の旅』が法外な映画だったと断言できちゃう。

 キューブリックはビジュアルの稀有を強調すべく3カット、連続で劇中に入れている。動きのないカットを3つも。

 見事です。

 最終シーンでもって主人公ボーマン船長が変容するのじゃなく、あの得体ない光の旅からこのロココ調の部屋に到着する過程で、彼は生身のヒューマンからデジタライズ(他に表現があるかもしれないが便宜的に)されたヒューマンに大転換しているワケだ。3カット費やしてキューブリックはここが映画の中心核だと示している。

 むろん、クラークはそう書いてないけども、当方はそう見る。士郎正宗攻殻機動隊』の“電脳化とそのゴースト”のルーツがこの数秒のシーンにあるとも思っている。

 模型造るなら、この影のない部屋も一緒に……、と思わないでもないけど、デッカイからなぁ、無理ですなぁ。

 

 

 

金ピカ

 

 公示日過ぎて3日後に投票所入場ハガキが届く急ごしらえ。市役所の方は大変だろう。破廉恥な軽挙、虚言妄動がリードの不意打ち解散と衆議院選挙。

 地面にツバ吐いちゃいたい気分。

 けど、棄権は得策じゃない。

 期日前投票に行った。意思表示した。

 世論調査の動向を聞くに、魚影のない池に釣り糸を垂らすような徒労かもしれないし、じっさい釣果ゼロというコトになろうけど、「右へ〜ならえ〜」は嫌なんだ。

プリズナーNo.6』の1エピソードでは、幽閉先の村の選挙に立候補したNo.6が、自由権求めてミニ・モーク選挙カーを駆使して駆けずり廻るものの、土壇場で対抗相手のNo.2にコテンパンにやられてたなぁ……、と思い出して上写真をパチリ。

 

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 1970年万国博覧会のスーベニア・オーナメント。

 オークションで手にいれたモノだけど、かなり劣化している。外周の金メッキはほぼ剥離している。

 が、修復はしない。傷みもまた1970年から2026年の今にいたる時間の痕跡。そこを消しちゃうと手にした意味が薄れる。

 金ピカな大坂城太陽の塔の組み合わせ。小さな金ピカなパビリオンが複数。いかにもチープで、これがキッチュな味わいで好し良し。

 こちら温度計。金ピカ太陽の塔を目立たせたいがために、背後マックロ。つまらないカタチと色彩。 1970年に会場で買って家に持ち帰ったヒトは、どこに価値を見いだしたのかしら?

 しかし、いかにもお土産用という割り切った清さも感じなくはない。

 けど一方で「こんなの売れるかなぁ」というタメライみたいな、デザイン以前の不安な気配も滲んでる。

 ゴールドの輝きは不思議な蠱惑があり、ドバイの富裕層やら米国のトランプ翁は調度品に使いたがり、遠い昔のエジプトの王族同様に富と権力を誇示してるけど、こちらは0.1グラムの本物ゴールドさえ買えないから、もっぱら金メッキの光沢に眼を細める。

 とはいえトランプやアラブのそれは醜悪っぽいなぁ、悪趣味に満ちてるなぁ~、とも思ってもいて、まがいものたるキラキラ黄金感覚なメッキ品こそが面白いのに……、などと小さくほざいたり、する。

        

 トランプのゴールド好きは品なき俗悪趣味と断定してよいけど、一方の当方の安物ピカピカへの視線も、同じく俗悪なことには違いない。

 ま~、そうであるけど、双方の嗜好方向が真逆という点で一致と不一致がせめぎ合い反目する。

 転じて日本。

 かつて秀吉は、天皇を驚かすべく黄金の茶室を創り、組み立て式のそれを京都御所に運んで、自ら五服茶をたて天皇に献茶天正12年11月)したけど、その後もアチャコチャ持ち運び、戦場でも茶をたて、最終的には大坂城内に鎮座させた。

               復元・黄金の茶室 MOA美術館所蔵

        資料と復元製作を記録したMOA美術館の本。ちょっとしたバイブル

 千利休はこの金ピカ茶室には関与していないというのがかつての定説だったけど、昨今は大いに関与していたという説が躍動し、当方も、そうに違いないと確信的に想ってる。

 侘びと寂びの真反対な佇まいが、逆に利休の創作欲を燃やしたに違いないと思っている。

 発案は金閣寺に触発された秀吉だったろうが、カタチにまとめたのは利休のはず。というより、利休以外にこれを造れるアーチストはいない。

 茶室という小さな空間に、くすんで退色した侘び感・寂び感をあえて持ち込んだアバンギャルド嗜好の彼だったゆえに、金ピカ茶室もその逆転展開、必然の帰結であろうと、考える。彼の眼差しの方向は同じだ。利休の茶の湯の実態は「静謐」ではなく「過激」なのだ。

            復元・黄金の台子 京都市埋蔵文化研究所所蔵

 釜も茶入も茶碗も、茶道具もすべて金。柄杓と茶筅のみが竹製という徹底。

 秀吉がたてた茶を啜った正親町(おおぎまち)天皇は、さぞや、居心地が悪かったろう思う。

 控えの間に利休は座して、この茶事を見てい たとの文献がある。(『兼見卿記』)

 天皇を巻き込んだ金ピカがもたらす演劇空間を影で演出した利休は、その喜悦を大いに感受したかと、思われる。

 太閤秀吉は天皇を真ん前にし、黄金茶室の趣きで権力頂点に立ったコトを噛みしめて、『宇野主水日記』によれば「一段之御機嫌」だったらしいが、利休はおそらく、太閤さえも手駒にした茶の湯の醍醐味と本物ゴールドをふんだんに使っての低俗の具現を、まったく密かに愉しんだであろうかとも、想像する。

 本物の金を、まがいキッチュなモノに成り下げた思想の転換には、茶の湯がもたらす効果の甚大の前では、富も権力もまがいな俗物と大差ないといった滑稽と批判眼が座っている。

 しいて云えば、彼は一種の愉快犯でもあったろう。クツクツと密かに笑ったであろうとも、思う。

 心静まる茶室という空間を心静まらないゴールドで覆うコトによる、心理的衝突を余儀なくされた天皇のご様子をば見て、利休は、

芸術は爆発だっ!

 と唱えた岡本太郎と同じ境地に、正反対の概念を1つに統合しえた自身のアート感覚に誇りを抱いたろう思えてしかたない。

 

  昨年のバースデーにYUKOちゃんから頂戴の70年万国博覧会金杯。少量の実物の金を混ぜたメッキ・レプリカなれど、好い輝き。EXPO70のロゴをこのカタチに入れ込んだコトでキッチュな妖しさが増している。

 

 上記した本の写真を見ていると、松下館のタイム・カプセルを思い出した。

 実物はニッケル・クロムのステンレス鋼製だけども、直径1mを越える大きなモノ。もしもコレが金のツボならどうだったであろう? メッキじゃなく純金だったら?

 今は大阪城公園・本丸跡の地下15mに2つは(2つ有るのですよ。1つは100年ごとに開封し中身の変化を検査するため。もう1つは5千年後に開封予定)埋設されているけど、でっかい金のツボなら……、盗掘しちゃお~というヤカラが出てきてもオカシクない、な。

 で、ドロボ~達は中身はその場に捨て置く。本や写真やレコードやカセットテープなんて要らないや、価値なしと見捨てるんだ。

 けどま~、それよりも前に大阪維新の会みたいなのがシャシャリ出て、行政経費の無駄だと見捨てて、100年ごとの保守点検も止めちゃって、文化品を文字通りに埋蔵物にしちゃう可能性の方が高いか……。

 そもそも、5千年先まで我々は大阪城公園を維持できるのか? 

 大きな疑問も浮くけど、すくなくとも1970年時点では維持するという決意でもって万国博覧会会場から大阪城に運んで埋めたワケで、その決意の程の厚さと熱さを愛おしく感じる。

 でもま〜、当方やはり、ゴールドなタイム・カプセルを、ついつい考えちゃう。

 5000年地底で眠る黄金のツボ……。ステンレスの冷めた光沢よりロマンあってイイじゃんか、と勝手に空想して本文を閉じる。

 

 

ギャンゴのビルこわし

 

 1970年万国博覧会の開幕直前、少年マガジン手塚治虫に表紙を描いてもらってる。

 各パビリオンを合体させて1つの怪獣に見立てた絵。

ss

 この現物がたしかドッカにあったよなぁ、表紙だけ切り抜いて保存したはず。倉庫状態の2階の一室を探したのだけど、残念、出てこなかった。

 でも代わりといっちゃ~何だけど、別なモノが茶色に変色した紙箱から出てきた。

 やはり少年マガジンの切り抜き。「きみも怪獣を作ろう!」というタイトルの巻頭特集、怪獣ブーム真っ盛りの頃だろう。

ウルトラマン』の放映は1966年から67年までだから、たぶんこの特集はその間だ。

 構成・監修は大伴昌司

 少年マガジンはまだ子供向けの雑誌という体裁で、1970年万国博覧会頃のとんがった青年指向とはチョット違ってる。

 そのとんがりを率先してやったのが大伴だけど、この特集記事の内容と構成は、今の眼でみても鮮烈だ。

 怪獣の大きさを強調すべく見開き2ページをあえて横向きで印刷し、添えられた実際の制作現場の写真を効率よく、かつ効果的に配置などして、編集力がハンパない。

 当時、子供がテレビの怪獣番組を知る手がかりといえば、少年サンデーやら少年マガジンくらいしかないから、本記事はずいぶん目映いモノだったはず。実際、当方が切り抜いて持ってたくらいだから……。

 当時これを読んで、怪獣の背びれとかが硬いもんじゃなく、スポンジを円錐状に切ったモノと知って、子供だった自分がビックラこいたコトも、思い出した。

 スポンジは台所とお風呂にあるモノと思い決めていたけど、この記事でもって、転用する、違う用途に用いる、というコペルニクス的発想転換の醍醐味をば学習したのだった……。

 こまめな取材写真とイラストを中心にした的確な描写が、全国の子供の怪獣探求心を大いに刺激したはず。今でこそDVDなんぞで「メーキング・シーン」を見せるのは普通だけど、60年代という早い時期に、大伴昌司はそこがポイントと見極めているし、円谷プロもそれをよく了解して写真を撮らせている。素晴らしい

 と、それにしても1966年頃のニホン……。貧しげなコスプレだけど、手作りカネゴンの頭部分にザルを使ってるのがイイねぇ。

 当時どこにでもあった竹ザルだよ。逆に今は見かけない。いらない下着を使うというのもイイな。この場合、いらないというのは余ってるんじゃなく使い古された下着というイミだ。小っ恥ずかしいホドに当時のニホンは貧しいんだ。

 でも、逞しい。貧しさから離脱しようと泳いでる。

 ファミコンもない時代だから、自分で工作して楽しむというのが遊びの大きな柱だったと、この切り抜きをみて痛感させられた。

 大伴昌司の編集も、円谷プロの手作りに皆さんも学ぼう、という辺りに暗に焦点をあわせてる。創案し創造する当時のモノ作り日本の姿勢、結果としての「高度成長」とリンクしている。

 で、「動く怪獣工作室」というページがあって、これが何ともヨロシイなぁ。

ギャンゴのビルこわし」というのに、特にそそられた。

 記事では、誌面の図を3倍の大きさにして、切り抜き、絵は自分で描くという次第。コピー機もない時代だからねぇ。当時の子供には、だいぶん大変な作業だわさ。

 ほんじゃま、せっかくゆえ、童心に戻って工作しちゃいましょうや……。

 

 ま~、今になって誌面通りの工作をやっても仕方ない。1960年代半ばと違い、Macやスキャナーやプリンターやらのある「未来世界」が今なワケで……、アレンジして作画し、切って貼った上で、60年代を踏襲し、輪ゴムと糸でもって可動するオモチャをば作ってみた。

 わずか一晩の工作ながら、ひさびさ純粋に“た・の・し・ん・だ”。

 モーターじゃなく、アナログな輪ゴムで動かすというのが、すこぶるイイ。

 誌面に敬意を表し、見出し部分をスキャンしイラストレーターでレイアウト。使用したのはA4クラフトペーパー2枚と輪ゴムと糸のみ。

 動作効果を考慮し、国会議事堂部分はヤヤ背高ノッポな建物にした。

 糸を引けばギャンゴの右手が動き、議事堂が真っ二つ(笑)。

 ウルトラマンがカメラ目線でこっち向いてるのは、ギャンゴスペシウム光線発射しようか、それともいっそ議事堂内の悪いヤツ向けに発射しようか……、躊躇しているという構図。

 ま〜、今どきのペーパーモデルゆえ、チョイっと時事風味くわえて、一晩の工作、おしまい、おしまい。

 引いた糸を放せば、輪ゴムの抑力でギャンゴの腕とビル部分は一応は元のカタチに戻るけど、キチンとは戻らず、ちょっと指で補助しなきゃ〜いけないアバウト加減も良きアンバイなり。プログラム化されたモーター駆動じゃコレは味わえない。

 

 

絵のぼり

 

 ひょんなアンバイで、我が宅に迎えに来てもらった上で、ミュージシャンのDATE氏と吞む。

 いまむら・プチパイン・ウルガとハシゴしつつアレコレ話し、けっこ~な充実。

                翡翠蘭かな? プチパインにて

 かたや音楽、かたや模型と、生息地は違うけど、なんぞ表現しようとするトコロの呼吸は同じ。

 広大かつ深い海が意識され、あれこれ学ばされた。

 速効で学習成果が出るワケはないけど、たぶんやがて潤滑油みたいにジワジワと、会話の中の諸々が、当方の関節やら骨の部位に効果が出て来そうな予感があって、なんだかニッコリ、温ったまるような心地あり。

 帰りのタクシー内で『攻殻機動隊』の主人公のそばにいるトグサやバトー達脇役を、「あれは7人の侍でしょう」とDATE氏が指摘。

「あっ」

 チョイと息をのまされた。

 

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 先日、Eっちゃんから絵ハガキが届いた。

 フラリと高知へ出向き、高知県立美術館で開催中の「ビアズリー展」に足を向けたご様子。さすがボヘミアン・ギャル。

 同館のミュージアム・ショップで絵ハガキを見つけ、ニヤリと笑って当方宅に送った……、らしい。

 ありがたや~~。嬉しいなぁ。

 一見、何だか判らない図柄。

 立版古(組立紙模型)の一種かとEっちゃんは思ったに違いない。良い着眼だ。

 

 作者名は、一登斎(歌川)芳綱と記され、タイトルは「5月幟」とある。

 はは~ん、なるほど判りました。

 ノボリだ。5月節句の「絵のぼり」だ。「紙のぼり」ともいう。

 布を使った屋外用の大きなノボリを買えない江戸期の庶民は、このような木版画の小さな卓上ノボリでもって端午の節句を祝ったんだ。

 ハサミで切ってノリで貼って、自分で作るワケです。

 北斎が描いた「五月の景」。ノボリの上に鯉がいますでしょ。ユトリのある大店や商家はこういったノボリ立てて節句を祝うんだ。

「東都歳事記」に載る「端午市井図」。

 怖そうな人物絵は、元気で強い男の子にな~れ、という願いを込めて、虎退治の加藤清正だったり、やはり虎退治、「水滸伝」に出てくる武松(ぶしょう)だったりする。

 江戸時代末期から明治にかけて、これら武勇の人物とは逆に虎の方が強さの象徴となってって、今に通じる「張り子の虎」が勢力を伸ばしていく。刀の時代でなくなったという文化転移が反映している。

 

 原画を描いた芳綱は、歌川国芳の門人で、同期には芳藤やら芳虎がいてヤヤコシイけど、役者絵みたいな雰囲気で、大酒吞んでる自分のお腹具合を滑稽に描いた作品なんぞもある。生年も没年も不明だけど、イマジネーションよく働く画力抜群のヒトのようじゃ~あるね。

 

  

 当時の卓上絵のぼりは組立説明書なんぞはない。
 せっかくだから作ってみよう。

 ハガキを切るワケにもいかんので、コピーし、Macで少し拡大。竹ひご1本使用。

 卓袱台や簞笥の上に飾るミニ・サイズだけど、これは鯉のぼりの原型なのですよ。

 いやぁ、イイもん送ってくれたにゃ~。感謝。

 

東京裁判

 

 過日というか正月過ぎか、伊勢神宮に詣でた首相に向け、沿道の女性らが手を振り、

「さなえさ~~ん」

「さなえさ~~ん」

 大きな声あげて声援している映像をみて、複雑な気分となりにけり。

 安倍晋三氏の遺影を抱えた彼女の姿は奇異ながら……、声援おくるだけの価値有りと、多くの、とくに若いヒトは思っているのだろう。

 世の中変わって欲しいという思いも濃いだろうが、でも当方には……、中身を吟味せずな、危なっかさ含みな熱狂現象のような気がしてしょ~がない。

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 近年、急速に、本を読まないヒト、映画に集中できないヒト、シリーズもののマンガですら最後まで読み通せない若いヒト……、が増しているらしい。

 本を読まないのではなく、本を読むだけの持久力がないらしい。1時間半ほどの映画が耐えがたいらしい。

 電話を嫌い、直に話すコトすら忌避している昨今ゆえ、なるほど……、とは感じるけども、加えて、AIによる文章やらグラフィック作成って、いいのかなぁ、ますますヒトはものを考えない存在になるような気がする。それが「さなえさ〜〜ん」に連動しているような気もする。

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 いま、amazon primeで『東京裁判』を鑑賞できる。

 極東国際軍事裁判の様子を撮影した米国国防省のフィルムが25年後に公開され、それを講談社が取り寄せて、5年かけて小林正樹が編纂した1983年のドキュメンタリー映画

 277分。4時間30分を越える大長編。

 あまりに長いので、2回や3回眺めても、判らない箇所が幾つもある。

 幸い配信というカタチゆえ、小分けして鑑賞も出来れば、繰り返して同じ部分を眺めるコトも出来る。トイレ行きも問題なし。

 

 この作品で、昭和天皇の、

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び……」

 の、玉音放送のすべてが流れる。

 正直なところ、何を云ってるのか判らない。現在では難し過ぎる日本語だ。

 上記の部分は放送の後半になって登場し、そこのみは了解できるけど、とにかく、難しい感触が続き、これを聴きつつ皇居前で伏して泣いた昭和20年8月15日の方々は、しっかり理解して泣いていたのだろうか? 訝しむ。

 初めて耳にする天皇の声に感動しつつ、何とはなくも戦争が終わったのかもと……、思った方の方が多かったんじゃんかろうか。映画は字幕でこの天皇の言葉を補助してくれる。

 本裁判は、起訴された内容についての東条英機ら被告人の「罪状認否」から始まる。

 自分はギルティーか、ノット・ギルティーか、日本人が初めて経験した西洋式裁判の幕あけだ。この方法を理解出来ず、いきおい長々としゃべり出す被告に裁判長が注意を促し、混乱した様子が映ってる。

 東条はじめ全員が、無罪を主張。そこから3年に渡り、裁判は続く。

 

 本裁判は戦勝国側の一方的振る舞いだと非難する声も、ある。

 されど映像を眺めると、被告人側に立った米国の弁護士が、日本人以上に被告らに寄り添うというか、裁判そのものを疑義するシーンがあり、アゼンとさせられる。

 裁判5日めにして、米国の5名の弁護士が裁判権についての「補足動議」を提出する。

 重光葵(東条内閣の外務大臣の弁護人G.A.ファーネス(米国陸軍弁護士・1957年の東宝映画『地球防衛軍』、1962年の『妖星ゴラス』に出演の俳優でもある)は、

「真に公平な裁判なら、戦勝国ではない中立国家が裁判を行うべきで、勝者による敗者への裁きはありえない」

 と申し立て、次いで梅津美治郎(陸軍大将)の弁護人ブレークニー(米国陸軍将校・法律家)は、

「戦争に関し、国際法の法規が存在していることは戦争の合法性を示す証拠であり、戦争自体が非合法なら本裁判はまったく意味をなさない」

 と、戦争と法の狭間の問題を話し、

国際法は国家に対して適用されるが個人に向けては適用できない。例え嫌悪すべき行為であってもだ。これが正しい裁きならば、原爆を落とした米国人はどうなのだ? 命令をくだした将校も罰せられる対象だ。その軍人に指示をだした元首が誰であるかも……、我々誰もが知っている」

 淡々と、されど英語による動詞の後に主語をもっていく倒置話法の劇的効果すら計算し、感動的に述べる。

 対して裁判長のウェッブ(オーストラリアの最高判事)は沈黙し、3日後、理由をつけずこの動議を却下する。これで裁判そのものの正統性はうやむやとなった。

 見るべきシーンが数多あり、ホドホドに疲れる。

 だけども、これは実際の映像なのだから、くたびれるとかいったレベルの話じゃ~ない。直視し、事の成り行きを追っていくしかない。

 

 鎖国を解いた明治以後のこの国には、欧米諸国と同等か、あるいはそれ以上を目指そうとする強い意志が働いていたのは顕かで、それが結局は、満州界隈を植民地にしての帝國主義の発奮と結ばれる。

 昭和5年の浜口雄吉首相の暗殺を皮切りに右翼が跋扈、続々と暗殺事件が起き、やがて2・26事件

 日本は軍国主義に傾斜し、とてものコト一言では表現出来ない諸々の事態へと進んでいく。

 だから、このドキュメンタリーの内容も当然に、ややこしい。

 容易に納得したり、よっしゃ判った~、とは呟けない。

 次々に首相が変わり、政局混沌。皇族の近衛文麿が首相になるも、満州では蒋介石の軍隊と日本軍が衝突し、中国大陸全体を巻き込んでの支那事変へと進む。近衛は内閣を投げ出し、変わって東条英機が首相となる。

 やがて日本主導で満州国が登場。

 裁判にはロシアに拘束されていた溥儀(ふぎ)が呼ばれ、証言台に立たされる。 大勢の登場人物を追っていくだけでもナンギで混乱もする。

 

 昭和7年の国際連盟ジュネーブでの総会)では、

1 関東軍(日本軍)の行動は自営行動とは認められない

2 満州国独立運動の結果とは認められない

3 中国国民は『満州国』を認めていない

4 よって、満州を事変前の状態に戻し、これを国際連盟の管理下におく

 この4項目が各国満場一致で議決される。

 対して日本の松岡洋右(全権を託された日本代表議員)は、不満の演説をおこなった後、官僚らを引き連れて議場から退出。国際連盟から脱会した。

 これに日本の世論は喝采する。

 満州国維持のために国際社会からの孤立を選択し、それを世論は支持したワケだ。

                国際連盟議場から退出する松岡

 日本は第2の満州国を造ろうと、山東省、河北省、山西省、綏遠酒省、モンゴル・チャハル省に手を延ばしていく。大陸資源を我がものとするために、天皇が陸海空の軍隊を統帥するという明治大日本国憲法を楯にして軍部はその統帥権を乱用する。

 政府は不拡大を標榜するけど、軍事は内閣が関与できない領域とする統帥権拡大解釈の軍によって振り切られる。

 

 余談だけど、こたびの解散選挙は、この統帥権の逸脱に似ている。

 衆議院解散は、憲法上では不信任安可決・信任案否決と合わせて内閣が決めるものとなっているけど、首相一個人の思惑が先行。

 現在の小選挙区制度では議員公認権が首相にある。なので首相に異議を唱えるのは大きな不利になるから内閣の一員もズルズル従うしかない。統帥権問題と同じ悪しきな暴走と思う……。

 

 東京裁判では、軍人や議員の振る舞いが1つ1つ壇上にあげられ、誰が首謀したか、誰に責任があるかと問い続けられる。

 4時間半という長い映画ではあるけど、ドキュメンタリーとして省かれたものの方が膨大で、だからこの作品に全てが収録されているワケはないが、戦争というヤッカイなカタチのエッセンスは、みえる。

 天皇に罪を着せない米国方針に基づいた東京裁判そのものが、巨大なドラマの最終章。戦争映画そのものと云えなくもない。

 

 ともかくも、4時間半という時間の中に、過去の一部分が凝縮され、それゆえ、この映画は繰り返し観るべき性質を強く帯びていると思う。

「さなえさ~~ん」

 と声をあげるのもイイだろう。でも、政治家に向けての眼は、たぶんもっと辛辣でなきゃ~いけないし、熟考しての選択としての「さなえさ~~ん」でなきゃ~いけないような気がしていけない。首相はアイドルじゃ~ない。

 中盤に石原莞爾が登場する。

 末期の膀胱癌で市ヶ谷の裁判所に出向けない彼に対し、住まう山形県酒田市の商工会議所に出張法廷が設けられる。

 毛布で身体を覆い、支持者の大山倍達が引く大八車に乗って法廷に出た彼は、ニュージーランドのノースクロフト判事の尋問に、

満州事変の中心は私だ。満州国建国は自分の立案である。その私が戦犯として市ヶ谷の法廷に召喚されないのは解せない」

 連合国の戦犯指名が誤りだと指摘、さらに、

東条英機とは意見があわなかったのか?」

 との問いに、

「私には仔細ながら意見や思想もある。しかし東条には意見も思想もない。思想もない人物との間にどうして思想意見の対立があり得よう」

 判事らを煙に巻いて圧倒した。が、一方で石原は「宣誓供述書」で、満州事変と満州国建国は自分が意図したものではないと戦犯になるコトを避けた発言を繰り出している。

 ニンゲンの不可解やら奇妙さやらアレコレが錯綜し、映画を観ている間、熱されたり冷まされたり、し続ける。

 心地良いものじゃ~ないけれど、心地悪さが台頭している今こそ観るべき映画だとは思う。

 3人の子供が国のために死んでも泣くに泣けずだったが終戦にいたって号泣したという……、映画の前半に紹介される「昭和萬葉集」の幾つかの和歌の1つ。

 

 

ハン・ソロ

 昨日、年初め恒例、我が宅にKuyama夫妻がやって来て放談。

 コロナ期の数年を除いて毎年の行事というか、当方、夫妻に会ってようやく正月から次のモードに入るというアンバイ……、かな。

 近年はこの日のみ会っているという次第が多いから、織姫と牛飼いの七夕じゃ〜ないけれど、いささかなワクワク感もプラス。

 岡山でのポタリーアートの第一人者と口径のでっかい望遠鏡で深遠な彼方の星雲を見ている、カッコ良きカップルの健勝っぷりにニッコリ。アレコレ話し、笑ったり、教わったり、顔しかめてナンギな政情を憂いたりする。

 年に1度っきり私がケーキを食べるのが、この会合(苦笑)。ま〜、それだけめでたいというか何というか、アハハのハ。

 昨年に八塔寺備前市吉永町でKuyama氏が撮影したM101銀河(おおくま座)。素晴らしい。

 近年は天体観測の精密機器にも中国製が増し、しかも精度がズイブンに高いらしい。

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 4日ほど前。強風の上に粉雪が舞う冷えた白昼、昨年に奈良方面に出向いた仲間6人での新年会。

 年数回の小さな旅を数年続け、アチャコチャ出向いているけど、旅でなく白昼のBARに集合というのは初めて。

 な~んとはなく新鮮。

 BARのオーナー含めた女性陣が用意してくれた鍋料理を個々の皿に入れ、日本酒で乾杯。

 鍋の熱い湯気と滋味。ゆるく帯を解いてリラックスするみたいな、良さげな昂揚。

 ツカサちゃん日本酒吞むのがいそがしく、Kosakaちゃん鍋奉行でせわしない。

 当方、ちょっと体調かんばしくなく途中で元気失い休憩したりだったけど、アレコレ美味かった。

 この日、Eっちゃんが朝6時に起きだして京橋朝市に出向いて買ってきたサバのいぶし焼きみたいなのも旨かった。旭川河川敷の会場はあまりの強風にテント保持が難しく出店数は通常の半分ほどだったらしいけど、Eっちゃん、旨いモノを見つけたもんだ。

 さて今年は、どこに行こうか、行くまいか。

 パクパク・ポンポン舌鼓打ちながら、とりとめもなく話し、幾つかの候補地が上がったり下がったり。

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 数年前、イオンシネマ岡南で『ハン・ソロ』を観たさいは、同行の柔道家に向けて、

「駄作だダサイだワッセわっせ」

「2度と観ないぞエンヤこらぁ」

 などなど、悪態ついて侮罵したけど、なんだか少々ひっかかるようなトコロもあって、それがモヤ~っとつきまとってた。

 それで、数年経った今頃にBlu-ray買って、モヤ〜の真相を探るべく見直してみるに……、

「あれ?」

 ダメと思えた感じをいっそう深めてやろうとしたのに……、気分が変わった。

 なるほど主役はハリソン・フォードとは似ない顔つきだけど、ハリソンのテーストを踏襲しようとの努力の痕跡が、映画館で接した時よりはるかに垣間見えた。役者もカメラ・アングルもハリソンのそれを追うべく努めてガンバッている。

 くわえてこの役者さん独自のハン・ソロ味もジンワリ出そうとしていると見た。大勢が集うが緊張すべきなパーティ席でのちょっとした視線変更の滑稽味など、監督の演出とあいまって、ケッコ〜な味わい。

 物語周辺の小道具の数々も、最初の3部作を踏まえ、きめ細かい。

 若きランド・カルリシアンにふんした俳優が、リドリー・スコットの秀作『オデッセイ』のあの役者だったコトも判って、これもビックリ。

 ビックリと共に、初見で彼を見逃していたコトを恥じ、好感度もアップだからゲンキンだぁ。

             『スペース・オデッセイ』でのワン・シーン

 ただし、初期のミレニアム・ファルコンがカッコよく眼に映えないという点は変わらずで、ハン・ソロがこの機体を溺愛する理由が不明瞭。 この印象は初見と変わらず。居住空間の大半が通路という構造が可笑しくもあり、ソロはその無駄っぽさに惚れたかとも勝手に思う。

 けどやはり、映画というのは1回こっきりで判断しちゃ~いけないねぇ。

 

 当方、好感した映画は何度も何度も見直すというのをヘキにしているけど、逆に云えば、初見時にダメと感じた映画は封印してしまい、印象をあらためたりしない。

 これは悪い習癖と自覚する。

 こたび『ハン・ソロ』再見で印象激変、好きな映画の1本に転じたのだから、なんだか少々こそばゆい。監督したロン・ハワードに申しワケない気分も湧いた。

 思えば『アメリカン・グラフィティ』の頃から、彼はジョージ・ルーカスの仲間でもあって、ルーカスの嗜好を存分に判っているヒトだったと顧みた。

 彼も役者達も、3部作を想定して映画創りに励んだであろうコトはメーキング映像を眺めて痛いホドによく判った。

 ハデさはないけどドラマチックなラスト附近の描写にはシリーズ継続の期待を昂ぶらせる仕掛けが縦横にある。

 興業収益が予想を下廻ったゆえに3部作計画は頓挫し、単品としての映画に成り下がったのは、気の毒センバンだ。

 おそらくその3部作は、ダニエル・クレイグ演じた007シリーズ同様な愛した女性を喪失する悲哀とそこからの立ち直りといった作品となったろうとも予測して、つくづく、この頓挫を悲しむ。

 ……けど、ま~いいや。ダメ烙印を押しちゃった『ハン・ソロ』がポジション替えとなったコトは、喜ばしい。

 

 ちなみにハリソン・フォードに似ていなくもない柔道家は12月末に退院し、この1月半ばまでは自宅療養。仕事復帰は下旬とのコトで、快方というか解放目前なのも喜ばしい。