天下の御意見番

 

 昨日24日より30円も値上がって480円になっちまったビッグマックを頬ばり、ビール(発泡酒ですが)で流しこみながら、昔の東映映画を眺めるんだった。

 30代の頃からマクドナルドに行けば、ビッグマック2つを買う。

 いまだにこれが揺るがない。

 ご飯の類いは、ときに茶碗1つ分も食べられないホドに食が細っているけど、ビッグマックのみ、2ケ平らげられる。元気なのかそうでないのかよく判らんが、いいのだ、気にしない。

 気にすべきは、値上げだな……。毎日食べるワケもなく、せ~ぜ~2週に1回程度ながら、2022年10月に390円から410円になり、さらに450円になり、こたび480円。

 こんなトントン拍子、好かんなぁ〜。

 この値上げ連打の中でパッケージも去年10月に変更になってるけど、下写真の以前のもの方がよかったような気がしないではない。以前の方がビッグマックらしい迫力があったよう思え、なぜに文字を小さくしちゃったのかと訝しむ。

 

 で、東映映画。

 1962年作の『天下の御意見番』。

 日本映画の黄金期時代の作品。豪華にして絢爛。充実して活き活きとし、こういうのを眺めつつビッグマックを頬ばると、うまさまでが増量されるようで、30円値上げされた分を映像が取り戻してくれるような感もなくはない。

 ぁ、2ケだから60円だな。2022年のネダンで較べると180円分だな……。

 

    

 

 Blu-rayでなくDVDどまりの画質が残念ながら、ま~、いいのだ。

 ギドギドせず、ベタベタせず、刀は抜かれても血液らしきは描写されず、大勢のビッグ・スターが、驚くほどに贅沢に造られたセットの中で振る舞う演技を、ただもう見蕩れてりゃイイという娯楽黄金。

 馴染まない武家言葉でセリフの1/3くらいはよく判らないんだけども、そこも逆に醍醐味。

 

 いまどき造られる時代劇には、茶坊主なんぞは1人たりとも出て来ないけど、この映画ではしっかり描写され、上級武家の生態が垣間見えるんだから、たまらない。

 前々回に記した後楽園での池田家殿さんの生活でも、実は茶坊主が殿さんを支えている。

 格と身分による差別的社会であったにせよ、その格と身分をどう際立たせ、どう日常化させていたのか……、そのあたりの消息が茶坊主という「職」、役職名を「御茶道」というんだけど、チラチラ見えて、おもしろい。

          江戸城内のあちこちに灯りの蝋燭を配置する茶坊主の皆様

 

 幼い頃より茶を学び、所作を体得し、帯刀せず、剃髪ゆえに"坊主"ながらも歴とした武士階級の者たち(僧じゃない)。

 かれらが茶の湯の手配、来客接待、案内、屋敷内の蝋燭の点火と消火、手紙の届け、諸事万端なんでもこなした。

 茶事のみならず、秘書のようにふるまい、常にトップクラスの方々と接するから、禄はさほどでないけど階級は高いという、そこいらの武士を軽く凌駕する影響力ももった。

 茶坊主もピラミッド構造の組織なので位が高いのは1部のヒトね。秀吉と利休の関係がより合理的組織的に再整備されたのが江戸時代だったと思えばいい。

 

 茶坊主は、商家の次男坊らを武士階級に昇進させる裏口通用門でもあって、たとえば、赤穂浪士の討ち入りで惨死した吉良家の“被害者”の中には、吉良家出入りの茶商の次男坊で当時15歳くらいで吉良邸宅に住み込みで働いていた坊主少年もいる。

 襲撃事件なくば、彼はもう数年経てば、武家の次女とかと婚姻し、晴れて武士階級の“家柄”となってメデタシメデタシだったのだろうが、そうは問屋が卸してくれなくってアジャパ~、実に気の毒なのだった。

 

 以上は2017年、7年ほど前にも書いていて、自身読み返すに、『天下の御意見番』にも触れてるなぁ。なのでこたび、7年ぶりに、この映画を観たワケじゃね。

 ま~、何年ぶりでもいい。繰り返し観られるだけの絢爛でこの映画は塗られ、鮮度を保っている。いや、鮮度を増している。

 もうこんな大がかりなセットや多数の出演者を使った潤沢な映画は造れないからね。なんぼCGを駆使しようが、62年前のこの醍醐味はリメークしようがない。

 上写真は月形竜之介演じる大久保彦左衛門が朝に顔を洗うシーン。それだけのためにこのビッグなセット……、ビッグマック2つの経費でないのは顕らかで、こんな何でもないシーンで彦左衛門というヒトのカタチをチラリと見せる演出が結局は映画の厚みとなってるんだから、無駄に経費を費やしているわけじゃない。チャンと朝靄もかかってる。

 

 木村功演じる大久保彦左衛門の次男が花魁と遊ぶシーンでは、花魁太夫を中心に振袖新造(15歳くらいの遊女見習い・太夫の助手の役割)多数、さらには禿(かむろ・オカッパ頭で雑用係の10歳前後の子供)が5〜6名ほどチャ~ンと配置され、さらに槍手(やりて・マネージャー的役割)女性も描かれていて、かつての絢爛っぷり、かつての遊郭での上下関係やらが、偲ばれもする。

 

 脚本は黒澤映画でお馴染みの小国秀雄。徳川家光の時代に徳川幕府が“安定”した史実や、大久保彦左衛門がタライに乗って登城した講談話などからストーリーを着想したと思える。

 物語は寛永5年の新年1月2日、三代将軍家光の元へ賀正の挨拶に来た旗本の行列と外様大名の行列のぶつかりに始まり、彦左衛門を中心に置いて、格式と階級の狭間での武家プライドが描かれる。

 今のメダマでみりゃ、実に馬鹿馬鹿しい内紛劇じゃ~あるけど、当事者ら全員にとって馬鹿馬鹿しくはない事態ではあって、それで右往左往のドタバタがはじまるという、まことに馬鹿馬鹿しい次第が、映画的におもしろい。

 

 町民の一心太助が出てきたりと史実には遠い映画だけども、旗本VS外様大名の格差解消に家光が遂に強権をふるい、

「祖父家康や父秀忠は外様諸侯を客分としてもてなしたが、自分は生まれながらの将軍の身。よって外様大名諸氏も我が臣下に過ぎない。次の正月よりはこちらから祝儀をお配りすることも廃する。また諸侯全て1年ごとに江戸に住まうこと。参勤の費用は自分で出せ。文句あるなら我が旗本のチカラでねじ伏す」

 といった意味の宣誓をして、一強独裁の道を確固とした結末部分は、今の北朝鮮や中国を見るがごとしで必ずしも面白く楽しいワケもないんだけども、娯楽作品として眺めきれば、最近の映画では表現されない諸々が映され、そこがま~、価値ありという次第。

 

 デビューしたての北大路欣也が驚くほどに美しい将軍・徳川家光を演じ、茶をたて、市川右太衛門扮する水戸頼房にふるまうが、かすかに、けども明らかに、右太衛門はぞんざい粗略に茶を受ける。

 ほんの束の間、通り過ぎるだけのシーンながら、初の親子共演。照れもあったかも知れないけど、眺めていて微笑ましい。

 一方で、一心太助を演じた新人の松方弘樹が出てくるシーンがことごとく、硬い演技を隠そうと空元気だしてるのが痛々しくヨロシクなかったりもするけど、ま~、しゃ~ない。

 

 上は、大久保彦左衛門宅での家来やら中間やら足軽やら、御台所仕事の飯炊きや縫い子たち全員登場のシーン。当時、主人と家来の会食はありえないけど、いささか上級クラスの武士1人の体面がためにこれっくらいのヒトが関わっているという次第を証す場面。

 けどもナンだねぇ……、ナンギだなぁ、身分社会は。

 このシーンでは一同平服のみで彦左衛門に言葉を発しない、というか話せないんではねぇ。天下の御意見番を自称の大久保彦左衛門もとどのつまりは階級制度に疑問を持って意見するワケでもないというのが、ま〜、おかしかったねぇ。