ゆくとしくるとし


年末……。
お正月用のDVDも、既に買い込んでいる。
正月は外へ出ず、ダラダラしちゃうのを好む方。
やれ初詣とか、それ初売りとか… 外に出る気がさらさら生じない、いわば福は内ライク。
早朝から日本酒(むろん熱燗トックリね)呑んで、おせちを摘まみ、眠くなりゃゴロリンと横になって、ほいでもって起きだしたら、映画でも観るか〜、って〜なアンバイがイチバンに好み。かつ快適。
なので1年でイチバンに好きなのが、お正月。



とはいえ、買い込んだDVD全てを観られるワケでもない。昨年もその前もそうだ。
ま〜、そのあたりの頃合いは正月を迎えるための"気合い"みたいなもんかな。



※ 今回お正月用のベスト3



予定とは未定なのであり、予定を確定としてこなさなきゃイケナイようなノルマ達成型ロボット的動きだけは、したくない。
何事かを刷新するためには、あえてゴロゴ〜ロしちゃう、いわば『ものくさ太郎』的な、
「寝て待ちゃ何かがやってくるわい」
な心持ちが、良いな。


閑話休題


前回記した『雨月物語』で、いささか衣装が気にかかり、あちゃこちゃ掃除、煤払いしつつ、幾つか本をめくって調べてみた。
それをまとめると下記と、なる。


映画『雨月物語』の舞台となった時期、戦国時代… これはやはり巨大な転換の時期なのだった。
何が転換したかって?
まったく意外や、それは…
着物なのだ。


信長が天下を取ったとか、取り損なったとかではなく、着衣の材質がもたらす大転換がこの時期にあったというコトなのだ。
ユニクロがポリエステル素材にパステルな多種の色をつけ、廉価大量に販売して衣装革新しちゃった以上の、革新的大飛躍が、戦国末期に生じていたということなのだ。
麻から木綿、なのだ。


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※ 『雨月物語』より


豪華にして華麗な絹の衣装は、『源氏物語』を持ち出すまでもなく、平安期以前よりあった。
あったけど、それは奈良と京都のごくごく僅かな、おそらくは5000人以下の公家階級に属した人や、僧侶が着けたりで、これはおよそ作業仕事にゃまったく不向きな、いわば、人をして衣装に着られるという手合いのものだった。
絹の十二単衣でいったい誰が換気扇を掃除しようか?
では、公家以外、日本に住まう人は何を身につけていたかといえば、概ねで、それは麻なのだ。
ゴワゴワ強張った麻なのだ。
どこにも売ってない。
自分で作るんだ。
作らない限り、人は裸で過ごさなきゃいけなかった。
だから夫婦ともなれば、男が田畑をたがやし、食となるモノを作り続ける間、女は家の日陰でもって朝から夜までタントンタントン、男が栽培し伐採した苧麻(ちょま)を叩いて繊維を壊し、それを爪で細かく裂き割り、指で拠(よ)り、口にふくんで湿しつつ糸状にしていった。
数ヶ月費やして出来たその糸を、次に編んでいく。
太さマチマチ。
まったく大変な労力。視力も衰える。
そうやって、前身頃の布、後ろ身頃の布… なんとか工作し、一枚の衣装になるには一年か、それ以上がかかる。
子供を設ければ設けるだけ、服も作らなきゃ〜いけない。
男はその女を抱いて、あとはグ〜ガ〜眠るけど、女は静かに起きだし、月明かりを頼りに、チョメチョメと糸をこよらせ、縦と横に組み合わせ、一夜に数センチ、布を編んでいく…。
そうでもしなきゃ、次に産まれる子を包んでやる衣類はないんだから。
だから、この前書いた「おあむ物語」のような、思春期の娘ですらたった1枚の衣で過ごさなきゃ〜いけないアンバイが、それが普通なのだったのだ。



※ 『七人の侍』より  


そこに、中国から綿の種子が入ってきた。
植えて栽培し、綿を採取した。
麻はゴワゴワゴワゴワし、キメも荒い。硬いから織るのも難儀だった。
対して木綿は柔らかい。
かつ、メが細かい。
絹より麻よりはるかに人の肌にあう。
色をつけるのも容易で、よく染み、色落ちもさほどでない。
まったくゴワゴワしないから、織った木綿と木綿を重ね、その中に未加工の綿を詰めると、フトンになり、綿入り衣装にもなった。


当時、舟はムシロを帆にしていたけど、これは隙間だらけ。
それを木綿布に変えると、風をさほどに通さないから、従来では考えられない速度が出るようになった。
火縄銃の火縄は、竹の繊維を揉んでほぐして拠り合わせたのを使っていたけれど、火種が消えやすく、いざや戦闘のさいの不安の種だった。
それを太い木綿の芯に変えると、いつまでもくすぶって火種が温存し、いざ撃ちましょうというさい、フッフ〜と息をはきかけて空気をおくれば火は復活し、速効で役だった。多少濡れても消えない…。


それで、衣装に武器に舟にと、木綿の優位性が判るや、栽培が一挙にすすんだ。
云うまでもなく戦国時代。兵士に支給出来るユニフォーム素材として木綿は、かつてない有益と優位をもたらした。
家庭内手工品でなく、いわば工業製品、大量に作られ出した。
それを売ることが可能となった。


それまでなくはなかったけれども、麻から木綿に変わることで、染色が職になった。機織りが職になった。縫製が職になった。木綿で年貢をおさめることも出来た。
そして何より、人は服を買うことが出来るようになったワケだ。
いくばくかお金が工面できれば、1年中夜なべせずとも、1着を入手可能になったのだかれ… これは文化的にも政治的にも、革新だ、革命だ。
でしょ?
誰が天下をとった?
信長でも秀吉でもなく、綿がとったんだ…。



※ 『七人の侍』より  


という次第で、ほぼ同時期に撮られた、転換期を舞台とした2本の映画。
溝口の『雨月物語』(1953)は、こと衣装の考証については難があり、黒澤の『七人の侍』(1954)は『羅生門』ほどではないにしろ、かなり近似た考証に成功していたようだと、そう結論してもイイんじゃないかしら。
七人の侍』は、幾つか懐疑はあるけど、小袖の短さに着目すべくな映画だ。小袖は労働の利便を考慮した、まさにこの時代に"発明"された、ものなのだ。
だから映画のための考証として、これは良い提示をしてくれている。
ま〜、どちらの作品もそれが主題ではないけど、衣装に着眼して両作品をまた観てみようと思う。(来年のことだけどね)
皮膚の感覚として、ゴワゴワとかフワフワとかボロボロとか、着心地を味わいたいワケなのだ。



と、それにしても… 年末休暇に入っているハズなのに、映画館によっては、お客がほとんどいないのは寂しい限り。
『007・スペクター』をもってして… このようなアンバイ。ううむ… と溜息もこぼれる2015年年末。


という次第で…  では皆さん、良いお年を。