自分宛の歳暮 - 太陽の塔 -

 

 今年ファイナルのライブ体験は、11月のおかやまマラソン2023のオープニング・セレモニーを飾ったDate Fuminoriのソロ。

 ソロと云いつつ、プラスしてNaoさんとKawamura Chikakoさんとのコラボレーション有り。

 良いね。良かったです。

 時間の軸線はゆるぎない直線なのだけど、Date演出の楽曲はそれを柔らかに溶かせ、曲げる。硬質を軟質に変え、ときに軟質を透明に硬化させる。

 そこにChikakoさんの声がのり、Naoさんの朗読がサラサラ流れ、柔らかになった時間が香ばしい匂いをたてる。

 驚くべき優美。

 Dateは弦楽器ミュージシャンのトップ・シェフとは思ってたけども、そんな比喩は軽々に吹っ飛んだ星5つのミシュラン・テースト。

 年末瀬戸際に豪奢な御馳走を味わった。

 

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 2023年10月初旬に海洋堂が新発売した1/200スケール「太陽の塔」は、高額なれど、内部再現を前提にした秀逸なプラスチック・モデルだった。

 奇しくも吹田に実物を観に出向く計画と重なり、妙なタイミングだったのでウキウキさせられた。

 開封してみるに、この模型は現在の「太陽の塔」内部を再現した製品と判った。

     



 そのまま組み上げるのもイイだろう。

 けども、1970年当時、太陽の塔をマノアタリにした身としては、出来るならその時代の姿が望ましい。

 そこで一考。

 現在でなく1970年の内部構造に造り変えるコトとして、作業を進め、併せて、粘土造型による「母の塔」などにも着手した。前々回の本ブログ記事はそういう流れの中のヒトコマ……。

 岡本太郎が構想した、「太陽の塔」、「母の塔」、「青春の塔」、この3点での呪術的空間のディオラマ化を試みた次第。

自作の台座サイズに苦労した。小さすぎてもダメだし大きすぎても……。

  キットの階段パーツはいっさい使わず、エスカレーターを自作。右腕の中、大屋根の空中展示空間に向かうエスカレーターも新造。

                       加工前と加工後

       左アーム内の非常階段は当時のままなので、ここはキットをストレートに組み付け

              10月29日に撮影した現在の非常階段部分

 

 複数のLEDを組み込み、「生命の樹」を中心にシルエットっぽく浮き上がらせるコトもした。

 1970年万博時には樹に292体の生物模型が取りつけられていたそうだが、現在の展示では183体が展示されている。この模型はそれほどの数はない。けども充分たっぷり……、組み立てと塗装がヤッカイだった。

                          

      

  

塔内のエスカレーター全部を取りつけると、「生命の樹」は下写真の実物のようには見えなくなる。縮小模型ゆえの悲哀……。でも仕方ない。

   

        10月29日に撮影した現在の「生命の樹」部分。高さ30m附近の階段から撮影

 塔内の赤い壁はデコボコしているけど、これがどうやら世界初のホール空間での反響板取りつけの実例だったらしい。密閉空間では声がコダマしてしまうけど、反響と吸収の壁構造が音のコダマを制御しているワケだ。

 この成功例の後、世界中のホールが反響板を導入するようになる。20年近い前、岡山ルネスホールに反響板を置くことを提案した故F氏と共に、当方も理事会に出て重要性を語ったことがある。

 

 地底の展示室も全体を造ろうかと思ったけど、「地底の太陽」とその手前に配置された仮面やら石像などを自作し、チラリと見えるだけのカタチにして、このディオラマでは、当時の入場口やら出口やらの基礎構造を明示するという方向で作業を進める。

       塔の前のスリ鉢状の部分やらの下方に宏大な地底展示空間があったんです。

この展示のために岡本太郎をリーダーにして梅棹忠夫たちが世界中から集めた多数の仮面が、やがて大阪国立民俗博物館の礎の1つとなるワケですな。

 

 特別図解(笑): 造った模型に、「地底の太陽復興プロジェクト」のさい岡本太郎記念財団から依頼を受けて海洋堂が作製した模型の写真を合成、地下展示室部分を重ねてみた。記載の番号が順路となる。当時の「太陽の塔」見物は、地下1階に降り、さらに1つ下層に降りてラビリンス迷宮展示を眺め、次いで、塔の中に入って4つのエスカレーターで地上50メートル附近まで運ばれ、塔の右腕内にあるエスカレーターで大屋根にある空中展示を見るという、高低差あるダイナイックな移動による体験が出来る仕組みだった。

 1970年の「太陽の塔」の入り口は塔の後ろにある(左の黒い丸部分 - 現在のエントラススロープはここを基点としている)。

 当時はそこのエスカレーターを降り、塔背後の地階の待ち空間で行列に並び、塔右サイドにまで歩むカタチになっていた。そこにエスカレーター(正しくはウォーキングベルト)があって(赤い丸部分)、それをさらに下るコトで地下のラビリンス迷宮展示空間に導かれるというカタチになっている。

 ウォーキングベルトはゆっくりと動き、降下するに連れて左右に展示物が見えだして徐々に暗くなり、幼い子供なら泣きだすような、冥界的空間にと導かれていくのだけど……、このディオラマではそこはパス。

 待合ホールの場所は、これは地階だからホントは見えないんだけども模型ではあえて眼に見えるカタチとした。

 

 上の特別図解にみる通り、現在のカタチでは、当時のスタッフ通路口(⑩の部分)が塔内に入る入り口になっており、地底の太陽は1970年当時の場所ではなく、そのかつてのスタッフ用空間に置かれて公開されている。場所が変わってるんだよ。

 

             

「青春の塔」も粘土造型で自作。

 この巨大オブジェも失われて久しい。

 

 造りつつ、おでんみたいだなぁと思ったけど、70年当時もそう思ったヒトがいっぱいいたようで、岡本太郎の目的とした構想の納得ではなく、妙に親和させられるカタチとして好評だったようだ。

 オブジェの1つ、全長11mに及ぶ黒い物体は深海魚で、イチバン下のニョロっとしたのはオバケだそうである。岡本太郎がそう云ったのかどうか判らないが、「太陽の塔」関連の本にはそう記述されている。

 しかし、それら呼称と「青春の塔」という名に整合性がない……。

「青春の塔」という名はおそらくは、岡本流の営業的方便としての命名でしかなく、縄文時代めいた土俗的呪術的オブジェゆえ、彼には呼称なんぞは二の次だったのじゃないかしら、と愚察した。

 要は、丹下健三の精緻極まりない未来的大屋根空間に対して激しく対立する物体を、岡本は配置したかったのだろう。

 実際、それは驚くほどの効果をみせている。このおでんオブジェが地階にある迷宮展示室から生え伸びているという位置関係にも注目したい……。

 超未来感覚と超古代的物体の対立による醍醐味。今はもう、この凄みを味わえないのがとても残念なり。

   

実際の写真:1970年万博開催中の「青春の塔」。左の「母の塔」はなぜか青と赤の屋根部分が外されて金属フレームが剥き出しになっている。テント地が裂けるとかの不具合があったのかしら? あるいは、この写真の撮影は開幕直後のもので、施工が間に合わなかったのだろうか? ……不明。

 岡本太郎は、塔前のすり鉢構造を含めた広々な空間こそが最重要ポイントだと意識していたに違いない。もちろんこの拡がりが塔背後の「お祭広場」へとつながっていくワケで、そこを踏まえると「太陽の塔」が主語なのではなく、主となるのは集うヒトというコトになるだろう。

 と、それにしても、ディオラマ化していっそう明白になったのは、大屋根という存在の不在だ……。精妙極めたあの未来的大屋根があってこそ、この弩級に土俗的な3点セットは息吹いていたと痛感させられ、いま現在の姿は、リングにあがったら対戦者がいないという間抜けた感じというのをヒシヒッシと味わってもしまうのだった。

 

 だいぶんと以前に造った1/350での塔と大屋根のイメージ模型。太陽の塔は見えていそうで見えず、見えないようで見えているといったモドカシサがあってこそ、その存在が昂じる。

 

   

 色のカラフルゆえにオモチャっぽく見えるのは、しかたない。でも内臓の11本のLED効果でナイト・ビュ〜的雰囲気は味わえる

  

 

 ともあれ概ねで完成したディオラマ(450×480×460)を、数日前に届いたばかりのオーダーメイドしたアクリルケースにいれて、は~いハイはい、自分あてのプレゼント、お歳暮と致しましたです。2023年を締めくくる工作でござんした。

 という次第で吹田の「太陽の塔」も含め、皆様におかれましても、幸多き2024年となりますように。