吉備中央町の総社

 

 宮崎に旅行に出向いて青島神社に参拝した友達が、現地から焼酎を贈ってくれた。

「ぼくは芋焼酎は吞まないんだけどなっ」

 などとタワケたことは云っちゃ~いけない。

 有り難く頂戴し、ソーダで割るかぁ~と、早や、吞むコトを考える。光の加減でオーシャンブルーの光沢が出るパッケージがイイな。

         

 

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 車駆けらせ、吉備中央町加茂市場の古社を訪ねる。

 岡山県三大祭の1つである加茂大祭の場。だけど、10月のその祭事以外はシ~ン、ヒトの姿なし。

 創建が771年宝亀2年)というから、うひゃ~、1252年も前だ。

 その頃のモノはもうないんだろうけど、樹齢600年近くの杉や檜の巨木があって、時間のなが~い堆積はみえる。600年前となれば室町時代前期だ……。

 

 正式名称は、総社。ただ2漢字の「総社」。

 近隣幾つかの神社を束ねる役目を持つ社ゆえに「総社」というワケだけど、それではどこの総社なのか判らない。なので、別称として「備前加茂総社(びまえ・かもの・そうじゃ)」という名や「加茂市場神社」とも呼ばれる。

 いささか……、ややこしい。

 

 加茂という地名とても、根をたどれば、奈良時代のいっときに都恭仁京-くにのみやこ 天平12年(740)に平城京から遷都したが5年後にまた平城京に戻る)だった加茂(賀茂)という地名から、おそらく同時期に頂戴移植したのだろうし、京都ゆかりの事例はヤマとあるんで、そう珍しいもんでもないけど、大昔にその名をつけた頃の気分のようなものを極く微かに感じないワケでもない。あるいは、その由来に関して、これまた微かに、中央と地方の関係を思わないでもない。

 名の根源をたぐると、オモシロイ。

 

 たとえば「吉備津」という地名には、そこに大きながあった時期が示唆される。

 吉備の津、すなわち、『きびのみなと』、だ。

「焼津」や「大津」同様、港を基点にヒトが参集する場所だったゆえに、その名となったと思われるんだけど……、今はもう港の場所を特定できる証拠も根拠も失せている。

 岡山県南は地形がどんどん変わったので、大昔をなかなか想像できない。

 最近に読んだ歴史ムック本では、

山陽新幹線の高架より南はほぼ海と考えてもらってよい」

 と岡山県古代文化財センターの見解が載り、なるほどと頷かざるをえない。現在の岡山・倉敷の市街中心部は内海だったワケだ。岡山県南はヘビーメタルなロックみたいにダイナミックで騒々しく躍動していたんだ、な……。

 

 誰も指摘しないけど、「津山」という山間のささやかな町とても、名のルーツはやはり港(津)なんだろうと、思う。

 吉井川の太い流れが「高速道路」で、「津山」はそのパーキング・エリアだったろう。そんな拠点ゆえに港のそばの鶴山(かくざん)に城が設けられ、町が町として、さらに形勢されたんだろう。

 津山駅の極く近く、今津屋橋を渡って右が船頭町で次いで河原町となるけど、本琳寺という古刹があり、その墓所には遊女の鎮魂碑がある。

 碑は江戸時代前期のものらしいが、名も知れない女性たちが流れに流れて津山にやってきて、その船頭宿あたりで遊女として働いて、素性も知られないままに津山で死んでった……、その唯一の痕跡がその碑なんだけど、河川沿いの港として、多数の遊女もたむろったかつて大昔の「津山の港」を意識させてくれる。

 併せて、名もない遊女たちの死に向けていつくしみを向けた、かつてのその精神の在処にも感心する。

(1998年の吉井川氾濫での被害やら、地所が手狭になって、だいぶんと前に大規模な墓じまいがあったとも聞くので、今も碑があるかどうかは判らないけど)

 

 ハナシが脱線しちゃったけど、さて、吉備中央町の総社。

 拝殿も本殿もさほど大きくない。ガラ〜ンとした印象を受けるけど、祭りのための空間を広くとっているゆえにだろう。逆にそれゆえに境内の樹木の大きさが際立っている。

 シ〜ンとした中、梢がゆるやかに風に揺れている。

 むろん、その静かさはイイもんなんだけど、神社って、静寂な空間がベストかといえば、たぶん、そうでない。むしろ逆なんじゃないかしら……、とも密かに思う。

 


 この前に出向いた智頭の「みたき園」は寺社じゃないけどナチュラル・サウンドのみで構成される場だったし、その維持こそが大事と思うけど、奇妙にも、神社や寺を訪ねると、そこが深閑とした場所であればあるほどに……、ときに、なんらかの「音」を耳にいれたくなる。

 わけても神社。

 がんらい、神社って静かを求める空間だったんかしら?

 そうじゃないでしょう。

「依り代空間」としての神社の核は、『祀』すなわち『祭』なのであって、祭典祭事には「鳴り物」が必需なわけだ。

」が神さんとヒトを結んでいるんだ。

 その象徴が、拝殿につるされている鈴だよね。

 鳴らして神さんを呼ぶ。ガランガランとヤヤ騒々しい。

 古代原初の神社では、鈴はヒトが鳴らすもんじゃなく、神さんの方が到来を告げる装置として機能し、舌(ぜつ)が仕込まれた銅鐸だったという説もある。

 神社は「音空間」だ。

 それで、ヒトのいない古社にこうして佇むと……、昔ながらのピ~ヒャララ、笛や太鼓のお囃子だけじゃなく、大爆音なヘヴィなロックでも受けとめる場所なのじゃなかろうか、とも思ったりする。

 日常にない、よりハデな音を置いてもいいのが神社なのかも……、と思ったりもする。

 天の岩戸の奥に引きこもった天照大神に向けて、諸般の神々が大音響で乱痴気やって彼女の気を引こうとした通り、音というか、「音楽」がキーになるんだから、本来、神社はライブ空間化されるべき場所なのだと、思うワケだ。

 

 だからか、昨今では、全国の色々な寺社でライブやコンサートや音楽祭が催される。岡山神社の『音楽祭』なんかはなかなか愉しい空間に変じている。

 昨年は、絵に描いたでっかいマーシャル・ギターアンプがステージにあって、これが良かった。あくまで絵なのじゃあるけど、示唆される方向が鮮烈だった。

  神社という空間には、ドレスアップでお澄ましのクラシカル弦楽四重奏もま~イイけど、より強烈なボリュームとビートをば。

 万が一、それがホンモノでそこからでっかいサウンドが飛び出すなら、もっとどえらく楽しかったろうな~ぁ、神さんとて、

「おっと~! そう来たかぁ!」

 身を乗り出すとも思う次第で……、なのでシ~ンとしちゃってる吉備中央町の総社にも、ホンモノのマーシャルを積み上げたら、おもしろいコトになるだろなぁ~、周辺の方々が感じるであろう“迷惑がらみの困惑”も含めて想像し、秩序と無秩序の境界上の牙城たる神社という姿カタチの密かな凄みに、こっそり頬をゆるめたり緊張させたりしたのだった。

 

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 慣れ親しんだライブハウス・『MO:GLA』が問屋町に移転する。

 ビル老朽化ゆえの立ち退きで、移転の経費甚大……。

『MO:GLA』の第2章の成功を期待してやまない。

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