縄文時代の「ほぞ」

石川県能登町縄文時代の「真脇遺跡」から「ほぞ」加工の角材が出てきたというニュースがちょっと前にあって、やや眼をパチクリした。
「ほぞ」というのは、図示のようなもの。
従来は弥生時代にこの"技術"は登場したと思われていたから、パチクリなのだ。

真脇遺跡」のそれが、自力で考案したものか、誰かから聞いて作ったか、そこは皆目わからないし、今回の発掘でもって当時いっせいに「ほぞ」が活用されていたとは、まだ云いがたい。
でも、弥生じゃなくって縄文期にこの技術があったという新発見は、イイね。
これがいったい、どういうふうに伝えられ拡がっていったか… そこを思うと何やら愉しくもなる。


せっかくの考案も、誰かが誰かに伝えていかなきゃ拡がりようがない。時には、そんな面倒な「ほぞ」なんぞより従来の縄で踏ん縛った方が早く造れるから… といった感じで新規考案が地にまみれるというアンバイもあったろう。
いや、きっと、それの方が多かったろう。
じっさい、「ほぞ」なんて〜のは簡単そうだけど実はそ〜でない。あんがい難しい工作だ。それに面倒なの。ウソと思うならヤッてみてね。
新しい技巧は常に難易度もあがるワケで、だからそれを面倒に思うのもまたあたりまえだったよう思う。
だから、確かに「ほぞ」のことは聞いたけど、結局、ここじゃ〜使わないというコトしばしだったろうと感じるんだ。一度ついた慣習というのはなかなか捨てられないもんだしね。
それが変化していくには時間がかかる。
縄だけで構築したものより「ほぞ」で組まれたものの方が頑丈だというコトが実証的に認知されるまで、時間がかかる。

でも、そっからはアンガイ早いのじゃないかしら。
だって、従来の縄くくりじゃ、弱いってコトがもう顕かなんだから。
ただの知識としてじゃなくって、じっさい「ほぞ」の方がはるかに頑丈優位を知ってしまった人にとっては、もはや縄だけで木材を縛るなんて〜のは、
「おいおい、やめてくれよ〜」
なレベルにまで低下して、もはや逆転というより転換、常識が更新されるわけだ。
でもって何より、縄縛りだけよりも「ほぞ」で組んだ木材の方が美しいって事の"発見"もあったろうね。
きっとそこもポイントだな。
"美しい"という嗜好な感覚がどう湧いて来るのか… そこもボクは面白く感じてる。
きっと今同様、縄文の時代にも、その感覚が尖ったヒトがいて、1つの集落の中でのファッション・リーダーとして集落の皆さんにとっては真似すべきな存在だったような…、そんな空想をすると愉しいのだ。彼女ないし彼が、
「HOZOってイイんだよな」
と云えば、皆な、ほほ〜ナルホゾ〜となってくような。
で、その美しさの延長というか応用として、さらなるカタチを考えるヒトが出てくる。
当然、ちょっとした計算とあらたな道具もなきゃ、下図のような「ほぞ」は創れない。
ヒトというのは熱心なもんだね〜。

使用写真: JAANUSより