緩みかけているとはいえ、まだまだ暑い日中。
黒澤明の『野良犬』は戦争が終わって4年後の1949年作品。ねっとりした暑熱で熟れきった映画だった。
巻頭のバスの中、濃密度な暑さ ↓。
次いで追走シーンのまだまだ焼け跡の白っぽい町並み。街路樹もなく(空襲の爪痕だ)、木陰らしきがみあたらないその空虚な空間の暑さ。
三船敏郎、木村功、志村喬、淡路恵子……、劇中の全員が汗をかいて、額も首筋も濡れている。
この作品を眺めるたび、この映画って、夏にみるべきか、冬にみるべきか……、いつも、そんなくだらないコトを思う。
どのシーズンに観ようと傑作は不動じゃあるけれど、映画の中の暑熱は、シーズンによって感触が違い見えるような気がしないでもない。
黒澤監督は本作の公開を1949年の10月からはじめてる。
夏の盛りでなく、秋に公開だ。
ということは、秋が最適な見頃ということか? 観客に数ヶ月前の夏を想起させ、
「ぁあ、あの暑さじゃ、こんな狂乱な事件も起きるよな~」
と、そう感じさせたかったか?
しかし1949年10月と2020年10月は、温度が違い過ぎ……。11月半ばでやっと、1949年10月頃の地上温度になるのかな。
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山陽放送での講演から早や5日。
YouTubeで映像を眺めるに、幾つか、言い間違ってるところがあって、ブヒ~っと溜息こぼす。
期間限定の配信情報はこちら。明日26日で公開終了らしい。
私のアップじゃなく、話の展開に応じたスライド・スクリーンを前面に出して欲しかったけど、能楽堂での第1号というありがたい講演の場。
能舞するワケじゃ~ないけど、そこでの最初のイベント。能舞台に立つって、めったとない体験ゆえ、何やらくすぐったい。
ただ、ビジュアルとしての我が方の姿勢の悪さやら言い間違い、例えば明治27年を昭和27年といったり、酒というべきを米といったり……、のていたらくは困ったもんだ。
会場の皆さんにちょいと誤解をあたえたか思うと、いささか気が重いような感もなくはない。
言葉というのは時に無自覚に発しているところがあって、頭の中にあるものと実際に口からこぼれるものが違うというのは、始末がわるい。
当日に会場で撮った唯一の写真 ↑。能楽堂の裏側。左は地詩座につながる扉部分。私はここから舞台に出入りしましたよ。
橋掛かりの部分にスクリーンが立てられ、その手前に講演用の拡大ステージが置かれてと、なるほど能舞台もこういう工夫で”多目的”に使えるのだなぁ……、と感心。下の写真、私の背景のカーテンが上写真のそれね。
講演のバックヤードは万全で大勢の同局スタッフの至れり尽くせりは、感動もの。
トーク後に食べちゃお~と思って楽屋に置いてた豪華っぽいお弁当を、いつのまにやら片付けられてしまった不意打ちは共演の鈴木先生ともども、「あれ?」って~な苦笑だったけど、実に細やかな進行と誘導と配慮は申し分なくって、さすが放送局だなぁ……、つくづく感心しちゃってた。
なのでアッという間に時間が過ぎた。
スポットライトをあてられ、飛沫感染防御の透明アクリル板も眼前にあって、観客席は、最前列あたりはかろうじて見えて、「おや? Goto先生座ってるじゃん」とは判るけど、その後ろはもう見えない。知り合いを探すことが出来ない。
ま~、そんなこたぁ、どうでもいいのだ。
映像で観るかぎり、くらいシルエットとなった皆さんがけっこう熱心に聴いてくれてるのは判って、ありがたや、でありました。
多謝。
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小庭に置いた金属アーチに片側からパッションフルーツ、片側から昼顔をからませておいたら、暑熱の中で双方からツルが延び、途中で交錯し、それでも互いに侵攻(進行か)やまず。
昼顔のツルにパッションフルーツのツルがからみ、またその逆もあり、一見、何が何だかわからない。
花をつけた昼顔がヤヤ勝っているよう見えるのは成長速度の違いから来るのだろうけど、花は花で我が背丈より高い部分に群れて咲いてるので、見栄えしない。
ま~、この夏の混乱と混沌を植物で表現したみたいなアンバイかもと思っちゃえば、この2種植物のツル合戦も、2020年のメモリアルな光景と……、いえなくもない、か……。
午後3時に撮影 ↑。
午前3時に撮影 ↑。
アーチというより、ツルが垂れ下がりお椀みたいな密茂……。アーチくぐれない。
で、昼顔は傘を閉ざして夜明け待ち。