ラスト県外

 

 瀬戸大橋を渡って香川は観音寺市に出向く。近からず遠からずな距離。今年最終の県外だな。

 男3人による忘年会を兼ねた妙なミニ・ツアー。

 ドライバーのツカサちゃん(通称)は日本酒大好きなれど当然に呑めない。でも観音寺での蔵元探訪を愉しみにハンドル握ってる。

 近年は「忘年会」と云うよりも「望年会」と記した方がな〜んとはなくシックリくるような気がしないでもないのは、窮屈の度合いが増し続けている世の中への、それでも何とか……、というささやかな願望を抱くがゆえかしら。

 

 観音寺での朝うどんをどの店で味わうか……。

 何店舗か候補にあげたけど、結局、「いつもの味」というコトで、麵やへ。

 いつもの坂出店ではないけども観音寺店に着座。来年のカレンダーを頂戴し、いささかニンマリ。

 

 定番の観光地「天空の鳥居(高屋神社)」は年末まで道路の大幅工事中。車での登坂不能。徒歩で登るにはシンド過ぎるから、こたびは神社拝殿から山頂の鳥居を見上げるのみ。

 数世代前の私のiPhone は5倍ズームゆえ、この程度。

 同行者の最新iPhoneは25倍ズームゆえ、違い歴然。鳥居の人物まで映ってる。

 

 似通う好立地というか、標高900m越えの高立地にある「天空のブランコ」にも行かない。大の男3人が、、はるか眼下の瀬戸内海見下ろして、

「きゃ〜、ステキっ」

 仲睦まじくブランコに乗る図は絵にならない。

 

 有明浜に向かい、銭形砂絵を眺める。

 江戸時代に造られたが、それが1600年代か1800年代か判然としないまま、観音寺市は保存にチカラをいれてらっしゃる。年に2回、多数の市民が集って浸透する雑草を引っこ抜き、崩れかけた畝を補正し、全域を踏み固めるといったコトをやってるらしい。

 寛永通宝が鋳造されたのは1636年(寛永13年)だから、それ以後のどこかの時点で、何ぞ目的あって造られたのだろうけど、しかし、実物を眼にすると、

「どんな目的あったの?」

 真意のピントがあわない。

 英国やドイツの小麦畑なんぞで、かつてこっそりミステリーサークルを造ったみたいな、地域の若者たちの「オモシロがらせちゃえ」的なモノだったのじゃなかろうかとも、思えたりする。

               スイスの畑で“発見”されたサークル

 江戸時代ここを治めていた丸亀藩の文献に何もないというのが、かなり妙。やはり、若者らの壮大なイタズラだったのじゃないかしら? 

 そうであるなら、この巨大モニュメントはいっそう面白い存在になるような気がしないではない。突飛な若者らの行動に地域の高齢者たちも、

「ま〜、好きにせ〜や」

 呆れ気味に放置し、砂絵が出来上がったら、

「ま〜、悪くないねぇ」

 なんてアンバイで。

 統治している丸亀藩の地域担当の役人武士も、風紀を乱すようなものでなく、砂だから直に消えちまうだろうし、なんせ寒村(江戸時代)だ、問題ないんじゃ〜ないの、一筆入れる程のものじゃないだろうと見ぬフリしたら、あんがい風化せず、工作しちゃった若者達もやがて30歳くらいになって、まだカタチが残ってるじゃんか……、ならばいっそ、永久保存的にそのカタチを残そうと、我が子らに、「大事にせ〜よ」とか、言い伝えるままに今に至ってるんじゃなかろうか……。

 文献として記録を残さねば、記憶というのは概ね10年も経てば風化し消えてしまうから、地域での保存活動が進むうちにアレコレ尾ヒレがついて、藩主歓迎のためのモニュメントとして造ったとか、コレ見たらお金タンマリ貯まるぞ、とかとか、贅肉がついていったんじゃなかろうか。

 Kosakaちゃんは1人旅の女性に頼まれて写真を撮ってた。そばに近所の方が寄ってきて、「背景の息吹島も映すようにな」映画監督みたいに親切に指示してくれる。

 監督の背後でネコが背伸びして、アッチ向いてら〜。

 砂絵のそばまで行ってみると、別段に面白いものでもないのでヤヤ拍子抜け、というか、ま〜、こんなもんだねぇ。あくまで高い視座からでないとカタチの掌握はできないワケで。

 

 海岸から車で30分くらいの場所にある豊稔池堰堤(ホウネンイケ・エンテイ)は、巨大砂絵と違い、建造年も目的も明解で輪郭クッキリ。

 中世ヨーロッパの古い城郭にも似たカタチと云われ続けているが、確かに好いなぁ。空間に馴染みきり、迫力というか、ギュッと握りしめるような握力が感じられ、やたら力強い。

 大正15年の起工以後、今に至ってもおよそ530ヘクタールもの田畑の水瓶として使われているんだからたいしたもんだ。

 水をたたえて踏ん張っている石積み構造の堂々っぷりが、好かった。

 なにより、ながく干ばつに苦しみ、窮状を訴える一揆を繰り返した地域住民の方々が、工事に大協力し、率先して労働力として参加し、公民一体の事業を完了させたという史実がイイな。延べ数にして15万人が参加してコンクリートを練り、石を運び、積み上げて、汗を流したその結晶がこのダムと思うと、「地域にいきる」という一点の光量が増す。

 

 港近くへ戻り、昼食。

 

 中丸水産から海岸通りを20分ほど駆けた仁尾町にみかんの直売所があるというので、出向いてみる。地元の方らしきがひっきりなしでやって来ては1袋2袋と買っている。

 当方も1袋買った。これで300円なり。

  

 ツカサちゃんが訪問したかった川鶴酒造の本社工場へゴ〜。

 いっけん、直売はしていなのかと訝しんだけど、事務所で親切丁寧に対応され、なかなか気持ち良い蔵元。ちょうど新酒があがったばかりゆえ、ツカサちゃん大喜びで何本も買っちゃいましたが、当方は自制し、1本のみを買ってニッコリ。

 

 観音寺市には観音寺がある。

 けども、近隣の金比羅宮や善通寺に多くのヒトは向かい、お遍路さん以外はあんがい訪ね寄らないという……。ならば寄ってみようと山門をくぐる。

 お遍路装束の方数名がいた。彼ら彼女らが鳴らす持鈴(じれい)の澄んだ音色を心地良く聴いたが、音は直に遠ざかる。次のお寺さんに巡拝しなきゃ〜いけないから、あんがいと滞在時間が短い。

 鈴の音が去ると境内静か。

 ま〜、その静けさが逆に「お寺さんだなぁ」と意識させてくれる。

 やや長い石段をシンボ〜して登る。奈良の長谷寺を思えばラクなもんだ。

 意外や朱塗りの本堂さん。この寺あっての観音寺という地名……。ここが本来の基点というか要めというワケだね。

 本堂奥の東屋裏に、山から流れる水をためる小池がひっそりあって、この佇まいにも静かを感じ、しばし、静穏を独り占めた。

 すっかり夜になりきった時刻。丸亀市に移動。街中のオリオンという店に入る。

 フワフワなオムレツにエビのフライがのってるのをいただいて、御馳走さま。

 これにて本年の県外行きは終了。