この頃は、太陽の塔を含めたEXPO'70あたりを軸に、60年代前後をまさぐって、「その時代」と「今の時代」を天秤にかけて測りみているようなコト、多し。
懐かしみでなく、違いの中に浮きあがる泡みたいなものが過去の残滓なのか、それとも時代を経た末に現れた光沢ある泡なのか……、そのあたりの消息に、眼が向かうまままに……、そそられている。
で、こたびは1960年の年末に封切られた映画。
きっと、派手なシーンが出てくるだろうと見始めた、大映の『大江山酒天童子』。
この映画では酒天としているが、今は通常、酒呑と記す。
シュテンドウジといえば、安倍晴明が花山天皇の信頼を受けて陰陽道の儀式を盛んにやってた頃のハナシ。
京都近くの丹波国大江山に住む鬼の頭領で、多数の悪鬼を従えて、都の婦女子をさらったり、強盗、暴行、殺傷、悪さの仕放題。
が、遂に源頼光(みなもとのよりみつ-通称らいこう)に討たれ、首をはねられるという、ま~、誰もが知るハナシ。
室町時代初期頃に原本となる本が出ているらしいが、例の足柄山育ちのまさかり担いだ金太郎さんは源頼光の家来だねぇ。
まさかりを持って立ち回るけど、うむむ……、基本は薪を割るための道具なんだからねぇ、画面でみる限りでは武器としては有用ではないと思えたなぁ。まさかり振り廻すというより、まさかりを軸にニンゲンが振り廻るという感じがしなくはなかった。
この映画のDVDパッケージはなかなか賑やか、おどろおどろしくて、童子たち VS 頼光たちの派手なチャンバラ合戦となるだろうと予測していたけど、しかし、そうならないんだよ、この映画は。
写真では判りにくいが、門の端に小さい滝があって屋敷内に川の流れがあるらしきで、なんだかフランク・ロイドの風雅な現代建築・落水荘(E・カウフマン邸宅)を和のテーストで再構築したようなカッコいい感じを受けたが、その大きな隠れ家で最終シーンとなる。
鬼(悪党という意味での武装集団)の軍団と帝の命でやって来た頼光の軍団が、小競り合いし、双方対峙するコトはするんだけど、刀を抜いたまま話し合いに移行し、で、酒天童子は自身の組織解体を宣言して戦闘せず、頼光たちもそれをヨシとしてホコを収めるんだから……、
「えっ?」
アッケにとられた。
まがまがしいコトになると思いきや、LOVE&PEACEへの大転換なのだ。
長谷川一夫が演じる酒天童子は多数の部下を「仲間にいれてやってくれ」と頼光に預け、ゆるやかな笑顔でもって馬にまたがり野にくだっていくところで「終」となるんだから、
「あんらま~」
なのだった。
ま~、そうなる経緯としては、酒天童子の妻(山本富士子)の悲劇があって、その妻を思うがゆえに悪しき童子として山に籠もった男の物語という伏線があるんだけども、観ているコチラは、その結末ゆえに何だかハシゴを外されたような感じもなくはなかった。
けど……、戦争せずに話しあいで決着したコトに関しては、悪かろうハズがない。
例の憲法9条が示唆するトコロの非戦の平和主義が、この昭和35年の映画には反映しているような気がしないではなかった。
逆に大袈裟に還りみると、今はこの映画みたいに、戦わずしてジ・エンドに向かう映画というのは創りにくいというか、観客を呼び込めないタイプの“甘い幻想的理想映画”というトコロに立ち位置が置かれているような感がなくもない。
が、ともあれ、1960年当時の気分の一部は感じ取れたようには、思える。
1960年(昭和35年)は、タカラの「ダッコちゃん」が異様なほどに大ヒットした年だけど、日米安全保障条約の締結に反対する運動がピークとなった年だ。
昭和20年の敗戦以後続いている米軍の駐留継続と、その米軍が攻撃されたら日本の自衛隊は共同で防衛にあたるといった戦争に結びつく義務条約を、東条英機内閣の閣僚だった岸信介首相の内閣が決めたというコトによる大きな不安が反撥となって、大反対運動となる。
1960年6月、国会を取り巻いた大群衆
連日、国会前を埋め尽くした反対の人達を警察だけでは抑止できぬとみて、岸内閣は信じがたいコトにも数万人規模の暴力団員やテキヤまでを動員する。で、暴力での鎮圧と対抗のさなか樺美智子さんの悲劇も起きる……。
そんな時分に創られた映画がこれだ。
安保条約が日本にまた戦争をもたらすのではないかという不穏な感触と、2度と戦争はゴメンだという気分が、この映画には色濃く滲んでいるよう、当方にはみえた。
ちなみに、あんがい知られていないけど、坂田金時のお墓は岡山にある。
伝承の中の金時は、九州方面の賊を征伐するための移動中、岡山県勝央町にて病いに倒れて没したそうで、勝央町平(たいら)に彼は葬られ はるか後年明治になってその場所が栗柄神社となった。
(栗柄 - くりから - 倶利伽羅権現 - くりからごんげん - 剛勇の神さんという意味らしい)
ま~、実際の人物であったかどうかはかなり不明瞭ではあるけれど、金太郎さんが岡山で没し、今は神社として祀られている……、というハナシはそれはそれでなかなかインパクトがあるような気がしないでもない。
その坂田金時をこの映画で演じた本郷功次郎が、岡山出身、それも表町(上之町)出身というのは伝承や伝説ではなく、事実だ。
当方が中学生の頃は、大映の『ガメラ』シリーズで馴染みの顔だった。
彼は、亜公園とも縁が濃ゆい光藤亀吉の玄孫(やしゃご)にあたる。
亜公園がオープンして3ケ月め。明治25年6月に夏目金之助(のちの漱石)が岡山にやってきて台風に遭い、その彼を避難誘導させたのが光藤亀吉だった。
岡山市街はほぼ水没。
漱石(金之助)は天神山の懸庁もしくは亜公園で2晩ほど過ごした後(旭川のすぐそばだけどこの2ヶ所は水没をまぬがれた)、光藤家の離れ屋敷(当時 - 弓之町126番地)の2階に移動、そこに7〜8日滞在し、水がひいた頃合いで内山下(うちさんげ - 地名・親族の片岡家)に戻ったものの、畳も濡れて寝るところにも不自由でお腹を壊し、赤痢の危険が高いゆえか、旅程をきりあげて松山の子規の元に旅立った。
岡山逗留直後の夏目金之助と岡山市議会議長だった頃の光藤亀吉肖像画
亀吉は明治45年(大正元年)に没しているから、本郷功次郎にとっても、もうだいぶんと前の血縁という感もなくはないけど、亀吉の子が産んだ子供が亀吉の孫となり、その孫が産んだ子がひ孫で、ひ孫が産んだのが玄孫だから、そう極端に離れているワケでもない。
なワケで、本郷功次郎の名をきけば、光藤亀吉や亜公園のコトが同時に我が念頭に浮いてしまうのだった。
が、1つ、問題があって、光藤亀吉が没すると、光藤家ではその弟の定吉が2代目亀吉となっており、それゆえ岡山の明治・大正史が書かれた一部の本では2人の亀吉がゴッチャになっていたりする……。
2人とも当時の岡山の政財界を代表した人物だ。初代亀吉の名は甚九郎稲荷の手水鉢や岡山神社の随神門そばの大きな石碑などに、今もみえる。彼は明治後期の岡山神社の総代でもあった。
なので本郷功次郎が、初代亀吉(彼は金物商だった光藤家に養子として入ってる)の血縁となるのか、2代目亀吉(初代亀吉が光藤家に迎えられた後に誕生の光藤家の直系)の血縁か、不明というトコロがネックなのでありました。
ま~ま~、ともあれ、『大江山酒呑童子』という映画が1960年に創られ、長谷川一夫、山本富士子、市川雷蔵、勝新太郎、本郷功次郎、左幸子、中村玉緒、などなど絢爛のスター達が、戦争ではなくLOVE&PEACEな方向へと転がっていくのをDVDで眺めて、小さく驚きつつ、
「妙な味わいだったなぁ」
当時の時代の空気みたいな一部分を、日本社会が右回転じゃなく、左回転だったらしき大気構造の一片を味わった。