元旦早々の石川県での大地震……。
なんかねぇ、妙だったの。
毎年元日は朝からおせち摘まみつつ日本酒を吞むのを常としているんで、2024年最初の朝もユルユルと吞んでたのだけど、お雑煮も食べて、さぁ~昼寝と思いつつ、チラリ庭先を見たら、雀がね……。
別段に雀が珍しいワケではないけれど、このような光景は初めて見たワケだ。
一見はただエサを探して路上をついばんでるだけのように見えるけども、少なくとも我が庭先では初めての光景ゆえ、
「うん? 何? へんだなぁ」
と、異変っぽかったんでIPhoneで動画を撮った次第。
飛来して金木犀にとまり、用心したあげくで小さな池で瞬間的に水を飲んだりというコトはあっても、セ~ゼ~が1~2羽なんでね、変だなぁ~と思ったワケ。
で、数時間お昼寝した後、異変が伝搬したのかどうか知らんが、フイに近場の神社へ参る気になったワケだ。
歩いて1.3kmのところに大神神社(おうがじんしゃ)というのがあるんだ。
そこへ向けて歩き出したのが3時55分。
ちょうど、神社の鳥居のところまで歩いた時だったねぇ。
岡山では震度3くらいだったみたいだけど、体感なし。
この鳥居から、さらに真っ直ぐ歩いて700mほどのところ(写真の背後、龍ノ口山の裾)に神社はあって、今でこそささやかで小さな、四御神(しのごぜ)という地域の氏神なんだけども、遠い昔には、この大神神社があるゆえに四御神という地域名がついたくらいのデッカい規模だったのが、この神社なのだった。
ボクが中学生の頃は、鳥居をくぐるカタチでの道だったけど、宅地化で車が通れる道が望まれ、今や鳥居は道際にあるというヘンテコなアンバイになってる。
1000年以上前の平安時代に書かれた『延喜式』の「神名帳」によれば、備前国では26の座(神社)が選定されていて、中でも大神神社は奉幣する神さんが4柱もある規模のでっかい神社で、当時の国家(奈良の平安京)からは、普通の神社に較べて4倍の供え物が届くという社格なのだった。
大神神社は龍ノ口山の東の麓にあり、西の麓、賞田というところに国府(県庁的なもの)があったゆえ、相応の規模ある神社として成立していたんだろう。1000年前には瀬戸内海と結んだ水路が神社前を通って国府に至っていたともいう。今も賞田廃寺跡前にささやかな水路があってホタルが出るけども、過去は大きな規模の水路だったのだろうと想像する……。
最初の鳥居が700mも離れたところにあるのは、その昔はそこから神社の境内だったという証しだ。かつては驚くほど宏大だったワケだね。
今は宅地化が進んで何やらポツンと鳥居が立ってるだけだけど、当時は1町7反をかる~く越える荘園を抱える神社だったらしい。要は多数の百姓がこの神社の“配下”、米の生産をおこなっていたんだろう。律令国家の典型例だ。
なので、昔からこの地域に住んでる方々は伝統的に今もお米を奉納する習慣がある……。
米粒が散乱しているのは雀や近所のネコのせいだろう、たぶん。
そんな次第ゆえに、4つの神が御られるというので四御神(しのごぜ)という地名となり、今となっては難読な上に、意味を知らないヒトの方が多いという次第でござんすなぁ。
ま~、その辺りの次第はさておき、ともあれ、雀に触発されたかどうかも不明ながら、往復2.6km、近隣に住まって初めて、徒歩で出向いてお参りしてウチに帰ったら、大地震のニュース……。
「あら、ま~、大変……」
雀の異変と地震を結ぶことは出来ないけれども、妙なアンバイな2024年元日では……、ありました。
ま~、翌日2日には、駅伝が賑やかに開催され、当方も馴染んだ店で馴染んだ仲間との新年会で、不穏の2024年の出立とはいえ、笑いつつ珍味をついばんでいたけどねぇ。
かたや新年を迎えたばかりの真っ只中での激震、生死の境……。かたや駅伝のにぎやか、新年会での初笑い……。さらには羽田での炎上旅客機からの劇的脱出とそうでなかった海上保安庁の乗員さん達の明暗……。
不毛な無駄遣いでしかない来年の万国博覧会を止め、経費やら建築関連者を被災地に廻して、半年で取り壊す円形の屋根より家屋倒壊の方々に屋根を……、といった意見が出てるらしいけど、まったく大いに賛同。
けれど、そうはならないであろうアンバランスの悲喜こもごも。
Like a Rolling Stone
転がる石でしかないヒトの身の置き所を意識させられた、この年明けですなぁ。
米国での著作権法に伴い、この1月1日でもって初代のミッキーマウスがパプリックドメインとなったね。白い手袋のない初代ミッキーは著作権がきれ、自在に使っていいというワケだけど、ミッキーというかウォルト・ディズニーには敬意をはらい続けたい、な。