母の塔

 久しぶりにインスタント・ラーメンを食べる気になって、在庫した3つを見比べ……、どれを食べようかと悩みに悩む。

 馴染みきったお馴染みの品達。いずれでもイイようなコトながら、いざとなると、決められない。

 結局、口に入れたのは、金沢のサンセット・ビールと山崎の食パンにあり合わせのモノをはさんだサンドイッチ。

 優柔不断の極み。

 けどもサンドイッチを地ビールで流し込むや、たちまちラーメンのコトは忘れてら。

 ええ加減なもんじゃね。

 

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 眼の前にみえていながら、まったく見ていないモノって~のが、ありますなぁ。

 1970年、万国博覧会期間中の「太陽の塔」の前に立った何千万のヒトは、塔を見上げて眼に焼き付けたものの、直ぐそばの「母の塔」は、アンガイ見てないんだな。

 これは1つには、「母の塔」というのが、大屋根の空中展示を見た方々が降りてくるための長大なエスカレーターを中心とした“出口”でしかなかったからだけど、実際には、「太陽の塔」のあの白い顔部分にイチバンに近い展望所でもあった。

 だけど……、意識されることなく、以後語られることもなく、記憶からも失せて久しい。

 

 

 岡本太郎は、「太陽の塔」と、「母の塔」と、「青春の塔」の3つを、いわば三位一体の1つの作品と考えていたというか、コンセプトの要めとしていたようだけど、見学者は概ね全て、「太陽の塔」に圧倒されて手前の2つは、“見て”いない。

 で、三位一体、3つで1つの「作品」であったハズなのに、2つは撤去されて今に至る。

 還りみられるコトもなく、なんだかやたら哀しい……。

 

 

 という次第で、「母の塔」を模型として造ってみた。

 スケールは1/200。

 トライしてみるに、造型は容易でない。

 わけても、エスカレーター部分を覆う屋根というか、青と赤によるグンニャリした部分のカタチがよく判らない。

 

 この塔に関しては資料も少なく、吹田の万国博覧会記念公園にあるエキスポ70パビリオン(旧鉄鋼館」に展示されている2つの構想模型を見ても、そのカタチの掌握が難しい。

 けども、岡本太郎はそれを有機的な生き物めいたカタチで提示したかったのであろうコトは、それら現存の模型を見てよく判る。 

 

  

                 エキスポ70パビリオンにて撮影

 青部分は生き物めいた“眼”があるようにも見受けられる 。

 

 が、実際に建造されたそれは、有機的存在というよりも、建築物の合理的な一部分としか見えてこない。

 曲げ加工された金属フレームにテント地を張ってのカタチとして決着し……、たぶん、この最終造型は……、岡本太郎にとっては妥協のそれであったろうと思える。

 

 

 当時のことが書かれた諸々の本の記述によれば、岡本は時にアートな主張を後退させ、もっとも無難かつ柔軟なトコロで折り合いをつけるというコトもやったようで、その最たるが「母の塔」の青と赤の構造物だったよう、思えて仕方ない

 岡本は強い主張と意思のヒトながら、自身経験のない大型プロジェクトの渦中、施工する建築会社との折衝のさなか、妥協としてでなく、予算的なこと、当時の技術的限界のこと、工期などなどを踏まえて、もっとも確実な提示を優先させたのだろう。

 

 そんな次第をアタマにしつつ、チョメチョメとその模型をば造ってみたワケだ。

 粘土コネコネして最初に感じたのは、「母の塔」が驚くほどに大きなサイズとボリュームをもった構造物であったというコトで、これ程に大きなモノが自分の記憶の中で消えているという事実に、唖然とさせられるんだった。

 

 

 実機能としては、大屋根からの下降エスカレーター、展望所からの下降エスカレーターと階段、以上の3つしかない。

 けどもそのカタチと大きさのモノが「太陽の塔」の直ぐそばに鎮座していたビジュアルというのは、やはり、素晴らしい

 寺に山門があるように、神社に鳥居があるように、「太陽の塔」の傍らになくてはならない構成要素だったよう思える。

「母の塔」という妙にベタっとした呼称に関しては、「なんで?」と思わないでもないけれど、一方で、それ以外に命名のしようもないような感も受ける。

 ま~、ともあれ今はない構造物……。

 せめて模型で追想したく、最終造型としての実際のそれより、岡本太郎が構想した有機的グンニャリしたカタチを……、追った。

 見る方向でイメージがガラリと変わるのがおもしろいが、「太陽の塔」のただの添え物ではなく、同塔に拮抗した岡本風呪術的表現の極みと、こたび模型を造って感じいった。

 

 もしも将来、現在の太陽の塔周辺の再整備が計画されるなら、イノイチバンで「母の塔」が復元されるべきと密かに思う。

 というより、念願だな。

 インフラ整備費含めてベラボ〜なお金を費やすコトが判った、意義もない無駄の極みな万博なんぞより、こういった文化継承として顧みる万博の方が大事と思うんだけどなぁ〜。