年の瀬 〆鯖

 1年の流れが、やたら早く感じるようになって早や数年。ついこの前に雑煮食べたぞ~、みたいな感がなくはない。

 この短縮感覚は55歳くらいから萌芽するんかしら?

 IT系の私企業を営みつつ忙しない中で同窓会の幹事をやってくれてる小学校の同級生HORI君は、

「眼の前の事に追われることが少なくなり、自分用の時間がもてるようになったからでしょう」

 そう解釈してみせた。

 自分用の時間が増えると、逆に感覚時間は短くなる。愉しくプラモデル造ってる時って、アッという間に時間がすぎるじゃないか、いっそ時間を忘れてるじゃ~ないか。

「なるほどっ」

 そういう事かいな、とチョット納得させられる。

 つまんない仕事は忙殺されてそれで時間が刻印されるだけだけど、愉しくやってる時にゃ没頭でTIMEを忘れるって~コトだろう。

 と云うことでマトメちゃえば、ボクのこの1年はケッコ~な没頭時間があって、結果、それは充実の1年でしたァ、ということにもなるんかしら。

 ま~、そこは危うい。

 没頭イコール充実とは、いいきれない。

 没頭したものの成就しきっていない諸々もまたケッコ~あるわけで、「成果的」にみれば、積み残したアレやコレがいっぱいだ。

 

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 その積み残しの量と質を計るチャンスとしての年の瀬は、だからアンガイ好もしい。

 句読点として1つ、ここでマルを打って行を強制改行、仕分けるんだ。

 実体は何も変わらないワケだけども、2018が終わって次は否応もなく2019という流れの規則性に運ばれるのを、ここであえて喜ぶわけだ。

 なのでベチャリといえば、1月1日の元旦よりも、12月30日・31日のファイナルな時間を過ごしてる感覚が、ボクは好き。

 急流流しの船に乗せられ、そのツアーの最後あたりでの、

「おっ! 急峻な処に差しかかったぞっ」

 瀬を越えるさいにおぼえる情動を援用していえば、反省と希望の揺蕩(たゆた)いのユラユラ感が好きなんだ、ナ。

 

 むろん、それもアッという内にすぎる。

 たちまち2019年がやってくる。まちがっても2020年は来ない。これに関しては誰も疑問に思わないのも可笑しいね。

 我が家は、我が会社は、我が国家は、2019年はやめて2020年といきましょう! とはならない法則下で蠢いているワケで、こと時間に関しちゃ~自由なんてナイんだから、お・も・し・ろ・い。

 

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 昨晩、馴染んだBARの小鉢にのった鯖寿司。

 アレ嬉しや、と思ったらそうでない。

 〆鯖蒲鉾、というものだった。

 熊本は天草市で作られた、本物の鯖と練物を合体させた逸品。

 アラ珍しや。年度末ファイナルのこの一文のとす。

 

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 では皆さん、2019年にまたお会いしましょう。

 お・つ・か・れ・さ・ま・で・し・た・あ・り・が・と・う