1955年の映画 - 新・平家物語 -

 

 かんばしくない天気が続き、模型作製が停滞ぎみ。

 LED組み込んでモナカ状態の左右を合体させるトコロまで進んだものの……。

 ポカポカ陽射し浴びながら縁側に座り、隙間埋めのパテの削り出しや塗装を行いたいワケだけど、晴天日少なく進行遅延。

 

 な次第もあって、べつだん平家の盛衰に興味があったワケでもないけども、映画全盛期の作品ゆえに今では撮影不可能なシーンも多々あろうと、工作中断させ、DVD買って眺めるんだった。   

         

 予想的中。晩年作とはいえ大道具小道具にリアルを求める溝口健二アチャコチャのシーンでうならされた。

                  巨大セットに大勢のヒト

 ま~、イノイチバンにうなったのは雷蔵の太くて濃い眉毛で、平清盛という人物を強調するためのメークなのだろうが、慣れるまでしばし時間がかかった。

 まだ武士とか武家という呼称が定まりきっていない頃の平安末期だ。
 朝廷に請われて地方のいざこざを武力鎮圧して褒賞を得る、地下(じげ)と侮罵される身分低き連中……。その中で、清盛を中心に平という一族が台頭し、やがて1つの「家」として、貴族運営の朝廷というカタチの中へ入り込んでいく過程の一部が、この映画では描かれる。

 

 興味をひいたのは清盛の妻となる時子だな……。

 綺麗な大スター久我美子がいっそう綺麗に撮られ、雷蔵とのシーンでは、キヨモリ雷蔵の片方の眉毛だけでトキコ美子の鼻が隠れてしまうじゃんかぁ~、などとヘンテコな所に眼を奪われたりもしたけども、この時子が後に壇ノ浦の戦いで、幼い安徳天皇三種の神器を持って入水自決するんだなぁ……、とその壮烈な最期を思わないではいられなかった。

 誰もが知る平家滅亡のクライマックスながら、あの入水は、奇妙な感がなくはない。

 同じ船に安徳天皇の実母たる徳子も乗船していながら、なぜに時子(清盛没後に頭を丸め、二位尼という名になってる)が、実母を差し置き、孫の安徳を抱いて海に身を投げたか?

 事件を記した記録は、琵琶法師の語りで伝承され後に書物になった『平家物語』、『吾妻鏡』、『源平盛衰記』などに限られ、現場の記述もくい違っていたりもして、証拠写真があるワケもなく、それら記述の中に浮く事実らしきを拾うっきゃ~ないけど……。

吾妻鏡』によれば、彼女は帯に草薙剣(くさなぎのつるぎ)を差しこみ、八咫鏡(やたのかがみ)八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を握りしめ、その上で安徳を抱いて身を投げたとある。

 これが腑に落ちない。

 三種の神器天皇天皇である超絶に大事な証し、王位継承に必需なモノとして奉(たてまつ)られる神体、バケツいっぱいのダイヤモンドでも買えないモノじゃ~あるけど、それゆえに恐れ多くもと崇められたその宝剣を、自らの帯に無造作に差すという乱雑なことを本当にしたのか……。

 そも、実母の徳子建礼門院でなく、なぜに祖母である時子二位尼天皇と神器3品を抱えて飛び込んだのか……、ヘンテコ感が拭えない。

 

 徳子も我が子がおばあさん時子と共に水没すると、後を追って入水したけど、彼女は義経軍の船に救出される。京都に戻されてアタマをまるめ、我が子安徳の菩提を弔い続ける次第ながら(オリジナルの『平家物語』は彼女が後白河法皇に自分の一生を語るところで終わるねぇ)、判らないのが、神器だ。

 帯に挟まれた草薙の剣は水中深くに没したのに、八咫鏡八尺瓊勾玉は何故に、どうやって引き揚げられたのか? 

 勾玉にいたっては小さいモノだろうし、基本としては石だろうから、水に浮くワケもなく、常識的には人体よりも早く失せて当たり前のよう思えるし、回収しようと海に飛び込んだ源氏の兵とて、即座は即座な行動であったにせよ、そ~うまいコト、2品を掬い上げらるのか? 偶然にうまく2つは救えたのか? どうもクエスチョンが拭えない。

 合理的に考えれば、超絶な宝物ゆえいずれもが極上の桐だか漆塗りされた豪奢な箱に収められ、さらに天竺伝来だかの立派な唐物布地にくるまれて唐打紐で封印され、それゆえ、箱が浮いたと考えてよいかとも思うけど……、真相わからず。

 ま~、どうでもヨロシイことですが、なんとはなく、

本当は3つとも無くしたんじゃないのか?

 などと、陰謀論者みたいな考えがアタマをよぎったりもするのだった。

 安徳遭難と草薙の剣紛失の報告を受けた頼朝は、義経の失態に激昂激怒したと『平家物語』でも『吾妻鏡』にも記述があり、兄弟間の溝が大きく亀裂する次第ながら、ひょっとして義経は全部無くしたけど、2つの品は適当なのを見繕って調達し、いわば擬装したんじゃないかしら? いや、あるいは擬装したのは頼朝か? などと想像たくましくしたりも出来るワケなんだ。

 ま~ま~、ともあれこの映画は、晩年の時子でなく、清盛のハートを射貫いた若くフレッシュな美女として描かれ、そこが映画の絢爛になっていた。

 壮大なシーンは多々あり、わけても、比叡山延暦寺の僧兵達が松明掲げて下山の場面では、ウネウネした山道のアッチャからコッチャまで同一装束が蠢いて、カメラはゆっくり移動しているのだけど、それでも入り切らない僧の数。いや~、そこだけで一種の満腹感をおぼえるんだった。

 

 派手なチャンバラはないが、およそ映らない所にまで大勢の役者達で埋まった画面構成が、とにかくいい。今の眼で眺めて余計に鮮烈。1955年の潤沢。69年前の御馳走。

大映京都撮影所(1986年に封鎖され現在は住宅地)内に造られた祇園社のセット! ここまでやるかの規模……。

               こちら実際の祇園社西楼門(八坂神社)

 

 平家台頭の時代はとにかくもヤヤコシイ。

 公家や寺社が租税免除の特権でもって大規模荘園を運営し、さらに寺は武装して勝手をするから、朝廷(国家-天皇の収入は伸びず、一般ピープルはますます痩せ衰え、天皇の無策を危惧した前天皇の白河が上皇として「院」を擁立して政治に介入する。

 なので、「朝政」と「院政」という2つの“政府”が同時進行にあって、官僚たちはどっちにつけば得するかと右往左往。1つの事案が両者間でたらい回しで結局何も決まらない間にも京の町中では僧兵たちの傍若無人、とても観光に行けない場所。

 そんなグッチャラケの中で治安維持の新たな武装勢力としての平家がジワジワ~っと昇っていくワケだが、このDVDには特典映像として、撮影現場に来た吉川英治の姿も入り、彼の思う平清盛像を語っている。その丁寧な口調にも驚かされ、これは貴重な良いデザートでした、な。

                    清盛と母の泰子

 吉川の原作では、清盛存命の頃より風聞としてあった「平清盛の母親は白川上皇の寵愛を受けた白拍子(歌詠みしつつ舞うダンサー)遊女で、妊娠した彼女は地下(じげ)平忠盛に下賜された」を元に組み立てられている。

 溝口はそこを映画の中心に置き、その事実を知った清盛の苦悩、母親との確執を描いている。

 なので、久我美子演じる時子は、映画ではやや添え物扱い。当時の映画評も、そのあたりが不満の理由か、かんばしくなかったようだけど……、いやいや、今の眼で眺めると、綺麗キレ~な時子-美子でなく、ほぼ悪役ながらも、清盛の母泰子(木暮美千代)の母の顔女の顔に着目したらしき溝口と、そこを堂々演じきっている木暮に喝采をおくりたい。

 溝口は、清盛が葛藤しつつ親離れして自我を得ていくと同時に、母親もまた葛藤し、子離れし、出自を逆に誇りとして我が道を進もうとする、いわば自立した女を描こうとしたように思え、事実、最終シーン近くでは、「家」を出て、白拍子の館を運営する主として彼女が再出発している逞しさも描いている。

 女性が参政権を得てまだ9年めの日本。家長制度が基本で、男尊女卑的傾向と職業差別的感覚がまだまだ横行した昭和30年の公開当時では、家を出て白拍子に戻った彼女を自堕落ときめつけ、理解賛同者は少なかったかもとも思えば……、再評価すべきな「今時の感性」ある映画だったと、いささか驚きつつ思うのだった。