サンダーバードと秘密基地

秘密基地というのは文字通りにシークレットなものであるから、それには遠方という感覚がついてくる。すぐそばに有るというんじゃ何だか頼りない。
なので山中深くとか孤島というシチュエーションが好もしい。しかも、そこには常態としての物騒な感触がからまる。
サンダーバード』以前の種々の物語は、たぶんにそういう条件によって描かれていた、と思う。
けども1966年に登場したこの番組は南洋の孤島という点のみが従来の踏襲で、そこから先が違ってた。
秘密の基地が家庭内にあって、会社でも軍でもないという飛躍が、従来と一線をかしていた。
秘密基地イコール我が家であるという衝撃は大きい。(むろん、この場合、衝撃を受けたのはこの番組を観た子供だよ)
その上、ロビンソン・クルーソーの孤軍奮闘いっさい手作りじゃなくって、便利でオシャレな器機に囲まれての快適生活。
孤島につきまとう不便な感触を払拭させ、リゾート感あふるるものにした。
(当時、リゾートという単語は日本じゃ一般化してないけど)
このシークレット感とホーム感とラクチン感が、当時に子供だった者を最高に酔わせてくれた。
ま〜、子供と書くより、このさいはボク自身のコトとして書くけど…、これはカルチャーショックだった、ね。
しかも家族総出で、なんとおばあちゃんまでが加わって秘密な基地を維持してるんで余計にビックリするやら、だった。
トレーシー家とペネロープ家が富豪であるという前提ながら、住まう家族全員が定職につかず、救助のボランティア活動にあたってるというのも、すごい。そこのトコロも子供のボクは大いに気にいった。
子供にとって労働の対価というのはあんまり意味ナイというか、うまく判らないもんだから、ジェフ・トレーシーとその家族の孤島での生活にズイブンと憧れたもんだ。

ちなみに1966年当時のカラーテレビの普及率はわずか3%なのだから、当然に我が家にもカラーはない。白黒だ。
よって、番組の"カラー情報"は少年サンデーとか少年キングの表紙や巻頭の特集でもって補っていた…。
それで初めて、サンダーバード2号が緑色だという事を知って、
「あっ!」
てな感嘆をこぼしてたんだよ。
このコトはまた別の機会に書くけど。


歳月が流れて、ボクが仕事として『サンダーバード』に接したのは、24年後の1989年だ。
モデル・グラフィックス(正式にはモデルカステン)と共同でサンダーバード1号と3号のソフトビニール・キットを販売したワケだ。(1990年発売)

スケールは1/100。
大きい。
数量限定で販売したのでアンガイとこの存在を知らない人が多い。サンダーバードのグッズ系な本でもこれはあんまり紹介されていない。なにより、当時としてはとても高いキットだった。

実はこれ、模型業界で最初にマックでの、いわばデスクトップパブリッシングにチャレンジした作品でもあった。
岡田斗司夫氏は何かのおり自分の方が早いと云ってたけど… 取り説版下もデカール版下も、すべて当時のマッキントッシュ・プラスで作ったのが、懐かしい。
(作業途上でマッキントッシュIIciが出て速効で買ったと記憶する。今では信じがたいが本体のみで120万を超えてたんで、ロ、ロ、ローンを組んだわよ)
ともあれ採算を筆頭におかず、いわば、徹底してマニアックに、造り手本意な"思い入れ"で作ったのが本作たちだった。
1号は左右の翼が連動で可動するというギミックもあって、そのために金型をおこしてプラスチック・パーツも多用している。ま〜、なので高いキットになったんだけど。

この2つのキットを柱にモデル・グラフィックス誌掲載のために、次いで、1号格納庫と3号発射台を製作。
サンダーバード』に接して24年後にやっと… その秘密基地の1部をカタチとして構築するチャンスを得た。
資料が潤沢にはない時代で、たまさか発売されたばかりのレーザーディスクのボックス全集がほぼ唯一の"参考書"だった。
そのテレビ画面にカメラを向け、何十枚も写真に撮って模型作りの資料とする、手間ヒマ経費をかけての作業スタートだった。
製作のスタッフは6〜7名。時に合宿もした。

当初はモデル・グラフィックス誌の表紙を飾る予定で進行していたけど、ドタンバで当時の社主だったM氏のツルの一声でタミヤの新製品が表紙になった。
ま〜、これは仕方ない。後にそのタミヤにスタッフの1人が入っていく1つの契機にもなったよう思ってる。

これら秘密基地のディオラマは、『イッツ・サンダーバード・センチェリー』(大日本絵画社刊)にまとめられて刊行。
『イッツ・サンダーバード・センチェリー』は4つほどバージョンがあって、ボクらが関与しているのはその最初のものと、2004年に刊行した「改訂版」。


90年代には後楽園遊園地での大掛かりな「サンダーバード博」もやった。
次いで、梅田ロフトでも同様な展覧会をやったし、比較的近年になっては兵庫の有馬玩具博物館でも展覧会をおこなった。
この時はサンダーバードのフィギュアと日本の文楽人形の共通点をテーマの中心にそえたチョット面白みの深いものだったから、2005年に『スーパーマリオネーション スペシャル』(大日本絵画刊)として刊行され、ボクも拙文を書いている。

で、またまた歳月が流れて、今回のお台場の『サンダーバード博』だよ。
ここで上記のソフトビニール製のを中心に置いた発射基地だの格納庫だのを展示しているワケだ。
ちなみにwikipediaモデルグラフィックスの項目で、"メカニカル系"とTVC-15は紹介されているけど… ううむ。実際にはモスラゴジラや… 過去にはフィギュアもあるんだけどね。


上写真:92年の後楽園遊園地でのサンダーバード


ともあれ、孤島の秘密基地。
まずは1号の格納庫。ジェフ・トレーシーの邸宅内、居間(実は司令部)の真後ろにこれがあるんだから素晴らしい。
今回の展示にあたり、床部分を大幅に修正。新たな資料に基づいて本来あるべきな構造物を追加している。
サンダーバードは人形を含め、使われた"ホンモノ"の90パーセント以上が撮影後に破棄されてるんで、後年、ボクらのようなモデラーがゴソゴソやるワケだ。もし、現存していたらボクらに仕事はない。
でも、正直なところ、現存して欲しかった。
映画で使ったプロップを残すというのは、ジョージ・ルーカスの『スターウォーズ』からだ。それまでの映画は、残すべきはフイルムのみであって、大道具小道具は撮影終了と共に捨てるのが"常識"なのだったし、多くの映画作りの現場は今もそうだ…。
ゴジラビオランテ』を取材のために東宝撮影所に出向いたさいには、撮影が済んだばかりの『ガンヘッド』の大道具小道具が大量にゴミ箱(部屋くらいな大きさの)に投げ捨てられていて、「あら〜、もったいない」とも思ったけど… 実際はそういった嵩張るものを保管するスペースなんて撮影所にはないんだから仕方ない。


写真上:2つのサンダーバード1号は、1つがソフトビニール製。もう1つはいわばその原型にあたるポリウレタン樹脂成形の完成品。原型は当時スタッフだったT.M君(今は台湾で仕事してる)の手になる。今回の展示では、その樹脂成形の方を使ってる。



写真:両国某所で最終作業中の3号発射台。


3号へのアクセスは、トレーシー家邸宅の居間のソファに座ったまま垂直降下。次いでレールが敷かれた通路を今度は横に移動。3号の真下中央でソファごとリフトで持ち上げられて3号内に入るという… まっこと壮大な仕掛け。


会社でも軍でもなく、1個人の敷地内深くにこういう装置があるという設定の妙。一歩も歩まずとも居間から3号に向かえるシステムがとてもヨロシイね。
またこの、撮影用のセットの出来具合が素晴らしく良い。
第31話の「すばらしいクリスマス・プレゼント」に登場する3号のランチベイ(発射基地ね)は今もって信じがたい程の完成度。
例としてあげるには申し訳ないけど… 『サンダーバード』の数年後に作られた『ウルトラセブン』の基地のセットを見比べると、差の乖離に愕然とさせられる。
当方のこの模型も、TVの中に登場する映像から諸々な配置を精査し、その"ホンモノ"を再現すべく模したものの、遠くはるかに及ばない。作り込めば作り込むホドに掌の中から"ホンモノ"が遠のくような… 贋作者の悲哀をおぼえる。
だからこそ、上記した通り、"ホンモノ"が現存しないのが惜しいんだ。

サンダーバード3号は、この発射基地のそれと、宙づりになって5号に向かってる情景の2つを展示しているので、お台場に出向かれた方は、
「あ、これだね」
と、密かに思ってください。
発射基地に使ってるものはソフトビニールながら、形状変化を防ぐべく内部にポリウレタン樹脂を流し込んでいるので実はズッシリ重い。
ご来場の皆様にはそれを手にして重みを感じてもらうワケにはいかないけれど、"存在"としての模型をば見ていただいて、『サンダーバード』をあらためて愉しんでいただければ、幸い。