ガラス球の旅

 

 『ドラえもん』だったかしら、透明なガラス球に乗って時間旅行するという描写があったよう記憶するけど、過去のヒトや出来事に干渉しないためにガラス球で覆って接触をさえぎっているという設定だった。

 なかなか好い描写と思うけど、当方がそんなマシンに乗っかるコトが出来るなら……

 1縄文時代のどっかの集落

 2室町時代の花の御所の界隈

 3,明治の岡山、亜公園

 といった場所に出向きたい気がする。

 

 縄文時代では、まずは空気の違いを味わいたいな。汚染されていない空気のはずだから、何とはなく、その新鮮に肺が驚いて咳き込むようなコトになるやもしれず、匂いも違うような気がする。科学が生んだ電磁波も電波も飛んでいなくって、それは眼には映りはしないけど、電波のない世界を感覚として味わいたい。

 道らしき道は集落界隈にあるかないかで、景観は、アチャコチャ草だらけで緑が圧倒的に多く、空はやたら青く、とにかくニンゲンの数が少ない様子を直に眼にしてみたいもんだ。

 しかし縄文期というのは圧倒的に長いので、どのあたりに行けばよいかしら? 可能なら縄文のヒトが「」というカタチを見いだした頃が良さげなよう、思う。

 背の高い草をとっぱらって踏みしめ、何度も往来できる道というのが出来る初期の様子を見てみたいな。

 漢字学者の白川静は「道」という字の中に何故に「」があるのかを、

 他の一族のいる土地は、その氏族(一族)の霊や邪霊がいて災いをもたらすと考えられたので、異族の人の首を手に持ち、その呪力(呪いの力)で邪霊を祓い清めて進んだ。その祓い清めて進むことを導(みちびく)といい、祓い清められたところを道(みち)とした。

 という説を『常用字解』やら『字通』などで披露しているけれど、漢字以前のもっともっと前の縄文人がこさえた道とその開拓精神を見たいなぁ。

 未知を道でもって未知でない日常のものとした気分をば探り見たいワケだ。何もかもが不明ゆえ、住居からヤヤ離れた所へ行くにも大きな勇気と元気と気骨が必要であったろう程に、他部族やら自然は怖いものだったろうから、白川静の説にある「道」というものの成立の、その根源時点あたりに遡ることが出来たら、よろしいなぁ。

 

 2.の花の御所は、明解な絵図が残っているワケでなく、当時の風聞としての豪勢さと夜毎に怪異が起きたという程度のハナシしか残っていない足利家の屋敷をば、わけてもその庭園を、せめて塀の外周からでもいいから直に見たいと思う次第。

 この室町時代に確立した日本庭園の様式では、おそらくなかったろう。

 松や杉やらが植えられているのはマチガイないとして、枝をひん曲げるような加工を加えていたのか、花の御所というくらいだから花々も多数あったろうけど、それが何の植物だったか、どのように植えていたのか……、そこいらを直に鑑賞してみたい。

       洛中洛外圖(上杉本)に描かれた足利家将軍の邸宅。通称「花の御所」

 

 室町時代といえば、常に何とはなく、干した魚の匂いを当方は感じてしまうのだけど、これは先入観といいましょうか、福山の草戸千軒ミュージアムなどで見聞した室町時代の庶民生活展示で感じた気分が尾をひいてるんだろう。貴族的生活に浸ろうとした足利家代々の当主達と干し魚の匂いはそぐわないけど、御所界隈の匂いも嗅いでみたいもんだ。

                 草戸千軒ミュージアムの室町期の集落再現

 さすがに道が幾重とあって、上の展示物みたいに路面はフラットじゃなく、デコボコして、いささかホコリっぽく、雨になればアチャコチャに大小の水溜まりが出来て、やむなく歩いてるヒトの足や背中はベベチャ泥水に汚れているであろうし、それら空想と事実とのギャップの狭間の「不快感」がどれっくらいなのか確認してもみたい。

 

 3,はもはや云うまでもない場所だけど、ごく僅かな資料として現存する写真や記述から構築した模型でもって久しく亜公園を語って来た身としては、是が非でも、実際の亜公園を味わいたい。

 模型は、岡山市中央図書館が蔵した『亜公園之図』を研究用というコトで複写を頂戴し、その図にのっとって造ったけど、実際の亜公園はもっともっと家屋が凝縮しているハズなのだ。

 その凝縮っぷりやら、片山儀太郎さん指示で植樹された蘇鉄の大きさやら葉の茂りっぷりやらをこの眼で見てみたいもんなんだ。

 

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 新しいマグカップが届いたので、さっそく使いながら、久しぶりにBlu-rayで『イエローサブマリン』をば、観る。

 思えば、この映画が造られて、もう57も経ってるんだ。BEATLESは今年で結成65周年)

 あらま~ま~。

 歳月の早さに驚くけど、瑞々しさは変わらずで、時代の風化を感じさせないアニメーションに驚く。

 むしろ、経年劣化しているのは自分の方で……、当方は学生の時、阿倍野の映画館で、『レット・イット・ビー』との2本立てで初めて接し、「LOVE」が暴力やら権力に優るものとして提示される後半部の華やかさと勢いある描写にメンタマくらくらさせて酔わされたもんだったけど、こたびの再見に、そんな酔うような感触が体内に湧かず、淡々とただ眺めるだけで、

「ぁあ、劣化してるんだなぁ」

 ガラス球のタイムマシンでいいから、ともあれ初めて見た20代前半頃に戻って、感性の瑞々しさみたいなものがどのようにピカピカしていたかを、再度味わうコトが出来ますれば、よろしいなぁ……、と無い物ねだりするんだった。