本来は3月1日となるハズが、今年は4年に1回の閠年(うるうどし)。
その当日の閠日29日。
日本の今の漢字表記では閠ではなく閏と書かれるので、ここでも準じて閏と書く。これを読むデバイスによっては閠も閠も同じ表示になっている場合もありますので念のため、画像として下にも置いておく。
うるう年2月は、1日のびるので、損な思いとなるか得な気分になるかは知らんけど、べつだん支障なし。
ま~、この29日に生まれたヒトのみは、来年は28日が誕生日となるので、1日早くバースデー・ケーキに接するから、得したような感じと損したような気の狭間で肩先が揺らいだり、憮然としたりするんだろうけど、ま~ま~、仕方ない。
しかし、うるう年の「閏う」っていうのは、いい語感ですなぁ。“潤う”に同じく、チョイっと満たされるような感じがなくはない。この日を設けるコトで天体運行と暦のズレを修正し、日々の潤いを正常に戻すという次第だ。
「閏」は日本国語大辞典にもある通り、「潤」を書き誤った漢字らしいが、そのまんま使われ、定着したらしきで、これはすこぶる、おもしろい。
時期はいつ頃かしら? 紀元前1000年頃の西周王朝の頃には「潤月」と書かれているらしいから、それ以後か?
綴り間違ったゆえ逆に印象がよくって、漢字として独立したというのがオモチロイ。
その時点までは、「閏」という字はないんですわ。
以後、概ね暦に関しての単語に使われる。
閏正月 (文字通りの閠年の正月)
閏名月 (閠年8月の満月)
閏同士 (閏年、閠月に生まれた男女は別格に仲が良いという意味)
閏位 (正統でない天子の位)
閏秒 (精緻な原子時計と閠日の微少だが大きな差となる秒差を修正するさい使う)
閏月 (文字通り)
閏月役 (うるうづきやく - 中世の閏月役にあった閏月のある年のみに加えられた課税)
閏賀 (うるか - 揖保川上流の一地域名)
したがって、当初使った「潤う」にある“湿り気”や“濡れた”感触は、「閏」には含まれない。
かっちり独立一歩立ちした漢字になってるわけだ。
けども、ただ1つヘンテコな使用例がある。それも岡山県に。
岡山県の一地域では、
「もう閏うた」
という言い方が有り、これは「もう飽きた」というコトらしい。
わざわざ辞典に記載されている。
けど、当方、県北にいた頃も県南に引っ越してからも、ついぞ聞いたことがない。
ま~、でも掲載されているのだから……、過去には使ってたんだろう。
深掘りしてみるに、悪い使い方でもないような気がしないでもない。
充分に潤ってもう満足、それ以上はもうイイヤって~感じを漢字として「潤う」でなく「閏う」としたあたりに、ウエットでなくドライな、シャレっ気めいた気分を反映させたように思えないでもない。
希有な例のようだから、その地域が特定出来るなら、「閠うた祭」とか称した地域お越しのイベントも出来そうだけど、ま~、そんなこたぁ~どうでもイイ。祭でのみ売られる「閠うた餅」を考案したって良いが、べつだん喰いたくもない。
ともあれ、はるか昔々に、4年に1回の2月の追加デーを「潤日」でなく「閏日」と記したのは、印象操作という点で、実にまったく興味深い。
いっそ、意識的だったんじゃないかと愚察するわけだ。
だって、「潤」を書くには、まず左側の“さんずい“から書き出すのが通常であって、それをスッ飛ばすというのはありえないコトで、これは意識的に省いたとしか思えないんだよ。
誤記ではなく、意識的な創造としてだ……。
きっとホームズもポアロもそう推理するであろうハズで、となれば、誤記ではなく、あえて、誰かが……、確信犯として新たな漢字を造った、そう企てたと、いう以外に答がないじゃ~ないか。特別な日を特別でもない潤と書くと“特別感”がないじゃ〜ないか……。
であるなら––––––、それは昔々の中国の科挙で選ばれた官僚が、国語を担う上級官僚の誰かが、「潤」の“さんずい”は液体やら水に関しての部(海、湖、池、河、渚、汁、沖、汐、沁、泳……)ゆえ、そぐわんだろう。いささか乾いた語感として、満たすべき日「うるう日」をどう記したらイイかと思案の末に、あえて、“さんずい”を取っ払い、誤表記と笑われたり責められるのを覚悟の上で「閏」なる字を、でっち上げたんじゃないかしらん?
であるなら––––––、勇気ふりしぼった英断だったなぁ~。後世には「誤記」とされてしまったけど、デッカイ跳躍をやらかしたヒーローに価いした人物がいたんだなぁ。あるいは官僚グループがいたんだなぁ。
と、ま~、そんな突飛な空想でニヒヒっと笑う……、閏日のわたくし。「うるう」の一漢字成立の遠い昔々にメダマの焦点を持ってって、4年に1回のこの日への敬意を湧かせつつ、こうして書いてるんだった。