2月茫洋

 

 3日節分の日に大勢の参拝者にまぎれて最上稲荷へ知人も参じ、運良くゲットした開運福豆を1つくれたのだった。

「へぇ、こんな袋に入ってるんだねぇ」

 とか云いつつ、ありがたや。労ぜすして運を開いてもらい、開封してポリポリかじるんだった。

 意外と美味しい。

 

 2月の岡山市は、昼と夜の寒暖差はあれども、陽射しがある白昼はホンマに2月なの? と訝しむような感触もあって、事実そんな日の午後、近所のスーパーにはTシャツ1枚に短パンという、粋がってるんだか、威勢がいいのか、耐寒能力が高いのか、そこは不明だけどもそんなイデタチの若いのが野菜を物色していたりする。

 過日、関東方面が大雪に見舞われた日も、こちらは雨がチョメチョメ降るだけで白いのが舞うことがなく、日中気温も5~6度あって、肌寒いことは肌寒いけど、およそ……、厳寒の砌(みぎり)に遠い。

 そのせいで、陽射しがあると庭池の金魚も浮上し、水面近くで、コタツにあたっているようなアンバイでジ~ッとしてる。

 過去、2月にこんなシーンを見たおぼえがない。

 3月下旬頃まで金魚は水底に沈み、仮眠というか休眠状態で、動かない。

 なので2月に金魚の姿など見たことがなかったんだけど、今年は早や、起き出してる。

 寒くなれば休眠という代謝リズムの中に金魚はあるワケだけど、この2月は気温がひどく下がらず、陽射しがあれば水温もあがるから、それで休眠を解かれている……。

 トンネルを抜けると雪国だった、という鮮烈は知っているけれど、鮮烈もない茫洋だけの季節のない2月という感じが拭えない。

 金魚も、「何で?」と思ってやしないか。

 去年、水温が10度を下廻った頃に、鉢植えにして室内に入れた4株ほどの布袋草は、息をつぎ、緑の葉も残っている。

 一方で庭池に取り残したのは、とっくに死滅した。

 なんだか、明暗別れて噫無情……。ま~、しかたない。

 

 昔々、なが~く続いた旧石器時代から縄文時代弥生時代は、自然サイクルに人間も従った時代といってよい。

 縦穴住宅内で火をくべて暖をとり、秋に貯め込んだ栗やら何やら日持ち良い食品食べつつ越冬し、春を待つ。さほど金魚と変わらない。

 たまに、陽射しが温かいようなら、家から出て、雪景色の中で、乾いた木切れを手にして、切り株の端っこ辺りを無心で叩いたりして、原初の太鼓がもたらす音に昂揚したかも知れない。

 弦楽器の最古のモノは意外や日本にあり、2012年に八戸市の是川中居遺跡から出土した木製品がそれで、およそ3000年前の縄文時代の終わり頃の品だという。

 機織りの道具という説もあって楽器と確定されたワケではないが、構造上、弦をはって弾く楽器的なモノだった可能性が高いらしいが、ここで書いてるのは縄文の終わりでなく、もっと前の旧石器時代か縄文初期頃の、打楽器的モノの想像話。

 

 誰かさんが切り株を叩いてるその音を聴いて隣家の家族も出てきて、その中にいる子供が真似て同じように音を出したかも知れない。

 どうやったら心地良く響くか、どうすれば2つの音に違和感がなくなるか……、小さな集落初のリズム教室のスタートだ。

 メロディはまだ登場せず、ひたすら周期的な音に興が集中し、単調ながらもそれを刻み続ける醍醐味に演奏者は炯々と瞳をはったろう。周りを囲ったヒト達も、なんだかイイ気持ちを味わい、

「何で心地良いんかしら?」

 不思議にくるまれたであろうコトはまちがいない。

 リズムは数式でもあり、時計の秒針同様「時間の均等分割」という高度なワザでもあって、そこは意識されないまま奏者は夢中になり、トン・トン・トン・トンとうまく叩いてる内たまに、トトンとか入ったりすると、よりグレードアップな醍醐味もおぼえて熱くなる。ますます叩くのを止められなくなる。

 日本の音楽史のスタートは、ま~、そんなもんだろうと想像する。誰に教わったでもなく叩き出したヒトは元祖ストリート系ドラマーだったといってヨイ。

     

 で、なにかのおり、一山向こうの集落のヒト達との会合だかで切り株叩いて披露したら、その集落にも似たようなヤツがいて、なんと自分用の小さい丸太を持っていて、それを叩く。

 もちろんそのヒトはまだ楽器という概念も持ち合わせてはいなかったろうけど、ともあれこうなると、どちらが元祖だか判らなくなりもするが、先陣争いなく2人が叩き合い、日本初のセッションがここに実現してシ~ンは大きく前進するのだった……、というようなコトを想像した今日の昼間。

 

 問題は、やがて野火のように広まったリズム叩きという行為に、誰がどうやってメロディを乗っけていったかだなぁ。難しいぜぇコレは。

 声だか何らかの道具で高低やら強弱をつけた連続音を出すという至難。

 しかし乗っかった途端、革命というよりもビッグバンに相応の炸裂が起き、リズムとメロデイによるグルーヴィー、ミュージックというカタチが誕生したわけだから凄いのだ……。

 

 と、そんな想像してたら、なぜか当方のアタマの右から左へとシンディ・ローパーの顔がよぎったのは、変だった。

 で、現実に戻り、ぁあ、彼女ももう70歳越えてるんかぁ。ま~、そんなもんだねぇ。などと感慨しつつ、「タイム・アフター・タイム」を聴きたくなった。文章の流れから云えばキャンディーズの「もうすぐハ~ルですんねぇ~♪ 恋をしてみませんか♪」あたりが都合いいのだけど、そうはいかずで、でも……、春を待つこと変わりなし。