ボイジャー・ヴィジャー・遠い声

 先日の、はやぶさ2の分離カプセルを地球に導いたJAXAの仕事は、襟を正して一礼したいような快挙はやぶさ2はまだ継続運用中だよ)だったけど、その背景には電波信号という確実かつ堅実な存在があってのコトだったろうねぇ。

 電波は光の速度でもって伝搬するから遠方とを結んでくれる……。

 20世紀の直前まで電波(電磁波)のことは誰も知らなくて、発見以後じわじわとアレにコレにと活用できるようになったわけだけど、もはやスマートフォンをふくめ、これがないとヤッていけない所にまで来ちゃってる現在の姿というのは、20世紀より前のピープルには摩訶不思議な“未来”なんだろねぇ。タイムマシンで「今」に連れてきても、たぶん、

「昔の方がいい。帰してちょ〜だいよ」

 と云われるような気がする。

 

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 1979年の映画『スタートレック』は、承知の方はご承知の通り、ヴィジャーという謎の存在とエンタープライズ号乗員の遭遇が物語。

 当時、その発想にはそれほどに斬新を感じなかったし、タイト過ぎな乗組員のジャンプスーツっぽい制服が陳腐というか滑稽で、「あっちゃ~」と哀しみもしたものの(だから次の映画化では衣装はガラリ変わったね)、飛んでくる宇宙船をカメラが360度回転してとらえ続ける巻頭のビジュアルは、衝撃だった。

 今はない岡山グランド劇場で公開初日だかに観たよう記憶するけど、勇壮野蛮っぽい“クリンゴンのテーマ曲”みたいなサウンドにのってクリンゴン宇宙戦艦の大回転を見せつけられ、俄然、興奮させられた。

 しかもカメラはそのクリンゴン艦に遠方から近接へとワンショットで近寄り、艦の細かいディティールまでが一目瞭然なんだから、

「わお~っ」

 身をのりだして喰い入った。当時、米国製のプラモデルの丸と三角で構成されただけの大味なキットでしかこの艦は味わえなかったから、それが一挙超絶にグレードアップなんだから、た・ま・げ・た。

 

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 ピアノ線で模型を吊しただけの撮影じゃ~、そんなシーンは当然に撮れないわけで、すでに『スターウォーズ』は公開されてしっかり鑑賞していたものの、精緻な模型とコンピュータ仕掛けのカメラ・ワークというものを特段に意識させられたのが、この劇場版第1作の『スタートレック』だった。

 太陽系外へ旅していったボイジャーがモチーフ。

 転じてそれがヴィジャーという「謎の何か」の正体というのが物語の核だった。

 (ま~、いまさらネタばらしでもあるまい)

 

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 そのボイジャーがニュースになったのは、ついこの前、11月のアタマ頃だね……。

 オーストラリアのキャンベルにある超どでかいパラボラアンテナ(1969年のアポロ11号との通信中継に使われた)はこの数年修理中だったが、補修完了し、ボイジャー2号に向けて通信を試みた。

 すると、はるか外宇宙、太陽系の外を、さらに遠方へと去りつつある同機より、返信が返ってきた……、というニュースだ。

 

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               修理作業中のキャンベルのアンテナ

 

 なんか、妙に 疼かされた

 ひどく単純にいえば、電波ってスゴイなぁ、みたいな子供っぽい感嘆なのだけど、1977年の8月に打ち上げられ、木星土星天王星海王星の近場に寄って探査し、そのまま旅を続けて、2018年には太陽圏を出て、「恒星間空間」をなお飛び去り続けるボイジャー2号と連絡が取れたというコトは、

「どういう意味があるんだろ?」

 ちょっと哲学させられるのだった。

 感覚としては、科学でない感情もわいてくる。ほぼ霊界通信に近いような……。

 けど、厳密に科学ですわいねぇ。電波の速度と真っ直ぐで広範囲なその指向性の堅実に、いまさらながら感嘆させられたわけだ。

 

 ボイジャー2号の動力源は原子力電池で、プルトニウムのα崩壊を利用。その発熱を電源とし、半減期が長いぶん電池としての活用も長時間になる。

 とはいえ、打ち上げから既に43年だ。

 NASAによれば電池寿命は2030年頃には尽きる……、とのこと。もう10年くらいはキャンベルからの電波をはるか遠方とはいえチャンと受信し、その返信が出来るとの予想だ。

 

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                                                                        photo:NASA

 それで、

「あと、10年ほどか……」

 また新たな感慨もわくのだった。

 プルトニウムが尽きて電池が働かなくなりゃボイジャー2号は死ぬのか……、といえば、そうではないでしょう。

 電気器具は電池がなくなったらもう使えないワケでない。あくまで休眠というのが実像でしょうよ。

 

 さ~、そうすると、巻頭で書いたように、劇場版『スタートレック』が主題としたヴィジャーボイジャーが何かの干渉で復活というのも、あながちただの安物の発想でもないなぁ、とも飛躍的空想として想うのだった。

 その可能性は激烈に低いけども、事実のこととして、ボイジャー2号は何かに衝突でもしない限りは永劫に暗黒空間のただなかを進んでいくわけで、淡い悲哀を含めた感懐がシミみたいに輪をひろげるのだった。

 極小の期待すら持たないその孤立無援に「物」ではなく「者」として、いささか感情移入できる存在だ。

 

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 ま~、そういう次第で久々、ブルーレイで『スタートレック』をば眺める。

 監督ロバート・ワイズ65歳の時の作品。前半部での人物描写の繊細さ、ふくよかさ、キャラクターの活かせ方も素晴らしく、若手監督じゃそのあたりうまくは描けなかったろう。

 エンタープライズ号の魅力を最大限に引き出した点も特筆で、むろん、それは撮影用模型の驚くほどの精緻と精度あってのものだけど、宇宙船をここまで美しくとらえた映画はあんまり、ない。クリンゴン艦の勇壮を巻頭で見せ、物語が終わってのラストシーンでエンタープライズの優雅をこれまたカメラの大移動で見せ、そのまま一気にワープしちゃう閉め方も秀逸だった。

(2001年になってワイズ自身も参加してのCG処理追加やシーンの補強を加えた4分長い、「ディレクターズ・エディション特別完全版」が作られたけど、これはDVDのみ。したがってブルーレイは公開当時の版のみが市販されているというヤヤけったいな状況。ディレクターズ版は4分長くなっただけでなく、再撮影部分や編集が良く、細やかさが随所に加わってシーンのつながりが際立つ。それだけに高画質のブルーレイがないのが惜しい)

 監督をふくめ出演者のかなりが既に没してはいる。でも、この映画もまたボイジャー2号と同じく永劫の時間軸を進む良品だ。

 1960年代のTVシリーズスタートレック』が元祖じゃあるけど、次々とシリーズ化される今の「スタートレック」の興隆っぷりは、親鸞の教えが途絶えつつあったのを、ひ孫の蓮如が発想の切り返しで再起動させたように、劇場版第1作目たるこれは、「中興の祖」として炯々と存在し続ける目映い点だろうし、同様、小さな点たる実際のボイジャー2号との連絡に電波という存在がなくてはならないというカタチの事実、この2点に、何だかあらためて情感しているというアンバイなのだった。