日常、1人で過ごしているから喋ることがない。
それでたまに呑みに出ると、ボクはよくお喋りする(らしい)。
6日間の寡黙を取り返すみたいな勢いで、時には7日分喋って… 気づくと、せっかくのご馳走が冷めている。
けっして食べたくないワケでない。むしろ、『孤独のグルメ』の主人公のように心は動いて食にはしゃいでる。
しかし、気づくと… やはり、冷めて… なのだ。
そういう現象がよく起こる。
ついこの前も、それで笑われた。
これはいかん。
いかんとは判っていても、いわば溜まりを吐かねばやってられない、"王様の耳はロバの耳"状態…。
容易に補正できない。
だからまた逆にいえば『孤独のグルメ』に惑乱をおぼえるワケで、ボクは食が細いヒトではなく、実はむしろグルマンとして大食する方でもあるから、お喋りと御食事とお酒、この三つどもえは、かなりな重大事。バランスに心が揺れるんだ。
「無人島に1本だけ映画を持っていけ」
そう云われて、チョイスするかも知れないのが、『宇宙人東京に現わる』だ。
1956年の映画。
総じて今の眼でみりゃ、退屈な映画だ… ろう。
平和を愛好する良い宇宙人(パイラ星人)が地球の危機を、日本のとある科学者が開発の、危険極まりない爆弾でもって阻止するという、いささかの矛盾ある進行でもって大団円を迎える… という内容なのだが、なぜかボクの中では、これが古びず、いっそ、年数が経つホドに面白みが強化されコーティングされるといったアンバイで、それで「無人島行き」なのだ。
なぜに、60年前の映画に魅了されるか?
たぶん、この映画には、まだ信じるに価いする"未来"があるかも、という、その希望の燃焼度合いが高いからだろう。
なるほど、岡本太郎デザインの、実にシンプルかつカッコ悪い安っぽい風情なパイラ星人の見てくれのみに着目すれば、この映画はBクラスな、
「あのね〜、こんなのはね〜」
という感もなくはないのだけども、また逆に、そのストレートなシンプルさに意表をつかれて、かえって秀逸が際立つというところもある。
Bでなく、いっそAクラスな風格さえあるとボクは断じる。
焦土と化して敗戦して、わずか11年めの映画。
電車が駆け、賑わいがあり、軽井沢にはテニスコートもあって、行楽の男女は川辺で戯れ、実に健全に笑い合う。
その復興の速度に驚くし、まるで戦争などなかったかのような人々の動きにも驚き、だからシーンの全てが眩くもあるのだけど、なにより、巻頭に出てくる居酒屋が素晴らしいのだ。
何度観ても、
「イイじゃ〜ん!」
な喜色が湧きあがる。
いや、実際にその店があったらなぁ! の渇望が常に逆巻くんだ。
割烹まえかけの女将が経営の、その店は、
『宇宙軒』
というのだ。
もうこれだけで、明るい。60年昔という歳月の暗さが消える。
1杯の酒に、希望がグラス(コップといった方がいいな)の渕まで満ちようではないか。
この店は駅そばの少路にあって、巻頭のシーンは雨だ。はるか後の『ブレードランナー』の雑踏を予見させられる風情。
お昼もやってるんだろう。壁のお品書きにその片鱗が窺える。
カウンターの内側には、ちいさなコンロもある。
(そうか、戦後11年めにはもうプロパンがあるのか…)
きっとそれで1人分の湯豆腐がサッと煮えるのではないか?
メダマ焼き1つを願えば、すぐに焼いてくれるのではないか?
おでんの煮台もある。
当然、煮卵子はなくっちゃ〜いけねェ。となると、熱燗がメチャに欲しくもなるで、ないか…。
もちろんながら、『宇宙軒』は本題でも主題でもない。
背景の1つだ。
けども、1軒の飲み屋さんを、こうもオリジナリティ満載にして実に"リアルな個性"にした映画は… ないのじゃなかろうか。
希有といってイイ、そう思えるほどに『宇宙軒』は"活きて"いる。
主人公の1人たる科学者の、その家のすぐそばに店があるというのもイイ。
なので主人公は仕事を終え勤務先から電車で戻るや、まずは『宇宙軒』で1杯という習慣なのだ。
この科学者のメリとハリが、『宇宙軒』でもって存分に判って、こりゃ映画史に輝くリアイリティの勝利じゃなかろ〜かとさえ、思えるんだ。
云うまでもなく、時代が時代… 科学者は酒を呑みつつ、煙草も吸う。
昨日のニュースによれば世界保健機構(WHO)は、喫煙シーンのある映画はすべて"成人指定"にせよ、とそう各国に勧告したそうだけど…、ナチスがかつてやった焚書同様だ。
弾圧といっていい。
ともあれ、主人公は紫煙くゆらせ、会話し、酒をすする。
天井は電球だ。まだ蛍光灯は普及しない。
エアコンもない。
だけども、そこに入って腰掛け、ボクは酒をオーダーしたくなる。
パイラ星人のおこないやら以上に、1956年のカタチとしての『宇宙軒』に惹かれるんだ。
この映画へのボクのラブの根幹は『宇宙軒』に集中する。
内装が良い。
椅子は全部、樽だぞ。
その上に座布団だ。よく見るに1つ1つ柄が違う。女将の手作りと知れる。
10人と入らない小さな店だ。
カウンターの仕切り上には地球儀まである。
店内の端っこの壁に棚があって、木製のやや大型のラヂオがある。
1956年当時、ラヂオは花形だ。
一見プラスチックに見えるが黒檀。お高い仏壇のそれだ。その大型が見栄えよい所に置かれていれば、それだけでもうハナが高くなるといった存在。
映画の途中でわかるけど、オーナーたる女将さんは、それを月賦で買ったらしい。
このリアリズムも、いい。
また、そのラヂオの後ろにゃ、この店の周年記念だかか、常連さん達からと思われる寄せ書き色紙があって…、小道具とてハンパでない。
壁には、天体の写真が貼られてる。おそらく常連たるその科学者先生提供かと思える。
これがまた、店の味を濃くする。
暖簾(ノレン)は、岡本太郎描くところの星の線画だ。
この絵がまた何とも良よいのヨイだ。
ボクは暖簾をかけるような部屋を持っちゃ〜いないが、かつて何年だか前、ジャズフェスで山下洋輔を中心にしたミュージシャンを招いて岡山市民会館でコンサートを主催したさい… 氏は自分の楽屋部屋に、彼のオリジナルの暖簾をかけて、ドアはオープンにされていた事がある。
それが随分に粋だった。
ボクは必ずしもその暖簾の図柄が良いとは思わなかったけど、そうやって暖簾をあえて取り付けた彼の心意気には深々に、感嘆をした。
暖簾は結界であり、また同時に、それは拒むものではなく、招き入れるための装置だ…。
そんな象徴としての山下洋輔の暖簾に感じ入ったもんだけど、『宇宙軒』の暖簾にも、ボクは相等しい自由で未来的な感触を持ったワケなのだ。
気構えと共に、清廉さも感じる。
パイラ星人は地球人とコンタクトをとるため、とあるダンサーに化ける。
何もそんな目立つ女性に化けなくてもいいものを、なぜかパイラ星人は選んでしまって、映画の後半はそのダンサー=パイラ星人と科学者らとのコミュニケーションという具合にハナシは進行するんだけど、それを演じた女優さんが、またメチャに良い。
目黒幸子さんという女優。
実は昨年の10月、彼女は89歳で没された。
1949年に大映に入社され、以後、数多の映画に出てる。
その数や100本を越え、さらには舞台やテレビドラマもある。
遺作となった映画は2002年の『目下の恋人』、テレビドラマとしては2003年のNHKの『虹色定期便』らしい。
その本数の割りには、どういう次第か知られていない。
ま〜、世の中、そんなもんだ。
むしろ、知られていないから余計、ボクはこの『宇宙人東京に現る』のヒロインとしての彼女を絶大に支持し、かつ、崇拝する。
映画は永遠だな〜、とつくづく思う。
100本を越える彼女が出た映画にも興味はない。
あるのはただ、『宇宙人東京に現る』の中の彼女だ。
この彼女(実はパイラ星人)と、『宇宙軒』のカウンターに座れば、たぶんま〜、ボクは例によってよく喋り、パイラの彼女を苦笑させ、気づくと彼女がボクのおでんも全部たいらげた〜ってなアンバイになるんだろう。
それも好いのだ。
いわばボクの理想とする居酒屋が『宇宙軒』。
自ずと当然に、これをば無人島に持っていきたいとなる。
ただ1人の孤島生活にさいし、『宇宙軒』がたえず… 人と出会えてお喋り出来る夢を繕ってくれるのではあるまいか。
役者の背景にあるお品書き… 上のスチールにゃ映ってないけど、
"ポークライス"
というメニューもみえる。
ゴハンの上にポーク? それとも混ぜてんのか?
えっ? ボクが知らないだけなのか…?
味噌味なの? お醤油風味?
興味尽きない『宇宙軒』。
オーダーして眼を愉しませつつ、あいかわらず喋って呑んでのボクに、
「あんた… また冷めちゃうよ」
女将の声が聞こえそうなアンバイ。
※ 上の写真:カツライスというのもボクには珍しいのだけど… その左のお品書きが読めない。何だろう? と気になって仕方ない。