メダマの手術後


術後4日が経過。
まだ通院は続くけど、難所は越えた。
今は妙なゴーグルを着けているけど、両眼炯々でアリガタイ。


写真は施術後12時間経過頃の金属眼帯装着のワタシ


術前 - 0.2 プラス乱視(いわゆる乱視ではないけどモノが2重に見えるという点じゃ同じ)
術後 - 1.1 プラス2重なし


同様の手術を経験した方からアレコレ聞いちゃ〜いたけど、
「ここまで明るく見えるのかっ」
というのが最初の驚き。
訝しみをおぼえる程に視界が明るく、旧約の第1節じゃ〜ないけども、
「光あれ…」
って〜な感じがしないでもなかった。
システィーナ礼拝堂の天井画は、修復前と後ではま〜るで別なようなアンバイになって当時(1994年完了)、誰もが、あっ! だったワケだけど、感覚としてそれに近い。


色の3原色でいえば、イエローが大幅に後退し、シアンが鮮明にして鮮烈になった。
ベチャリといえば、青から白への色調が眩い程にクッキリ冴え、全体に浸透していた黄濁(こうだく)が薄れた。
早朝という時間帯での光景と空気に、多数の青みがあるのに気づいて、
「ワオッ!」
なるほど確かにガガーリンが感嘆した通り、
地球は青かった
を再認識させられた。



そこで今、あらたな疑念が湧いている。
近年のボクの模型はムロンに彩色済みで"皆さん"に提供というコトで、この10月22日から11月の末まで岡山シティミュージアムで"新作"が展示されちゃ〜いるのだけども、製作にあたっては、術前の、いわば明るさを失ったメダマで構築の"模型彩色"なのだ。


それが今こうして、右眼に明るさが復興してくると、
「はたして、あの彩色でよかったんかしら」
そう懐疑しているのだった。


明るさのみに焦点をしぼっていえば… 今ここに、たまたま… サバ缶があるのだけど、これをビジュアル的に掲示すると、術前の右眼にはこのように映っていたのだった。
この彩度や明度でもってボクは自分の"作品"に色づけを施していたワケなのだ。



さらに図解すると、実態はこんな感じであった…。



それが今、術後の右眼に映るサバ缶は、下のように見える。
シアン系が活き活きし、青が冴え、白がすこぶる煌めく。



だから、そこを推測すると、昨日までのボクの模型色づかいは、「やや明る過ぎ」か「暗すぎ」な物体に見えてるのではなかろうか… と、そう感じはじめている。
一難去ってまた一難… というホドではないにしろ、メダマが感受する世界の明るさや色は、個々人、実は違うぞ〜〜、な次第をこたびは学習中という次第。


※ 附記

術の翌々日、O医院のO院長に色について尋ねるに、
「高齢になるに連れて眼も衰え、黄ばみが進行し、その黄濁の視界ゆえ脳がともすればスリープ状態的低活動となって、お年寄りがよく居眠りするのは、そのあたりにも要因あり」
とのこと。
それゆえ、こたびのような手術で眼が急なルネッサンスを迎えると、今度は脳に覚醒作用が生じ、新陳代謝が空転し、運動もしていないのに脱水症状になる事例あり…、
「水分摂取を怠らぬよう、お願いしますよ」
とのこと。
ムロンこの発言は当方を黄昏カラーなお年寄りの一員として見てくださった上… であろう。
ありがたく拝聴。
帰宅して、さっそく野菜ジュースをばグラスになみなみ。
ただし3〜5パーセントほど、リカーを混ぜちゃってるのは… それは当方の勝手な処方。トム・ソーヤー君云うところの… 元気の出るおまじないだ。