数日前、城下のダイニング・バー、プチパインの瀟洒なトイレにて……。
この散りゆく桜の演出が実にまったく良かったので、ついパチリと写真。
そうなんだよ。桜はこの「ほろ散る」こそが絵となるんだわいねぇ。情感を疼かせるんだよねぇ。
現象としてはただ散ってるだけのコトなんだけど、そこに「ほろげる」という淡い言葉をあたえて「ほろ散る」とした日本語の巧みとそれを体得しているらしき我々って、
かなり素敵な感性を持ってると思えて、いささかハナ高く思ったり。
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小庭のあちゃらこちゃらでもアレコレの花が咲き、まこと春っぽい。
色彩にぎやか。
冬枯れて諸々のカタチもどこか角っぽい印象だったのが、花の丸みで柔和でおだやかな気配。
輪が和みをなすワケか……。
カリンもパカ〜っと開いてる
水牛のツノみたいな白っぽいイチヂクの木の足元も明るく染まる
こぼれ種で、おもわぬ所に花一輪という光景も微笑ましい
4月8日は釈迦の誕生日ということで、全国的に「花まつり」の名で行事もあるらしいけど、接したコトはない。
釈迦の像に甘酒かけて祝うというのを聞きはしても、見たことはない。
お釈迦さん誕生を祝うのを灌仏会(かんぶつえ)といい、その灌の字が甘酒と結ばれているようで、注ぐという意味だ。
しかし、かけられた像はベタベタしちゃって後が困るんじゃないの?
虫がいっぱいやって来るんじゃないの?
などとつまらないコトを思う程度。
ま~、そんなことはどうでもよろしい。
あちゃらこちゃらで花が開いて、地表が明るい感触になっているのがイイですな。
昔々の「花咲か爺」も、冬が去って暖かくなって、冬枯れた光景から一転する気分良さが反映しているのだろう。
ケッタイな爺さんを描きたかったワケでなく、萌芽した春の悦びが主題だったろう。
「花咲か爺」の話は室町時代に創られたそうだけど、当時の平均寿命を思うと、これら本の表紙の爺さんは、40台後半か50歳くらいだったろう……。
40代後半で周辺から爺さん婆さん扱いされ、かつ自身も老体と認識していたであろうと思うと、ガチョ〜ンだね。
思えば昭和33年に刊行された松本清張の「点と線」の主人公・鳥飼刑事は、定年退職という制度はまだ未確定な時代ながらも、50歳を超えて、同僚の警官から老人扱いのいたわりを受ける、あるいは、疎まれるというアンバイだった。要は自主退職をヨギなくされているワケだ。
今の眼でみると、滑稽というか、50過ぎで退職で後は余生かよ〜、と唖然とする。
昭和33年(1958)でそうなんだから、はるかに遡った室町時代ともなれば、なるほど確かに木の上で花咲かせてるのは、80歳の好好爺じゃなく、実態は50歳前後の「老人」だったと納得もするんだけど……、おかしなもんだねえ、平均寿命と老人のハザカイは。
過日、走行感がやや硬いミシュランからチョメっと柔らかめらしきダンロップへと新しいタイヤに履き替えた直後、近場のスーパーで同一車種が偶然に並んだ。
30年近くMINIに乗ってた時でさえ、1度しかなかった光景。なので、なんか嬉しくなって写真パチリ。
その数日後、原尾島の大型スーパーで買い物済ませたら、今度は赤いFIATが真後ろでオスワリしてるじゃないの。
この意識的おそばにいるよ〜んの連打にニンマリし、またもパチリしちゃったけど、これも春ゆえの解放気分かしら?
花同様にタイヤもまた輪とも思えば、和み気分がピッコピコ。
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雨があがった4日、東区竹原の三徳園を散策。良い感じの空気だった