アイヒマンを追え 〜アラジン新たな冒険〜

 Prime VideoNetflixなんぞで気軽に映画に接することが出来るようになって恩恵も大きいけど、逆に、映画への付き合いが軽くなった。

 利便甚大だけど、それに比例して映画の映画としての価値が、無料動画に類した所にまで下がってるような……、感触がなくはなく、映画を特別なモノと思ってきたから、妙な寂しさを憶えないでもない。

 きっとそれは古い固定観念から生じる気分とも思うが、お気軽ゆえに、なんだか映画を大事にしなくなっちゃってる自分があって、観る気構えからしてもはや違ってることは意識できる。

 1対1の真剣交際じゃ~なくって、とりあえずなグループ交際みたいな、距離の間合いがヘンテコだ。

 ま~、それでも拾いものがあったりもして、視聴後にDVD買おうかしら……、と思う作品に遭遇したりも出来る利点は利点として大いに甘受する。

 最近だとフランス映画『アラジン新たなる冒険』が、意外なほどに面白かった。

f:id:yoshibey0219:20181222051936j:plain 

f:id:yoshibey0219:20181221180835j:plain

  現在のデパートでのクリスマスのシーンと『千夜一夜物語』のファンタジー部分とがうまく結合され、かつフランス的饒舌な際どいお笑いが随所にまぶされていて、しかもあくまでもどこまでも明るい青春グラフィティー

 こういうアッ軽~い映画、好きだなぁ。

 なので、これは買おうかしら……、そう思った次第ながら、どうもTSUTAYAなどのレンタル落ちしか入手出来ないみたいだぞ。市販品としてプレスされていないんだ

 

 ああ、しかし近頃じゃ、ネット経由で観られるんだから別にDVD買わなくってイイじゃん、という見解もあるようだ。

 けど、それはイカン。気にいった映画は無線で飛んでくるデータじゃなくって手元にある1枚のDVDである方が、イイ。

 買うことで1対1の交際が意識できる。彼女のナマ写真よりも彼女の実の肌のぬくもりがヤッパ1番よ……、っての同じ。

 ん? こういう感覚ももはや古いのかしらん?

 まッ、いいや。わが道を行く、だ。

 

 やはりPrime Videoだったけど、『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』は、予想外の収穫だったりもした。

 アウシュビッツに絡む裁判や、ユダヤ人殲滅のホロコーストを先導し遂行していたアドルフ・アイヒマンを追い続けた西ドイツのフランクフルト州検事局総長フリッツ・バウアーの物語。

 邦題とキャッチ・デザインの陳腐さが尋常でない腐臭もので、それが観る気力を奪ってたけど、いざ観るや、教わるところが大な映画だった。

(原題『Der Staat gegen Fritz Bauer』 直訳では「国家とフリッツ・バウアー」)

アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男 [DVD]

アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男 [DVD]

 

 映画1本を観て、それでナチズムやその裁判の行方を知ったつもりになるのはとても危なっかしいけども、興を抱く手がかりとしての1本の映画の存在というのは絶大に大きい。

 Prime Videoでは『検事フリッツ・バウアー』という別映画もあって、これも併せ観た。いずれにせよ基本は商業映画、ドキュメンタリーではないのだから登場人物の描写や史実に基づきつつもあくまで脚色が加わり、一切を事実として鵜呑みにしてはダメだし、実際この2本でも同じコースを辿りつつも部下のカタチがかなり違う。

 とはいえ、1つの入口としてこれら作品の存在はありがたい。

 ナチスの非道行為は、娯楽という枠組みには適さないけども、戦争終結とその後の裁判を含む諸々な動きをあらためて知る手がかりにはなってくれる。

 相互理解的に、何年か前にシネマクレールで観た『ハンナ・アーレント』を再見しなきゃ~とも思うし、『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』は並列で考察すべし映画だとも薄々に感じる。

 アイヒマン裁判をイスラエルで直に傍聴したハンナが、

 彼は愚かではなかった。完全な無思想性―――これは愚かさとは決して同じではない―――、それが彼をあの時代の最大の犯罪者の一人にした素因だったのだ。このことが〈陳腐〉であり、それのみか滑稽であるとしても、またいかに努力してもアイヒマンから悪魔的な底の知れなさを引き出すことは不可能だとしても、これは決してありふれたことではない。

 と記したことで同じユダヤ人たちから何故に激しく非難されたか、同じく、フリッツ・バウアーが戦後のドイツでもってドイツ人から如何に手ひどく責められ脅迫を受けつつも奮闘したか(非道行為を指図した将校クラスのナチ党員は戦後のドイツ社会に多数いて、社会の中枢を担ってる。この映画ではメルセデス・ベンツ本社の人事部のとある人物に焦点をあてる)……、知らなさ過ぎた現実の厚みを知る手がかりを、映画は提示してくれる。

 たまさかゴーン氏の勾留をめぐっての検察と裁判所の対峙がニュースに流れている今、1人の人間を裁くという事についての見解を自分のコトバとして編んでおかねば……、ともストレートに思うし。

ハンナ・アーレント [DVD]
 

 が、意外というか、2本のフリッツ・バウアー映画には影の主題が置かれているのにも、気づく。

 いずれにも、今やほぼ死滅した一語「誼み」を彷彿するヒトの繋がりが描かれているよう感じる。

 誼み、と書いてヨシミと読む。

 好(ヨシ)み、ではチョット違う。

「あいつとは、同郷のヨシミでね~」

 みたいな使い方をかつてはしていたハズ。

「昔のヨシミじゃん、そこんとこ何とかしてよっ」

 みたいにも使った。

 簡単にいえば親しい間柄に生じた情なり好意を意味する。友情の厚いのを「友誼(ゆうぎ)」とはるか昔には云ってた。

 その「誼み」な絶妙な感触が、2本の映画では根底の厚い層としてコーティングされていると思える。

 友情、友愛、信頼……、とは絶妙に異質の情としての、「誼み」。

 実はこれ、コトバの意味合いとしては、なかなか云い表せない。安易に使えるけども語の意味合いとしてはかなり細く、かつ深く、ホントは容易な単語でない。

 けど映像はその絶妙感が像としてうまく定着する稀有な存在だ……、とこたび2作品を眺め、そう感じ入った。強いて云えば、誼みとは意識せずに働いてしまう共振あるいは共鳴がもたらす相手への似通う嗜好による処の交愛だ。

 この感覚の存在と幅と深みがこたびの映画に含まれてるんだ。『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』では、それがタータンチェックの靴下で象徴的に出てくる。これは是非味わってもらいたいオモシロイ感覚であり、得点だ。

 

f:id:yoshibey0219:20181221181833j:plain

※ 『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』より

f:id:yoshibey0219:20181221181938j:plain

※ 『検事フリッツ・バウアー』より

 あと、これも意外な得点というか、戦後ドイツのアート感覚もこれら映画ではチラリと味わえる。

 

f:id:yoshibey0219:20181221182256j:plain

※ オペルのレコルト、あるいはカピテーンらしき当時の車両。戦後のバウハウス・デザインを見るのも一興か……。室内調度を含めビジュアルが素晴らしい『アイヒマンを追え!……』

f:id:yoshibey0219:20181221182435j:plain

※ こちら『検事フリッツ・バウアー』より。これは1957年のオペル・レコルト。どちらの映画もフリッツ・バウアーの運転手付きの車として登場で、当時の雰囲気造りにかなりチカラを入れてらっしゃるのが見てとれる。『アイヒマンを追え!……』ではこの運転手兼執事みたいな方がとてもヨロシかった。

 

 という次第で、ネット配信の映画というカタチに危惧を憶えつつも、拾うようにして得られた作品もあるワケで、それを新たにDVDを買っても少し深く接したいという気分が出てくるから、ネット配信はなかなか捨てがたい。映画は配信作品を観ただけで完結させちゃ~、あまりに惜しい。

 

f:id:yoshibey0219:20181221183016j:plain
映画のアート。ドイツのオリジナルと日本版のえらい……、。右はもはやデザインとは言わない。