高知の須崎から帰って数日後、自分用土産に買った橋本食堂の鍋焼きラーメンのパッケージをあけ、同じく須崎で買った竹輪をいれて、土鍋で煮た。

 生卵にネギに鶏肉と同じ具材も揃えたけど、店で味わった味と……、絶妙に違うのですよね~、こういうのは。

 あの時に味わった店のそれじゃ~ないぞと舌が残念がるんだ。

      

 少々ココロ曇らせて写真を撮ったら、写真は写真で湯気に曇ってしまった。

 でも、このパッケージ仕様を橋本食堂そのものに持ち込んで調理してもらったら、

「ぁぁ、これこれ、これですよ〜」

 B面がA面に変じるんじゃなかろうか。感覚というもんは、あやういもんだ。

 

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 なにかと話題の「皇室典範」改正案は、明治(1889)に制定された「旧皇室典範」を戦後の日本国憲法の施行に合わせ、昭和22年(1947)に改変し移行させたものを、さらにこのたび改造しようとの企て。

 条文化された改正案を眺めるに……、法律文なんぞにエンのない当方にさえ、

「何じゃこりゃ!?」

 ワケわからないグッチャラケというコトのみが、鮮明に浮いて、

「ぁ、アホかいな」

 目ん玉クラクラなのだった。

                

 まずもって、皇室典範そのものの大改修じゃないというのが変テコだ。

 つけ足しなんだ。小細工を弄するというか、抜け道を作るというか、こんなアンバイだ。

  (1) 皇室典範第9条の規定にかかわらず、親王、親王妃、内親王、王、王妃および女王(皇嗣および皇嗣妃を除く。)は、皇室会議の議を経て、皇室典範による皇族男子であった者の嫡男系嫡出の子孫である現に皇族でない年齢15年以上の男子であって、配偶者および子がないものに限り、養子とすることができるものとすること。

  (2) 皇室典範第15条の規定にかかわらず、(1)により養子となった男子は、皇族となるものとすること。

  (3) 皇室典範第1条および第2条の規定にかかわらず、(2)により皇族となった男子(以下「養子皇族男子」という。)は皇位継承資格を有しないものとすること。

  (4) 皇室典範第17条の規定にかかわらず、養子皇族男子の摂政就任順序は内親王・女王の次とすること。

  (5) 皇室典範第11条第1項の規定にかかわらず、養子皇族男子については、その意思に基づき皇族の身分を離れることができないものとすること。

 

 もうこれだけで、

「うっそ~、ワケわかんない」

 じゃ~なかろうか。

 条項はとても厳密なものであるハズなのだけど、「規定に関わらず」というのを続々に追加列記する愚鈍っぷり。

「讃岐うどんは讃岐のうどんであること」という条項規定があるとして、それに対して法自身が、

「規定に関わらず、讃岐のラーメンについてはこれをうどんとすることができる」

 みたいなグンニャリっぷり。

 くわえてヒドイのは、5番目、皇室典範第11条第1項(15歳以上の内親王・王・女王が、自身の意思に基づいて皇族の身分(皇籍)を離れることができる)の規定にかかわらず、養子皇族男子については、その意思に基づき皇族の身分を離れることができないものとすること。

 何? えっ?

 これを例えると、養子縁組したラーメンはうどんとなるや、その身分から離れることは出来ないというコトになりますでしょ。ラーメンに自由はないワケよ。

 なんじゃこれ……。

 

 とにかく、肝心なコトを改正しようというのじゃないワケだ。

 肝心なコトというのは現在の皇室典範の第1章・皇位継承のその第1条・皇統に属する男系の男子が、これを継承する

 という、ここでしょうに。

 男子が継承しなきゃ~いかんという旧態をこそ直すべきで、なぜ女性がはぶかれる?

 えっ? なぜ?

 この明治時代から続く第1条をこそ取り除くべきハズなんだ。

 ただもう、ゴソゴソとワケわかない「規定に関わらず」という魔法呪文の付け加えで、逆に皇室典範を骨抜きにしているワケだ。

「規定にかかわらず」というコトになれば、も~、なんでもありじゃないですか。赤信号は止まれと規定してますが、かかわらず車進めてもいいです……、ってもはや作文ともいえないレベルでの改正案……。

 ムカムカしちゃったよ。

 芥川龍之介に、「」という小篇がある。

 当方、彼の作品では「かちかち山」に次いで好感している作品。

 両方とも、ほぼ詩といっていいイメージの繚乱。

「かちかち山」の方はあの「かちかち山」を完膚なきまでに解体し、透明な言葉でもって再構築して童話という形状そのものを高らかに昇華させた名品と当方は思ってるけど、「女」もまた驚くべきな芥川マジックというか、主人公は雌のクモ。

 で彼女が薔薇の花に潜み、やってきて蜜を吸い取りにかかったハチを殺害するといういささかおぞましいシーンで文章が駆け出す。

 残酷な沈黙の数秒が過ぎた。

 と芥川は短い吐息のような1行を置き、やがて、そのメスのクモが出産し、おびただしいクモの子たちが闊達な生命力をみなぎらせている反面に、彼女は影のごとく痩せてうずくまり、産所と墓とを兼ねた、薔薇にはった紗のようなマクのなか、天職を果たした母親の限りない歓喜を感じながら、いつか死についていた。

 そう印した後に芥川はこう結ぶ。

__あの蜂を噛み殺した、ほとんど「悪」それ自身のような、真夏の自然に生きている女は。

 なんともはや見事。「雌蜘蛛」とかなタイトルじゃなく、「」とし、その生と性を自然の営みの中のものとして観察し、文学とした天晴れ。

 皇室典範改正案と芥川の小品はなにも関連しないし、較べるべき筋合いもないけれど、女性天皇を阻止したいがための意固地と下劣な無惨と、芥川の異性への驚嘆と敬い。その一言一句の中のガラスのような透明さの違いは大きすぎ、ただただ当方、哄笑する。

 苦笑じゃなく哄笑する。

 

高知の鍋焼きラーメン

 

 いつものトリオで高知へ向かう。 

 出発前の朝5時半過ぎには、北東の空が異様なホドの茜に染まったけど、数分後には色が失せ、雨が落ちだした。

 台風接近の影響か、四国方面は全域が雨。それもケッコ〜な降りっぷり。

 ま〜、それも好し。

 大きな目的なし。野望なし。毎回、カツオのたたきが定番だけど、それも外す。

 ただ昼時には鍋焼きラーメンをいただきましょう、というコトのみ決めての高知行き。

 鶏ガラの醤油スープを土鍋で煮込んだラーメン。須崎(すさき)市にたくさん店がある。

 

 須崎市は、ニホンカワウソの生息地として名を馳せた。

 同地の新庄川でのカワウソは1979年の目撃以後は途絶え、環境省は「も〜、このクニにはいないよ〜」絶滅種のハンコを押した。

 けども同市は「元気創造課」という一課を設け、環境保全にチカラを入れて、カウワソ再発見を今も願っている。

 ほぼ信仰みたいなもんだが、結果として須崎のニホンカワウソのキャラクター化に成功し、それが観光資源となっている。失ったものも大きいが得たモノも有るという『一得一失』、人間万事塞翁が馬みたいなコトになっている。

 市内の道の駅にはカワウソ・グッズ多数。

  

 かわうそキャラクターのしんじょう君とミレー・ビスケットのコラボレーション。

 

 一方で鍋焼きの方は、絶滅の真反対。大手をふって増殖し、市内アチャコチャで食べられるから安堵アンドで有り難い。

 生タマゴと竹輪とネギと鶏肉が入っていなきゃ~鍋焼きラーメンとは云わない、という「決まり」があるのが可笑しい。須崎市は太平洋沿いの地域ゆえ、魚肉すり身の竹輪工場が幾つもあって、その辺りのコラボレーションもお見事。

 同行2人は数年前にも食べてるようだが、当方はたぶん、20数年ぶり。その時もKosakaちゃんと一緒だったな。

 人気店の橋本食堂へいく。

 べつだん、懐かしいワケもないけど、鍋焼きの発案者が誰で、いつ始めたか、その後の進展がどうであるかが、ウィキペディアに載ってるホドに明晰な地域フードというのは、いささか珍しいような気がしなくもない。

 戦後の、復興期に登場した経緯には、良き偶然が重なったという事情もあるようだけど、ともあれ、今や名物となって、須崎といえばニホンカワウソと鍋焼きラーメンなのだった。 

 橋本食堂のメニューはこの土鍋のみ。

 20年ホド前の記憶がおぼろな夢のように、微かな波音をたてる。

 土鍋ゆえの保温効果でスープも麵も熱いまま。

 お箸で探ると沈んでいた竹輪や鶏肉と共に生卵も登場する。生卵はすぐに壊れ、すぐに熱で固まってった。

 このアツアツを食べる。

 極度にスゲ〜というモンじゃ〜ござんせんが、舌は喜び、随喜のヨダレもタ〜ラタラ。

 熱いからね、食べてる内、汗もタ〜ラタラの二重奏。

 何かのおりに悦ちゃんから頂戴したスターウォーズの手拭いで額や首筋を拭い、

「May the force be with you……」 

 ニッタリ北叟笑む。

 この橋本食堂の近くに、同店のスープで使っているお醤油さんがあるとツカサちゃんが情報を得ていて、では出向いてみるべ〜。

 こじんまりとした感じ良い老舗の風格。

 良き女将の対応で我ら3人、それぞれお醤油やら味噌を買う。

 当方は甘口の中瓶を買った。丸共はマルキョウと読む。

 中庭の佇まいとクールなバイシクルの取り合わせが妙に印象された。

 

 道中、高知新聞を買った。高知県でのシェア率はダントツに高いらしい。

 けど10年後はどうだろう?

 新聞を読むヒトはどんどん減っているワケで、地元愛たっぷりの高知新聞社とて、ジンワリと冷や汗を滲ませているのではないかしら?

 チョイ調べると、2024年1月は135900部だけど、2025年4月には124000部。1年で1万も減少で、これは岡山の山陽新聞でも似た数字が現れる。

 2020年度が29万部。それが2023年では256600部と、大きく減少中。

 10年後を思うと、新聞というメディアは風前のトモシビ的存在にまで落ちちゃうのが見える。

 何のこた~ない「絶滅寸前種」。

 オールド古物と云われ追いやられ、危惧されるでない哀れ。近いうちには記者を抱えるユトリもなくなる。

 まさかとは思うけど、朝日新聞はそこを見越し、AIに記事を書かせる方向に足を向けているとかな噂もあり……、龍馬の言葉で申せば、

「おんしゃ〜たいちゃ〜にせえよ」

 という感じじゃあるけど、強い主張が書かれ、それを支持する少数者向けのミニコミ紙のみがかろうじて残る世の中になっちまうのかしら? 嘘だらけの情報の腐海がいっそう拡がって、喘ぐようなアンバイが到来か?

 ともあれ今現在は、他県の地元紙は、ぜんぜん知らない会社の広告や記事やら含めて未知との遭遇的ダイゴミ有りの「日付入り土産」になる。

 須崎市安和にある無人駅「JR安和駅」(土讃線)は目の前が海。安和海岸がすぐそば。

 愛媛伊予市の下灘駅も海に近いから、去年だかにKosakaちゃんと見学に出向いたけども、瀬戸内海だ。

 こちら安和駅は太平洋。波音がザブンザブンとダイレクトに聞こえる立地。な~んか空間的拡がりが違うじゃ~ござんせんか。右方面彼方はパプアニューギニア、湾岸からまっすぐの彼方にハワイ諸島……。 

 Kosakaちゃんが肩を雨に濡らしながらホームに立った直後、ディーゼルがやって来た。

 でも台風のさなかは土讃線動けないな。あまりの海ぎわゆえ波をかぶるハズ。

 

 湾岸沿いの須ノ浦という場所に武市瑞山の大きな銅像がある。

 武市の名が出るや当方はタケチ・ハンペイタで反応し、ズイザンの名は出てこないのが常。

 雨足が強くなって車の外には出られず、車内から見物しただけだが……、辺鄙としか云いようのない場所に、ポツンと設置されている理由が判らない。閑散として寂しいかぎり。

 桂浜の龍馬像同様な大勢が来たる観光地化を目論んだものの、意気込みとは裏腹になっちまったのか……。土佐での尊王攘夷のリーダーとして、米利堅の接近はここじゃ許さんぜよ〜、と像の眼は太平洋に向いているが、ガランとした駐車場を前景に寂しい磯が拡がっているきり。タヌキとウサギが乗ったドロ舟の気配もなし。

 須崎の湾は入り組んでいる。上記銅像のやや近場、裏の内湾という場所に鳴無神社というのがある。

 鳴無と書いて、「おとなし」と読む。1566年前に創建された神社らしいが、鳥居の配置が驚きだ。

 海に向いている。

 鳥居は結界でもあるけれど、ここの配置はまるで、神さんが海からやって来てまた海に戻るという構造だ。ニンゲン用じゃなく海の神さんの通路だ。

 珍しいというか奇異というか、妙なアンバイをおぼえさせられたけど、この地域のデート・スポットでもあるようで、ジャブジャブの雨中ながら、2〜3組のカップル有り。

 仲良きコトは美しきかなとは思わず、チビリ羨ましかった。

 

ロボット

  

     

 カレル・チャペックの戯曲『R・U・R(邦題は『ロボット』とか出版社でことなる)と『山椒魚戦争』はいずれも岩波文庫版を持ってたハズだけど、どういうワケか後者が見当たらない。

 探すのをやめたら出て来るさとタカを括ってたけど、サンショウウオは出てこなかった。

 

 けども書棚の高い位置に、角川文庫版が潜んでた。

 高校生の頃に買ったもので、だから大昔の本。もはやボロボロ、背表紙は半分欠けちゃってる。

 ま~、読めないワケでもない。

 しゃ~ないので、その角川版を棚から降ろし、埃を払い、拾い読んで、ストーリーを思い返す。

     

 どことはなくユーモラスな記述がつながって、楽しくもなるが、世の終わりが描かれる。ニンゲンの衰退を描いたデストピア。

 第3部でのサンショウウオとの戦闘描写で、インディアンの大部隊に囲まれて全滅した米国のカスター将軍隊の顛末がパロディとしてではないリアルでもって再現されているコトなど、初めて気づかれて、

「おやおや!」

 いささか驚いたりもしたけど、サンショウウオが熟達して喋るようになり、飼育してヒトの生活のヘルパーとして使うようになってから、やがてそのサンショウウオ側が不満つのらせ、蜂起して、ニンゲンを追い詰めるという流れを、現在のAIに置き換えたらどうじゃろな?

 フッとそう連想したりもさせられて、チャペックのこの小説はやはり金字塔だなと感震した。

 

『R・U・R』は云うまでもなく、ロボットという語を産んだ文化史上の大きなモニュメント作品だけど、その労働ロボットがニンゲンに反抗していく破綻進行は、数年後に執筆された『山椒魚戦争』の方が、無論、こちらはロボットじゃなくニンゲンが仕立てた生き物なんだけど、よりリアルっぽい破滅への道が鮮烈で、ボロボロかつすっかり茶色に変色した角川版じゃなく、やはり岩波版を見つけなきゃ~イカンなと思い直した。

 たまさか今現在、Amazon Primeで映画『R・U・R』が無料公開されている。

 2021年のニホン映画で、正しいタイトルは「RUR-Rossum's Universal Robots-」。

 監督さんも役者さんも知らない方々だけど、戯曲の主旨を概ねで蹈襲している。

 チャペックがこの舞台劇で描いたのはブリキのロボットじゃなく、内臓器官もニンゲン同様、ニンゲンそっくりのロボット。見分けがつかない。

 そのロボットに心があるかないかという命題が物語の核だけど、眺めつつ、やはりAIのコトを思ってしまうのだった。

 この映画は、正直に云えば退屈だ。2時間を越える長さも足を引っ張る。1時間ほどでまとめるべき映画だと思えるが、チャペックのオリジナルを映画に置き換えた意気込みは、素敵だ。

                同映画の1シーン
『山椒魚戦争』でのニンゲンは、家で働くようになったサンショウウオ達にキリスト教の洗礼を受けさせようとしたりする。ある者は彼らの人権を思ったりもする。政治参加が可能か? と尋ねるヒトも出てきたり、アレやコレやと、サンショウウオの存在で楽になった暮らしと、ジワジワと変化する世相を、チャペックは描いて……、そして急転。

 相次ぐ地震と洪水。

 サンショウウオのラヂオ放送による宣誓が行われ、事態は大きく揺れる。

 自分達の生活圏拡大の実験として、自分達が開発した破壊機器で震災を発生させたが、けっしてニンゲンを貶めるためではないとサンショウウオのリーダ−は云うが、当然にニンゲン側は慌て、対抗処置をアレコレ繰り出す。

 サンショウウオ側が運河を封鎖するくだりなどは、なんか今の中東そのまんま、じゃ~ないかしら。

 サンショウウオは国家も政府もないから、ニンゲン側はこれに向かうべく正式なチャンネルを持てず、各国は団結出来ないまま軍艦など出動させても、両生類たちに負けてしまう。ニンゲンに較べサンショウウオの方は圧倒的に出生率高く、数においてもニンゲンは劣勢となる。サンショウウオと内密に結託しようとするクニも出てくる。

 この小説から離れ、想像を現在形で膨らませると、サンショウウオ達もきっとAIを使うだろうな~と予測される。なかなか空恐ろしい。

 チャペックがこの小説を書いたのは1935~36年(昭和10~11年)。

 趣味を越えた園芸家としての彼が、真冬のガーデニングで風邪をひき、そのまま肺炎でまだ若いのに亡くなったのは実に惜しいハナシだった。

『園芸家12ケ月』のユーモラスな多数の挿絵はカレルの兄ヨぜフの作品。ヨゼフ・チャペックは兄弟の国チェコスロバキアに侵攻したヒットラー政権にかねてから批判的見解を述べていたから、侵攻すぐに拘束され、1945年にナチスの収容所で殺害された。

 手塚治虫が『鉄腕アトム』の連載をはじめたのは、その6年後の1951年(昭和26年)。

 これまた久々に書棚から引っ張り出して、拾い読んだ。

 マンガは文庫サイズはダメですなぁ。眼がつらい。出来るだけ大きいサイズがいい。

 それはさておき、ロボットゆえに苦しみつつも、ニンゲンのためにとガンバッてるアトム君の姿は、とりわけ初期の頃の作品で冴える。

 アトムは、今で云うAIロボットだけども、手塚治虫はあくまでも彼に正義の立場を担わせて16年もの長期に渡って連載を続けた。(1952~1968)

 アトム君はただの1度もニンゲンに反乱を企てたりしなかった。時に反撥を示すけど、飛躍するようなコトはしなかった。手塚治虫は最後までヒトに対して従属なロボットとして描いた。

 それゆえ、後年になるに従い、マンガとしての醍醐味を失った。

   

            「史上最大のロボット」1965年1月の作品

 長編「地上最大のロボット」ではアトムを含む各国自慢のロボット達を戦わせて最強を決めるという愚かなコトになり、アトム君も10万馬力から100万馬力へとアップグレードされて戦う羽目に陥るという、いわばAI同士の合戦となって、けども手塚治虫は、それら最強ロボットらの善意が愚かさを上廻るという落とし所で事態を終結させている。

 そこが問題だ。

 はたして、ロボット達は善意を優先させるだろうか? そういった回路が組まれていようか? 戦わせるコトを目的に構築されたロボット達にアシモフのロボット3原則をニンゲンは守るか? むしろ逆ではないか? 自律ロボットとはいえ、勝手に善意を萌芽させるだろか?

 おそらく手塚治虫は、これは甘い話だと、描きつつ苦悶したろう。ロボットはあくまでニンゲンが創り出すモノだし、そのニンゲンの振る舞いこそを矢面にすべきと、悩んだよう思えてしかたない。

ゴム製の子供玩具。製造年不明。経年でゴムが硬化しきって、手も足を動かせないけど、パンツ1枚の姿がアトムが想起され、ロボット的な何かが意識される

 手塚氏は、毎年の年賀状などで自身が創ったキャラクターを大いに活用して新年を祝っていたけども、やがて、アトムは使わなくなったという。(手塚治虫全集の小野耕世氏の解説)

 自分が創ったアトム達ロボットとニンゲンの振る舞いに自問自答の悶々があったとお察しする。紆余曲折が偲ばれ、作家としての苦悩を抱えていたコトに頭を垂れる。

 チャペックも「ロボット」というカタチを創案したさなかには、悶々しちゃってたろう。

 となれば、チャペックはAI人工知能に関して人類史はじめて悩んだニンゲンということになるんじゃなかろうか。

 AI大活用で選挙結果に大きな影響を付与したらしきこのたびの高市陣営の振る舞いなど、チャペックはどう感じ見るだろか? もはや創造して小説に編む必需もない暗澹を味わうか?

 いやいや、彼ならば、AIとヒトのさらなる未来構図を描けるのじゃなかろうかとも思うけど、楽園的ハッピーは、ま〜、なかろうね。

        

 

Macintosh Plus

 近頃、複数の我が友が、Maclockを買っているようで、ニヤリ北叟笑むのだった。

 Facebookの広告だかで当方も、この小さな置き時計、一瞬買おうかしら? とも思ったけど、ま~、購買しなかった。

 でも懐かしくもあったので、倉庫から、元ネタたるMacintosh Plusを取り出し、久々に眺めるのだった。

 9インチのモノクロ・ブラウン管CRT。フロッピーでの読み書き……

 圧倒的にコンパクト。

 ブラウン管特有の彎曲ゆえ画面に映り込みがあるので、当方、早い時期でサードパーティ製の画面フィルターを取りつけ、今もそのままだ。取りつけたコトでデザイン・バランスが崩れ、サングラス着けたマックになってしまったけど、当時の当方はコレを許認した……。

  しっかり貼り付いてたフィルターを剥がして本来のカタチに戻す。

 経年ですっかり色褪せというか色づいて、フィルター外した部分の元の色クッキリ。

 私のコンピュータ史はこれを買った1987年に始まる。

 搭載されたハイパーカードに夢中になったもんだ。

 メモ帖にもなればお絵かきも出来る。現在のKindleやAdobeのアクロバットみたいに長文テキストをページめくって眺めるコトも出来た。それを造るコトも容易だった。

 搭載されたMac PaintMacDrawで描いたものをハイパーカードで加工すればアニメーションも創れた。簡易なゲームを自分で構築出来もした。

 

 その頃にはNECPC-6001だかを持ってたけど、マシン語の打ち込みというヤッカイ極まるコトでしかロクに仕えない代物だったから、Macintosh Plusとソフトウェアの自在度には圧倒された。

 BASICとかCOBOLやらのコンピュータ言語を学びたいワケじゃなく、自分の創作欲を補佐してくれる道具を欲していたワケで、そのドアを開いてくれたのがこのマッキントッシュだった。

 我が模型工房TVC-15に出入りの若い仲間達に伝搬し、皆な、Macを買ったよう思い出す。

 安くない。高額なので皆さんローンを組んでの購入だったよう思い返すが、

「なんか未来、来てるなぁ~」

 という感触に心底ワクワクさせられたもんだ。

 マックを抱えているのがハイパーカードを産んだビル・アトキンソン。惜しいかな昨年に亡くなった。

『サンダーバード』の版権を取得し、限定品として販売した1号と3号の大型模型の取扱い説明書は、故・河原賢一が担当し、すべてMacintosh Plusだけで造った。

 依頼した翌日に初稿が出来上がっていて、

「は、早や~!」

 腰が抜ける程にビックラこいた。

 ImageWriter IIというアップル純正のドット・インパクト式プリンターでの出力だが、その大中小の点々描写に自分達の創作が凝縮されていると驚喜したもんだ。

 当時彼は大学4年だった。模型の原型を造ったのもやはり大学生だったハタ坊だ。

 本作をモデルカステンと組んでソフトビニール化したさいの取説は、Macintosh Plusではなく、当時発売されたばかりのMacintosh IIciを用い、カラー化した。

 ドットではなく、インク吹きつけのインクジェット式ゆえ表現の幅が激烈にあがって、これまた舞い上がるホドに感じいったもんだ。

 模型業界で最初のデスクトップ・パブリッシングがコレなのだけど、業界の誰も着目してくれなかった。後年に岡田斗司夫氏が「模型界初は自分だ」みたいな発言をされたようだけど、そんなコトはもはやどうでもイイのだ。

 小さなマッキントッシュ・プラスが、我が身にでっかく寄り添ってくれたコトに、ただただ感謝の念をおく。ビジネス・ツールとしての計算機の親玉じゃなく、創作意欲のブースターとして強靱なチカラを出してくれていたコトに。

 片手で運べるのも喜ばしい。

  ツタンカーメン王墓に侵入するみたいな探検気分で、内部を開けて基板を外すと、本体ボディ最背面に「壁画」がある。

 正しくは、金型にエッチングされた本機の開発チームの「寄せ書きサイン群」。

 ジョブスも小文字のみで構成のサインを入れている。ウォズニアックやアンデイ・ハーツフェルドなどのサインもみえる。

 一方で、ハイパーカードを創ったビル・アトキンソンや基板設計のスティーブ・キャブスの名がないのは、サインが用意されたのが1982年で、Macの販売は同年を予定していたものの、アレコレ遅れて1984年にようやく販売に至るという経緯ゆえのもの。

 サイン入り金型はとても高額ゆえ、造り直す金銭ユトリなく、後からスタッフにくわわったアトキンソン達を追加出来ないままの製品化だったようだ。

 温度計みたいなモールドの部分、上から4番目がジョブス。小さい文字で意外なホドあつかましさがない。

 

 誰も内部を開けてみるコトはないし、コンピュータとしての要点でもない。

 されども、このサインが示しているのは、これがただの製品ではなく、ニンゲンがニンゲンのために創造したモノとしての『作品という、強い意識だ。

 世界をこれで変えちゃろ〜、これを使って変えてくれ〜、とする強い意志と希望と自負でもって、あえて内部に署名している点だ。

 これはまったく驚くべきコトだと、今も思う。

    

 コンピュータ雑誌「MACWORLD」の1984年創刊号(上写真)のインタビュー記事で29歳のスティーブ・ジョブスはこう云う。

Macintoshの原動力は、実際に仕事をしている人たちです。私の仕事は、彼らのための場を作り、組織の他の部分を整理し、彼らの邪魔にならないようにすることです。

 このチームは、おそらく製品の最終バージョン開発まで一緒に活動し、その後はそれぞれ別の道を歩むことになるでしょう。

 私たちがこのMacintoshのために集結したのは、本当に特別な瞬間でした。これは、私たちの人生で最高の出来事になるかもしれないと感じています」

 開発後の別れまで予測し、見事なもんだ。

 ジョブスの念頭には「成長」という過程がしっかり織り込まれているようで、なるほど、やがて大企業となるべくなパワーがこのインタビューに滲んでいるが、ヒトがヒトのために創るコンピュータの内部に署名した気分の在処こそが要め。

 1984年頃の小さな会社アップルコンピュータのスタッフ集合写真。中央がジョブスだけど、赤ん坊抱いて座ってるのは誰かしらん? とても良い写真だ

 TVC-15の小さなアップル製品模型。右は13インチ・カラーモニターを含めたマッキントッシュIIciの完成品。左はマッキントッシュSE/30の未塗装未組み立ての模型。下部に外部HDを置いてるんで背が高くみえる。

 1/6スケール。初代iMacのボンダイブルー・カラーとストロベリー・カラー。背後はシネマ・ディスプレー。

 

 ジョブス達がMacintoshを創った時代には、『コンピュターで夢をつむぐ』という良性な創造意欲が炯々と光ってたよう思う。

 それが今や、尋常でないIT技術を持ちながら、それをゼニ儲けのための道具として悪用……、AIフル活用で捏造、誹謗、中傷を大量に垂れ流すヤカラがコトもあろうに首相のそばにいたりで……、それをしっかり報道しないNHKや大手新聞社などなど、坂道転げ落ちてるヒドイ衰退世界。

 だからそれゆえに、Macintosh Plusが世に出て来た頃のカタチというか気分のありようが、汚染されていない時代を顧みる価値ある牙城として愛おしく思えるんだ、きっと。

 

 

寺田ストーン 石山公園の扱いについて

 

 今年の2月20日に、彫刻家の寺田武弘(私どもはテラさんと呼んでた)は永眠したけど、それを待っていたかのように、市内北区、石山公園の彼の作品が撤去される……

 たまさか、これは偶然ではあろうが、気分よろしくない。

 テラさんは多くの作品を残したが、石山公園の『地球に平和』は、1972年に建立された名品だ。

「世界連邦宣言」から15年経過し、それを記念する碑として詩人の永瀬清子さんから頼まれた作品。多数の市民からの寄付もあって実現された創作だ。

 当時の岡山市長は岡崎平夫氏で、長期に渡って市長職の座に座っての弊害もあったろうが、岡山市ジュニアオーケストラの創設など、文化活動の重要さや平和の維持を認識していた市長だったと、思う。市管理の公園に本作設置を認めた功労は大きい。

 で、54年後の今、世界連邦のマークを中心に5大陸を象徴する万成石をサークル状に配置したこれを、ほぼ市民が知らぬうちに市が撤去……、というのは何たるこっちゃろう。

 ましてや世界中が戦争の陰りの中にあり、ニホンは武器を販売しようという今まさにこの時に、『地球に平和』を壊して捨てるというのは……

 恒久に残すべきストーン・アートを不要なモノとして捨て去る現在の岡山市という行政の不甲斐なさに、煮えるような腹立たしさをおぼえる。

 感度高い文化情報を発信してアレコレ示唆してくれているAYAさんの記事によれば、昨年12月の定例市議会で保存についての話はあったようだけど、その後が曖昧。

 で、こたびのいきなりの作品の破棄……。AYAさんの嘆きは痛いほどに我が身にも刺さる。嘆きでなく怒りだ。

 彼の作品は、大規模なもの、小規模なもの、アチコチにある。

 遠方だと大分の湯布院や、静岡の御殿場にもある。

 もう20年以上前だけど、東京でのイベントのために車移動したさい、時間を捻出して立ち寄り、御殿場高原ホテルの1階フロアから彼の作品『森の精』を一望し、ホホ~っと感嘆したコトもある。

 写真1枚に納まらないスケールに眼が悦んだ。訪ね寄ったのが冬ゆえ御殿場の樹木も冬ごもり。なのでヤヤ寒々しい感触もあったけど夏場はきっと緑に覆われ、作品名ともよくマッチするのだろうと空想し、気持ちを火照らせた。

 スケールという点では蒜山・塩竃の作品『万成平』、『石の森』もダイナミック極まりなく、同地に住まう若い友人に、雪の某年某日、積雪での作品を写真に撮ってもらったコトもある。

 この時は2m近い降雪の後で、作品に近寄るのに一苦労だったというか、遭難の危険ありの豪雪ゆえ、1番大きなモニュメントのそばまで近寄れなかったらしい。

  

 でもおかけで貴重な写真が残った。

 

 柵原鉱山資料館の庭も規模が大きい。

 津山市の「風の里公園」の寺田作品(下写真)

 下は山口県宇部市・ときわ公園の作品『鑿空』。さっくうと読む。

 右後ろに点在する石も作品の一部で、四角にくり貫かれた部分から見ると、ジグソーパズルみたいに四角部分も石で埋まって見える仕掛けになっている。

 現在は中区役所だが、それ以前はメディアコムという施設。歩道との境は寺田作品で覆われ、今現在も数は減ってるけど、この石が残され、ベンチにもなる。 

 後楽園の外周を巡る散歩道のベンチはいずれも寺田作品。

 照明具の加工と取りつけは業者さんだが、ベンチ内に照明を入れるアイデアはテラさんだったらしい。

 上は、久米南町役場の作品。2023年に役場がリニューアルし、久米南町文化センターなどの家屋が増したので移転しているのかな今は?

 同じく久米南町、宮地奥川にかかる橋の寺田作品。

 これは鏡野町公民センター入口の寺田作品。

 同センターの後ろにある公園の作品。

 御津金川の観波橋。高瀬舟がモチーフ。

 新観波橋も寺田作品。

 西川緑道公園。

   

 倉敷の作品『ストン!』。

 下。備前市吉永の八塔寺ダム公園。テラさん以外の彫刻作品も多々あって、ヴィジュアルとしては、やや、ややこしい。

 2005年5月。テラさんは久々ライブ・パフォーマンスを行った。

 場所はライブハウス・モグラ。同店の名物バンド・おかやま通天閣の演奏の間、後方で石と格闘し続けた。

 

 おかげでステージは石粉だらけになったけど、ロックなビートに石叩きのカ〜ンカ〜ンが共和したり協調しなかったりで、音というものを眼でみせられて、興味深い試みだった。

 

 ぁあ、ともあれ石山公園の再整備事業……。

 公営の公園とて老朽化するだろうけども、再整備の名のもとで破壊してしまうというのは、なんとも破廉恥。岡山発の稀有な作家の、それも代表作となるモノものを。

 口惜しい

 後ろは今は既にない岡山市民会館。

 よく勘違いされるが、上写真は寺田作品ではない。同じ石山公園に設置された「文化の十字路」という澤邉重政氏の作品。これも撤去されるのか? もう取っ払われたのか? 

 確認しに行く気力も湧かない。

 素晴らしいアートを壊す意味と意義がまったく判らず、岡山市の振る舞いが、ただただ腹立たしいかぎり。 

 思えば岡山市民会館も結局は壊してしまった岡山市。ホール建築の第一人者だった佐藤武夫の作品。

 同時期、同じコンセプトとデザインで造られた熊本市民会館は、市と市民の合議でもってしっかり保存され、活用されている……、コトを思うと、現在の岡山市の長たる市長の文化理解の低さが、痛く身に沁みる。

 

 以下、テラさんと小品の幾つかを紹介し、氏の面影を追う。

 上。個展パーティで挨拶するテラさん。ご本人は個展というカタチに気乗りしなかったが、いわば支持者の皆さんに担がれたようなアンバイであったか? 

 でもケッコ~、楽しんでらっしゃったコトも確か。

  

 岡山演劇界の重鎮・古市福子さんとテラさん。

 いっとき毎年、旭川河川敷にてキャンプし戯れたもんだ。左がテラさん。右は朝日新聞の当時の支局長。地域の文化事情を追う善きジャーナリストだった。

 吉備団子でお馴染み、廣栄堂本店前の寺田作品。

 ピンクがかった色があり、概ね一瞥でマンナリ石と判る。太古にマグマが極くゆっくりと冷えて固まった花崗岩。

 個展時のテラさん。

 下。今は某BARのカウンターに置かれている小品「森の精A」。テラさんは、森の精というコトバを好み、作品名としてたびたび用いている。

 下。同BARの入口の作品。時に花が置かれ、時に雨傘がささる。

         

 テラさんは油彩からスタートし、すぐに木彫りの作家となり、アート展にて木を彫り続けるというライブ・パフォーマンスで全国区のアーチストとして名を馳せた。

 やがて、とても硬度の高い万成石での彫刻をはじめる。

 岡山市谷万成の彼の工房で、当方も1~2回、試しにハンマーで石を叩いてみたけど、1激のたび、万成石は僅かに欠けはするけれど、指の方がビビビビっ、衝撃受けて慄(おのの)いた。

  

 よって、テラさんの指は次第に太く硬く大きくなってった。

「自然破壊する手だ」

 と、彼は自嘲でもなく批判でもなく、ただそう云って、某BARにて隣りに着座していた女史の手と較べ見せた。中指の異様なばかりの膨らみに当方は樹木を連想する。

 創作年は忘れたが後楽園だかで、乞われ、ライブ・パフォーマンスをやったさいの大型の木彫り。観客の眼の前でチョウナという大工道具でもってこの木材を削るというパフォーマンスだった。現在は県立美術館の所蔵物かな?

 削られた大小の砕片に、彼はサインを入れた。

 当方宅にはその1つがある。

  

 これは万成石ではなく、木片を彫った作品。石山公園の『地球に平和』と同じテーストで造られた。このうちの1本は当方が所蔵。

 当初は『2001年宇宙の旅』の、かのモノリスを見る猿人みたいな眼で眺めていたけど、今は『酒精の森の古木』という感じで酒瓶に囲まれている……。

 2003年来岡中の大塚まさじ氏と吞む。

 岡山県立・芳泉高校は1974年に開校したが、玄関部分にテラさんは乞われて作品を配置した。

 2004年頃だったか、少々の修復が必要というコトで、春休み中の同校に、テラさんの助手という名目で当方は同行し、作業を手伝った。

 作業中はひっきりなしで同校の先生方がやってきて、そのたびに作業が停滞……。

  

 丸2日かかったかな? 終了後に校長室のソファに腰掛け、校長と教頭にねぎらわれたが、緑茶かなと思ったら麦茶だったのでチビっとザンネンだった。

 牛窓の某リゾート・ホテルにワケあって滞在したさいは同室で寝起きしたが、就眠前の彼は30分以上時間をかけて歯を磨くのが習癖だった。磨きつつアート論を持ち出し、

「美術館というのはアートの墓場である」

 独特の見解を述べる。当方はしばらく聞いてるけどやがてウトウト夢の中……。

 

 ともあれど、撤去された作品はもう返っては来ない。

 テラさんの代表作が失われたというコト以上に、こういう蛮行を平然と行う行政に、憤る。

 世代越え、時代を超えるべき平和への祈念を、詩人・永瀬清子さんをはじめ多数の人達が手をくみあって構築し、カタチとして寺田武弘が仕上げたものを、無惨に砕くなんて……、行政モラルの崩壊でもあろう。

 絶句する。

 

AIは遠ざける

 

 時々、なぁ~んも考えなくてイイ映画を眺めて、アタマ空っぽ、「ぁあ、おもしれ~」というアンバイ味わって、グフフっと笑ってる。

 割と繰り返し観てしまうのが、この2本。

 直球ストライクのエンターティメント。江戸時代ならばの特性を逆手にとっての娯楽映画。

 役者さん達全員がよろしく、適材適所。佐々木蔵之介や西村雅彦やらやら、それぞれみばえあって良かアンバイ。

 しかし、なぁ~んも考えないつもりで接しても、陣内孝則演じる老中が出てくると、

「でたでたでた」

 悪辣の極まりっぷりに、ついつい見蕩れて、喝采するのだった。

 テッテ的な傲慢、虚言、謀略、暴力……、絵にかいたような悪者っぷり。エッジが効いた豪奢な装束で、配下に非合法な命令を出し、その配下をも冷ややかに扱う様子など、おぞまし過ぎ、憎いったらアリャしない。

 かつて『スターウォーズ』第1作目でのダースヴェーダーは、悪を華麗な品格にまで押し上げた巨大な存在だったのに、ルークとレイアのお父さんというコトになっちまった途端に、平凡なキャラクターに堕ちちゃって、ガックリ残念だったのですがぁ〜、この『超高速!参勤交代』2作での陣内演じる老中は邪悪のままだから、ヨロシイじゃ~ないですか。

 もっともっと嘘を吐け、もっともっとメチャをやれ、悪に徹しろ。そうすれば映画はもっと面白くなるぞ~とエールをおくるが、2作目の「リターンズ」は1作目より精彩かくのがチョイ残念。

 原作ケン脚本の土橋章宏氏は、チームみらいに参加して、この2月からは衆院議員になってしまって……。さて?

 政治家としてAIの活用を呼びかける立ち位置か? 真意不明なり。

 

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 つい最近の文学界では「星新一賞」の選考で、上位10作の半分がAI使った作品となった。グランプリも優秀賞もAI作品だった。

 選考委員の見解は二分する。鏡明氏は活用に前向きだが、最相葉月氏は、AIだか本人だか判らない創作は評価できないと、委員を辞任した。

 当方は後者に共振する。

   

 日本経済新聞に寄稿した同賞選考委員の矢野寿彦氏は、

「講評には正直戸惑った。受賞作にコメントするが、AI作品と聞くとなぜだか気が進まない。「褒める」にしろ「励ます」にしろ、作品からのぞく作家の顔はAIの存在でぼやけてしまうからなのか」 

 と、ま~るで悠長なコトを云っていて、当方には、アナタも選考委員やめて根ッコの部分をよ~く考えなさいよ……、煮えない態度に苛立ちをおぼえるんだった。

 選考するしないではなく、アートとしての文学にAIが何をもたらすのか、何を奪うかを、しっかり足元固めて見解してもらいたいもんなのだ。

 例えるなら、俵万智の、その短歌の遙か上の表現での俵万智的コトバ・ワールドでもって、ニンゲン存在としての俵万智はもう要らないというヘンテコが迫っていると思える。

 いや、もう越えられていると危惧する。

 AIを全否定はしないし、大きな恩恵もあろうけど、ヒトの文章表現に入ってくるのはイケナイ。恩恵上廻る弊害がでかいと思う。

 最近、私の身内でも……、AI使った文章を披露して我が文としていたりがあって、ぅう~ん……、うつむくべきか、天を仰ぐか、弱るのだった。

 文中で顕わされる心情的吐露は、相当充分に心の内を文章化出来ているとも思えるが、隙きのない文が逆に、実像と虚像の狭間でのAIという介入物を示している。

 結局は彼個人の真実味を薄め、鮮度も奪ってる。

 AIでの文章が研がれ上達するほどに、彼という実在が曖昧になって、つまらないものに下がってく。

 AIの跋扈と裏腹に、ニンゲンの方は、ドラキュラに血を吸われた直後は恍惚の頂点を味わうものの、一挙に疲弊衰退するのと似た凄惨なコトになってるんじゃ〜なかろうか。

 AIを面白がって使えるのは束の間で、AIによって面白くもない一個人が逆説的に刻印されていると当方は、思う。

 このブログは、よってAIを遠ざける。文章作らせたりしない。

 けども、アレコレ確認すべく、インターネット上で単語の意味合いを調べたりはする。そこにもAIは浸透している。

「こまったもんじゃ。どないしょ~?」

 AIが前面に出てくるほどに、近頃は生きづらさをおぼえる。吸える空気が薄まったと感じる。

       

 1974年に、諸星大二郎は短篇マンガ『生物都市』で、ニンゲンと知的存在と化した機器類がいみじくも合体してしまい、当初はエライこっちゃと大パニックになったけど、いざ受け入れてしまうと、それはそれで桃源的な新世界の到来だったという次第を描いてた。

 けども同時に、それを拒否し、機械という機械いっさい、鉄器までを身辺から遠ざけて縄文時代みたいな生き方に身を追いた僅かなニンゲンも描いてらっしゃって、二者択一の難問を読者に問うていた……。

                  集英社版より

 ワタクシはどちらの環境を選ぶのか? あるいは、選択の余地など、もうないのか。

 変容した時代の中、文章表現という一点にも、AIが黒いシミみたいに輪を拡げているコトに嫌悪し、反撥の意思を固めもする。

 『スターウォーズ』のBB-8やR2-D2なんぞの自律ロボットを嫌わないし、むしろ好きなマシン達だけど、仮にテキスト造りといった機能があるなら……、当方、それには距離を置く。委ねたくはない。

 覚醒剤同様、使えば使うほどに、ホントは創作出来るであろうニンゲンを無能なヘタレへと追いやるのがAIだと警戒する。

 

 

 

ライトスタッフ

 

 過日雨の日、柔道家の車で岡南シネマに連行され、『マンダロリアン・アンド・グローグー』を観る。

 2時間越えの映画。トイレの心配大きく、気乗りしていなかったのだけど、なんとか持ち堪えられたのは、後半部でX-Wingを操縦するシガニー・ウィーバーの雄姿に微笑んだゆえか、モンスターだらけに辟易ゆえか、ただのシッコ〜猶予だけのコトだったか?

  

 

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 ちょいと前の石川県羽咋(はくい)市、コスモアイル羽咋を追想し、ひさびさに『ライトスタッフ』と『ドリーム』を観る。

 60年代のマーキュリー計画を描いた映画。

 何度も観ているけど、鮮烈さは変わらず。

 圧倒的に小さなマーキュリーにヒトを乗せ、大気圏外に打ち上げ、周回させるための膨大なアレらコレやらの積み重ね。そこが面白い。

 今の眼でみると実に馬鹿馬鹿しい医学テストやら、オシッコ我慢の宇宙飛行士の姿やら、『ドリーム』で描かれた差別待遇の中で奮闘した女性黒人数学者の意志やらやら、どこのシーンも、まばゆくて古びない。

 まばゆくないのは『ドリーム』という邦題。『Hidden Figures』、隠された人物、あるいは隠された数字、という2つの意味が同時に含まれた秀逸なタイトルなのに、ドリームって何じゃらほい?

『ライトスタッフ』はCG時代に突入する前の、ほぼ最後の模型大活用の大作映画でもあるから、そこも眩しくって、一種の頼もしさも味わう。

 ミニチュア・ワークがとにかく冴え、模型でのシーンのたび、それを造った方々の奮闘をも思うし、造りつつ愉しんでもいたろうなぁ~、などとも空想する。

      

 模型工房での工作中の写真が幾つもあり、それらが当時の雑誌などで紹介もされている。『ブレードランナー』のポリス・スピナーなどのミニチュアで活躍したマーク・ステットソンの姿も見られる。というか、『ライトスタッフ』では彼が模型チームのトップだったから、張り切りようも一段アップだったろう。

 

           ベルX1のモックアップ製作中のマーク・ステットソン

 あくまでも仕事だから、愉しさが最前面に置かれるワケはないけども、工作の愉悦は隠しようもない。

 工作スキルは当然に高いけども、その技巧をさらに高めたカタチにしようと奮戦しているのも顕かで、そこは、映画タイトル同様に「ライトスタッフ」、“正しい資質”が息吹いてる。

   

 映画を紹介した当時の雑誌。
 今の眼じゃ~カッピカピだけど、悪くないなぁ、ピッカピカ銀色の宇宙服も。

 

 しかしこのたびの再見で、時代の勢いみたいなものを感じなくもなかった。

 停滞どころか低迷し後退している2026年現在と違い、前に進んでこ~とする流れが大きい50〜60年代。

『ライトスタッフ』の中のマスコミは元気いっぱいだ。ラヂオと新聞と雑誌がメインの時代。テレビは普及の初期。

 たとえば『LIFE』誌は宇宙飛行士に焦点をあて、彼らに法外な優遇をあたえて独占契約をとって記事を書く……。結果として宇宙飛行士をヒーロー化する。

 7人のワイフ達も表紙となる。
『LIFE』がジョン・グレンの特集を組むと、『TIME』も追従し、『TEEN』はグレンの娘まで表紙に起用する過熱……。

 今の眼じゃプライバシー侵害が甚だしい悪しきも含まれるけど、伝えようとする勢いがすさまじい。現在のニホンのマスコミのテ~タラクが逆に浮き立つようで、

「アジャパ~」

 妙なところでガックリ気分を味わったりするのだった。

『ライトスタッフ』も『ドリーム』も、経年にさらされ、否応もなく古くなってくワケだけども、逆にそれゆえに、今というカタチが浮き彫りされる。

『ライトスタッフ』では加熱しきった記者達の振る舞いが描かれているけど、熱を帯びた問いかけを対象者に対して行う現在の米国のメディアの記者達は同じ熱カロリーを放ってる。

 一方で、過日のニホンの首相が渡米してトランプに会ったさいには、米国の記者たちはヤンヤヤンヤと質問の声をあげてたけど、首相に同行したニホンの記者達はシ~ンとしちゃって問いを発せず、逆にトランプにうながされるというテ~タラク。これまたとっても、「アジャパ~」なのだった。

 うながされて質問したニホン記者に対して大統領は饒舌になって「真珠湾奇襲」を持ち出し、たちまちに米国記者は大きく反応するのだけど、ニホンの記者全員がシ〜ンのお粗末。

 そんなヒョンなところを気づかされた『ライトスタッフ』再見だった。

 

 マーキュリー計画での飛行士7名のうち、当時の米国で1番人気はジョン・グレンだったけど、当方は1961年の2回目の弾道飛行となったリバティベル7とガス・グリソムが常に念頭に浮く。

              搭乗前のガス・グリソム

       

        リバティベル7のペーパーモデル。1/10スケール

 17分の飛行後に大西洋上に着水したリバティベル7は、ヘリコプターでの回収直前、突然にハッチが吹っ飛んだ。

 即座に浸水。グリソムは自力で脱出したけど、海水が浸入したリバティベル7は重く、ヘリコプターでは吊り上げるコトが出来ずで水没してしまった。

 同機には飛行中の様子を撮影し観測する大きなレンズ装置が組まれていたけど、沈んでしまい、米国初となる予定だった大気圏外の貴重な映像を含むデータは失われた。

     

 この次第でグリソムはミスを犯したと、冷遇される。

 ヘリコプターに吊り下げられた彼の姿がなさけないカタチとして全国誌のトップに載った。

 顛末は『ライトスタッフ』でも描かれ、彼と彼のワイフの苦痛がありありと示される。

 やがて飛行記録から、着水前にハッチの外部パーツ(外側からハッチを開ける装置)の一部が剥離したらしきで、それが誤作動の原因と判明し、グリソムの嫌疑は晴れる。

 でも彼は……、6年後の1967年、アポロ1号の地上でのテスト中、船内出火で落命した。

 純粋酸素で満たされた船内は爆発的に燃焼し、ハッチは気圧差で開かなかった。

 ハッチに苦しんだグリソムを『ライトスタッフ』ではフレッド・ウォードが演じ、好演だった。

   

 彼は『レモ/第1の挑戦』(監督ガイ・ハミルトン)というとても面白いアクション&コメヂィ映画で主役をやったけど、惜しいかな、2022年に79歳で没してる。

    

 リバティベル7は着水沈没から38年後の1999年、海中4500mの深みからやっと回収されたが、肝心のハッチは探し出せなかった。

    

 回収後、米国内では巡回展として米国内あちこちで展覧され、グリソムが偲ばれると同時に、海水にながく晒され続けたUNITED STATESのペイントが剥離していなかったコトが愛国心をくすぐった。

 4500mの深みから拾い出すのは大変な作業だったようだ。この回収作業が映画化されたらヨロシイなぁ、などともひっそり思う。

 宇宙の高みを指向したスペースシップが、海の深みに没し、深海系フジツボやら甲殻類の住まいと化して耐えてたというトコロに、当方、当初は「イカロスの墜落」を思ったりしたけど、世界中に類話があるらしき民話『海の水はなぜからい』を思うようになってひさしい。

 宝の石ウスは塩をどんどん出す。それゆえ重みに耐えかね舟は沈む。でもウスは海底に落ちても塩を造り続け、海をからくした。

 40年近く経って引き揚げたという次第に、ウス同様、宝物として、扱われた感じがなくはない。