遠いのか・近いのか

 過日の夜中。台風のかなりの風で電線が唸り、ポリバケツの類いやら、ちぎれた葉があちこちに散乱し、転げているのだったけど、雨はなく、空は晴れて星が見えてた。

 妙なバランス。

 

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 昔々、幼年時……、自分に記憶はないことながら、津山時代のエピソードとして、父母から聞いた伊勢湾台風の直撃。

 本州はえらい被害を受けた。室戸岬あたりに上陸した台風が京阪神に移動したのは朝の8時頃だったようだ。

 この移動のさいに津山も被害を受けた。

 父母は当時、崖の上にあるオンボロな一軒家を借りた直後で、そのオンボロゆえにか、雨戸ぶっ飛び、障子ズブ濡れて桟のみの形骸。

 吹くな風・叫ぶな嵐。夫妻で畳をおこし、それを盾にし風雨の侵入を防いでいたという。

 凶猛な雨と風に晒された南面(崖側)はガラス戸がなく、縁側の奥に障子戸があるきりなのだから、大変だ。

 いや、そうじゃないな。アルミサッシのガラス窓の時代じゃない。むしろガラス窓がなかったのは幸いだったかも、だ……。

 で、夫婦は髪も肩も濡らしつつ、必死の形相(たぶん)になって自分らの体重をかけて畳を押さえてるから、部屋の奥の押入れの横に寝かされて泣き叫んでる幼い当方をあやす事ならず……、というあんばいだったようである。

 その家は崖の上にあるから視界が広がる結構を堪能出来たけど、いざや強風強雨となれば、打たれること甚だしいという次第だったのだろう。

 聞き知って以来、台風のたび密かに、遠く淡い幻影のように親子3人遭難直前の様相を思い浮かべるのが癖になった。当時まだ弟はいない。

 玉のように美しいだけがトリエの我が方は、台風直撃中の父母の修羅など知らず、小っこい綿布団にくるまってギャ〜スカ泣いてるわけだ。

 身の危険大ありのひどい状況と泣きやまない幼児……。難儀したろうなぁ両親は。

 

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 この一件を思い出すたび、ブーフーウーの3匹の子豚も思い出す。

 狼の揺さぶりに負けないウーちゃんの煉瓦の家って、イイよなぁ~。中学生の頃まではそう思って揺るぎなかった。

 ま~、今はちょっと違う。

 あんがいと、長男のブー君がこさえたワラの家がいいのじゃないかしら?

 そう思ったり、する。

 災害のたび即効で壊れるけど、ワラなら直ぐに建て換えられるじゃないか。家屋倒壊で悲嘆する時間もかなり短くって済むんじゃなかろうか……、とかね。

 

 九州での今回の気象庁の事前警告は3密回避のダブルパンチとなって、結果、ホテルをシェルター的に使う方が多く、どこも満室になったそうだが……、なるほどねぇ。

 さなか、ちょうど、明治初めのホテル事情を調べていたもんだから、感心した。

 

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 明治といえば、遠いと思うか、近いと思うか?

 我らが亜公園が閉園したのは明治38年だから、令和2年の今から見れば115年前。やはり遠い。

 しかし一方で見方を変え、明治38年から昭和あたりを眺めてみると、ちょっと様相が違う。

 例えば昭和20年の広島・長崎の惨劇は今から75年前のことながら、明治38年からは……、わずか40年後の未来でしかない。

 

 元号というのは、継続性をあえて断ち切る「装置」として機能し、事実その昔は、天災が続く場合に元号を変えてみるといった切り替えスイッチとして、心理的に有効なものじゃあったけど、ヒストリーを語るときにはちょっと困るようなトコロもあって、もどかしい。

 むろん嫌いなワケじゃない。年表的な数値換算には向かないけど、イメージとしての時代輪郭が立体視できる。

 元号という”名前”をあたえる事で、数字的西暦じゃ~ない、艶がでる。

 ただもちろん、その濡れた情感みたいな感触に溺れないようしなきゃ~いけないけど。

 

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 昨日午後。S新聞文化部の記者さんが取材にくる。

 こたび新たな記者さん。ナイスミ〜チュでキシャ貴社しゅっぽっぽ。

 あ~だぁこ~だぁ、とおしゃべりして、あっという間の数時間。

 思いがけない問いに、「ぁあ、そんな見方もあったかぁ」

 逆に刺激されたりもする。

 

 今日の午後。記者さんと甚九郎稲荷へ。

 昨日の続きの取材受けつつ、亜公園関連の遺物の前で写真撮影。ポーズ各種……。

 記事は今月内、夕刊に掲載とのこと。

 

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            稲荷はただいまリニューアル中。朱が塗り替えられて妙にまばゆい。

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  撮影されてるさなか偶然に上之町商業組合のI事務長がお越し。

 先のRSKでの講演も聴講くださっていたようで、こちら恐縮キョ〜シュク。

 けどお話するに、思わぬ収穫も頂戴することに……。

 甚九郎稲荷の長い参道に関してだけど、思えばこの規模の稲荷でこれだけ長〜い参道を持った小規模神社って、あんまりないのですわぁ。

 亜公園内天満宮が参道がなかったゆえ、

「あらっ?!」

 新たな考察のでっかいヒントをもらっちゃったよ〜。

 ま〜、この事にかんしてはもう少し煮詰めてからご報告……。

 

 この後、すぐそばの島村写場へ出向き、いつも品良きファッションでカッコいいオーナーにお会いし、とあるモノを記者さんが撮影。「煮詰める」という言葉がよく似合うモノで明治時代の稀少品なのですが〜ぁ、これもまた機会あらたに、どこぞで紹介したいと思ってる、お宝の逸品。

 ともあれ明治時代の掘り起こしは、面白い。

 毎年毎年どんどん遠くなっていくわけでもあって、その時間とのせめぎ合いもまた醍醐味に拍車をかけてくれるワケで。