中区国府市場の天満屋ハピッシュすぐそば、マグロ料理専門店「Kurofune」で、小学校の同級生たちと会う。
新年会かねた同窓会。3年ぶりかと思ってたけど4年ぶりだと幹事の堀君がいう。
べつだん懐かしくもなく、心おどるワケもないけど、コロナにかかったヤツはいてもコロナで落命したのはいなくって、その点のみ、幸いというか、
「や~や~」
「よ~よ~」
互い互いの顔をば眺めあい、北叟笑む。スペイン界隈ではまたマスクの着用義務づけが取り沙汰される程に変種ウィルスが台頭しているらしく、コロナ禍というより最近は、
「コロナ期」
を生き延びてる感もチラリ。
かつての同級生たち……。実年齢より10歳ほど老けているヤツもいる。顔カタチ以上に、しゃべる内容が後期高齢者がごとくで、本物のお爺さんっぽい。
が、彼が蓄えている地域の昔の話には、耳を傾けるる価値が存分にあり、時にメモを取ろうかと思わされる。
祇園用水から分岐した多数の細い支流が、ただの用水路ではなく、個々に名がついていて、彼はそれらを諳んじているだけでなく、○○川では○○という魚の生息数が多く、□□川では△▲という魚が多かった……、
「ザリガニは3〜4匹採ってきて、煮て喰ようたな」
「ドロっぽくないのか?」
「ヤ〜モトは転向してきたから知らんじゃろ〜が、昔の水路はどこも綺麗じゃから、ザリガネも臭みがなかったでっ」
などなど、貴重な過去の語り部に相応するハナシの数々。
要は古老の風格、良い時間を堆積させた男の声なのだ。
それで、『ターミネーター:ニュー・フェイト』のシュワルツェネッガーとリンダ・ハミルトンを想い浮かべた。
老人映画だと一部で不評のようだけど、当方、あんがいと好いてる作品だ。シュワルツェネッガーにあのサングラスを着けさせなかった演出やらに、カッコつけるよりは老体ムチうって励む勢いがにじみ出ていて、いいのだ。老いて尚も反逆姿勢揺るがずのハミルトン演じるサラ・コナーのブレない気概が、いいのだ。
余談はさておき、一方で、実年齢より若い女子も、いる。
女子というのも何だけど、ま~、小学校の同窓会なので「ジョシ」でいいのだ。
熟女に化身して尚も鮮烈を保って華やぎがある。小学生時代にはなかった妖艶含みの深みと謎めいた魅惑を肩先に携えて安定し、な~かなかにヨロシイのではなかろうか。
その女子らに囲まれるカタチで着座し、旨い酒に美味いマグロのアレコレを味わう。舌の上で溶けてくトロの絶妙に官能の芯が悶える。
「能登半島への自衛隊派遣、あまりに遅いし、規模も小さ過ぎ。あのオトコ、ほんとにダメなやっちゃ」
「役に立たんなぁ」
「じゃろ~ッ」
1人が云うと他女子も大いに頷き、この国の政治トップの頼りなさを盛大に腐(クサ)す。
腹立ち度80パーセント以上の波乗りめいたアングリー具合に、つい、酒がすすむ。
1人の女子が「これは苦手」と云って皿が廻り、マグロのカルパッチョ2人前を食べる。よいよいヨイのハングリー。
この店に入ったのは初めてで、なんでこんなトコロでマグロ料理専門店なの? とも訝しんだけど、近々に磨屋町だかに2号店をかまえるらしい。
景気いいなぁ。
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ヤフーオークションに、1970年万国博覧会のシンボルマークをうまく活用したいささか珍しいと思える灰皿が出品されていたので、入札し、競り勝つ。
で、届いたのを見て、
「あらまっ」
大きさに困惑した。
想定した2倍は……、ある。
1970年頃は、このようなデッカイ灰皿がまかり通っていたんだねぇ。
と、それにしても、このデッカイのを博覧会会場で買って持ち帰ったヒトは、よほどのスモーカーか、あるは散髪屋だかが家業で、その待合室に置きたかったんだろうか? 60~70年代頃は散髪屋さんは町内の寄り合い所でもあって、シガレット吸い吸い将棋をうってる中高年者がいたからなぁ……。
高さだけで12センチもあるから、なんぼ吸ってもたっぷり納まる。
ま~、そんなことよりも、これを入手しちゃった当方だ。
デカ過ぎでかえって灰皿として使えない。上部の金属部分が容易に外せるから、飴玉でも入れるかと思ったけども日常それほど飴の類いを必要としない。
お菓子も食べないので使えない。
花を活けるのも馬鹿馬鹿しい。
飾っておくのはもっと馬鹿っぽい。
木彫り風味な造りが「民芸品」っぽく、今となっては気恥ずかしい。
コレクションでなく、実使用を考えて入札しちまったけど……、でかいゆえ、タハハ、よ、用途がない。
ちゅ~ワケで本日ただいまは無造作に転がし置いて、
「余計なもの、買っちまったかな」
後悔がアタマをもたげるのを懸命にこらえ、1970年万国博覧会頃の喫煙状況を知る、サブカルチャーとしての1つの見本……、と文化史的メダマであえて眺めてる。
1970年万国博覧会では会場内にて、あるいは会場外でも、おびただしい量の公認グッズが販売されたらしきだけども、今に至ってもその全貌は知れない。それらを一同に紹介する書籍も出ていない。
土産物としてのそれらグッズ達を眺めれば(おそらくイチバンに多かったのは記念メダルの類いと思えるが)、1970年の日本のカタチが、経済効果やら心理効果やらやらが、ほのかに見えるような気がしないではないんだけども、ね〜。
アーカイブされぬままに、川面を流れる木の葉のように、記憶が失われていくのがとても、ザ・ン・ネ・ン、なり。
ちなみに、ケンタッキーフライドチキンの日本でのスタートは万国博覧会のアメリカ館内だ。試験的に運営された小さなコーナーだったそうな。
なんと当時の額面で1日の売り上げが280万円もあったそうで、その旨、KFCのホームページにも記載されている。
カーネル・サンダーズはこの勢いに気をよくし、日本各地での出店を決めたそうで、となれば、70年万博は Kurofune の入港ゲートだったワケだね。
写真はKFCのHP より。日本人スタッフ達と記念撮影のカーネル・サンダーズさん(中央)。
この写真は万博会場ではなく2年後の青山店オープン時か銀座店の前で撮影されたと思われる。アメリカン・サイズの背丈のある若い男子を採用してるね。カーネルさんは1980年に没したけど、店に行けば会えるね、そっくり人形に。