昨日9日の朝になって、この日の晩に禁酒会館(岡山市北区)にて、あがた森魚ライブ有りとの情報を知る。
3日ほど前に急遽に確定したらしきイベントゆえ、告知が遅れるのは仕方ないのだけど、既に予定があった当方としては当然に参加できず、桶狭間で信長に奇襲された今川義元じゃないけど、驚きと口惜しい気分が黒雲のようにわいちまった。
1日が過ぎ、きっと良いライブとなったであろうと思いつつ、急遽のイベント—— (おそらくはあがた氏のフイの発案だろうけども)——、それを、あがたの友人として受け入れ、会場手配や告知も含めてを構成し運営し、かつギターで参加したらしきKurose氏の怒濤の勢いにビッグに感嘆する。
感嘆通り超した感動ものの身動き鋭敏に、さすがだなぁ、アタマがさがるというか、臨機応変の柔軟さにこたびは息をのまされた。
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発注していたアクリルケースが届く。
コロナ騒動でのツイタテ仕切り板の大需要で、クリア・アクリルの価格は高騰……、そのまま値上がったままなので、幅1mの大きなサイズの特注ともなると、グッタリしちゃうハイ・プライス。
呻きつつも、けど、しゃ~ない。
模型の細部を少々つっついて、「ま~、こんなもんかいね」と一応の完成として全作業を終える。
模型製作のフィニッシュって、ある日ある時、ふいにやって来るようなトコロがなくはない。
どの時点で切り上げるかで、それは伸びたり縮んだりするんだけど、感覚としては、唐突にENDがやってくる。
模型はアートじゃない。
相当に近しい存在じゃあるけど、純然たるアートには成りきらない。成りきれない位置で腰をおろし座っている。
あくまでも模したカタチゆえの悲哀。けどもま~、そこがチャーミングで愛おしい。
アートのようでアートでなく、おアトがよろしいようでと云う引き際が最初っから含有されているのが、いさぎよいとも云えなくもない不思議な存在。
逆にいえば、アートは模型にはなれないワケで、そこもオモシロイ。
極く薄いけども強靱な皮膜が両者を隔てていて、棲み分けを強いつつも一方で融和をめざしているようなトコロも無きにしもあらずで、この頃は、限りなく模型でしかないアートや、トコトンにアートに肉薄の模型やらが島宇宙のように距離を置きつつ点在しているようで、混沌として、それもま〜、いささかの不快まじりで……、おもしろい。
余談さておき、本体内には13本のLEDを組み込む。
運転席(コクピットと云えよ)や客室、ギャレー(機内厨房)の照明、着陸灯、フラッシュ点滅する5ヶ所の航空灯や翼端灯、噴射口の炎のゆらぎ、なども回路を組み入れる。
窓がいずれも小さいから、造り込んだ内装はほぼ見えないんだけど、照明でその存在らしきが何となく判るという、その「何となく」の演出がキモ。
こたびは製作途中から『2001年宇宙の旅』というキーを少々ゆるめ、あえて「パンアメリカン航空のスペースシャトル」というトコロをポイントにした。
パンナムのどこかの支社だか旅行会社の営業窓口に飾られた宣伝広告素材としての模型、というコンセプトで、だから透明なアクリルケースも必需、ケース内展示によって、やってきたお客さんに、「宇宙ステーションへの旅行」をいざなう宣伝媒体……、というカタチでまとめようとしたワケだ。
船内がどうなっているのかを示す図解的模型も造り添えて、単体の宇宙船を多層な視点で眺める、“置き物”という位置づけだ。
時代背景としては、映画が公開された1969年頃。
そんな仕様ゆえ併せてPOPらしきなモノも幾つか、造ってみた。
パンナムが提供する毎月2回のISS(国際宇宙ステーション)への宇宙旅行。料金高額なれど特別の体験を!
とかいった意味のキャッチコピーを添えて60年代末の同社の実際の広告イラストを転用させていただいた。
……けど今ひとつだな。アクリルケースという閉じた空間を活かしきれない。構成力が足りてない。
そんなんで……、レイアウトは今後の課題。
コクピットや客室は複製を造って、それを中心に図解模型を製作。
1粒で2度おいしい素材はプラスチック、スチレンボード、ペーパー、などによる複合。
タイトルをつけるなら、「SPACE TRAVEL WITH PAN AM」。
諸々資料を探ってみるに、60~70年代のパンナムの搭乗員待遇はバツグンの厚遇。
他の航空会社からも羨望された「ハナガタ中の花形パンナム」の旅客機らしく見せるために、そのスタッフ・ルーム(パンナムではClue Loungeと呼んでた)も空想再現し、かつ現在の旅客機と同じく、レールが敷き詰められた荷物室なども造ってみた。
手前の四角て丸いのは搬入出用の昇降機のつもり……
日本航空の貨物室を参考にし、その上部に乗務員ラウンジを造った
無重力環境なのでベッドは平置きでなく縦方向でもいいのだろうけど……
映画の中の宇宙ステーションにはTV電話室が出ていたので、このオリオン号にも同じモノがあると想定し、映画を参考にベル社運営の電話室なんぞも、「楽しみつつ」設けた。
顧みるまでもなく『2001年宇宙の旅』の電話シーンは、カード決済だ。封切り当時の1969年の日本は現金オンリー。カードなんて存在しない。10円玉をぎっしり握って長距離電話していたワケで、当時感覚としては目映いような未来光景だったろう。
左:無重力環境トイレ 中央:ベル社の電話室
同様に、映画を参考にギャレー(機内厨房)も造る。
宇宙ステーション(ISS)までのツアーは高額なものだろうし、そこから月に向けての旅ともなれば、どえらい金額となろうから、メインはあくまでも宇宙ステーションに向かい、数日滞在してから地球に帰還……、というのを想定(妄想)して工作。
自己満足の極致といえなくもないが、いいのだ。工作の愉悦をむさぼれた。
旅客機は、スペースシャトルを含めてすべて、なぜか搭乗口は左側面にあるんだけど、このオリオンⅢのみは、右側面にある。
どうでもイイことながら、模型を造ってそのコトに気がついた。
キューブリック的ジョークか既存への反撥か判らないけど、妙なトコロに違いを設けてるんだな……。