聊斎志異

雨中の午後、カサさして、今月29日の「ちゅうぎんまえジャズナイト」のための、地域への挨拶とお願い。
市の文化担当者さんと共に、複数の町内会長やら地域企業を順次に巡る。
全国津々浦々の屋外ライブイベントは、きっと似たような挨拶やお願いを裏方がやっているんだろう。地域の方々の協力なくしては屋外イベントは成立しない。
でもって、お天気が常に問題。だんとつ協調から遠い。
だから、当日だけは降ってくれるな…、との思いが募る。身勝手だけど、ま〜、これだけはしかたないのだテルテルボーイズ。


挨拶廻り後、会場となる中国銀行本店前近場の「倉敷ぎょうざ」で餃子1パックをば買う。
程よいニンニク加減がわが好み。焼き立てをハフハフと口の中で転がしつつビールで流し込むのが好き。
雨中行軍の自分へのご褒美じゃ〜ん、なんて〜コトは思わない。自腹きってご褒美もあるまい。
本場中国では餃子といえば水餃子だけど、個人的には何といっても焼き餃子。
麺に炒飯に焼き餃子。この3点でもって我が中華は完結しちまうのだッチュウカ。



その中国で生まれた…、『聊斎志異』を複数、持っている。
およそ400年前の作家・蒲松齢(ほ・しょうれい)の作品集。聊斎(りょうさい)は彼の書斎をいい、聞いた話やらを書きとめつつ創案で膨らませ、その書斎で綴ったもの。


大きな活字で読みやすいけど全話をギュ〜ギュ〜詰めにしちゃってるからとっても重い大判のは書棚に置き、お手軽サイズな文庫版を別室ベッドの横に置く。あっちでも、こっちでも…、読めるように。なので複数。
実際は500話を越えてるんだっけ?
日本で流通しているのはその内の半分くらいの翻訳かなぁ?
小篇の数は忘れたけど、1分内で1話読めるのが多数なのがいい。
餃子のギョの字は拾えないけど、人がいて、怪異あって、ヘンテコな展開となれども、それを実に淡々と僅かな文字数で記してあるだけ…、といったら過言だけど、その淡々っぷりがいい。
就眠直前に適当にページを開いて、そこにある小篇を1つか2つ読んで、お・や・す・み、だ。



いっとき杉浦茂にハマってた頃は、彼の『聊斎志異』にも眼を通したけど、とても残念なことに杉浦ワールドと聊斎志異ワールドは、同じ異界ハナシだというのに相性が悪かった。
上中下の3巻描き下ろしの予定が2冊は出たけど下巻がとうとう出版されなかったところにも、不首尾がうかがえる。
惜しい話だけど、しかたない。『聊斎志異』の奔放と杉浦の奔放は方角が違うものだった。原作を杉浦的に翻案しようとすればするほど、両方の魅力が崩れてった…、という感じだった。



その点では諸星大二郎は天晴、『西遊記』なども含め中国の古典の奇っ怪をよく咀嚼して、実に味わい深い。
たぶん、そのコマ運びの突き放し方がうまいんだと思うが、彼の中国もの、『西遊妖猿伝』を含め、『諸怪志異』も『碁娘伝』も『太公望伝』も…、ベッドの横に置いてる方が、安眠しやすい。これもまたページを選ばず、開いたところを眺めてる内にトロリンコ、お・や・す・み、だ。



ま〜、そういう本をベッドに置いてると、時折り、影響が夢に出る。
弓の名人がいて、その人の警護でボクを含め複数が彼を取り囲んで、遠方まで旅してる。
途中で敵の弓矢が飛んでくるのを、コルクを分厚く表面に張ったカサでふせぐ。
名人を中心に置いて我らがカサをさして、守るワケだ。
飛んでくる音はしない。ただカサに弓が刺さる感覚のみ。
夢なのに、コルク張りのカサが実にうまく描写される。
けど、押しくら饅頭みたいになって、歩きにくいったらない。
そのうえ、密集してるから暑い。
7〜8人で亀の甲羅の役をやってるワケでボクはその内の1人だ。
「あと6里だ」
誰かがいう。ということは後24キロも…、その状態で歩かんとイカン。
それはいかん。やってらんない。
と、うまく場面変わって、お城の中で弓の名人から、「ごくろうさん」とか云われるシーンになる。
コルクのカサには弓矢がいっぱい刺さってる。

と、また場面というか印象が変わって、なにやら長老みたいなのが、
「それらの矢は我が方が賜ったもの。だからこの国では矢は作らなくていい、流用して使うべし。で、1本は警護の者が取って持ち帰ってヨシ、イワシを干したのと一緒に玄関に吊って家宝にせ〜」
ワケわからんことを云い、その横手にイワシ販売の屋台が出てる。
それでオシマイ。
実に『聊斎志異』的な小咄だと、目覚めてニッタリ笑う。
が、すぐに、も少しパンチが効いたオチが欲しいなぁ、などと残念だったりもする。
けど、そうやって覚えてるのはごくごく時たま。
たいがい目覚めた途端、消えてっちゃう。
ま〜、そこが中国幻想譚の影響っぽいところ。淡いはかなさというもんだ。
消えることを惜しんでもしかたない。


ハイ、ぎょうざ。写真でちょっとおすそわけ。
1パック40ケだからね…。2夜、愉しめるよ。