ベテルギウス

元旦がフルムーンであったから、1月の14日は月のない夜だ。
星が見えるかしらと、15日の早朝の3時半に外に出てみたら、あいにくの曇り空。
それもやけに寒い。
寒いというより冷たい。
庭池が凍ってる。
雲さえなければ北西の空に、ベテルギウスが爆発するかもしれないオリオン座を眺めることが出来るんだけど、白んだような寒い雲綿に覆われていて、星はかすかにアチラにポツリ、コチラにポツリという… あんばいの1月15日の岡山の空だ。
ベテルギウスはいつ炸裂するんだろう…
明日か、一ヶ月先か、来年か、それとももっと… 100年先か、1000年先か… 。
観測によると、この15年ほどの合間に何と15パーセントも収縮しているらしい。
これはとてつもないコトだ。
まるで、あの愚作なれど、どこか愛おしい、ピーター・ハイアムズ監督作品たる映画「2010」で描き出された、あの急速に収縮を開始した木星みたいなもんだ。
極度の収縮の果て、星は炸裂する。
映画の中の木星は炸裂して第2の太陽になるけれど、ベテルギウス超新星爆発を起こして輝き渡り… その後はたぶんブラックホールへと向かうのだろう。
その爆発を、ひょっとしたら、この眼で見られるかもしれないと思うと、ちょっと炯々となる。
太陽よりも1000倍も大きなベテルギウスは600光年という彼方ながら、爆発すれば、オリオン座の景観は変る。
我らが月がフルムーンの時にもたらす明るさをベテルギウスがもたらすかもしれないし、白昼でもその光輝を目視出来るらしい。
その状態はたぶん数100年は続くんだろうと思える。
ベテルギウスが爆発すれば、冬の夜空の景観は変り、夜毎、明るいというコトになるやもしれない…。
昨年の10月以来、ボクは、ただいまリニューアル中の明石天文台(明石科学博物館)に新たに設置される『宇宙開拓室(仮称)』の模型監修の仕事もしているのだけど… だから余計に宇宙に眼が向くという次第で… そんな状況下でベテルギウスを思うと、人類の宇宙史のあまりの小ささにガクゼンとさせられる。
やれ経済だの、それ政治だの、宗教だの… 地表に縛られ、日々に縛られ、追いこくられている日常に、ペシズムのそれとしてではなく… なんだか鬱陶しい思いに駆られてしまうのだ。
アポロで人が月に出向いて、もう40年経過したというに、この40年の合間の人類って… 結局、遠くへ旅してないんだよな。
1にも2にも、経済活動として宇宙への進出が見合わないというコトになるらしい。
……………
そこが寂しいじゃないか。
前にも書いたけど、野口さんが"宇宙へ行った"ってニュースになるけれども、その"宇宙"とベテルギウスがいま燃え尽きようとしてる"宇宙"とは、やはり違うんだよな〜。
なんか、方策はないのかしら?
"宇宙"に眼を向けることがそのまま"経済"にもなる哲学って、まだ編まれないのかしら。