雨月物語

ここ最近いささか夢中な日本の古典。
やたら、面白い。
その流れ、DVDで『雨月物語』をば、観る。
62年前の作品。
監督は溝口健二



1953年度ヴェネチア国際映画祭でサン・マルコ銀獅子賞受賞ほかアレやコレやらと賞をとって、いわば日本を代表する映画の1本。
ホントはお正月用にと買ったものなのだったが、どうにも待っていられない。
いわば興味のホコサキの射程内。

けれど…、はじめて本作を観た感想はといえば、感嘆と懐疑が錯綜するようなアンバイなのだった。
感嘆はムロン、京マチ子
彼女扮する怨霊に、おそらく海外の当時の映画評論の方々は、"活ける能面"を見たに違いない。



「こりゃ、迷うわ、惑わされるわ〜」
と、ボクの眼にもそう映えた。
この映画の支えは、間違いなく彼女の顔、その眼、その声。
主人公の陶工に取り憑こうとする彼女は怨霊であるけれど、特撮いっさいナシ、当然にCG皆無なれど、その魅惑ったら激震もの…。
秀麗ゆえの妖しさがこの映画の要め。



主役の森雅之も、その妻役の田中絹代も、京マチ子を前にしては、白内障の眼で世界を見るようなアンバイ。
焦点が霞む。

それに加えて、彼女の側近たる女官の右近(毛利菊江)が素晴らしい老女っぷりで堂々と立ち振る舞い、かつ鬼気迫る。
なるほど、これは賞を取るに価いしたなと確信した。



が、一方で… いささかな懐疑も終始消えないのだった。
戦乱のさなかの寒村で黙々とロクロを廻し、焼いて椀やら皿やらを作る陶工が、それを売ろうと繁華な町へ出て… そこで体験する怪奇な物語。
観て最初に困惑というか、懐疑したのが劇中の衣装だった。
貧しい人々がすべて柄ある着物を着けている。
これに鼻白んだ。
あまりに"今めかし"な感がするんだ。




汗の汚れ、着古した感、ほころび… そういう所がない。
綺麗すぎる。
背景を歩く人物に、この時代に有り得ない名古屋帯を巻いてるヤカラもいる。
「なに考えてんだ溝口は?」
60年前の作品に腹立ってもしかたないけど、ガッカリに近い懐疑がつきまとう。



けれどまた同時に、貧しい百姓身分の方々に文様ある柄モノを着せちゃ〜いけないのか、と自身に問うたり、する。
映画『雨月物語』の舞台設定は信長が躍進した頃の時代。
室町時代が傾いて次の時代に向かう転換の頃だから、その頃に描かれた絵巻なんぞを見れば、チョイと当時の衣装が垣間見える。
そこで例えば、当時の「洛中洛外図」あたりの部分を仔細に見直すに、お百姓身分や商人らが、実はあんがいと柄モノの衣装を着けていることに気づかされる。



※ 文正草子絵巻より 部分



※ 洛中洛外図より 部分



が、だからといって、それらの絵を根拠に『雨月物語』の衣装を妥当だと云って良いかどうかが… 判らない。
なぜなら、江戸時代に入る直前の記録として一人の少女が語った話が本に編まれていて、これを今は『おあむ(ん)物語』というらしいけど、おあんチャンは関ヶ原の戦いの頃に13か15歳だったらしい。
その13の時から17歳になるまで、彼女の着物はただの1枚なのだ。

さて、衣類もなく、おれが十三の時、手作りの花染めの帷子(かたびら)一つあるよりほかには、なかりし、そのひとつの帷子を、十七の年まで着たるによりて、すねが出て、難儀にあった。せめて、すねのかくれるほどの帷子ひとつ、ほしやと、おもうた…

※ 「日本文化の原型」 青木美智男・著 小学館より


ここに出る帷子というのは麻の粗末な裏地のない単衣(ひとえ)で、それを露草の花で染めた手作り品らしいのだ。
おあんチャン一家のみが痛烈に貧しかった… とは思えない。この稀な日常記録から推測出来る感じとして、平民は概ねがそうではなかったろうか、とボクは思うのだ。
そうなると、やはり、『雨月物語』の装束は違うぞ、ということになろう。
「洛中洛外図」や「文正草子」はなるほど平民がパターン刷りの衣装を着けていたりするけれど、これは"絵としてのおさまり"が優先されたゆえに、あえてそのような衣装を着けさせた可能性が、ないではない。



※ 洛中洛外図より 部分


「洛中洛外図」は京都の絵図ゆえ、いわば都市的風俗が描かれ、疲弊した地方のそれとは趣きが違う可能性も、ある。
需要と供給。それに伴う対価などなどを考慮すると、公家でなく武家でもない平民が、おあんチャンの例を持ち出すまでもなく、パターン化された図柄の着物(高額な)を装っていたとは… どうも考えにくいワケなのだ。



ボクのわずかな着物の知識ではその辺りの真相を読み取れない。
戦国の同じ時代を描いた黒澤明の『七人の侍』の衣装が、民百姓と侍の衣装を明確に、麻と木綿に区分けて見せ(といって侍も着替えを持っているワケでなく)ていたから、余計ごと、混乱に拍車がかかる。
けれど、その違和の感覚が不思議にも映画『雨月物語』を"物語"として際立たせているようなアンバイもあって、ま〜、遠目に眺めると…、
「これもまた怪異な…」
で、括ってもイイのではないかと思ったりもさせられた。


ちなみに京マチ子さんは存命でいらっしゃる。もう7〜8日で年がかわる。彼女にもまた良い年をと願いたい。