高知への旅

 

 

 昨年11月末の今頃、高知にツア~し、その数日後にマイ・マザ~が没した。

 小康ゆえ安心したのがいけなかったのか……、ともあれ天と地の明暗を味わった。

 で、今年。

 マザ~の一周忌。

 坊さんの経で法要、DIY改装したかつてのマザ~の部屋で弟夫妻やその子供達と会食。

 もう1年が過ぎたのかと、歳月の流れの速さをシミジミ。

 

 この法要を済ませた翌日、また高知方面に旅をした。

  今年は4月にも出向いているから2度めになるけど、マザ~没してちょうど1年というタイミングなのでヤヤ感慨深くあり、車窓に流れる風景にチビチビと1年前を思い出したり……、した。

 

 例によって讃岐で高速を降り、朝イチバンのうどんをチュルチュルチュル~。

 厚揚げが値上がりしていたものの、それでもトータルで450円。500円出せば50円お釣りなのだから、ありがたい。

 さすが、うどん県。朝っぱらから入店者次々。ササッと食べてはササッと出てく。

 月曜の朝だ。皆さん、食べ終えてそのまま会社に向かうのだろうけど、岡山じゃ見られない光景。

 

 こちらも移動。前々回に、見たことのない食材を買った道の駅に出向くものの、あいにく休業日。それでルートを変え、高知市内「とさのさと」で、同じモノを買う。

 タケノコにしか見えないけどサトイモの一種。岡山では売っていない。

 品名として京芋ともタケノコイモとも呼ばれているようだけど、どっちがホントの名かしらん。

 前回は輪切りにし、フライパンで熱して焦がし、バターたっぷりのせて食べて美味しかったけど、こたびはどうしようかな?

 スリ潰し、イチゴのジャムとかとあわせてオーブンで焼いて、スィート風なのを造ってみても良いかしら?

 空想が拡がる。ま~、たいがい、そういうコトしないけど。

 

 

 高知行きのたびに出向く中土佐町。湾岸の丘の上の黒潮本陣。

 眼下に波おだやかな海。初夏のような日差し。

 テラス席で例によっての、鰹のたたき。

 

 

 ここでしか味わえないワラ焼きの、その風味。濃厚なバターを口にふくんだような、滋味の深さと毎度感じる鰹の新鮮さの、その更新に眼も口も悦ぶ。

 7ヶ月ぶりの旨味シミジミ~ヘンドリックス、ビールがやたら旨い。

 

              カマスとサバも七輪で焼く

 

 食後、黒潮本陣から近い久礼(くれ)の西岡酒蔵へ。

 なんせ創業は1781年天明元年-江戸時代中頃)。230年以上も前から酒造り一筋。高知で1番に古い蔵元。

 見学も出来るというので、参じた。

 

 

 母屋の佇まい良し。展示の品々も良し。試飲した酒の滋味も良し。

 という次第で自分用を数本買う。

 

 正月用と日常用と、そう決めたワケじゃ~ないけれど、ことさら正月を意識したのは、「暮れ」と「久礼」の語呂合わせ感覚ゆえか?

 ま~、そんなコタァどうでもよろしい。美味そうなお酒を持ち帰る悦びが、とにかく大きい。

 当然に必然として正月は酒を呑む。タコもあげずコマも廻さないけど朝から呑む。朝から呑んで誰からも咎められない。ぁぁ、早くこいこいおっ正月♪ って~なもんだ。

 

 酒を仕入れた後に久礼から移動。アチャラにコチャラと探訪し、遅い時刻、香川まで戻って、これまた定番行きつけの店へと出向いてみれば、なんとそこも休業日。

月曜はダメよ~

 同行者らとやむなく苦笑しあい、どってコトのない店で夕食。

「次は月曜以外にイコか~」

 と、また笑った月曜の夜。瀬戸大橋を渡るさなか、左の低い位置で、黄金色した上弦の月もニッカリ笑ってた。

 

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 うどんの厚揚げ、タケノコ山芋、などなど……、いずれも値があがっているのが残念というか、時代の波が隅々まで浸透しているんだなぁ〜、と実感させられたけど、収支バランスが崩れているのは良くないねぇ。その上で大増税の声。一方で増税は不人気ゆえ、防衛費確保にまたぞろ赤字国債発行という愚策の浮上。大学キャンパス内での宮台氏への暴力事件などなど、届くニュースがいずれもダークなのがまったくねぇ……。

 

 

The Man from PLANET X

 

  某日、でっかいサイズのDIY用資材をまたぞろ柔道家の車で運び、そのあと、瀬戸内市邑久町にデミカツを食べにいく。

 国境いに長いトンネルがあるでなく、車でわずか20分もかからずなので、他市に出た感じはゼロながら、同店駐車場には他県ナンバーの車も停まり、なるほどユーチューブで紹介された店だけあって遠方からもヒトがやって来るんだね……、感心する。店名はマルバンね。

 デミカツも良かったけど何よりラーメンのお汁が良く、一口すすっただけで、メリとハリが背筋を伸ばして熱いダンスを踊っているのがわかって、

「ぁ、うまいじゃん」

 ビールで舌を冷却し、また熱々をすするというのを繰り返して堪能、デミカツ食べようというのが1番だったのに、気づくと2番になっちゃった。

 

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 ボクが生まれる以前の、1950年代初期の英国製SF映画『The Man from PLANET X』。

 白黒の低予算映画で、大道具小道具の準備が整うや、撮影はわずか4日で終えたという早撮りランク上位の1本。

 

   

 

 カルト・ムーヴィーとして英国では知られているようだけど、この作品に出てくる宇宙人の模型を持っている。

 30年ほど前、キャラクター系模型を商いの中心にしていた頃に付き合いのあった英国の小さなメーカーの社主氏からギフトされたもので、

「日本でこの模型の存在を広めてくれよ~」

 という次第だった。だけど、当時は本作の名を知っている程度で、VTRも売ってなく、広めるもナニもあったもんじゃ~なかった……。

 キット状態なので、組み立て、その頃に画材屋で売りにでた塗料+酸化剤、2液を用いて錆び表現やブロンズ風味を醸せるというペイント剤の実験に用い、以後、久しく放置プレーのお蔵入り。

 この宇宙人氏の実際のカラーが判らず、あえてカラー情報不明の仕様にしたというワケなのだけど、それが……、我が住まいを改造のさなか、棚の奥から2体、ホコリをかぶって出て来た。

 

 経年で接着部分が剥離していたり、しかけていたり、状態はヤヤかんばしくない。

 ヘッド部分はクリア・パーツで、内部に豆球が入って頭全体がボワ~っと光る。当初は白だったけど経年ですっかり黄ばんでる。でも、これが逆に良い雰囲気を、レトロな風合を醸しているような気がしないでもない。

 

 インターネットで検索してみるに、近年、当時のこの映画関係者が当時の宇宙人の姿を1/1で再現したという情報も、ある。

「ふ~ん、ホンマはこういう色なのかぁ……」

 あれこれの情報が溢れ流れる時代になっているのを再実感。歩くのをやめて、ホホ~ッと眺めいるような感を、うけた。

         

 

 ちなみにこの宇宙人は、善人で、地球人との友好を求めてやってきはったんやけど、最初に遭遇した若い女性がギャ~!と叫んで大騒ぎ。

 なんや、なんや、どないしたんや?

 ケッタイなやっちゃ、いても~たれ!

 彼女の周辺のオトコどもが血気燃やして宇宙人氏をボッコボッコ。

 やむなくカレは自衛の武器を持ちだし、

 あんたら~とは、つきお~てられへん

 男どもを追っ払うや、すたこらさっさ、宇宙に戻っていって、ジ・エンドだ。

 なるほど、カルトに価いするムーヴィーだわいね。ワケわかんないモノや者を排除したがる昨今をいみじくも70年ほど前に描いていると、云えなくもない。

 ぁあ、いやいやそうじゃ~ないですな。70年前も今もさほど変わらんのがニンゲンだ。

 

 ま~、そんな次第あって、部屋が片付いたら……、この2体を塗り直してみようかなぁ~、密かに思ったりもしたのでした。

 何やかやとヤラナキャ~いけないコトが積もってるんで、たぶん実行には至らないだろうけど、リメ~ク気分が豚骨スープみたいに濃厚。

 でも、リアルな色が判ったとはいえ、それに近似るようガンバラない方がいいかも。いっそむしろ、当時の人工彩色されたスチールの色使いの方が、1951年の映画製作時の気分が反映されるのじゃないかしら? 

 再ペイントはあえてこのカラーだな。

 

 

どうしようかしら

 

 

 岡山市より、5回目となるワクチン摂取の案内状が届いている。

 悩ましい。

 またぞろ感染者数が増加しているワケだけど、こたびのは副作用も大きいと聞くし、数ヶ月置きでの5回目というカウントも、

「もう、面倒~ッ」

 って~な感触が、池に投げ込んだ石がもたらす波紋みたいに拡がっている。

 

 たまさか、我が友の柔道家が1週間前、こちらは4回目摂取という次第だったけど、副作用に見舞われ、とってもナンギしたとの報告。

 彼の場合、注射されるたびに、ひどい副作用がおき、2~3日は腕の痛みと共に吐き気やら倦怠感やら、沼に沈んでいくみたいなゲンナリを味わう。

「やってられませんわぁ~」

 屈強であるはずの大男も、ぼやく。

 

 ま~、柔道家の難渋もさることながら、我が身として5回目の注射を受けるべきか……、悩ましさがつのる。

 摂取すべきという見解が多数のようじゃあるけれど、インフルエンザ予防接種とても過去1回こっきりしかヤッたコトがないし、それで困ったワケもないんで、

「も~、いいかぁ」

 イソップ物語の「狼が出たぁ~」じゃないけど、コロナの怖さより、ワクチンに振り回されて、「辟易」と書いた粒々がまとわりついたような現状から、逃れたい気が、あ~りあり。

 

 一方で、今日まで感染しなかったのは4回のワクチンのおかげかも……、という気分もまたヒッソリとは有るワケで、要は、眼も鼻も五感がコロナウイルスには直に対応出来ないという、なぁ~んもホンマの所が判らんチ~ンの、そのまどっろこしさがペケの最大原因なんだろうなぁ~、などとポンヤリ思ったりもするんだった。

 

 ま~、何もかも判っている世界より、何だかよく判らんコトだらけの世界の方が、“知”と“痴”がうずいて“恥”をくすぐってよっぽどオモロイという云い方も出来なくはないけど、いっそ跳躍し、リラダンが『未来のイヴ』で描いた人間人形を、近年では押井守が『イノセンス』でアニメーションし、肉体からは解放されている精神存在としてのニンゲンというカタチを見せてくれて……、その活性にごく少量ながらチラ~っと憧憬するようなトコロもなくはないのだった。“義体”という形ゆえの別種のウィルス浸食による脆弱さも同作はしっかり描いているにせよ、心が身体という呪縛から解放された状態のカタチには、ひかれる。

 ともあれ以上をグダグダ思っている根本に、

「注射イヤだぁ〜」

 タンジュン明快な理由が横たわっているのも事実ですなぁ……。

 

二胡 ロック・シーン

 

 マザ~が晩年を過ごした部屋の改装を概ね終えると、余波として隣室の大きめな部屋の改装というかイメージ・チェンジを余儀なくされる。

 不思議なもんで、部屋と部屋というのは別個空間だけども断絶した箱じゃ~なくって、連続と継続、大小の糸でつながっているんだねぇ。

 くわえて家具の移動やら加工も有り、連鎖として今度はその大きめの部屋の衣替えを行いはじめている。

 かといって、確固とした空間イメージはまだ沸きっていない。

 変更可能の箇所やモノと、そうでない部分とモノとを、どう更新させていくか、眺めては溜息をつく。壁に埋め込まれたスピーカーなんぞがその代表格。

 このあたりの消息を、あえて音楽的に云うなら、クラシックのように各楽器パートいっさい何もかも、その音符を整然と置いての融和じゃ~なく、いっそジャズやロックの、次の音がどう出るか、どう来るか……、みたいな一手先が予想できないままの進行なのだ。

 念頭に浮いた室内イメージが、作業のさなか、向きが変わったり、時に発作的に、「そうじゃなく、こ~しちゃえ」みたいな突発が起きて、そこがま~、かなりオモチロイのだ。

 それで気づいた。

 こういう状態を、光景としては、ロック・シーンと云うんだな。

 ライブ・ハウスでのサウント空間だけがロックじゃなく、こんな私的な室内転換作業にも、ロック的な、あるいはジャズ的な即興が頭角して、そこがクラシカルなそれとはまったく違う醍醐味なのだった。

 

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 過日の日曜。

 K夫妻に招待され、岡山市民会館にて二胡のコンサート。

 二胡に関しては詳しくもない。せいぜい、坂本龍一の『ラスト・エンペラー』やアルバム『BEAUTY』での印象があるきり。

 けど、印象はずいぶんに濃くって、なのでこたび誘われ、大いに悦んだ。

 

 

 中国生まれ日本育ちの二胡奏者、楊雪(ヤン・ユキ、Yang Yukiのコンサート。

 K夫妻は彼女と親交深くって当日は裏方だ。

 感謝しつつ座席にうずくまり、音色を堪能。

 出演者多数に驚きつつも、中国音楽での二胡の正統性と彼女の独自性がうまく融和し、この楽器の奥行深度を味わわせてもらえた。

 ゲスト出演者が多すぎて逆に彼女の魅力を薄めていたのが、チビリ残念で、一元さんの我が見解としては、彼女の二胡演奏に特化した方が断然に良いステージになったろうにと……、こっそり思ったりもしつつ、彼女が日本と中国、この2国の融和を願っているのはそのトークでよ〜く判った。

 

 いま政治的に中国と日本はかんばしくない状態ながら、楊雪とバンドの音色に身を委ねていると、そういう状況が実に馬鹿馬鹿しい「空疎な現象」に過ぎないとも感じた。

 けっきょく政治とそれに伴う先方を冷視したくなる心の動きは、ジャズやロックの柔軟に遠く、硬直して鮮やかさに遠く、衝突に見せて実は融和しようと常に戦慄的に旋律している音楽のゼッタイ的良性を持たないんだね。

 ナンギなこっちゃなぁ。

 

 

 こたびは宇野バスに乗って出向いたのだけど、下車直前にひどい雨になった。

 城下のバス停から市民会館まで数百メートルながら、カサを持たないから、

「こりゃ~ビッショ濡れだなぁ」

 弱音を呟いておりかけると、

「カサ、お出ししましょうか」

 やや若い運転手さんが声をかけてくれた。

 運転手さんにカサをもらったのは産まれて初めてだ。

 それでメチャメチャ助かった。

 タダの運転手じゃなく、彼は慈悲の神さんだったやも……、ありがたみをシミシミさせつつ市民会館まで歩いてった。

 コンサートを味わい、以上を帰りがけ、タクシーの運転手さんに話したら、

「タクシーでも、忘れ物のカサって驚くホド多いんですよ。中には、忘れたフリして置いてっちゃう方も……」

 とのコトだった。

 ともあれ宇野バスのドライバー氏と招いてくれたK夫妻に感謝しきりの夜だった。

 

つくもがみ

 

 ガレージに大型粗大ゴミをまとめ、市の依頼を受けた業者さんが引き取りに来るのを、待つ。

 背丈が高い書棚は運び出すのが面倒なので事前に分解している。

 まだまだ使えるけれど、そぐわないモノ達……

 

 インドアからアウトドアへと持ち出して有料回収券を貼ってるうち、「付喪神」を思い出した。

 つくもがみ、と読む。

 平安時代から室町時代にかけて登場した妖怪たち。

 立春のすす払いでニンゲンに捨てられた道具達が妖怪に変じ、一同集結して夜中に行進したりする。「百鬼夜行絵巻」なんぞでお馴染みだ。

 個体としてではなく、古道具が変じたものの総称が「つくもがみ」。

 

             捨てられたモノ達がやがて化ける……(付喪神繪より)

 

 江戸時代の写本『付喪神記』では、

「多年、家々の家具となりて、奉公の忠誠を尽くしたるに、させる恩賞こそなからめ、あまつさえ路頭に捨ておきて、牛馬の蹄にかかること、恨みの中の恨みにあらずや。詮ずるところ、いかにもして妖物となりて、各々、仇を報じ給え」

 と、ゴミにされた道具の誰かがアジテーションする。

 それを契機に、鎧やら兜、弓や太刀などの武具や、琵琶、琴、笛、太鼓、鏡、火鉢、茶碗、箪笥、などなど、捨てられた道具たちが一斉決起し、奇怪なスガタになって夜の路地を練り歩くんだ……。

            捨てられた数珠が妖怪化している図(付喪神繪より)

 平安時代鎌倉時代には、その行列に遭遇すると死んじゃうとか……、かなり真摯にマジに怖れられた存在ながら、室町時代が深まるに連れ、恐怖度は薄れ、いっそ滑稽なもののように描かれる。

 出没傾向が著しく高くなるのは室町時代ながら、その室町時代の途中あたりから今度は出没頻度もさがる。

 

   

              子供用の騎馬玩具や急須なんぞが化けちゃってる

 

 鎌倉時代にはまだまだ未成熟だった商品経済が、室町時代にはグィ~ンと進み、新しい道具が次々に出てくるようになる。

 そうなると、「新」が「旧」を駆逐するようなアンバイとなり、“古道具”という単語も定着するようになる。

 ニンゲンの生活変化が起きているワケだ。

 無論に下克上の時代ゆえ政治的に安定しているワケもないのだけど、モノ造りの生産性と流通の拡大が、けっきょくは、道具にも魂的なものがあるという観念を薄れさせて、妖怪の入る隙を埋めてったぁ~ワケだ。

 室町時代が日本のルネッサンス期と云われるのは、それまでの、霊的モノノケに怯え、それが生活の規範根底にあった「旧感覚」から「新規感覚」への移行ゆえだろう……。

 この新感覚の跋扈ゆえに、室町時代半ば以降に描かれた「百鬼夜行」の絵では、付喪神と化した古道具たちの行進は夜明け前のいっときに限られ、いまどきのハロウィーンの若者みたいに一晩中騒乱はしないのだった。

 恨み晴らしの唯一のメッセージ的行為である行列行進も時間限定に追いこくられ、存在アピールの幅をも狭まれて、付喪神はいわばニンゲンのコントロール下、手ならずけられた弱き存在に落ちてしまうワケだ……。

 顧みると、ちょいっと気の毒じゃ~、ある。

 

 我が宅から出した粗大ゴミも、むろん妖怪にはならないでしょう。

 けども、チビッとは……、

「捨てて申し訳ないっす~」

 こたび廃棄の諸々に向けて詫びるような感触も、なくはないのだ。

 モノは大切にする方ではあるし、さっこん流行りの断捨離にも諸手挙げて賛同もしないけど、我が生活にそぐわないモノモノと暮らすワケにもいかんので、これだけはま~、しかたない流れ……。

 モノは怨嗟の声をあげるでなく、まして妖怪に変化するコトも令和時代の今はなく、本の中の「過去形の文芸存在」として絶滅危惧種のように生息しているのが、その付喪神なのだった。

  

 

えきそば

 

 10月の末。S夫妻が姫路に住まう娘さんのところへ出向き、その帰り、当方宛の土産を持参してくれた。

 かねて姫路での「えきそば」のことを当方より話していたので、その現物をわざわざ買ってきてくれたワケだ。

 しかも2割引きのを。

「こんな割引品をお土産って、いけませんよねぇ」

 Sさんは申し訳なさそうにアタマをかくけど、ぅんな~コタぁござんせん。むしろ、姫路の日常リアルがその2割引きシールに刻まれていて、いっそ極上のお土産なのだった。

 

 姫路に本社がある、まねき食品の蕎麦。

 蕎麦と漢字で書くより、ひらがなで「そば」と記すのが似合うと思うし、事実、製品も「えきそば」とひらがなで書いてある。

 

 

 この会社の創業は明治21年。

 で、翌年、神戸~姫路を結ぶ山陽鐵道が出来るや、姫路駅構内で「幕の内弁当」を売り出した。

 これは「駅弁」の初事例で、だから当然、「駅弁」のスタート地点は姫路……、というコトになる。

 我が岡山での「駅弁」の最初は、三好野(みよしの)だけど、これは明治24年、山陽鐵道が姫路から伸び、岡山と結ばれてのこと。

 翌25年に亜公園が開業するのだけど、三好野の経営者・若林加之(かの)は亜公園のオーナー片山儀太郎と結託し、岡山観光の目玉として同園のことを位置づけたよう……、思われる。これはおそらく岡山における『観光業』の初事例だ。(当時、片山家と若林家はごくご近所でもあった)

 事実、亜公園内天満宮の梅鉢紋灯篭は三好野の寄進によるもので、さらに、現在は甚九郎稲荷境内にある「集成閣案内碑」は、本来は岡山駅前の三好野のそばにあったと推察できるんだけど、今回は岡山のことは置いて、姫路のまねきの「えきそば」だ。

 

 日本で最初に「駅弁」を創ったまねき食品は、戦後、昭和24年に姫路駅でおそばも売るようになる。

 というか、お米が統制品なので弁当を大量に作るコトが出来なく、ならば……、というのが真相だったろうが、そば粉も満足に流通せず、小麦粉も統制がかかっていて配給される量は微量という物資不足の時代。

 同社は小麦粉でなくこんにゃく粉とそば粉をまぜあわせて麵を造り、これを販売した。構内で弁当を売る発想といい、こんにゃくを用いた点といい、この会社のチャレンジャ~な柔軟さが素晴らしい。

 当然に不安混じりであったろう。けども、売り出してみると、大好評。

 同社HPによると、販売価格50円。うどん鉢も戦後で流通しておらず、空襲被害がなかった出雲今市まで買いに出かけ、それを使用(出西窯かな?)。

 蓋付きの瀬戸物だから、列車に持ち込んで食べた方が多くあったようで、食べ終えた後日にうどん鉢を持参すれば10円で引き取った、そうな。

 

 連合国GHQの統制から解放された昭和27年(1952)、物資流通が概ねで正常化して、こんにゃく粉から、かんすいが入った中華麺に変え、さらに和風だしに変えた。

 いわばミスマッチ(同社のホームページにもそう記している)。うどんと中華蕎麦の真ん中あたりで、でも、そのどちらでもない断固オリジナルの「そば」という位置づけだ。だから蕎麦じゃなく、「そば}。

 で、このオリジナルを「えきそば」と名付け、今に至ってる。

 

 「えきそば」、はじめて、食べた。麵がヤヤ白っぽい。上写真はいささか白が強すぎ。もすこし黄ばんでる。

 一口、啜って、メッチャにうま~い……、といえば嘘になる。2割引プライスだから味も差し引いたワケでない。

 けど、おいしいコトは確かで、小エビが中央にあるテンプラが良いアクセント。麵も良いし、お汁も良い。(七味は製品に入ってる)

 気づくと、お汁全部飲み干していた。

 食べて数日経つと、妙にその味を思い出し、またぞろ食べてみたくなる。マクドナルドのビッグマックを定期的に欲する気分に、似てる。

 

 こりゃ~1度、姫路に出向かなきゃ~イカンなぁ。

 いや、実のところ、おっ友達のKosakaちゃんに会うたび、彼に、

「姫路駅に、えきそば食べに行きませんか」

 勧誘されてたんだ。

 けど、駅のそばを食べるためだけに姫路行きってどうよ……、と訝しんでいたのだけど、こたび、撤回だ。

 機会つくって、いっちゃお~~~。

 姫路駅構内だけで何と5ヶ所5店舗もある上、駅のすぐソバにもあるそうな。

 

 

 

お金で読み解くビートルズ

 

 2週間で作業を終えるつもりだった部屋のDIY作業。

 予定した14日間の10日が過ぎてしまい……、残り4日じゃ、無理ムリむり。

 鼻風邪やらの弊害があったものの、それなりに実際は進んでるんだけど、最初の見立てが甘かったな。

 

 マザ~の残した家具に古いタンスがあって、古いといっても桐じゃなく合板なんで、それは廃棄のつもりでイッタンは外に出したものの、

「おや? 待てよ」

 一考した。

 タンスそのものは古いけど、抽斗(ひきだし)って、引き出せば、とても綺麗な状態じゃ~ないの。加えて頑丈だ。

 これを廃棄するのは惜しい、もったいない……。

 という次第で作業の一部を変更、抽斗を壁固定の棚に再利用するコトにきめちゃった。(タンスの外側や小抽斗は廃棄)

 横使いから縦使いへの転身。マザ~が使っていたモノの一部を継承するという意義も含めて、作業やりつつ現場判断で変更という次第だから、そりゃ~時間も追加されますわいねぇ。

 ま~、いいのだ。

 これに関しては〆切り厳守なんて~のは、なぁ~いんだもん。11月末のマザ~の一周忌までにカタチにすればヨロシイわい。……軌道修正でござい。

 本来タンスがあった場所での工作。ホワイトのクロスで壁と一体化させたので、オリジナルがタンス抽斗とは、ポアロもホームズも即座にゃ気づくまい。ウフフ。

 

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 バタピー囓ってビールで流し込みながら、この本、読んだ。

 なかなか、おもしろかった。

 タイトルの前半「お金の流れで読み解く」は、とてもキャッチーで的確。でも後半部「ビートルズの栄光と挫折」は、これは内容にそぐわないなぁ、余計な尾ひれだな。

 なので本ブログのタイトルは、あえて『お金で読み解くビートルズ』と換えた。

 けども、かねて久しく自分にとって理解できていなかったコトを本書で教えられ、

「あら、ま~、そうだったのね」

 けっこう感心したり関心深まったりさせられた。

 

 60年代という時期、彼らビートルズにしても、著作権印税というカタチが彼らにとってどういう性質なモノなのかをよく理解していなかった……、というコトの示唆がこの本のイチバンに良い点だ。

 そのあたり、現在の常識的通念で眺めちゃ~いけないのであって、60年代半ば、ジョンもポールも、

「自分たちの曲が以後半世紀にわたって売れ続けるもの」

 とは、チビッとも思っていなかったんだね。

 ポップスは流行る時期を過ぎると後はもう売れやしない、というのが当時の決定的常識なのだった。

 それで彼らは56曲の著作権利いっさいを、ノーザン・ソング社に売ってしまった。

 ジョンとポールはそれぞれ14万5千ポンド(当時の日本円でおよそ1500万円)を手にした。

 信じられないホドの安値だけど、当時は、上記した通りに、「もう売れないであろう曲たち」にあわせて3000万円払ってくれるなら御の字、メチャにおいしい話じゃ~ん……、という次第なのだった。

 

 で、後々、これがジョンやポールを悩ませる。

 自分らの歌だったのに、自分らのモノじゃ~なくなって、コンサートでそれを唄えば、著作料をノーザン・ソング社に払わなければイケナイというヘンテコなことになる。ラヂオやテレビで使われてもノーザン・ソング社にお金は運ばれる。

 ジョンとポールはノーザン・ソング社の株主でもあるんだけど、株主としてのメリットよりもミュージシャンとしてのデメリットの方がメッチャでっかくなる……。

 時が流れ、その後いっとき90年代には、ノーザン・ソング社が権利を手放し、マイケル・ジャクソンがこの56曲の全権利を入手したりで、今はソニーに権利が移っている。

(幾つかの裁判を経て、現状ではジョンやポールがその収益の75%を受け取れるようにはなってるようだけど……)

 

 さらに60年代当時の英国の税制が、大きな問題として横たわってた。

 高額所得者は収入の90〜95%は国におさめなきゃ~いけない。

 当時、共産主義の台頭とそれへの若者の傾倒が目立つというコトで、英国政府(労働党・当時の首相はウィルソン)は富裕層の課税を強化して、社会保障を充実させるという方策をとった(当時、我が国も右にならえしてる)

 ま~、それゆえに今でいう格差というモンダイは生じにくくなっていた……、のだけど90%以上を取り上げられる身としては、嬉しい方策じゃ~ない。

 ま~ま~、だからあの「タックスマン」という曲も創ってるワケだね。作詞も作曲もジョージ・ハリスンで、彼もビートルズで得た収入の9割を国に持っていかれ、高額所得者であるハズなのに、会計事務所から破産に近い状況と説明され、その身の上に悲憤した。なので歌詞の中にはウィルソンも登場する……。

 それでジョンとポールとエプスタイン(マネージャー)は「レンマック」という会社を作り、ビートルズが得た収益はそこに入り、そこから配当というカタチでジョンとポールとジョージとリンゴは収入を得るという対応策をとる。

 そうするコトで大幅な節税になるワケだ。これが後のアップルだiPhoneのアップルじゃないよ)

           

 映画『ヘルプ!』はバハマ諸島で撮った。

 バハマは税金がほとんどかからない、いわゆるタックスヘブンの地。

 それで彼ら4人は、バハマにキャパケイド・プロダクションという会社を設けて、この会社が制作したコトにし、映画の収益も同国の銀行に預けた。

 英国にお金を持ち帰れば、ど~んと税引きされるんだからね。

 ま~、けど、うまい方法だったけど、英国政府が1967年にポンドの引き下げをおこない、自ずとそれはバハマの銀行にも影響がでて……、結局、ビートルズは同年に8万ポンドの損失をこうむる。

 

 とかとかとか、おもしろい記事が続いて、

「なるほどねぇ~」

 頷いたり、アタマかしげたり、したのだった。

 

 でも読後、なんか、ある種の違和感が残ったのも確かで、それは何だろうと思って考えるに、この本、いささか無味乾燥なんだなっ。

 ドライ&ウエットの情感がなく、帳簿をみるような、“無味乾燥”を感じた次第。

 著者は、大蔵署の元国税調査官で、退職後にあれこれ経済本、『信長の経済戦略』、『龍馬のマネー戦略』などなどを出してらっしゃるみたいだけど、そのあたりの消息が影響しているのかしら?

 興味をひかれる記述は多々あるし、ベンキョウにもなったんだけど、

「おっ、この本、いいな」

 という「情」がわいてこなかった。

 各章ごとに、著者がまとめとしてポイントを列記し、ビジネスやら経営としての参考にしなさいというカタチの掲示が、逆に、金銭しばりの型枠にビートルズを押し込んでしまっているような感じもあって、そこら辺りがどうも……。

 とどのつまり、本書で著者があぶり出したビートルズにまとわりついたマネーにまつわる人物らと著者は同じ水面にいるんじゃないかしら……、路面の端っこの水溜まりに浮いてる油膜のような、妙な感触が拭えないんだった。