ひさびさ直に太陽の塔

  

 柔道家の車で吹田に向かい、久しぶりに太陽の塔を見上げる。

 なんど見てもイイなぁ、この姿。

  何10枚も、アチャコチャから写真に撮っても、このカタチを掌に収められない弩級の迫力にただただ感嘆させられる。

 

 

 もちろん、大屋根がないのはイケナイ。巨大なあの屋根から突き出てなきゃ~イケナイのだけど……、ま~、愚痴っても仕方ない。

 塔は孤立のままながらも、悲壮を押し殺し、毅然と佇んでいる。

 

 EXPO'70は柔道家が3歳の時だったそうだが、彼は、カラフルな会場内の色彩や太陽の塔を記憶しているという。

 それは後の知識による刷り込みじゃ〜ないかと申せば、「いや、まちがいなく憶えてる」と譲らない。

 ま〜、たぶん、そうなんだろう。3歳の脳にも、ワケわからん何か強く明るいインパクトとしてスタンプが押されたのだろう。

 

 

 背面の黒い太陽をあらためてシゲシゲ見上げる。

 顔部分は3000枚の信楽焼の陶板タイル。岡本の依頼を受けてこれを制作し焼き上げたのは、滋賀は信楽町の近江化学陶器(明治9年創業)

 

 一見は平坦ながら、口元から鼻筋にかけて繊細な起伏があり、暗く沈んだカタチの中に能面的な諸々の感情が逆巻いている。

 弥勒的な思惟も感じ取れるし、黒い邪悪のまがまがしさも感じられるし、憤りを秘めて耐えているとも感じられるし、詩的な死をも垣間見られる。

 死界を濃くイメージさせてくれるけれど、しかし、この顔には哀しみも悲しみも浮いてこない。生の裏返しにある暗い気分もまた受け入れるべきとの……、その凄みの層が深い。

 太陽の塔が圧倒の存在としてあるのは、やはり、この黒い太陽ゆえだろう。

 

 1970年の万博では、この死のイメージがらみの眼下で日々「楽しいお祭」が行われていたワケで、岡本が構想した「塔とお祭広場の関係」が含有していた深みは、今はもはや味わえない。意識もされない。

 たまさか訪ねたこのサンデーは、お祭広場跡でフリーマーケットが行われ、ミニ・ステージが複数あってライブもやってたけど、黒い太陽の存在とは乖離しているような感がなくはなかった。

 

 下写真、上記の近江化学陶器が岡本から原型を託され、陶板として当時限定販売(豪奢な木箱に入っている)した直径30cm越えの黒い太陽。

 実際のものと同じく、太陽の塔が設置された吹田の土も混ぜあわせた信楽焼レリーフの逸品。

 信楽焼きの黒は他の色を吸収するチカラが強く、かつ、黒一色ながら光の具合や見る位置によって単色ブラックの中に濃淡が顕れ、その濃淡にやはり、死や思惟や憤りが垣間見える。なのでこれはただの一品じゃなく逸品。

 

 

 同社は1970年当時、別スケールで3つの顔を販売もし、それはそれで素敵だけども、やはり……、黒い太陽に関しては、30cm越えの大きくて重い1枚陶板がもっとも本物の息吹きとリンクしているようだと、こたびあらためて感じ入りもした。サイズが大きくなるに比例し、信楽焼でしか発色しないらしき黒が勃ってくる。

(近江化学陶器は高級タイル作りの名店だったものの、廉価な中国製タイルの浸透に押されて経営環境が悪化……、残念なことに2015年に廃業している)

 

    

 

 こたび初めて、一ヶ月前に予約を入れ、指定時刻にリニューアルされた塔内に入る。

 2016~19年にかけての耐震を考慮した再生工事で重いエスカレーターは撤去され、塔内はすべて階段になったけども、岡本太郎のオリジナル創案はしっかり息吹いている。

 

 再創された地底の太陽はマグマ色めいた赤い背景ではないけども、1970年当時には不可能だったプロジェクション・マッピングの活用で、時代の壁を越えた展示になっていた。

 



 地下展示空間は、万博時の1/4に満たない狭小になっており、直に見るまでは、そのスケールダウンを否定的に思っていたけども、ちょっとだけ撤回。70年代当時に復旧させるのではなく今後の活用展示をも視野に含んだ構成を目の当たりにし、密かに頷かざるを得なかった。

 

 起伏に富んでいた当時の太陽の塔周辺。このエスカレーターと階段で上り下りする部分に地下展示があったワケだけど、今はこの起伏が奪われてフラットなつまらない空間になってしまった……。

当時の暗黒迷宮のような地下展示。「地底の太陽」は「太陽の塔」と同じ底面に置かれている。なのでかつては「太陽の塔」の下部は“地底”にあったワケだ(岡本太郎記念財団所蔵の模型)

 

 ともあれ、53年の時が経った生命の木の“規格外”なスケールが、いい。

 塔内部に巨木を置き、そこに生物の進化ヒストリーを置いた岡本の発想にあらためて感嘆させられた。

 かつてのエスカレーターで昇るラクチンさに比して、自ら階段を40mほど上がっていく肉体的しんどさと気分高揚のアンバランスが、妙におもしろくもあった。

       

 塔内は撮影禁止だけど、別途料金を支払えば、IPhoneなどの撮影機器を入れるクリアケースが貸与されて撮影可能になる。こたびはそれを利用し撮影できた……、のもヤヤおもしろかった。

       高さ40m附近にある左側翼の内部。非常階段が向こうの方まで伸びている

   

 登れる最上限50mあたりでさらに上を見上げる。地底の灼熱の赤から陽光の青さの色彩変化が堪能出来るけれど、変化する照明とこの高所ゆえ、上を見ても下を見ても眼が眩む、クラクラする、足も竦む……。

 

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 今回の大きな目的は、初代の黄金の顔に対面すること。

 そう、この部分は現在は2代目。1993年の大改修時に外されて新規な顔に一新している。

 この1970年のものは、岡本太郎が「うん」というまで銅板を職人さんが叩いてカタチにし、当初は金箔を貼るという案もあったけど僅か半年で解体を前提にした構造物ゆえ予算的に無理。

 それで、当時開発されアポロ計画でつかわれたばかりのスリーエム社の航空機用フィルム「スコッチカル」を表面に貼って、結果、フィルムラッピングの先駆けとしてその可能性をしらしめたが、2代目はステンレス素材に変更して軽量化と耐久性を増し、同じく耐久性を増したスリーエムの最新フィルムで仕上げたらしい。

 その初代の顔がチョイっと前から展示されているので、これをば間近に見ようとの思いがマックス。

 交換されるまで20数年間、陽射しにさらされ続けた金色の表層はさすがに退色ぎみながらも、あらためて、このデッカサに驚き、曲線のもたらす美感に酔い、示唆された太陽という存在に感心し、

「やはりイイなぁ~」

 圧迫されるまま嬉しくなった。

好き勝手に出来るなら、この太陽の顔の真ん前にお布団敷いて、一晩ク~ク~寝てみたいとも思っちまった。

  

 たぶんク~ク~眠れるワケがない。興奮と昂揚で安眠には至らないよう思うけども、はるか頭上にあった黄金の顔を間近(やはり見上げるカタチだけども)に直視しつつ、嬉しいというより、あ・り・が・た・い……、気分にくるまれた。

 未定型な「呪縛的原始」でありつつ確固としたこの顔に何が宿っているのか、焦れったさを含む歓喜が湧いて……、興味が尽きない自分を、

「うふふっ」

 と笑った。