無残やな……

 18日のTV放送後、お久しぶりな方も含め、あれこれ連絡をたまわる。

 皆さん、けっこう観てるんだね、テレヴィジョン。

 TVメディアはもう古いと云われつつも、影響力ある存在……、と再認識。

 

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 ニンゲン、悲喜こもごもあって、ケケケと笑う時もあればガックリショッボ~ンな時もある。

 10日ほど前に衝撃させられたとある事から、まだ抜けきれない。

 ま~、詳細は語らない。

 

 かの『ひょっこりひょうたん島』のテーマ曲は、当時中学1年生だった前川洋子が、

「苦しいときもあるだろさ 悲しいときもあるだろさ だけどボクらはくじけない~」

 気分乗り越えを軽快に歌いあげて、なるほど、溌剌な歌声に、チョイっとは元気づくよな気になりはするけども、そのチョイっとの数秒後にはまたブルー気分が浸透してきて、

「ぁ、ふ~~」

 重い吐息をこぼしたまま思考停止、

「やってらんないわ~」

 嘆息するのだった。

 

 無残やな兜の下のキリギリス

 

 芭蕉はスケッチとしてこの句を詠んだとは思うけど、取りようによってはえらく深淵、深い憂愁に沈めるようなところもある。

 兜、かぶと、甲……、と媒体によって表記まちまちだけど、石川県小松の多太(さた)神社を訪ねたさい、平家の斎藤実盛の兜を見学して詠んだらしい。

 解釈としては、その古い兜の下にいるキリギリスに実盛という過去の武将を重ね、

「おいたわしや……

 と鎮魂したというのが通説だけど、さ~、そこはどうかな?

 兜の下にキリギリスが実際にいたかどうかは知る由もないけど、情景イメージとしては「絵」になって揺らぎない。けど、芭蕉が「無残やな」と見たキリギリスが、はたして無残な境遇に陥ってるのだかどうかは、わかんない。

 人の気配察して隠れ場として兜の下をチョイスし、自ら入り込んで人に悪さされるのを回避したのかもしれないではないか。

 となれば、

 

 逃げおうし兜の下のキリギリス

 

 と詠んだって不思議なし。

 当然、そうなれば意味もガラ~ッと変わる。

 ただこの場合、情景をそのまま文字に移しただけで、深みなし。無残やな、と切り出したことで味わいが出たわけで。

 芭蕉は大なり小なり、発句した頃合い、ブルーな気分だったんだろう……

 昂揚が“芸術創造”に関与するように、沈潜もまた同様で、たまさか鬱屈な気分だったのを、句にノッけてみたという方が妥当のような気がしないでも、ない。

 

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       「奥の細道行脚之図」 芭蕉(左)と弟子の曾良 (森川許六作)

 芭蕉が見た兜は、今は重要文化財としてガラスケースに入ってる。でも芭蕉の時代は剥き出しで展示されていたはずだ。

 ガラスは透明だけども、「心理的隔て」を産んでくれる。

 その点で芭蕉はよかっなぁ、直に接して。

 昨今は、人と人の合間にビニールやらアクリルの隔たり。

 難儀なこっちゃというか、「無残やな」な情景。感じ取れる諸々までが抑制されてる。

 ま~、これはこれでいっそ、「山椒魚は悲しんだ」ではじまる名作の、”囚われの感”に近いような気もするけど……、いろいろ象徴的ではあるなぁ、芭蕉のそれと井伏鱒二のあれは。